梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

言葉の壁?

2006年01月09日 | 芝居
寒い日が続いております。歌舞伎座も、舞台裏や楽屋棟の廊下など、ずいぶんと冷え込んでまいりまして、みんな寒い寒いと申しております。以前お話しいたしました<集合場>も、いつもなら出番を待つ人たちで賑わうのですが、この頃は冷気充満のせいでしょうか、のんびりここで控える人は少なくなりました。

さて、今月の歌舞伎座は、上方歌舞伎の大名跡、坂田藤十郎が復活される大変意義深い襲名披露興行ということもあり、<上方色>豊かな演目が多数上演されておりますね。『夕霧名残の正月』『曾根崎心中』『藤十郎の恋』、そして山城屋(藤十郎)さんのご工夫で、文楽の演出に近い形になった『伽羅先代萩』。
私は『藤十郎の恋』に出演させていただいておりますが、上方のお芝居に出ますとき、難しいのがやっぱり<コトバ>の問題なんです。単に関西弁、と表現してはいけないのかもしれませんが、イントネーション、音遣いの違いには、たとえセリフが無いお役でも、いわゆる<捨て台詞>をしゃべる時、気になってしまいます。
関西に二年間住んでいたとは申せ、当時は意識的に関西弁を使わないようにしておりました(東京の歌舞伎俳優研修を受けるうえでのハンデになると思い込んでいたのです。大いなる誤解でした)ので、さっぱり身に付かずじまい。むしろ仕事で大阪松竹座や京都南座に出るようになってから、その土地その土地の飲み屋、遊び場で生まれた出会いの中から、だんだんと覚えていった感が強いです。もちろん、趣味の落語で桂米朝師匠の噺を聴くことでも、なんとなく雰囲気はつかめるようになってきました。
それでもいざしゃべってみると、やっぱり<つくりもの>っぽい感じなんですよね。上方歌舞伎塾の仲間たちと普段しゃべっていても、なるほど自然な関西弁はこういうものなのか、と思うことばかりです。ただし、さきほども書きましたが、一括りに関西弁とはいっても、地域地域でびっくりするくらいイントネーションは変わるんですね。河内コトバ、船場コトバ、神戸コトバに京コトバ、等々…。みんなそれぞれの味があって、聞いていてオモシロいです。
とはいえ、たんに現代の関西弁を舞台でいえばよいわけではないというのがややこしいところで、私などには手も足もでないことですが、<歌舞伎の上方コトバ>というものになっていなくてはならないというのです。上方歌舞伎塾出身のみんなも、研修中、自分が当たり前のように話してきた言い回しが、指導の方から「訛ってる!」と指摘され面食らったことが度々あったそうです。義太夫節に由来する言い回しが基本になっているそうですが、もうこれ以上は門外漢の私には説明できません。いずれまた勉強させて頂いた上でお伝えできればと思います。

ともあれ『藤十郎の恋』での大道具役、楽屋でおこった大事件を大慌てで告げにくる役でして、とにかくあたふたとガヤガヤしゃべっておりますが、東京のお芝居だったらポンポン言葉が浮かぶんですが、今回は、いったん「これは関西弁でなんて言うんだっけ?」と考えてしまうんで調子がなかなか出ませんで、情けない話です。せめて雰囲気だけでもお客様に届けばよいのですが…。
もっと関西の俳優さんと仲良くなって、<生きた関西弁>を学ばなくてはならないのですかね。