梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

色は場合によって

2006年01月14日 | 芝居
今日は<中日>でした。楽な月ほど日が経つのがはやいです。今月は、なんだかあっという間に折り返し地点に来てしまいました。
初めて師匠の女形の衣裳を着付けるということで、毎日毎日勉強させて頂いておりますが、もう後半戦に入るというのに、自分の仕事に納得がゆきません。もっと手際よい作業で仕上げたいのですけれど、綺麗に形をつくろうと思うと時間ばっかりかかってしまって…。落ち着いて、冷静に、はいつも私が私に言い聞かせていることですが、今月はなおさら肝に銘じて、残りの日々を頑張ります。

さて、お芝居の話を。
今月の昼の部『奥州安達原』<袖萩祭文>は雪降り積もる冬の御殿が舞台。成駒屋(福助)さんが演じる袖萩が、我が子とともに繰り広げる悲嘆の場面には、二人を責めさいなむように雪が降りかかります。
この場面で、袖萩の舞台上での用事をする後見は、全身真っ白ですね。これは<雪衣(ゆきご)>と申しておりまして、雪の場面で仕事をする後見は、大抵この格好をいたします。形状は<黒衣>と全く一緒で、頭巾・着付・帯・腹掛け・紐付・手甲・そして足袋。これら一切が白尽くめになっているわけです。
歌舞伎では「黒は無を表す」という大前提がございますが、さすがに周りが白一色に覆われた舞台では、<黒衣>は目立ってしまうと考えたのでしょうね。同じような考え方で、大海原や川の中の場面では、今度は青一色の<浪衣(なみご)>になるのです。<浪衣>の時は、本当ならば青い足袋を履かなくてはならないのですが、青い足袋というものはそうそう用意されるものではございません(他に履く機会がない)ので、黒足袋になることも多くございます。
<黒衣>は、役者個人が所有しているものなのですが、<雪衣><浪衣>は、手ぬぐいや消し幕、地がすり(舞台に敷かれる布)など、主に布製品を管理する「小裂(こぎれ)」という部署の管轄になるのですよ。

それから、同じ<黒衣>でも、“人形振り”の後見や、今月の『伽羅先代萩・床下』で見られる“差し出し”と呼ばれるロウソクの灯りを扱う後見は、生地が繻子となり、赤い紐がついた形状のものとなりまして、「見えない、というにはあまりにも目立つ仕事をする」役目の時は、こうした格好になることが多いです(あくまでケースバイケースですが)。こちらも「小裂」さんの管轄です。

私<黒衣>は年がら年中着ておりますが、<浪衣>は一昨年六月博多座での『其小唄夢廓』の大詰<六郷川の場>で、権八が乗る渡し船を操作する仕事のとき、<繻子の黒衣>は昨年の夏の勉強会『本朝廿四孝・奥庭狐火の場』での八重垣姫の後見で着ました。色、見た目は変われど、やはり普通の<黒衣>と同じく、目立たぬように仕事をしなくてはなりません。

…今月の『奥州安達原』では、袖萩と、後に出てくる安倍貞任を別々の俳優さんがなさっていらっしゃいますが、この二役を一人の演者が兼ねることがございます。そのとき貞任の後見は普通の<黒衣>ですので、一人のお弟子さんが、白黒両方の後見をすることとなり、舞台裏で<後見の着替え>をすることになるそうですよ。