タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

浜までは、、、

2017年06月29日 | 日々雑感
梅雨らしい天気が続く広島地方、この時間は雨になりました。

晴耕雨読の年金生活、この天気では「お山の大将」はできません。自宅でのんびり、、、、です。

そうすると話題がなくて、今日もまた外山滋比古さんの本からお知恵拝借です。画像は北海道のものです。

    

「知的な老い方」(外山滋比古著・だいわ文庫)で先生は「スタイリッシュ・エイジング」かっこよく年をとることを提唱されています。

その中で紹介されている俳句です。

      浜までは海女も蓑着る時雨かな   瓢水

どこかで聞いたことのある句で、タカ長には初めて目にする句ではありませんが、この句について深く考えたこともありません。しかし、、、、

    

海女はいずれ海に入るのだから、、、、どうせ濡れるのだから、、、、構うことはないのに、、、

しかし、海女はたしなみを忘れあいで蓑をきてゆく。その心を美しいと感じて詠んだ句だと、、、そのあたりまでは何かで読んだことがあるような気がします。

    

先日、いつも見ているテンミニッツ・オピニオンで、プロフェッショナルとは何か、玄人とは何かという話を聞いたばかりのタカ長は、、、、

プロフェッショナルとは「見えないものが見える人」という先生の言葉から、、、、この句を目にしたとき

海にもぐる前に時雨で体を冷やしてしまうと、海の中で思い通り体を動かすことが出来なくなる。だからプロとしての海女は不用意に時雨にぬれ、体温を落とすようなことはしない、、、

という解釈をタカ長はしましたが、この解釈は本日のテーマとは関係のない解釈、タカ長の独断です。

    

 人間は、なにかというと、「どうせ」ということをいって、甘える。たしなみを失い、努力を怠る。みっともないことを平気でする。いやしいものである。しっかりとした生き方をするものは、ぎりぎり最後の最後まで、わが身をいとい、美しく、明るく生きることにつとめる。
 
 どうせ、年老いたのだから、年寄りだから、いまさら面倒なことはごめんこうむりたい。どうせ退職したのだから、これからは、悠々自適で余生をすごす、などという。その実は、なまけて、なり行きまかせに生きていこうというよくない心にふりまわされているのである。 (外山滋比古)


引用が長くなりましたが、先生にこのように言われたら、怠け者のタカ長などぐーの音も出ません。

このあと先生は瓢水について語られていますが、長くなるので詳細は省略しますが、、、、

瓢水の評判を聞いてある僧が訪ねてきたとき、瓢水は風邪薬を買いに出かけて留守でした。それを聞いてその僧は「さすがの瓢水も命が惜しくなられたか」という言葉を残して旅だったとか、、、、。

    

それを聞いた瓢水が詠んだのがこの句だといわれている、、、、という説明でした。

そうすると、この「浜」は死ということにもなる。人間、死ぬまで、生きている限りはせいぜい身をいとい、よく生きることを心がけなくてはいけない。 (外山滋比古)

このように言われると、、、スタイリッシュ・エイジング、かっこよく歳をとるのは至難の業ですね。タカ長には無理みたいです。

と言うと先生に叱られること間違いナシですが、、、、、。


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