タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

お山の大将

2017年06月28日 | 日々雑感
梅雨らしい、ハッキリしない天気の広島地方。

タカ長は自宅でぼんやりとした時間を過ごしています。

モンゴルから帰った鳥友、、、北海道を旅行中の友だち、、、自宅でぼんやりのタカ長、、、

    

北の大地の写真を見ながら、赤い鳥を追っかけた日を思い出したり、、、

外山滋比古の本を読み返したり、、、

今日のタイトルはその本から頂きました。「知的な老い方」(外山滋比古著・だいわ文庫)

先生はこの本の中で、受け身の老い方ではなくて、積極的に老いを受け入れることを提案されています。

その中の一つの小題が「お山の大将」です。

    

人生50年の時代は年寄りが少なく、そのため年寄りには希少価値があったのでしょうが、今の世の中はどこを見ても年寄りばかり、、、

ただ単に歳をとっているだけでは希少価値もなければ、尊敬の対象になることもありません。

そのような時代ですから、自分の存在価値は自分で探さないといけません。

その対策の一つが「お山の大将」になること、、、、

外山滋比古先生は物書きですから、人を集めてエッセイの書き方を教え、、、、

その教室では先生が「お山の大将」というわけです。

そのお山の大将になるのは、人から頼まれるのを待っていたらダメで、自分からなることをすすめておられます。

    

そのように考えたら、、、、タカ長は文字通りの「お山の大将」で、そのお山の大将も仲間から推されてなっているのですから、幸せと言えばこれほど幸せなことはありません。

団地の役員の中では末席ですが、広報誌づくりを担当する人もほとんどいなくて、ここでも「お山の大将」ですが、、、

こちらのほうは「社長兼小使い」のようなお山の大将です。それでも大将は大将です。

自薦であろうとお山の大将になっていればそれなりの存在感は出来てきますから、それだけで高齢者は幸せになれる、というわけです。

小さなものでもいい、何でもいいからお山の大将になれば、少なくともそのお山の中では仲間が立ててくれる、、、、

だからお山の大将でいられる、、、、、というわけです。

    

お山の大将は自分でなる。自任するするものであって、ほかの人から任命されるものでもない。それが分かるのが、老人のアタマである。
お山の大将は生きがいになる。  (外山滋比古)


この歳まで生きてきたら、それぞれの人が何か持っていますから、それを表に出して「お山の大将」になることができるはずです。

自分の生きがいづくりのため、他薦またないで、自任で「お山の大将」になりましょう。