「太陽にほえろ!」当直室 仮設日誌 PART2

6年半ご愛顧いただいた『太陽にほえろ!当直室』(since2002年5月)復活ブログ、引っ越しました。(2014年7月)

恩人・ボギー

2011-09-20 00:17:57 | 回顧
9月。

この時期になると毎年、画面に映るボギーへの葛藤を想い出します。

1982年の今頃は、太陽変革の渦の中で生粋の太陽ファンはもがいていたのではないかと思います。
それこそ、太陽から卒業しようかどうしようか。
それだけ、カナダ編の高揚感と長さんとロッキーが去ったことは非常に終末感(祭りの後のなんとやら)がありましたが、まだゴリさんが居たので辛うじてという部分もあったりして、ゴリさんの殉職を知った段階で、太陽に対しての不安というのが湧きあがってきました。

不満というのは無かったと思います。既にその辺りの人が変わることに対しての受け手として視聴者として、ユーザー的心理的欲求なんていうものは裕次郎さんの入院時に完璧に無くなっていました。なので、もう完全に観続けるというのは頭にありながらも、あの劇的な変化に対する自分自身のストレスを一体どこにぶつければいいのか、と云う部分で、ボギーはその私の不安心の矛先になりました。

確かに#521は面白かった。

それでも非常に終末感を感じていたのは、2人の縁の下の力持ちが居なくなったのもありますが、ゴリさんの落ち着きが妙に寂しかったり。
ボギーはちょっと力が入り過ぎた感じで、これまでのチームワークの流れから比べると非常に異端に感じたものです。

これが「狙い」だというのは解っていました。スコッチとは方向性の違う異端。
やっぱりどうしたって、観ているこっちは不満と云う部分とはちょっと違った、
「何なんだ?この新入りは?」的な目線があるわけで、今までの世良さんのイメージとは違った、「見た目」カッコ悪いボギーの姿に不安を感じたものです。

ちょっと作り過ぎてない?
正直、そんな不安を抱えながら話は進んでいきますが、正直ボギーよりゴリさんを見逃さないという意識の方がはるかに高かったと思います。
ただ、ボギーは観たく無くても眼に入ってきたので(^_^;)
それが功を奏したのか、ボギーにも急激に「慣れて」行くわけです。
ただ、違和感は払拭出来なかった。
#523ではゴリさんのことをキザと云ったボギーにも驚きました。
ゴリさんがキザ・・・考えもしなかったことで。
この頃からある側面ではボギーに注目していた感じはあったかもしれません。不器用だけれども泥臭く突進する彼の姿に感銘を憶えていたのかもしれません。
ただ、異分子的な拒否反応はまだあったと思います。
これがもしゴリさんとボギーの絡みが無かったら、ひょっとするとボギーに対しての見方は最後まであまり変わらなかったかもしれません。
それだけ、ゴリさんとの関わりがその頃の私にとっては重要だったと思います。
#524辺りになると、前回の流れからかボギーに対してあまり違和感を感じなくなっていました。
ただ、ゴリさん殉職後はボギー関係なく太陽視聴が非常に重かったのは事実でして、辛かったです。

この辺りがきっかけで、太陽を卒業なされた方がかなり居られるのは事実、私もあの流れであれば太陽から離脱していたかもしれませんが、別なターボ(写真集の一気買い等)があったため惰性で走っていた感じもありました。それに、私には明らかに画面からも無理や疲労が感じられた山さん・ドック・ラガーを置いて離れるのはちょっと出来なかったですが、正直、太陽は大丈夫なのかという疑問は湧いていました。

そういう蟠りというか不安というか疑問を払拭してくれたのが、「検問突破」でした。

ボギーのカッコ悪さというか不器用さがクローズアップされる話なのですが、登場当初の作られた感じがかなり無くなっていて、世良さんご本人的の素のカッコよさが出ていた感じがして、かなり引き込まれて観ていました。
そしてあのクライマックスの「あんたら汚ねえ、利口すぎるんだよ」を聞いた時にビクっとしたんですよね。

当時のメンバーは皆器用だったし、優等生的な面子が揃っていた中でのボギーは非常に異端だったし、それを不安視すらしていましたが、そもそも太陽に登場するメンバーというのは、性格的に様々で、それが化学反応を起こして話が面白くなると言うのが醍醐味だったはず。
それを考えるとボギーは正統派の太陽キャラなんですよね。
それが結局長年馴染んだメンバーの相次いだ降板劇によってすっかりそちらの方に神経が走っていたわけで、そういう色々な事柄を引き摺ってボギーを色眼鏡で観てしまっていたということに気付きまして・・・。

多分、それは作り手もある程度は解っていたんじゃないでしょうか。
そうでなければ、こういう話はもうちょっとボギーが落ち着いてから作ったのではないかと。

そこからもう偏見や先入観で太陽キャラクターを迎え入れるのは止めました。
それが損だと言うのにも気付きましたし。

それからボギーは急に好きなキャラになりました(^_^;)
まあ、ゲンキンなものです。。。。

太陽を観続けることが出来たのは、ボギーと「検問突破」のおかげです。

・・・

異端新刑事への反応というのは、恐らく年代の問題なのかもしれません。

スコッチの頃は正直幼児だったので、カッコイイとしか感じませんでしたが、諸兄姉の一部の方はやっぱり違和感を覚えたと聞いたことがあります。

多分思春期にこういうキャラクターに当たった場合は葛藤というのは付いて回ったのかもしれません。

私の場合運よくあの変革時期でボギーに当たった為にその強烈さが逆に太陽視聴的には良かったのかもしれません。
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