<弓ヶ浜海岸>
八束水臣津野命による「国引き」
の仕上げが行われたのは、
島根半島の東端に位置する「三穂の地」でした。
杵築の地・狭田の国・闇見の国を
造り上げた八束水臣津野命は、
最後に「高志の都都の三崎(つつのみさき)」
から土地を引き寄せ、現在の美保神社のある
一帯に弓ヶ浜半島を完成させたと聞きます。
ちなみに、高志の都都の三崎とは、
能登半島の珠洲の岬のことを指し、
また、土地を固めるために立てた杭が
「伯耆国の火神岳(大山)」になったのだとか……。
以前、「能登の神社」の記事内でも書いたように、
能登一帯も「渡来系の痕跡」が色濃く残る場所ですから、
恐らくは「能登」に漂着した渡来人が、
この弓ヶ浜の近辺までやってきた
経緯があったのかもしれません。
風土記が編纂された時代には、
まだ完全な陸地ではなかったようですが、
弓ヶ浜に立ってその地形を眺めてみますと、
いかにも「綱」を渡したような弓型の海岸線が、
弧を描くようにして延びている様子が確認できました。