たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

新羅の人々

2020-06-03 09:31:51 | 古代の出雲

<長浜神社 ながはまじんじゃ>

 

一説に、『出雲国風土記』は、

縄文のエッセンスを色濃く残す文献とも言われており、

古事記や日本書紀には記載されない、

「原始の出雲」が数多く描かれているそうです。

恐らく、縄文時代に起きた2度の大噴火の影響で、

三瓶山一帯には大きな被害が及び、

近辺で暮らしていた縄文人にも、

かなりの犠牲者が出たと推測されます。

その後、生き残った縄文人の一部は、

土砂の流失により埋め立てられた出雲平野へと進出し、

「新羅」からやってきた弥生人たちと

融合して行ったのでしょう。

 

出雲平野に点在する弥生遺跡からは、

朝鮮半島由来の土器がまとまって出土すると言いますし、

「国引き神話」の中で最初に「引っ張られた」土地が、

この「薗の長浜」であったと考えれば、

島根半島一帯で最も早く「縄文と弥生」とが

出会った場所が出雲西部だった可能性もありますね。

もしかすると、「国引き神話」という物語の中には、

出雲に上陸し出雲の縄文人と混血した

「渡来民族のルーツ」が暗示されているのかもしれません。