<長浜神社 ながはまじんじゃ>
一説に、『出雲国風土記』は、
縄文のエッセンスを色濃く残す文献とも言われており、
古事記や日本書紀には記載されない、
「原始の出雲」が数多く描かれているそうです。
恐らく、縄文時代に起きた2度の大噴火の影響で、
三瓶山一帯には大きな被害が及び、
近辺で暮らしていた縄文人にも、
かなりの犠牲者が出たと推測されます。
その後、生き残った縄文人の一部は、
土砂の流失により埋め立てられた出雲平野へと進出し、
「新羅」からやってきた弥生人たちと
融合して行ったのでしょう。
出雲平野に点在する弥生遺跡からは、
朝鮮半島由来の土器がまとまって出土すると言いますし、
「国引き神話」の中で最初に「引っ張られた」土地が、
この「薗の長浜」であったと考えれば、
島根半島一帯で最も早く「縄文と弥生」とが
出会った場所が出雲西部だった可能性もありますね。
もしかすると、「国引き神話」という物語の中には、
出雲に上陸し出雲の縄文人と混血した
「渡来民族のルーツ」が暗示されているのかもしれません。