<青森県立美術館>
昨日、縄文人にはあって現代人にはないものとして、
「思索の力」というテーマを掲げましたが、
昨今の風潮が「深く考えること=ダサい」
「あれこれ試行錯誤すること=無駄」
といった流れに傾いているのも確かです。
日常的なコミュニケーションにおいて、
ひとつのテーマを深く追求しようものなら、
「こだわりの強い人」「扱いにくい人」
として敬遠されるのがオチでしょう。
ただし、本来人間というのは、
どのような疑問も自身の内側にある「何か」で、
すべて解決できるようになっており、
それらに行き着く手段として、
「思考力」と「想像力」を与えられていると
個人的には考えております。
言うなれば、現代人である私たちが、
「自らの祖先」でもある縄文人について、
まるで異星人を語るかのように頭を悩ませているのも、
「考える力」を失ってしまったからだと思うのですね。
恐らく、多くの人が縄文人に対して、
「知性」や「インテリジェンス」とは
真逆の人物像をイメージしているかもしれません。
一方で、縄文人の残した遺物の中に見えてくるのは、
「文明の頂点」にいるはずの現代人が失った、
鋭い「英知」とそれを追求した「思索の跡」なのです。