たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

土偶の消滅

2019-11-14 09:54:42 | 縄文への旅

<国立歴史民俗博物館>

 

「縄文人」と「弥生人」とが隣り合って

生活していたという事実は、

既存の古代史観に大きな影響を及ぼすものでした。

そのことを前提に考えれば、縄文人と弥生人とは

完全なる対立関係にあったわけではなく、

持ちつ持たれつの関係性を保ちながら、

適度な距離感で交流していたとも想像できます。

もしかすると、縄文人は弥生人から最新技術を学び、

弥生人は縄文人から呪術や精神性を学ぶなど、

お互いの文化を認め合っていたのかもしれません。

 

しかしながら気になるのは、

縄文時代が終わりに近づくに従い、

一部の地域を除いて「土偶」が徐々に

姿を消して行ったということです。

同じく縄文の祭祀アイテムである「石棒」が、

弥生時代になっても継続して用いられたのとは逆に、

あれほど多種多様な形象を生みだした

「土偶」に関しては、少なくとも弥生中期の頃には、

ほぼ制作された形跡がなくなったと聞きます。

 

土偶消滅に至るまでには複雑な流れがあるため、

一概に「縄文の終焉と共に土偶が消えた」

とは言い切れないのが難しいところですが、

このあたりの事情を詳しく探るために、

縄文晩期の諸々の動きについて

再確認してみることにしましょう。