たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

思索の力

2019-11-19 09:56:33 | 縄文への旅

<青森県立美術館>

 

昨日、縄文人にはあって現代人にはないものとして、

「思索の力」というテーマを掲げましたが、

昨今の風潮が「深く考えること=ダサい」

「あれこれ試行錯誤すること=無駄」

といった流れに傾いているのも確かです。

日常的なコミュニケーションにおいて、

ひとつのテーマを深く追求しようものなら、

「こだわりの強い人」「扱いにくい人」

として敬遠されるのがオチでしょう。

 

ただし、本来人間というのは、

どのような疑問も自身の内側にある「何か」で、

すべて解決できるようになっており、

それらに行き着く手段として、

「思考力」と「想像力」を与えられていると

個人的には考えております。

言うなれば、現代人である私たちが、

「自らの祖先」でもある縄文人について、

まるで異星人を語るかのように頭を悩ませているのも、

「考える力」を失ってしまったからだと思うのですね。

 

恐らく、多くの人が縄文人に対して、

「知性」や「インテリジェンス」とは

真逆の人物像をイメージしているかもしれません。

一方で、縄文人の残した遺物の中に見えてくるのは、

「文明の頂点」にいるはずの現代人が失った、

鋭い「英知」とそれを追求した「思索の跡」なのです。

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