たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

不明瞭な様相

2019-11-13 09:48:18 | 縄文への旅

<国立歴史民俗博物館>

 

昨日、「縄文晩期頃にはすでに、

日本に稲作が伝来していた」

という内容の記事を書きましたが、

同時に縄文の終焉と共に消滅したとされる

「縄文土器」が、実は形を変えながら弥生土器

として継承されていたという調査があります。

 

一見、複雑なデザインを施した縄文土器と、

合理的でシンプルな造形の弥生土器では、

見た目の印象は異なるものの、

よくよく観察してみれば、

弥生式と呼ばれる土器にも、

縄文を彷彿させる文様が刻まれた

作品が数多く存在しますし、

また北部九州から発掘された弥生土器には、

縄文晩期の亀ヶ岡式土器の影響が

はっきりと見て取れるのだとか……。

 

つまり、弥生時代の始まりを示す根拠となった、

「稲作の伝来」と「弥生土器の使用」

というふたつの事象が、従来ほど意味を

持たなくなってきたというわけなのですね。

また、石棒などの縄文系祭祀具が、

弥生の象徴である銅鐸の分布図と重なる

(つまり弥生時代の祭祀に、

縄文の祭祀具が使用されていた)

との指摘もあることから、

縄文と弥生の境界線は、私たちが思う以上に

不明瞭な様相を呈しているのかもしれません。