<国立歴史民俗博物館>
昨日、「縄文晩期頃にはすでに、
日本に稲作が伝来していた」
という内容の記事を書きましたが、
同時に縄文の終焉と共に消滅したとされる
「縄文土器」が、実は形を変えながら弥生土器
として継承されていたという調査があります。
一見、複雑なデザインを施した縄文土器と、
合理的でシンプルな造形の弥生土器では、
見た目の印象は異なるものの、
よくよく観察してみれば、
弥生式と呼ばれる土器にも、
縄文を彷彿させる文様が刻まれた
作品が数多く存在しますし、
また北部九州から発掘された弥生土器には、
縄文晩期の亀ヶ岡式土器の影響が
はっきりと見て取れるのだとか……。
つまり、弥生時代の始まりを示す根拠となった、
「稲作の伝来」と「弥生土器の使用」
というふたつの事象が、従来ほど意味を
持たなくなってきたというわけなのですね。
また、石棒などの縄文系祭祀具が、
弥生の象徴である銅鐸の分布図と重なる
(つまり弥生時代の祭祀に、
縄文の祭祀具が使用されていた)
との指摘もあることから、
縄文と弥生の境界線は、私たちが思う以上に
不明瞭な様相を呈しているのかもしれません。