ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

夢の続き

2016-11-30 22:26:40 | 日常
今日も首が痛い。
先日明け方二度寝した時に見た夢の意味を考えていた。
半覚醒状態で自分は何故か帯広の家屋にいた。
雪が積もっていた。
昭和初期の古い木造モルタルの一軒家はがらんどうで家具も何も無く人の気配は無かった。
私はその玄関先で雪掻きをしていた。
上がり框にスコップがある。
吹雪だった。
空き家は教会関連の建物だったと思うが実際には見た事ない建物だ。
各地から関係者が集まって来るという意識で私は雪を掻いていた。
雪を掻きながら黙々と、妙に幸福な気分だった。
目が醒めたら全身疲労していた。
夢に続きがあるような気がする。

本日遅番。
今日も頸が痛いから痛み止め持参する。


・・・・・

仕事終えた。
はー。。。。。orz
くそ忙しかったなぁ。

今夜も待機だ。
明日の朝6:00まで職場から呼び出されませんように。
少し横になろう。

あの夢の続きが気になる。

画集を見る

2016-11-29 19:52:10 | 日常
6:04。
日の出が遅くなった、というか今日はどんより曇っている。
休みだけど外出は期待出来ないな。

しかし雲のおかげでシバレない。
生ぬるくひんやり。

ここ2、3日睡眠不足が続いていたためか昨夜は爆睡した。
天気よくないのに寝覚めはすっきりしている。
仕事休みだけど日の出前から朝カレー食べた。
何となく体力落ちた感じがするので休日でもカレー。

朝なのに暗いなと思っていたら雲が切れて日が差してきた。
自己メンテナンスのため少しだけ歩こう。
その後で先日受診のためにゆっくり見られなかったあの小さな画集を眺めに行こう。

バスを降りたら太陽が雲間を出たり入ったりしている。



自宅を出る時に一度ガラス繊維を仕込んである滑り止め靴を履いて出たが
思い直して秋靴に履き替えて出てきた。
正解だった。
路面はほぼ乾いており冬靴を履いて歩くと滑り止めが摩耗してしまう。
今はまだ滑り止め無しでも十分だな。
この坂も、凍っていたらとても上れないと思ったが全然凍っていない。

あっ。

ここずっと氷点下の気温が続いているのでまさか路上に蝶がいるとは思わなかった。
それも死んでいるとはいえこんな完全な姿で。

先日は鈍く暗かった海面も今日はキリキリと冴えて青く、波が殆ど無い。






静かだなぁ。
波も風も全然音がしない。




日が陰ってきた。
岸壁に行く。

あっ。
ハシボソさんだ。

丁重に挨拶して通り過ぎた。

空腹。
まもなく15:00。
昼食を忘れていた。
先日ピカタスパゲッティを食べた地元老舗の焼うどんパスタ屋に行こう。

ミラノには絶対に無い「ミラノ風スパゲッティ」を食べる。

このスパゲッティは少し甘めの醤油味。
鉄板焼きうどんと味は似通っている。
具はもやし、玉葱、干し椎茸、豚バラ肉細切りで、生卵と刻み海苔が乗っている。
ジュージュー油が跳ねる熱々で生卵がみるみる固まる。
フォークで黄身を崩してパスタにからめると卵の黄身が半熟になって醤油味と合う。

・・・・・

またも半分しか食べられなかった。
歳取ったなぁ。

岸壁を少し歩く。
冷え込んできた。




昨日ほどではないけど港の方角から雲が迫って来る。




ひょうきんな妖怪が見えてきた。


某公共施設内の図書閲覧室にて先日の画集を見る。
絵画の主題とされた「受胎告知」「最後の晩餐」「磔刑」「十字架降下」の絵を
紀元1世紀から現代に至るまで主題ごとに1冊ずつ時系列でまとめてある。

受胎告知。
見慣れたルネサンス以降の聖母子はごてごてと虚飾まみれの成金みたいに飾られている。
しかしそれよりもっと昔の聖母子はまさに貧しい母子の姿をしている。
紀元600年頃の浮彫はどうだ。
素朴な、いつまでも眺めていたい聖母子像ではないか。
絵もマンガっぽくて微笑ましい。

最後の晩餐。
やはり1世紀のモザイク画や浮彫は見飽きない。
イエスを囲む12弟子達の一人一人には個性強い人間臭さを感じる。

磔刑。
表現の仕方がどんどん変わってくる。
紀元1世紀の作品を見ると最後の晩餐もルネッサンス以降のとはまるで別世界だ。

十字架降下。
亡骸となったイエスを取り巻く人々の表情が豊かで見飽きる事がない。
やはり1世紀のものが素朴で親しみを感じる。

小さいけど見応えあるなぁこの画集。
芸術家達の信仰告白を立て続けに何十人も聞いたような気がする。

・・・・・

引き込まれて見入っていたら閉館15分前になっていた。
帰ろう。

暗い時間帯にこの閲覧室に来た事はなかった。




建物を出ようとホールに行くとクリスマスツリーが飾られていた。

奇麗だけど電飾の色が寒いな。
青よりも金、銀、黄色、白の方がよい気がするけどこれはこれで奇麗だ。

妖怪みたいな街灯がここぞとばかりに周囲を照らしている。


ううう寒い寒い寒い。。。
耳が痛いほどの冷え込み方だ。

私が子供の頃に開業した古い喫茶店に入った。

寒くて全身震えが来ている。
熱い珈琲に生クリームをてんこ盛りしたのを2杯続けて飲んだら少し落ち着いた。
店内に客は私だけだ。
最初にこの店に来た当時、私は高校生だった。
当時ここは市の繁華街の真っ只中だった。
今は飲み屋それもチェーン店ばかり、
かつて大勢の人でごった返していた建物の大半が今は廃屋となって
いずれも解体中か解体待ちだ。
周辺にあったレコード店もデパートも無いが喫茶店は残っている。
半世紀も経つと街は別物だ。
お客が来た。
懐かしくて来る客は今も途絶えない。

体が温まった。
帰ろう。
バス停まで歩く。

明日からしばらく遅番勤務が続く。

明日、新月

2016-11-28 23:32:42 | 日常
3:30。
やっぱり痛みで眠れない。
もう起きてしまおう。
臥床の姿勢がしんどい。

米飯切らしていたので久しぶりに炊いた。
朝カレー食べて、昼弁当の梅おにぎりを作った。
おかずにキャベツ、ピーマン、ほうれん草、豚肉を塩焼きして詰めた。

・・・・・

早朝出勤のためタクシーを呼んだら空車が無いので10分かかるという。
困ったな。
ぎりぎりになってしまう。

東の空低く手術針のような鋭い月がいる。
そうか。
明日は新月だ。



性能の良いデジカメならもっとよく撮れるんだろうな。

あ、タクシー思ったよりも早く来た。

・・・・・

仕事終わった。
急病人の受診と急な退院とがかち合って忙しいと思っていたら15:00に自分の仕事を終えた時、
新たに受診者の急な入院の知らせが入った。
居残っている人だけでは回りそうもなく多少手伝ってから17:00少し前に職場を離れた。
バス定期を更新する日なのでどっちにしろまっすぐ帰宅しない予定だったのでいいのだ。
定期券売り場の営業時間内に間に合いさえすれば。

・・・・・

帰宅。
帰りに薬店に寄ってエネルギードリンクたくさん買って来た。
こんなものばかり飲む事態にならないよう気を付けていたんだけどな。
何処かで軌道修正しないと。

明日は1日休みだ。
部屋汚いから掃除しないと。

バランス崩した

2016-11-27 22:29:04 | 日常
日曜日か。
昨夜から今朝6:00まで職場からの急変呼び出しは無かった。
しかし殆ど眠れなかった。
どうも右後頸部が痛くて身動き取れない。
痛み止めの塗り薬は一時的に効くが持続せず。
腕や手指の痛みや痺れは無いので頸椎椎間板ヘルニアにまでは至っていないと思うが。

本日日勤。
天気悪いなぁ。
雪降ってる。
地面は薄氷の上に薄っすら雪が溜まって滑るし。

朝食を摂る気にならないがバナナ1本あったのでそれだけ飲み込んで出勤する。
昼は胚芽クラッカーとエネルギー飲料のゼリー化したものを持って来た。

・・・・・

超絶多忙な昨日とは違って比較的落ち着いていた。
しかし明日月曜から移動してしまう先輩に業務の細かい部分を聞いたり
明日の採血の準備をしたり勤務表の更なる修正をして印刷するところまでやったら
結局最終バス逃した。
あーあ。

・・・・・

今日も21:30。
自腹タクシーで帰宅。
寝不足と頸と腰が痛いのとで食欲喪失して朝昼に変なもの(糖質)ばかり食べて
熱量不足の上にバランスが最悪なので無理矢理肉と野菜を焼き、白菜煮込みと共に食べた。
食後にキヨーレオピンと葛根湯も服用した。

少しでも寝られるかな。
物凄く眠いが痛みがあるとさすがに眠る事が出来ない。

明日は早番のため4時起きだ。
シバレるかな。

休み明け、荒れ荒れ

2016-11-26 21:51:11 | 日常
今日から仕事だ。
マイナス8.7℃か。
だるいのは夏休み明けというよりも
1日おきに職場でに出て残務片付けた疲労が残っている気がする。


・・・・・

帰宅。
21:30ではないか。
なんちゅう一日や。
荒れ荒れで急病人の受診に走り朝っぱらからノンストップだった。
腹減ったなぁ。

今朝持参した弁当のカレーを今チンして食うとる。
朝寝起き悪くてバナナ食べただけで昼食抜きになってしまった。
一番よろしくない。
就寝前に、それも昼抜きで飢餓状態、腹壊しても知らん。

今夜は夜間の急変呼び出しの携帯当番である。
職場から呼び戻されないうちに風呂に入らねば。


寒いから風呂入りたいが寒すぎて服を脱ぎたくない。
服を脱いだら心臓麻痺で死ぬ予感がする。
暖房全開しているにも拘らずなかなか暖まって来ない。

・・・・・(="=;)

ダメだ目が渋くて。

夏休み最終日、通院と仕事

2016-11-25 04:42:32 | 日常
起きた。
腰痛いなぁ。
8:39か。
寝すぎた。

定期の内科通院。
外来待合室老人達でごった返して足の踏み場もない。

今朝6:00はマイナス9.7℃、路面は乾燥している。
このくらいにシバレると凍結路面でも靴底の水分で貼り付くので滑らない。
昨日街を歩いている時マイナス1.7℃で多分あれが最高気温だった。
今日は昨日ほどは冷え込まないらしい。

ニュースで関東方面が凍結して事故多発、歩行者の転倒事故多いと言っいる。
気温が0℃からマイナス5℃くらいの時が一番滑って危険。
マイナス5℃程度のぬるい冷え込み具合だと中途半端に凍って
圧雪や薄氷になった路面の表面だけが融けてフライパンに油を引いた状態になるため
靴底に滑り止めがあっても転び易くて危険。

凍結した滑る路面を歩く時は、踵を少し浮かせて体重を足の先の方に乗せ軽く前傾姿勢を取り、
膝を軽く曲げて左、右と体重を分散させながら歩いた方がいい。
この姿勢で転ばないとは言えないが、万一転んだ場合でも
手を突いて手首や腕の骨折や膝の打撲や捻挫をする程度の怪我で済む。
普段の道を歩く時のように踵から踏み出すと、踵から滑って仰向けに転倒してしまう事が多い。
仰向けに転倒すると後頭部強打や頸椎打撲で致命的なケガをし易い。
当地では仰向けに転んだために頭部を硬く凍った地面に打ち付けて外傷性クモ膜下出血などで
命を落とす人も珍しくない。

まだ診察前採血すら呼ばれない。
待ち時間長いな。
「ビッグイシュー」3冊持って来た。
298号の「中洞牧場」の記事を読んだ。
酪農の話が載っている。
何でもかんでも「アメリカに倣え」でやってきた事のダメさと行き詰まりが畜産にもある。
「安全な牛乳は幸せな牛からしか生まれない」は本当だと思う。
記事の中で「農協が引き取る生乳の乳脂肪分を3.5%に引き上げた」事に触れている。
牧場主はインタビューで自然放牧でこの数字を維持するのは不可能、離農に拍車がかかると言う。
だろうな。
飲んでみて思うが、牛乳は乳脂肪分さえ多ければウマい訳ではない。
近所のスーパーで「地元産」と謳って1Lが700〜1000円もするくどい牛乳や
180mL400円以上もするアイスクリームが売っているが、正直言って好きではない。
脂肪分が多過ぎるのか、口の中に蝋がこびりつくような脂っぽい不快感が残るから。

・・・・・

やっと採血済んだ。
もう11:30になったではないか。
診察は混んでいるため午前中は無理、午後からになると言われた。
風邪の蔓延する待合室でじっとしているよりは何か食べに行こう。

・・・・・

地元名物の鉄板焼きうどん状スパゲッティの店に来た。
先に魚介サラダを注文した。
給仕のおねいさんが

「量が多くて2、3人分ありますが大丈夫ですか」

と言う。
何度も完食しているからだいじょぶ。

てんこ盛りの生野菜にずわい蟹の脚、茹でた海老、燻サーモン、生ホタテが添えてある。

・・・・・

完食した。
ウマかった。

スパゲッティピカタ、来た。

この店ではスパゲティミートソースの上にトンカツがどんと乗っかった「スパカツ」が名物であるが
個人的にはこの店で「ピカタ」と呼ばれるスパゲッティの方がウマくて好みだ。
オムライスみたいな焼き卵の下にパスタがいる。
ナポリタンとはまた違うケチャップ系のソースで、
具は何故かラーメンのチャーシューとメンマ、エノキタケ、玉葱。
小さい器のソースは別料金150円追加だが卵があるとソースが余分にほしいので。

・・・・・

スパゲッティピカタは大変ウマかったが、
先に大量盛りのサラダを完食した後だったので半分で断念した。(悔
以前はどっちも完食出来たんだけどな。

午後の診察までまだ時間ある。
時間潰しに歩こう。


岸壁を歩く。




風強い。
某公共施設に来た。


書籍の閲覧が出来る場所で画集を見る。




変わった本がある。
前が銀で後が金の、画集としては小さいが分厚い4冊。
各1冊ずつ題名が付けられている。
「受胎告知」「最後の晩餐」「磔刑」「十字架降下」を題材とした紀元1世紀から現代に至る作品を
小さい画集本に集めている。
中世、ルネッサンス以前の古い彫刻や浮彫、絵画が面白い。
4冊全部眺めたかったが時間切れだ。
間もなく午後の診療が始まるので病院に戻らねば。
また今度時間制限の無い時にゆっくり眺めに来よう。

うっ風強いなぁ。


・・・・・

診察は終わったが会計待ちが長い。

・・・・・

職場に向かう。
先日作成した勤務表を修正する。

バス車内の暖房は足元にあり。
車種によってかなりの靴が熱くなるほど高温だったり全然温まらなかったり、いろいろだ。


・・・・・

帰宅。
勤務表を完成させて最終バスで帰宅した。
先月だったかな、職場で書かされた「ストレス調査票」に頼んでないけど回答が届いていた。
勤務者のストレスチェックだと。
この低賃金劣悪な労働環境で職員のストレスだと。
職員のストレスが多い事をアンケート集計して、何か労働条件の改善が図れるものなのか?

中災防だと。
一体何の略語だろう?

「あなたのストレスプロフィール」だと。

これを見ると自分の場合、抑鬱感と不安感が強くて活気がある???
右側にある「アドバイス」がそこらの本にある寄せ集めでお手軽。(嗤

「あなたは多くの仕事上のストレッサ―に囲まれており…ストレッサ―の軽減に努めましょう」
だとぉぉ!


「悩みやストレスを感じたら専門家に相談しましょう」って、結局毒にも薬にもならない結論かい。


こんなもののために金かけてんのか。
さも「一応職員の福利厚生に手間と金使ってます」と見せるためだけの
わざわざ作ったアリバイみたいなもんだな。

この紙切れが何か役に立つのか?
ふざけてる。

・・・・・

1週間の夏休みは1日おきに職場に出向いて残務を片づけ、
給料日前で懐が寒いだけでなく気温が低くてとことん寒い1週間であった。
明日から仕事だが浦島太郎感は全く無し。

夏休み6日目、散歩 

2016-11-24 20:29:34 | 日常
6:00。
気温マイナス11.3℃。
今朝は弟子屈町川湯ではマイナス17.8℃だったのか。
全然雪が無く乾燥意報出とる。
鼻の穴カピカピ、はなぢ注意だ。
路面も乾燥して濡れていないから滑らないのはいいけど。

せっかく休みだから
この夏秋にしょっぱい雨が続いて汚くなった窓を拭きたいけど、
マイナス10℃まで冷え込んだから拭けない。
拭こうとすると絞った雑巾がみるみる凍ってガラスに貼り付いて剥がれなくなる。(諦

当地は最高気温0℃まで上がる。
札幌の方が寒いのね。

昨日一日抑鬱状態でネット全然見ていなかった。
本州各地で地震あったらしい。
津波も来たのか。
真冬に地震は嫌だなぁ。
Twitterは防災情報のリストを開いたままにしてある。
何か、全国的に揺れ続けているのね。

関東や関西では雪降ったのか。
普段雪の無い本州で積雪になるとシュールな雪像が生み出されて画像見るのが楽しい。
我々北海道人は雪に対して遊び心があまり無いかも。

もっとも今私のいるここは普段から雪が少なくて
たったの5cmの積雪でも交通麻痺したり「風邪ひいたので今日は休みます」の人が続出する。
札幌にいた時は1mの積雪でも遅刻の言い訳にすらならなかった。
同じ北海道内でも冬の気候はまるで違う。

・・・・・

出かけてくる。
窓が凍り付いてガラス拭き出来ないし、引き籠もっているとあちこち痛くなった。

寒いのう。
凍った風に当たって顔がキリキリ痛む。




珈琲の豆がそろそろ無くなる。
焙煎の店に寄って豆を購入した。
今年一番気に入って飲んだブルンジ・ブルンディは完売していたので
トラジャ・カロシにしてみた。
これも前に飲んでみたらまろやかで和む味だった。

崖に至る道の日陰部分は先日降った雪が菓子にかけた粉砂糖のように固まって
歩くとサリサリ音が鳴る。


路面が圧雪アイスバーンにならないうちは坂を上って海を見に来る事が出来る。


今日の海面は暗いな。






沖の方に雲の切れ目があってそこだけ日が当たっている。


坂を下って浜に出た。
歩くとそれなりに体が温まって来た。




急な坂を上ってもう一つの崖に来た。
以前は上り坂が苦手だったのが、今は坂を登ると足腰の筋肉が気持ちよく伸びる。
下り坂の方がむしろ苦手だ。
階段や坂を駆け下りるのが好きだったのは子供の頃の事で、
故障ある下肢のあちこちに負荷がかかり過ぎる。
つまり老いたんだな。




風強いなぁ。










ううう夏の散歩と違って今の時期はちょっと歩くと寒くてトイレが近くなるので困る。
自然と急ぎ足になるのであまりゆっくりぶらぶら散歩出来ない。


市街地に戻って橋の上に来た。


曇りがちだが雨が降る気配はない。




あんまり寒いし15:00になるのに昼食まだだった。
岸壁の商業施設で「おやき(= 今川焼)」を買った。
おばさんがおまけと言って1個多く袋に入れてくれた。
ほかほかだ。
おやきをかじりながら港の方角を眺める。
雲の切れ目から光が漏れて水面を照らしている。




うううシバレてきた。
早く帰ろう。

・・・・・

帰宅して暖房に当たったら強烈な眠気が。

「幸せに」

2016-11-23 14:42:27 | 日常
日付変わった。
寝ようと思ったが睡魔が消し飛び眼が冴えた。

久しぶりにこの動画見て、コメントを読んで知った。
この人は事件から8年後に自殺していた。
(新版)温情判決≪介護のはなし≫(認知症の母親殺害事件)

この人に執行猶予付きで「温情判決」を言い渡した裁判長の言。

「絶対に自分で自分をあやめる事のないように
 お母さんのためにも、幸せに生きてほしい」


「幸せに」とはどういう意味だろう?
今も分からない。
どういう意味で裁判長は彼に「幸せに」と言ったのだろう?
この日記ブログに上げたのは去年の暮れ、
職場の勉強会で紹介されたこの動画を見た後だった。
(「ぱんくず日記」 職場の勉強会 2015-12-08 20:10:44
     http://blog.goo.ne.jp/t-i801025/s/%E6%B8%A9%E6%83%85%E5%88%A4%E6%B1%BA)

幸せに?
幸せにとは何ですか?
幸せとはこの人にとってどういう意味だと思いますか?

2006年7月、懲役2年執行猶予3年の「温情判決」を受け、
裁判長から「幸せに生きてほしい」と言われた後、この人は家賃約22000円のアパートで独居し始めた。
木材会社で働いていたが、2013年2月「会社をクビになった」と親族に伝えたのを最後に消息を絶った。
2014年8月1日、遺体で見つかった。
琵琶湖大橋から湖に飛び降りるのを目撃した人があり、自殺だった。
所持金は数百円で預金はなかったという。

私の父は2014年7月に死んだ。
もし私の父がこの人の母親のようだったら。
身体はまだ元気で車椅子生活を続けて在宅介護生活がもっと長く続いていたら、
いずれは私も間違いなくこの人と同じ境遇になったであろう、確実に。
就職するための資格を持っていたって預貯金があったってそんなものは何一つ通用しない。

私は思う。
もし父があの致命的な誤嚥で呼吸不全にならなかったら
回復して自宅に退院する事になっていたら。
おそらく私もこの人のように、
時間的に経済的に体力的に心理的に消耗し尽くし更に追い詰められた事だろう。
実際、父の生存時に私はいつも死ぬ事を考えていた。
生きていればその先に何か楽しい事とか嬉しい事とか神の恵みとか
何やら得体の知れない「何か幸せな良い事」があったとしてもそんなものは要らなかった。
(正直、今もそんなものには興味が無い、どうでもいい事だ。)
酷く疲れていて、何でもいいからこの人生を早く終わらせたかった。

父が入院し刻一刻と死に向かうまでの約1年半は、介護疲れとか消耗感よりも
医療機関とは名ばかりの老人病院で劣悪な戦時中の強制収容所の如く粗末に物品扱いされて
どんどん骨と皮ばかりに衰弱する父の容態に、
自分が疲れただの死にたいだの思う事は後に回し、気を揉み怒りを噛み殺す日々が続いた。

1年後、自分が死ぬ前に父が力尽きた。

父が持ち堪えて在宅に戻る可能性は残されていた筈だった。
生きていさえすれば、咀嚼や嚥下が出来ず胃瘻増設して食べる楽しみが無かったとしても
冗談の一つも言って笑う事があったかも知れない。
時間が工面出来ず実現していなかった聖書の朗読なんかをして
父の好きな個所を読み聞かせる事が出来たかも知れない。
入院前のように鉢植えの花を見せて喜ばせる事も出来たかも知れない。

父が生きていた時、職場でもネット上でもよく人に言われた。

「貴方は親の介護ばかりでなくてもっと自分の人生を楽しんで
  幸せになってほしい」


父が死んだ後、よく色々な人に言われた。

「これからはもっと自分のために自分のしたい事をして、幸せになってほしい」

何年経っても、文字として書いただけでも怒りで頭の中が真っ白になる。

「幸せになってほしい」

虫唾の走る踏み躙りたい言葉である。
しかし私はいつもこのように人から言われる度に笑った。
情緒が凍り付くと顔面は微笑で固まる。
どうせ説明してもわからないのだ。
他人事とはそういうものだ。

この人のような追い詰められた人が無理心中や殺人や自殺を実行し、
起こってしまってから初めて事件として世に注目され皆で動画や記事を見てさめざめ泣く。
そして動画やサイトでは「泣けるいい話」のお涙頂戴タグが付けられる。

父がこの世に生きていて私が戦っていた時、私はこの人と同じ立場だった。
手に職があろうと金が幾らあろうと何一つ通用しない現実を思い知った時、
私はこの人と同じだった。
何も無くなったら終わりにしようと思っていた。
自分がこの人と違うのは、一緒に死ぬという発想をしなかった事だけだ。
誰からもそうと気づかれず自分一人で確実に死ぬ方法を練っていた。
しかし更にもっと戦わねばならないものと対峙した時、自ら死ぬ事は後回しになった。
戦っている最中、私が自ら死ぬよりも先に父が力尽きた。
私はその死を無念だと思う。
父がゴミのような扱いを受けて死んで行った事が心底悔しく、無念だと思う。

しかし父がもし力尽きる事無く生き永らえていたら、
私は自分が確実にこの人と同じ道を辿ったと確信する。

この人は私だった。
戦っている最中にこの人の「介護殺人・認知症の母親殺害」のニュースを見た時も、
その後の裁判で「温情判決」のニュースを見聞きした時も、
一滴の涙も出なかった。

今は悲しい。
この人は私だった。
自分だった人がやっぱり生きられずに自ら死んだ。

悲しい。

夏休み4日目、雪

2016-11-22 22:54:18 | 日常
部屋の中が雪明かりでほの白い。
ひんやりしているが昨夜のようには寒くない。
やはり昨夜雪が降ったらしい。
薄っすら積もっている。
でもすぐに融けそうだな。
明日の朝はマイナス10℃まで下がると予報で言っていたが路面凍結で大変そうだ。

ごろごろ二度寝していたら9:30過ぎていた。
朝食の激辛カレーにチーズ乗せて融かしてみた。
なかなかウマいが辛味が弱まったな。
PC開けたらTwitterのTLが宮城と福島の地震情報で埋め尽くされている。
津波も来ていたのか。
TLを災害情報リストに切り替えてしばし見守る。

地震多いなぁ。
全国規模で群発している。
ものの凍る今の季節の地震は嫌だなぁ。

・・・・・

じっとTLの災害情報を睨んでいるうちに昼過ぎた。
夕方外出するので昼食を摂っておかねば。
寒いから白菜煮込みに一味大量投入。

・・・・・

出かける。
研究発表の予行演習があるのだった。



雪は殆ど融けて路面がしっとり濡れている程度。
帰り道薄氷張ったら嫌だなぁ。
転びませんように。

・・・・・

帰宅。
もう21:00になるではないか。
予行演習の後、自分の職場に立ち寄って
一昨日作った勤務表を皆に見て貰ったのを修正してきた。
明日の出勤者がまたチェックして、全員の了解を得たら完成。
やはり休日感無し。(笑

札幌の友人からビッグイシューの最新号とバックナンバーが届いた。
バックナンバーの特集が「防災を文化にする」!
今日と言う日に何とタイムリーな。
びっくりだ。

・・・・・

そういえば夕食まだだった。
21時過ぎてるが今日の摂食熱量が少な過ぎるので何か食べよう。
薄い肉あった。
野菜と一緒に焼いた。

これ食べたらあと3時間以上は就寝出来ないな。
明日も休みだし、多少夜更かししよう。
珈琲淹れるか。

夏休み3日目引き籠り

2016-11-21 22:40:42 | 日常
今朝も冷え込んだ。
気温がプラスって本当かな。
路面凍ってるんだけど。
沸騰したミルクティーがみるみるぬるくなっていくではないか。

今朝6:00にはプラス0.8℃だった。
今日の予想最高気温4℃、数字的にはそんなに寒くない筈だけどな。

寒くてダメだ。
昨日買って来た白菜を煮込みにした。
白菜と豚こまとしめじとエノキタケを、水を使わず極弱火でじっくり蒸した。
時間かかるけどウマい。

味付けは昆布茶だけ。
昆布茶の塩分で白菜本体から甘味のある汁が鍋一杯になみなみと滲み出す。

はー。
ウマかったぁ。
温まったわー♪

・・・・・

まだ足の裏が痛むのと寒いのとで引き籠ってブログ記事の整理している。
ミルクティーがぶがぶ。

・・・・・

寒くて一日中自室に引き籠っていると暖房が勿体ないな。
低温に設定してさっきまで牛乳で割ったぬるいUK風味な紅茶をがぶがぶ飲んでいた。
しかし飽きたのでレモンを輪切りして入れようとしたら、
いつ購入したか思い出せない国産レモンが冷蔵庫内で干物になっていた。
2/3くらいに縮んでいる。
買った時は結構大きいレモンだったんだよ。


ふむ。
皮剥いて輪切りして紅茶に入れた。
一部齧って食べたけど、干物になったレモンて甘いのね。

・・・・・

頸と肩と腰が痛むので長風呂してまる1時間湯に浸かった。
「旅の宿 濁り湯シリーズ 白骨」がまだ2袋残っていたので使用した。
入浴後にストレッチするとかなりよくなった。
しかし寝たらまた元に戻るんだろうな。

よく晴れていたが一日中一歩も外に出ず
白菜を煮てブログ整理とストレッに明け暮れ紅茶をがぶ飲みする冬らしい休日だった。
明日は研究発表の事前打ち合わせのためまたも職場に出向くが予報は雪だな。

寝る前に映画DVD見る。
何度か見た『王妃マリーアントワネット』。
映画というよりも死刑囚カペー未亡人の最期の手紙から起こしたドキュメンタリーだ。
太陽王ルイ14世時代から続く慣習に縛られた宮廷の息苦しさを逃れ
舞踏会と博打と遊興と農民ごっこで遊び暮らし、長年の浪費とアメリカ独立戦争に投じた出費で
財政は破綻し国民の憎悪の標的とされ、国王と王妃は斬首された。
ちゃらちゃらごてごて飾り立てられた宮廷時代の虚飾に注目するとマンガのベルばらになるが、
私はこの人が囚人として暮らした最後の日々に読んだ本に注目する。
かつて王妃だった人の囚獄生活の日々に手元に置き読んでいた本の中に
『De Imitatione Christi(キリストに倣いて)』(伝トマス・ア・ケンピス)があった。
華やかな宮廷時代の肖像画でしか知らないこの人の、
飾りも名誉も剥ぎ取られ夫を殺され子供達から引き離され親しい友人を惨殺され、
母国の親族からも宮廷時代の取り巻き達からも見捨てられ、
何もかも全てを失ってたった一人の囚人となった最後の日々に
『De Imitatione Christi』を読んだこの人は何を思っただろうか。

 11.イエズスの十字架を愛する人は少ない
   イエズスの天の国を愛する人は多いが、
   その十字架をになおうとする人は少ない。
   慰めを望む人は多いが、
   苦しみをのぞむ人は少ない。
   イエズスと共に食卓につきたい人は多いが、
   イエズスと共に断食する人は少ない。
   キリストと共に楽しむことをのぞむが、
   キリストのために、
   何ごとかを忍ぼうとする人は、少ない。
   多くの人はその奇跡に驚嘆する、
   しかし十字架のはずかしめ迄つき従う人は、少ない。
   多くの人は不幸が来ない限りイエズスを愛し、
   慰めを受けている限り彼を祝する。
   しかしイエズスが姿をかくし、
   暫くの間でも、彼らから離されると、
   不平をいい、ひどく落胆する。
   しかし、
   イエズスから受ける慰めのためではなく、
   イエズスをイエズスとして愛している人は、
   患難や苦しみのときにも、
   慰めのときと同様に、かれを賛美する。
   そしてイエズスがいつまでも慰めを与えなくても、
   かれらはいつも、感謝と賛美を怠らない。
       (『De Imitatione Christi キリストにならう』バルバロ訳 ドン・ボスコ社 1967年より)


一昨年の春に中野京子さんの本を読んで興味が湧き取り寄せた2冊の本が読みかけのままだ。
その年の夏の父の死去と以後の自分自身の生活の立て直しの間に忘れていた。
アントワネットの2人の遺児達に関する本である。
その2冊の中でアントワネットが最後の日々に『De Imitatione Christi』を読んでいた事を知った。
『De Imitatione Christi』は引き離された長女マリー・テレーズの手に渡り、
少女の長い獄中生活の友となっていたらしい。
次男ルイ・シャルル(ルイ17世)は7歳で母親から引き離され革命政府の手で監禁され
暴行と罵倒、あらゆる心理的虐待と身体的虐待、性的虐待を受け監禁状態のまま長い間忘れ去られた。
悪化する栄養失調と結核と性病を放置され全身痂皮と膿疱(梅毒末期のゴム腫らしい)だらけで
(革命政府は梅毒持ちの売春婦を買収し10歳に満たないルイ・シャルルを強姦させていた)
排泄物と虱や南京虫など寄生虫まみれでいるのを発見されたが
発見から間もなく10歳で死亡、直後に解剖され心臓だけを抜き取られた。
何者かの手で持ち去られた心臓が瓶詰で近年発見されたがDNA鑑定の結果本人と判明したらしい。
長い間に行方不明とされていたためルイ17世を名乗る者が何人も現れたりしたが
いずれも偽物だった事が確定したという。
革命政府の者達は処刑した国王の遺児という理由づけをして幼児を嘲弄し嬲りものにして鬱憤を晴らした。
小奇麗な理念(自由平等博愛)によって正当化された革命の卑しい醜い部分には焦点が当てられない。
華やかな宮廷にいた王妃の虚飾とその後の白く塗った墓の如き綺麗事の革命の
自由平等博愛という塗り物の白い面だけを自分はマンガで読んだのみ。
しかし顧みられず忘れられた歴史の隅で生身の人間が一人神と向き合っていた。
何種類も日本語訳の出ている『De Imitatione Christi』その本を私も持っている。
人間が何もかも失ったその最後の時にただ一人となって神と向き合う、
誰もがいつか必ず迎えるその時の事を考える。

夏休み2日目荒れ荒れ

2016-11-20 23:12:43 | 日常
夏休み2日目。
冬のシバレ真っ盛りであるよ。)))
本日午前中は教会にて礼拝、その後入院中の友人の見舞い、
最後に職場に寄って作りかけの勤務表の続きを作らなければならない。
何だか忙しいのう。
日曜日は仕事が休日であってもどうせ休日にはなり得ないから
夏休みだろうと何だろうと関係無しだ。

朝から雲が重たいなぁ。


主日礼拝

黙祷
招詞 詩編149;1~4
讃美歌(21) 56 230
聖句暗唱 Ⅰヨハネ4;9
詩篇交読 詩編119;161~176
祈り
讃美歌(21) 475
聖書朗読 マルコ2;23~28
証し
讃美歌(21)459
献金
祈り
頌栄 28
祝祷

牧師夫人の証しだった。
継続する事の力について。

礼拝の後、近くのスーパーで安い弁当を買った。
皆がカステラと煎茶で歓談する間、私は昼食を済ませた。
食後にカステラを頂いた。
誰かが冗談を言って皆で笑いこけた時、気管にカステラと煎茶を吸い込んだ。
死ぬかと思った。
左右の下の大臼歯を抜いて以来誤嚥し易くなった。
危ない危ない。

教会の人々は誰も彼も皆「健康おたく」である。
食事の中の何から食べれば体にいいとか何を食べるといいとか情報交換で盛り上がっている。
超絶健康志向であるよ。
私は皆に尋ねた。

 みんな病気の話が好きだね、
 そんなに健康に気を使ってあと何百年生きるつもりなの

牧師先生が答えた。

「そりゃ齢取ってきたし、
 人の手を借りなければならないような体にならないためだよ」

ずっと自立した生活を続けてある日突然コロッと逝く事を皆期待しているのかな。
コロッと逝けるかどうかそればかりは誰にも分らないが、私はむしろ疑問を感じる。
私達はいつか必ず老い衰えるのだ。
老い衰え、弱って人の手を借りて生きなければならなくなるのは確かに辛い事だ。
実際施設に入所している高齢者で認知症を発症していない人は一様に同じ事を嘆く。

「人の手を借りて大便小便をしなきゃならない、
 こうやって人に迷惑ばかりかけて、こんな体になったら生きていたって仕方がない。」

そう漏らした人に私は尋ねた事があった。

 誰でも皆齢取ったらあちこち弱って人の手も借りなきゃならなくなるし
 齢取らなくても、若くても怪我や病気で人の手を借りてやっと生活している人もいるよ
 誰もが終生元気溌剌で自立して何でも出来て人の手なんか要らない世の中になったら
 それは皆幸せかも知れない。
 でも子供や若い人達は可愛がってくれた身近な爺ちゃん婆ちゃんが
 寝込んだり弱っていく辛い姿を見ないで
 世話をしたりされたりする辛い人の気持ちを思いやったり労わったりする術を
 どうやって誰から学べばいいの?

私がそう尋ねると、その人は考え込んで「そうだね」と言った。
それからしばらく他愛ない会話が続いた。
以前働いた職場で出会った高齢の方とそんな話をした事を思い出した。
あの人は今どうしているだろう。

私は老いも病みも回避しないなぁ。
必ず来るものを回避してどうする。
自分が老いて病み衰え、
拠り所無く滅び逝く無力な被造物の一つに過ぎない事を思い知って初めて
天地万物を創られた唯一の御方を仰ぐ事が出来る気がする。

・・・・・

まだ気管がざりざりするが、まずは病院に向かう。
バスもあるが、昨日一日引き籠っていたので下肢の筋肉が運動を要求している。

重たい雲が徐々に動き出した。




空が出た。


雲は大半飛んで行ったらしい。
橋の上は風が強い。




何か、足の裏に大きめの石ころを踏んでいる感触がする。(痛


足の裏にタコでも出来たかな。
新しい靴を履いて来たら中敷きが今いちで靴の中で足が滑るからだ。
足に変な力が入る。
四六時中歩いて足が疲労している事もあるから仕方ないか。


通りに薬店があるので中敷きを買った。
靴に中敷きを入れたら少し歩き易い。
しかし足の裏の痛みは何だろう。
靴の中に石ころがある訳でもないのに。

バスが来た。
病院の方角に行くバスではなかったがとりあえず乗って
バス停3つ分乗ってから降り、再び歩く事にした。


痛いな。
どうなっているのだ。
帰ったら足の裏を見てみよう。

太陽に薄っすらと微妙な暈。


・・・・・

友人を見舞って来た。
笑顔が見られてよかった。


さて、職場に向かう。

痛いなぁ右足の裏。

・・・・・

職場に立ち寄って勤務表を仕上げようとしたら急病人が出てあれよあれよのてんやわんやだった。
とりあえず救急隊に対応して入院になる可能性を見込んで添書を作成したり経管栄養の後片付けや
電話番など多少助っ人してから勤務表作りに取り掛かったら19:30過ぎた。
帰りはバスが土日のため既に無かったので同僚に途中まで送って貰った。
難儀だのう。
自分はよく急変に当たると思うが自分がいてもいなくても荒れる時は荒れるのだな。

帰宅。
今何時や。
20:30過ぎている。

どれ、痛い足の裏はどうなっているか。
あっ。
右足の裏に縦4cm×横2cmのでかい血豆が出来ていた。
15000歩程度で血豆なんか出来た事などなかったのに。
やはり履き慣れない靴はよろしくない。

足の裏の血豆も痛いが相変わらず右後頚部が痛くて困る。
しかしもっと困るのは礼拝の後の皆でカステラと煎茶を頂きながら談笑していた時に
カステラと煎茶両方にむせて死にそうになった、その名残がまだ気管に残っている事だ。
煎茶を誤嚥して気管の内側が今もまだじりじり痛む。
左右の下の奥歯が無いと口腔内の飲食物の送り込み力が弱くなって誤嚥し易いのかも知れない。
80歳になろうとする母は何でも噛めてむせもしないんだけどな。

何だか忙しかったなぁ。
夏休みったって休日感皆無ではないか。
しかし夏休みは夏休みである。
それも職場の人員配置の都合でよりによって給料日前の金欠期間に。

寒いし眠いし足の裏と頸が痛むし、寝るかな。
熱量収支(運動消費/食事摂取)も計算し終えたし体組成も入力したし
自己管理記録一通り入力終えた。
日付が変わったら集計し記録できるが明日にしよう。
休日なのに仕事忙しかったので休む。

今日から夏休みなので

2016-11-19 23:10:44 | 日常
昨夜職場からの急変呼び出しは無かった。
外は朝方どんより曇っていたが薄っすら晴れてきた。
今日から夏休みだ道路凍ってるけど。

今日から夏休みなので全然関係ないけど朝っぱらから冷凍ラザニアを貪った。
今日から夏休みなので全然関係ないけど部屋の掃除して窓を開けて換気するがそんなにシバレていない。
今日から夏休みなので全然関係ないけど珈琲淹れるの久しぶり、モカ・ハラール終了。
今日から夏休みなので全然関係ないけどヴァルヒャのバッハオルガン12枚組CD片っ端から再生。
今日から夏休みなので全然関係ないけど頸痛いからストレッチする。
今日から夏休みなので全然関係ないけどブログ整理したら「人気記事」欄に今日も何故か折り紙の記事入っている。

今日から夏休みなので全然関係ないけど白菜煮込み切らした。
今日から夏休みなので全然関係ないけど書類整理溜まっている。
今日から夏休みなので全然関係ないけど風呂と台所とトイレの掃除もしないと。
今日から夏休みなので全然関係ないけど勤務表作りは明日以降職場に出向いてやらねば。
今日から夏休みなので全然関係ないけど何か映画DVD見るか。
今日から夏休みなので全然関係ないけど日の暮れるのが早過ぎる。
今日から夏休みなので全然関係ないけどアイス食べたいのを自粛して豚汁で夕食にする。

ううう冷え込んで来た・・・

今日から夏休みなので全然関係ないけどラム酒いれたココア淹れる。

明日から夏休み…の予定

2016-11-18 22:22:47 | 日常
昨夜携帯当番だったが夜間一度も職場から呼び出しが無かった。
気になる人が若干名いたが無事に朝を迎えたらしい。

昨夜おやに食べた煮干しがまだ胃に残っている気がする。
おやつは自粛しないと。

朝食はパン40gと牛乳180mlにした。

同僚の忌引きのため勤務変更あり。
今日は日勤から遅番になった。

出勤。
天気いいな。


・・・・・

昼休み。
14:30過ぎた。
今日も昼食はカレーにした。
手軽なのと、遅番の時にスタミナ切れせずに済むのはカレーが最適なので。

・・・・・

定時に遅番の仕事を終えた。
今夜は何事もなさそうだが、どうかな。

閉店間際のスーパーに立ち寄ったが一昨日と違って殆ど何も残っていなかった。
ブドウとしんじょ揚げを買って来た。

今夜も携帯当番。
朝6:00までに職場から急変で呼び出されなければ明日から25日まで1週間夏休みに入る。
今は11月半ば過ぎで気温は氷点下の真冬であるが頭が変になった訳ではない、
物凄く寒くて風が凍り付いて顔に刺さるのは間違いないが、冬休みでも春休みでもなく
夏休みだ。
職場の規定で定例2日の夏休みと週休と溜まっている有給とを合わせて1週間ほど
業務に支障の生じない日程で夏休みを取る事が暗黙のうちに義務化している。
まとまった休みを取る事が出来るのは良いが
別に旅行に行きたくもなく遠出する余分な金もないので
どうせなら来春の聖週間からご復活の日までそっくり夏休みにしようと画策したが、
夏休みは2月までに取得する事が職場の規定となっているらしい。
また、同じ法人内の人手不足のため先輩が一人移動になる事が決まったので
人員が減って忙しくなる前にと言われた事もある。
金も無く旅行に行きたい所も特に無いが、規定だから仕方ない、明日から夏休みだ。
せいぜい散歩と筋トレと掃除にいそしむわ。

そうそう、移動する先輩の代わりに勤務表を作るのと職場内の研究発表の打ち合わせもあり、
夏休みと言ってもどっちにしろ職場には行かねばならないのは同じ。
今夜急変で職場に呼び戻されなければの話だけどね。

目が渋くなってきた。
職場から呼び出しが来るかも知れないので気絶しないうちに寝ておこう。

後頚部痛あり

2016-11-17 22:16:46 | 日常
日の出前に目が醒めた。
凍った空気が顔に刺さる。




朝食。
朝っぱらからアジフライを魚焼きグリルで焼いて油を落とし、
大量の千切りキャベツを主食にして完食した。
油ものと甘いものは朝食べる。

・・・・・

遅番にて出勤。
日曜の朝から右の後頚部が痛い。
寝起きの時点から首が固まって痛かった。
時々眩暈がしたり頭痛がするのは頸が原因していると思われる。
大昔、当時はよく行っていた整体で首をガキッとやられてすっきりしたが、
ずっと後になってたまたま血圧が上がって受診した脳外科で警告を受けた。

「頸椎が椎間板ヘルニア起しかけている。
 もしかして整体とか行きませんでしたか?
 二度と行かないで下さい、頸動脈が乖離した症例がありますよ。」

以来整体には行っていないが、首はそのままだ。
寝相が悪いとこうして痛みが起こる。
躍起になって暇さえあればストレッチをしている。

・・・・・

せかせかと多忙な一日である。
とりあえず昼食だけは摂る。
14:30か。

太陽が低いな。
久しぶりで昼弁当に激辛カレー持って来た。
ウマいわ。
根拠なくやる気出る。

・・・・・

仕事、定時に終えた。
閉店間際のスーパーに今日も寄って行くこう。
樹木がナトリウム灯に照らされている。


・・・・・

夕食は昨日と同じようなものを買った。
寒いとおでんはウマい。
おでんは自分で作る方がウマくて安上がりであるが
常備してチンして食べたいが作り置きするには冷蔵庫が小さい。

・・・・・

頸と頭痛い。
今夜は携帯当番だ。
明日の朝6:00までに職場から急変の呼び出しがなければいいな。

共有した時間を回想する

2016-11-16 23:31:36 | 日常
日付変わった。
日曜の朝からずっと後頚部が痛む。
こんな丑三つ時にストレッチをしている。

休みの翌日の日勤。
朝からだるい。
寝起き悪くてダメだ。
朝食は牛乳とクラッカーだけにしておく。
昼食も冷蔵庫にある白菜煮込みとアボカドを適当に詰めた。


・・・・・

仕事終えて市内に所用あり出かける。
職場の人の父君が突然亡くなったので葬儀に間に合わないので弔電を打とうとしたが、
情報が何も無い事に気づいた。
反対行きのバスで職場に引き返す。

・・・・・

「あの、終点ですよ」

運転手に起された。
あーあ。
職場に引き返したら遅番の人も帰宅した後だった。
介護職の人が弔電に必要な情報を調べてくれたので助かった。
弔電を打って、バスで帰宅。
今度こそ眠らないぞ。

腹減ったのう。
仕事が繁忙だったのに朝も昼も食事の熱量少なかったな。
閉店間際のスーパーに立ち寄る。

売れ残りの半額刺身とおでんのパックを買った。
刺身、どうよ。
見た感じ大丈夫そうだ。
もし当たったら明日の遅番に大穴開けてしまうかも知れない。

何と豪勢な夕食(笑
米飯抜き、主食は刺身のツマだよ。
 

腹を下しませんように。

・・・・・

同僚の父君の訃報を聞いて
さっきバスに揺られながら、道を歩きながら一昨年の夏の事を思い出し反芻していた。

父がどんどん容態悪化して骨と皮だけに衰え、
絶え間なく鼻から気管に管を通して喀痰吸引しなければならず、
どう見てもCHF末期、胃瘻造設しても持たないのではないかと思ったその翌朝だった。

長い期間、病院とは名ばかりの療養型老人病院で体位変換をろくにして貰えず褥瘡を作られ、
拘縮した手が少し動いた(ように見えた)という理由でベッド柵に紐で縛られ、
正面仰臥位のまま水とブラシで口腔内清拭をされて上顎の皮がべろり剥けて出血し、
その血液を誤嚥して肺炎を繰り返し、中心静脈栄養の針を7か月間入れたまま一度も交換せず、
敗血症を起こし発熱で症候性癲癇を起し両方の眼球が右に寄っているのに
「お年寄りってこういうものですから」と夜勤看護師は嘯いた。
院長を呼んで貰い救急車で別の病院に搬送した。
「看護サマリーは書けませんから!」と叫ぶ夜勤看護師の声を背中で聞いた。
搬送した先の看護師に経過を説明すると驚愕していた。
IVHカテーテルを7ヶ月間入れっぱなしで一度も交換していなかった事に対して。
「看護サマリーは書けない」と夜勤看護師が言ったため添書は無いが
代わりに詳細を親族の私が記録しているので参考にしてほしいと差し出した事に対しても。
しばらく手を握った後「また明日来るね」と言って病室を出た、それが最後になった。
呼吸苦で涙目になった父の顔を私はまた憶えている。
手を握ったままバスを逃し、最終の発車時刻まで私は父の病床にいた。
拭いても拭いても目から涙が滲んで来た、あの苦しい寂しい顔が目に浮かぶ。
生きて苦しんで涙を流していた父親の最期の顔を反芻する。
その日と共に、終わった。
「もうこれで最後かも知れないからやっておかなくては」
という強迫観念に追い立てられる日々が終わった。
胃瘻造設したら退院後の受け入れ先を探さなければならない、
見つからなければ自分は仕事を辞めなければならない、仕事を辞めまた無職になって
父の在宅看護(介護ではない)を準備するためにあらゆる事をしなければならなかった。
あの事やこの事や色々な事柄、急ぎする筈だったMSWとの面談も、
当てのない新しい担当ケアマネ探しも、在宅で必要になる介護ベッドのレンタル契約、
在宅で使う吸引器のリース、訪問看護と往診に応じてくれる医療機関探しも、
経済的な心配も、何もかも一切が、あの日から要らなくなった。

回想すると15年間という時間を共有した事で自分に残されたものはたくさんある。
遺されたものによってあらゆる感情が引き出されて来る。
時間を十分共有出来ずに終わっていたら違っていたかも知れない。
さっきバスが父の住んでいた建物の傍を通った。
遠く花火を眺めて喜んだ窓が見えた。

世を去るまで共有した苦しい毎日を思い浮かべると辛いが、
この世での別れが突然やって来て思い浮かべるものが何も残っていないのは
きっともっと辛い事に違いない。