ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

今日も海に行った

2013-06-30 19:31:07 | 
崖に来た。

                  

                  

                  


今日はキタキツネに遭遇しなかった。オオセグロカモメに頭上を狙われたが。

                  


浜に向かう。
浜の次はここから見える高台、もう一つの崖。

                  


浜には家族連れが2組ほどいた。
口々に珍しく水が透明で綺麗だと驚いている。

                  

                  

                  

                  

今日の海は最高だ。何て青いのだ。
海と空、これ以上無いくらい青い、青。
湖のように静かに見えるが、防波堤の向こうでは相変わらずの荒波。

                  


浜から別の崖に上がった。
光で目が眩む。

                  


波が穏やかだ。

                  


崖を降りて見晴らし台に上がる。


港。

                  


丘の上の旧市街。

                  


展望台下りて旧市街歩き、橋を渡る。
川も青い。

                  

                  


岸壁に来た。

                  


干しししゃもと塩大豆買った。
ソフトクリーム食べて休憩、地元の銘菓またひとつ新しくてウマそーなの見つけて購入し、
病院に出向いてじじの食事介助をする。
看護師によるとじじの食欲は旺盛で、そのためか褥瘡は治ったという。
念のためフィルム材を貼って保護していると。


じじ宅に行って窓閉める。
明日曇りの予報どおり、もう既にどんより雲が来ている。


                  


帰りに再び珈琲店。
新しい地元銘菓を奥さんと試食する。


寒くなってきた。
温かい珈琲を飲んだら眠くなってきた。
薬店に寄って帰宅。

教会に行った

2013-06-30 12:10:58 | 教会
牧師を通じて教会からじじにお見舞いを頂いたので礼拝に行った。

                  

教会の庭が花盛りだ。

                  

                  


じじの近況報告と感謝の挨拶をして、退席した。
今日は午後から月例の会議がありカレーの匂いがする。
子供達は大きくなって、増えて相変わらず賑やかに騒いでいた。


家族というものに縁無く育ち、結婚生活も破綻して孤独な独居老人となって
脳梗塞を発症し介護度の進んだじじにとって、この教会だけが実質上「家族」であり
常にじじを気にかけて、心配してくれて、じじのために祈りを捧げてくれる、
家族と呼べるのはこの教会の人々だけであった。


2008年の復活の日の受洗から2011年夏の認知症による譫妄で教会行きを中止するまで、
じじは毎週日曜日にこの教会の礼拝堂でヘルパーに付き添われて車椅子に座り、
子供用の福音紙芝居に見入り、礼拝中は居眠りをし、
子供達に菓子をやって「ありがとう」と言われて喜び、
教会のカレーライスがうまいうまいと喜び、
賛美歌も歌っていたし聖餐式の分餐の言葉をちゃんと言ってパンと杯の受け渡しもした。


じじにとって教会生活は一番幸せな3年間だったと思う。
今もじじ宅の居間のコルクボードには医療、介護関係の業者の連絡先や予定表と共に、
教会の子供達から貰った誕生日のお祝いのメッセージと折り紙の花が貼ってある。
それらを貰った時、じじは本当に嬉しそうにして何度も手に取って眺めていた。
教会の人々のおかげでじじは幸せな時を過ごす恵みに預かる事が出来た。
言葉では言い尽くせない感謝を述べた。


現時点ではじじはもう自分の車椅子に座る事も出来ない完全寝たきり患者となり、
ミキサー食を飲み込めるか誤嚥するかのぎりぎり、肺炎と尿路感染で褥瘡まで出来た。
生きて再びこの教会の礼拝堂で皆と共に礼拝する事は実質的に出来なくなった。
じじはもう二度とこの教会に来られない、今度来る時は母教会であるここで
皆と最後のお別れをする日となる可能性が高い。
その時は家族として一緒に見送って頂きたいと話した。


いつどうなるかは誰にもわからない。
しかし言える感謝は言える時に伝えなければ。

6月も終わり

2013-06-30 07:51:07 | 日常
寒い。
ベッドから出るのが億劫なんだよ。


予報は晴れだと。
紫外線対策必要とか書いてるけど本当かい。
ちょっと気温上がると海水温も上がるから霧で曇って結局寒いんだな。
夏なのかこれが。
文句言っても始まらんけどな。

車窓

2013-06-29 16:20:35 | 散歩
この古い建物、ずっとここにある。
何の建物かはわからないが、私が子供の頃からずっとここにある。

                  


田舎の街中をしばし徘徊し駅に戻ったが駅舎内の待合室は暗いし寒いので、
バスターミナルの前のベンチに座って本読んでいた。


日差しが暖かくていい。


通り向かいの廃屋みたいな飲み屋から大音響の演歌が響いてくる。
カラオケの練習してたらしい婆さんが出て来て、だみ声で何やら喋って笑って、
また中に引っ込んだ。


改札。
1時間なんてあっという間だ。
年配の駅員が2番ホームと案内してくれた。
階段を上がって渡り廊下から階段を下り、2番ホームに出ると電車がいた。

                  


ローカル線、発車した。
いい年して子供みたいに窓にへばりついて座る。
遠くに海が見える。

                  


小さな町を出ると川が登場する。

                  


ラワン蕗が揺れている。
見ただけで道東に来たと実感させられる光景。

                  


如何にも北海道らしい風景。
牧歌的でのんびりして見えるが生易しい環境ではない。
気候も、経済も。

                  


電車、信号所で16分も停まる。
特急列車と急行列車、二本と擦れ違うための臨時停車。

                  


再び動き出した。

                  


市の郊外まで近づいた。
阿寒川。

                  


風向きが変わって開けた窓から吹き込む風が顔を直撃するようになって窓を閉めた。
市内の川を撮ろうとしたらもたもたする間に後ろに飛んで行って撮れず。


ううう寒い。
市内に着いたけど寒いから岸壁徘徊は中止とする。
珈琲飲んで帰ろう。

海散歩の日

2013-06-29 14:11:45 | 
海だ!

                  


この前、最後にここに来たのは一昨年の大震災の1ヶ月前だった。

                  


もっと漂流物でごった返しているかと思ってた。

                  


ハマナスが咲いている。
蜂が少ないなぁ。

                  


もう7月が来るというのに風が冷たく植物もあまり伸びていない。
ただ、気温が上がらないためか咲いた花は長持ちする。
レースフラワーと呼ばれる白い花や橙色や黄色のユリが蕾をつけている。
ちらほら咲いているのもある。

                  


浜の道の駅名物の一つ、たこザンギを食べる。
地元で取れたヤナギダコの足一本を5つくらいに切って串に刺しコロモをまぶしたのを、
注文するとおばさんが冷蔵庫から出してその場で揚げてくれる。
「熱いから気をつけて」

                  

たこザンギうまー・・(T-T)
揚げたてだよ。
ヤナギダコは身が柔らかくてうまみがある。


まだじじが元気で在宅独居していた時、
私は前の勤務先で二交替夜勤の明けに帰りのバスを乗り過ごし、
この浜まで来て砂の上にビニールシート敷いて熟睡した。
春先の風の冷たい時でも砂は猫の体温くらいに温かいのでそのまま気持ちよく睡沈した。
目が覚めたら波がすぐ近くまで迫っていた事もあった。
夜勤明けの食事はコンビニのわかめおにぎりとこのたこザンギか、なければ竜田揚げ棒。
休みの日も明けの日も散歩と言ってはよくこの浜に来ていた。
私にとっては癒しの場所であったが、ひとたび地震や津波が来ると
この浜の地形では絶対に逃げられない。
砂浜は遠浅でなく荒波に砂が削られてべこりとへこんだお椀のように陥没した地形、
国道を挟んだ反対側は湿地帯か谷地であり車ならば埋まるであろうし、
まして人が避難のために歩いたり走ったり出来る状態ではない。
国道は何処までも海岸線伝いに走るのみ、逃げ場は無い。
それで何となく浜から遠ざかっていたのだった。


子供連れた母親たちもいるし、外国人観光客も来ている。
浜の道の駅の食堂からは名物の豚丼の炭火焼の匂いが漂って来る。
昼時だ。
2年ぶりに来たので好きだった魚介カレーを食べてみたが、
残念ながら味が悪く変わっていた。

                  

かつて何度も食べに通った魚介の濃厚な旨味のカレーとは似ても似つかない、
ごってり煮詰まって味が濃くなり過ぎ、魚介も冷凍エビと冷凍イカがプラスチック状に
硬く縮こまって歯で噛み切れないほどだ。
調理する人が変わったのだと思う。


さて、寒いから帰るか。
市内に戻るバスではなくさっき乗ってきた路線のバスに乗ってその先を進み、
JR駅まで行く。
来た道を引き返さず、ローカル線に乗って市内に戻るのだ。


ややしばらくバス停で待つ事10分。
小さな町に来た。
JR駅隣のバスターミナルで降り、時刻表を見ると次に市内に戻る電車は1時間後。
散歩して時間潰すか。
ふと見るとここにも海抜標示がある。

                  


風が冷たい。

                  

夜学時代の話

2013-06-27 22:24:17 | 日常
さっきツイッターでちと夜学時代の話をしていた。
看護学生時代はクレイジーで面白おかしい毎日であった。


勤務先の病院で働きながら夜間学校に行っていた。
遅刻して単位落とすとえらい事になるので必死で時間内に仕事を終わらせ、
秒読みしながらロッカー室に走り、着替える。
当時はまだ看護師が頭に「ナースキャップ」という角隠しみたいな帽子を頭に
ピンでくっつけて働いていた時代だった。
看護師の足も、当時はまだ靴ではなく「ナースサンダル」を履いていた。
(現在殆どの医療機関で看護帽は不衛生であるという理由で廃止、
 ナースサンダルは危険だという理由で禁止されている。)
看護学生も戴帽式を過ぎると頭に角隠し帽を乗せて仕事していた。
ある日、私はいつもの如く秒読みしながらロッカー室で着替え、
試験前に一刻も早く教室に行って過去問を読みたかった。
職場を出て地下鉄駅に向かって走る。
道路で擦れ違う人々の間を擦り抜け、地下鉄駅の階段を一目散に走り下りる。
「間もなく発車します」とアナウンスが響いて焦る。
長い急な階段を走り下り、ホームを全速で走り、最後尾の車両に飛び乗った瞬間、
「駆け込み乗車はやめましょう」という表示のついた扉がシュンと鳴って閉じた。
息が切れてゼーゼーハーハー言いながら扉にもたれかかると、
窓ガラスに自分が映っていた。
Tシャツにジーンズ姿、頭に白いナースキャップ付いたままの自分の姿が。


授業中は睡魔との闘いで、英語教師の婆さんに教科書で頭叩かれて目が覚めたりした。
英語とか、眠くてどうしようも無い授業もあったが、
ほんの少しでも自分の仕事に関わる分野は寝てなどいられない、
一言一句聞き逃さないよう細心の注意を払った。
そのために苦労して働いているのだから授業を真剣に聞くのは当然であった。


シュール過ぎて付いて行けない科目もあった。
精神衛生学の講師として来ていた精神科医が作った学期末試験の問題は凄かった。
ピカソの「泣く女」(だったかな)の絵を一枚べらっとコピーして、
問題はそれただ一問のみ。


「問題1.ピカソはこの絵で何を言いたかったか、述べなさい。(配点100点)」


一クラス50人編成の二クラス、確か総勢100人の看護学生が期末試験受けて、
98人だったか97人だったかが試験に落ちた。
合格した学生達(2人か3人)も、何で自分達が合格したのか全く理解出来なかったらしい。
私のクラスでは普通の筆記試験やってたんだけどなぁ・・・???
ある日私のいるクラスの授業では謎の演習をやった。


「さぁ、これから15分間、各自自分の目玉について振り返り思い出して下さい。
 自分の目玉にして貰った事、迷惑かけた事、してあげた事を思い出して下さい。」


15分後、私と勤務先の同じ学生が講師に質問された。


「はいあなた、自分の目玉について語りなさい。」


・・・・・・(゜△゜;)


その人偉かったよ。
眼光ぎらぎらした講師に質問振られて、ちゃんと答えてた。


「私はいつも目玉さんが働いてくれるおかげでものが見えてます。
 でも目玉さんが疲れているのに私は夜更かししてゲームやったりして、
 目玉さんに迷惑かけました。
 それで目玉さんが疲れたので寝てあげました。」


後日、別のクラスの授業中にかの講師は突然逆上したと人に聞いた。


「そこの前から2列めの学生二人が私の事を中傷している!
 許せない!
 こんな授業はもうやめだ!」


と叫んで授業途中放棄、退場。
残りの時間は自習となったという。
講師が落ち着いている時の授業はとても興味深かったのであるが。


臨床実習ではあれほどまでに虐げられいぢめられた経験は無いと言えるほどにいぢめられた。
地元の大きな総合病院で、循環器内科が1年生の時の最初の実習だった。
現場勤務の看護師が実習担当の指導者だった。
何か見るにせよやらせて頂くにせよ、必ずレポートを提出して合格の評価を貰わないと
何も見学させて貰えないしやらせても貰えない。
同級生が心臓カテーテル検査について簡潔に5枚にまとめて提出したら突っ返された。


「何これ、こんなのレポートって言わないんだわ。
 書き直し!!」


その後、私が同じ心臓のカテーテル検査について詳しく調べ20枚のレポートを提出したら
突っ込まれ、やはり突っ返された。


「何これ、あんたここに書いてある事全部やれるのっ?
 やれるっていうなら勝手にやりな!!」


でも結局何だかんだで検査の見学はさせて頂いた。
見学に至るまでに水銀柱の血圧計をぶつけられたりしたが。
外科実習では「見せもんじゃないんだよ!!」と見学させて貰えず、
「学生は邪魔だからそこの壁に一列に並んでて!」と言われ、
狭い病室で壁に背中をくっ付けて立っていると回診車で足の甲を轢かれ。


職場の現役看護師の先輩方に愚痴言うと笑い飛ばされた。
「あーそうそう、そーなのよねー。
 私の時もそうだったわガハハハハハ・・・でもそんなのヘとも思わなかったね。」


実際、資格取得して卒業して、現場で働くようになってからが本当に過酷だった。
毎日が恐怖のロシアンルーレットで常に急変と隣り合わせで神経ビリビリに張り詰めて
毎夜患者さんの急変が夢に登場してうなされた。


盛り沢山で寝る暇も無かった夜学時代、
周囲も自分もすこぶる不健全な生活をしていたが、面白かった。
健全である事ほどつまらんものは無いかも知れない。(しみじみ)

はしぼそ氏

2013-06-27 14:20:46 | 日常
横断歩道で信号待ちをしていると、車道にハシボソガラスが一羽。
路面に何かウマそうなものが潰れて落ちているらしい。
ここは片側二車線の、斜線の割にそんな広くないバス通り。
ハシボソガラスは路面の何かを嘴で突いて食べており、
向こうから車が突進して来るのに気付かない様子である。
おいおい危ないよ、早く退避しないと轢かれるぞ。


私の横で信号待ちしている親子もハシボソガラスに見入っていた。
子供はこの近くの幼稚園の制服姿、母親に伴われて帰宅する途中らしい。


あっ信号が変わって車がどんどん走り出した。
カラス、危ない!早くにげろ!
はらはらしながらハシボソガラスの動きを見ていると、
逃げようにも車がびゅんびゅん通過して逃げ道が無くなってしまった。
ついばんでいた何かウマそーなものも、車が何台も通り過ぎる間に
何処に跳ね飛ばされたかわからなくなってしまった。
カラスは車道から歩道に退避しようにも車の交通量が多過ぎて逃げるに逃げられない。


子供:「ママ、カラス危ない!」


母親:「大丈夫。カラスは飛べるから。」


子供:「でも危ないよ、轢かれちゃう。」


母親:「大丈夫。轢かれそうになってもちゃんと飛んで逃げるから。
    パタパタパタって。」


子供:「飛ぶの?パタパタパタって?」


母親:「飛ぶよ。だってカラスは鳥だもの。」


母親がそう言っている間、
ハシボソガラスはセンターラインの上で車が通り過ぎるのを待っていたが、
また信号が変わって車が来なくなった時、ハシボソガラスは歩道に退避した。
飛ばずに、悠然と歩いて。


飛ばないよねハシボソガラスって。

冷やし中華

2013-06-27 13:26:00 | 
真冬でも食べたい冷やし中華。
当地ではまだやってない店が多く、
近所のラーメン屋ではメニューにはあるものの
「夏季限定だから、うちは夏しかやってねーんだよ」とおやじが言う。


やってるのは某スーパーの食堂くらい。
しかし飛ぶように注文出てる冷やし中華。
私も頼んでみた。


・・・・・冷やし中華なんだけど、キュウリに問題がある。


千切りにしてほしかった。

160円支払い

2013-06-26 17:10:50 | Weblog
療養型病院の面談終わった。


入院申し込みした。
古い病院で設備も無く夜間帯看護師一人、介護員一人の手薄。


でもまぁ仕方ない。
退院後の受け入れ先が見つからないと憂鬱、受け入れ先が決まったら決まったで憂鬱。


面談した病院からバスに乗った。
自宅を通り越してずっと先のバス停で降りる。
じじが老健にいた時に発熱して胸部レントゲンを撮ったその請求が来たのであった。


160円。


160円支払いに行くために、
タクシーで往復1000円以上かかる距離だ。
バスに乗っても片道最低200円、往復で400円だ。
銀行から振込みをするにしても振り込み手数料確か400円くらいだったんじゃないかな。
かと言ってこのくたびれている時にしかもどんより寒く今にも雨降りそうな時に
徒歩で往復1時間かけて160円支払いに行くには時間と体力もったいない。
それでも出先からの帰りのバスを乗り過ごし、さらに30分歩いて、
支払ってきたよ160円。


まぁ、こんな時もあるさ。


でもあんまり寒くて帰りの徒歩は断念してタクシー拾っちゃったよもったいない。
ポツポツ雨降ってきたし。


雑用全部終わって珈琲店に来たら眠くなってきた。