ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

記憶を辿る

2010-12-04 22:53:52 | 入院生活
先月の下旬から二週間入院したので
その経過を詳しく思い出し、記録しようとしている。


いつもの事だが、相変わらず仕事は忙しく、
じじが夜中に一人で転んで急遽受診させたり
ADLが目に見えて落ちてきたので要介護度の変更申請したり
デイケアやヘルパー利用の時間変更などいろいろと気の揉める事があり、
帰宅しても十分休養は取れていなかったと自分で思う。


11月17日。
異変に気づいたのは勤務中、業務の終わり頃だった。
午前中は問診で聞き通し喋り通し、急変があって
救急に搬送して処置を手伝い、走り回った。
午後は次々とインフルエンザの予防接種に来る患者さん達一人一人に
問診事項の確認、接種後の注意事項を説明し、
ワクチンを注射する業務に従事していた。


その日最後の一人の予防接種をするために名前を呼び、
本人確認のため氏名生年月日を言って貰い、
問診事項の確認と予防接種後の注意事項を説明しようとする途中、
突然言葉が重く、発語が出難い気がした。
そして次に出て来る筈の言葉が出て来なくなった。


後でよく考えると、
単に言葉が出ないとか吃るなどではなく、
言うべき内容そのものがスコンと真っ白に欠落した
“ど忘れ”に近い状態だったと記憶する。


突然の沈黙に私も患者さんも一瞬「?」という沈黙が生じたが、
私は即座に問診表を参照してするべき質問と確認とを済ませ、
滞りなく注射をし、予防接種実施後の注意事項を患者さんに説明した。
口の中がからからに乾いていた。
何十人もの人に同じ確認と注意事項をまる半日し続けたので、
疲れて口も回らなくなるだろうな、などと自分で納得した。
上顎に舌がくっ付くような感触がした。


喉は渇いていたが、
水分補給はその日も前日も殆どまともに出来ていなかった。
普段から脱水には用心して午前中にペットボトルのお茶1本(500ml)、
午後からももう1本、昼食以外に1000mlは飲もうとして持参していたが
その日も、いやかれこれ一ヶ月くらい前からその前日まで、
朝買った1本目のお茶が夕方帰宅する頃になっても残っていたり
時間に追われて全く飲んでいなかったりする事が多かった。
絶え間なく動き回って発汗しているのに水分補給が間に合わない、
最近脱水気味だなと自分で思っていた。


その日帰り際、上司に話した。


「さっき私変だったんですよ、
 何十人も患者さんに同じ説明繰り返して、
 最後の一人の時に一瞬言葉が出て来なかった。
 やばいかも。
 頭痛や眩暈は無いですけどね。」


「ちゃんと水分補給してる?
 今日は多めに水分摂って、今夜は早く休んだ方がいいわ。」


そうします、と言ってじじ宅に寄り、
いつものようにじじの血圧を測り、薬を飲ませ、足に軟膏を塗り、
ヘルパーやデイケアの連絡ノートにいろいろ書き込みして、
片付け物と火の元、施錠を確認して帰宅した。
手足がだるく、早めに寝た。


11月18日。
まだだるさが抜けず、何処がどうと言う事も無く、
漠然と不調を感じた。
自分で血圧を測ってみると前日よりも著しく血圧が高かった。
特に拡張期血圧が、
毎朝測っていると同じ安静臥床の状態にも拘らず、100mmHgを超えている。


前日仕事中に言葉が出難かったのを思い出した。
シャレにならないまずい事態かも知れない。
8月に拍動性の頭痛がして脳外科を受診した時にCTやMRIを撮ってある。
その時点では脳には梗塞も出血も無かった。
もし脳に異変があれば、その時のものと画像を比較すればわかる。


すぐに上司に連絡した。
午前中に脳外科を受診して、画像を比較して問題なければ
終わり次第その足で勤務に直行すると言って脳外科に行った。
通常どんな病院でも外来は緊急性が無ければ予約患者優先である。
私のように飛び込みで受診すると
問診の時間も含め、相当待ち時間が長くなる事を覚悟していたが、
問診に呼ばれて前日からの経過を話した後、
予想外に早く診察に呼ばれた。
その後の採血、CT、MRIから再診までもあっという間だった。


出て来た画像には8月には存在しなかった梗塞像があった。
自分の目で見ればわかる。
左頭頂葉付近にポツリと、
「フリスク」の一粒くらいの大きさの小さな梗塞が出来ている。


・・・・・?
これは言語野ではない。
梗塞像は言語野に無い。
自覚的には一瞬言葉が出難かったが。
それと、最近小さな物忘れが増えた気がする。
あっ忘れた、と思っても結局すぐに思い出すのであるが、
頻度が増えた気がする。
しかし、この梗塞像は記憶に影響する部位か?
どう見てもこの小さな梗塞像は運動野、
右上下肢の支配領域に位置している筈だが?
???


医師から手足に力が入らないとか脱力感は無かったかと聞かれた。
転んだり、一度手に持った物を落とすという事は年に1、2回はあるが、
最近そんな事は無かった。
ただ、やたらだるかったので疲労と解釈したと答えた。
医師の説明によると、
手足の麻痺が出る前に、小さい梗塞が早い段階で見つかったらしい。


「まず、今日はこれから点滴しましょう。
 これから当分の間、毎日点滴に通えますか?
 いや、通院よりは入院して、
 今のうちにびしっと治療した方がいい。」


脳梗塞の急性期だ。
仕事は休みを貰えたとしても、じじの事がある。
介護の問題があると答えると、医師は考え込んだ。


看護師が、まずは処置室のベッドに横になって点滴しましょう、
通院で毎日点滴するか入院治療するかは点滴しながら考えましょうと言った。
左の前腕に22Gで針を留置、脳保護剤と血小板凝集抑制剤を滴下。


滴下しながら携帯を持って玄関に行く。
職場の上司とじじのケアマネージャーとヘルパーステーションの責任者に
連絡して事情を話した。


毎日通院して点滴で何時間も拘束されながら
地理的に離れた勤務先に直行し、勤務の後じじ宅に夜通うとなると、
突然梗塞の拡大や出血性梗塞など、
考え得る何らかの不測の事態が生じた場合、発見が遅れたり
対応が間に合わない危険も出て来る。
脳外科の外来看護師から入院を説得された。
入院した場合、経過が順調であれば10~14日の入院期間になる。
私が入院した場合の不在期間はMSWを通じてケアマネに相談し、
じじの在宅が心配であれば老健の短期入所を検討して
調整に動いて貰うのはどうかと。


いよいよの時はじじの短期入所もありだが、
ADLが落ちてきて体を思い通りに動かせない苛立ちから
最近のじじは精神的に不安定であり、
短期入所という環境の変化が引き金になって
一気に認知症の発症に至る可能性が考えられるのでそれは避けたい。
ケアマネに連絡すると、
施設の空き状況を調べて折り返しの電話をくれたが、
ショートステイは今日今すぐからでは何処も満杯で無理。
それで私が毎晩じじの就寝前にしているケアを、
同じ時間帯にヘルパーを1時間追加利用しても
試算して料金的にはそんなにべらぼうな金額にはならない事、
その方が短期間の環境の変化に順応しきれず認知症を招く心配も回避出来る、
という助言を受けた。


私はそのまま外来から病棟へ入院し、
私の不在期間はヘルパー利用で穴埋めし、
緊急時は私の携帯に着信して貰い、私からも定期的に連絡して
状況を確認する事にした。
じじにとって一番生活環境に変動の無い選択。


入院中の方針が決まったところで職場に連絡し、
一度自宅に荷物を取りに寄る。
重度の麻痺が出ている訳ではないので
落ち着いたら外出許可も出るだろう。
突発的な入院を過去に何度か体験しているので
こういう時のために必要な物は全て揃えてリュックに詰めてある。
それと入院手続きに必要な印鑑、現在服用している内服薬全部、
日常の血圧記録と過去のデータ、投薬手帳、携帯。
アナムネーゼ聴取に必要な自分の既往歴は携帯にメモしてあるが、
こうしてみると良し悪しだ。
やはり紙に書いて投薬手帳などと一緒にして一目瞭然にしておくべきだ。
外出許可が出たらすぐ銀行から支払い出来るように、
請求書類を一まとめにして持参する。


15:00までに病棟に入るように言われていたが
移動の時間もあって20分も遅れてしまった。
病室に一度案内されたが、病棟がやたらと広い。
トイレに行った後方角音痴になって自分の病室が分からなくなった。


入室してすぐまた点滴開始。
脳保護剤、血小板凝集抑制剤の他に、補液500mlを1本。
その組み合わせを就寝前にもう一回、つまり本日中に
全部で6本滴下するという。


横になる間もなく、
言語療法士、作業療法士、運動療法士とそれぞれオリエンテーション。
麻痺や眩暈やふらつきが無いので、
運動療法は初回オリエンテーションのみで終了。
以後は言語療法と作業療法が関わる事になる。


日の落ちる頃、
点滴を3本ぶら下げて牧師先生に連絡し、事情を話した。


点滴に拘束されてイラつく。
やっと1本終わったと思ったらお代わりあと3本だと。
腹一杯。


病室の天井が星模様だった。
同室の婆さん二人が
「お墓の焼き場の傍の老人施設」の話をしていた。


何だか非常に疲れて、眠かった。
いろいろな方面に連絡したり予定変更したり調整したり、
そんな事で疲れ、消灯まで眠かった。


眠かった筈なのに目が冴えて眠れず、
深夜のデイルームから真っ暗な外を見ると、
橙色の流星が北斗七星を横切った。


無症状とはいえ、
医療従事者が脳梗塞を発症した事で、
上司が私の心理的ダメージを心配して
「大丈夫?」と気に掛けてくれたが
自分でも理解し難いほど冷静だった。
この状況での動揺の無さが、
理性によるものなのか単に感情が鈍麻しているだけなのか
よく分からない。
ただ、自分の人生が今後も無限に続く訳ではない事が
現実にわかって有り難いと思った。


11月18日(木) 外来にてCT(頭)、MRI(頭)、入院時採血
       病棟にてX-P(頭、頸、胸)

11月19日(金) 採血、採尿
       MRI(頭単純Axi、FLAIR、DWI、T2)
       MRI(頭造影PWI)
       MRA(頸)
       ECG
       頚動脈Echo
       心Echo
       ABI


11月22日(月) Patlak安静:7日以内:ISCパス
       24時間HolterECG


11月24日(水) MRI(頭単純Axi、FLAIR、DWI、T2)
       X-P(胸)


11月29日(月) CT(頭単純)
       MRI(頭単純Axi、FLAIR、DWI)


他にもまだ何か検査やったかも知れないが、忘れた。
今の時点では私の脳に動脈瘤は無く、
頚動脈はアテロームも無く綺麗であるという事だった。
小さな細い血管の一本に今回梗塞が生じて治療しているが、
今後注意しないと別の血管にも同じ事が起こり得ると警告を受けた。
それはそうだな。


点滴静注

  脳保護薬エダラボン30mg×2(11/18~11/27)


  血小板凝集抑制薬オザグレルナトリウム80mg×2(11/18~11/27)


  電解質剤S3A500ml×1(11/18~11/20)


  乳酸リンゲル液L/R500ml(11/18~11/27)


経口薬


  硫酸クロピドグレル75mg×1(11/18~)


こうして静脈からも口からも血液を固まらせない薬剤を投与した。
脳保護薬と血小板凝集抑制剤は1日2回を10日間、
補液は入院当日から3日間は1日1000ml、3日以降は500mlで、
点滴以外にも経口で一日1000mlは接収するように指導を受けた。
トイレ通いが忙しくて寝る暇も無い。
私は自力ですたすた歩けるからよかったが、
歩行の不自由な人はさぞ難儀な事だろう。
病棟内のあちこちにやたらとトイレばかり
数多く設置されている理由をしみじみ実感した。


点滴の静脈確保には難儀した。
これまで何度も開腹や椎間板の手術を受けてその間に
いろいろ点滴をされたが、今回ほど施行する看護師を悩ませた事は
過去に無かったかも知れない。
私でもこんな腕に血管確保するのはドン引きすると思うほど
刺しても刺してもすぐに漏れる、腫れる。
自分がもし井上の点滴担当に当たったら、私だったら即行応援頼むだろうな。
先輩や同僚数人に声かけるよ。
「難易度高いので協力お願い」と。


一度ちゃんと針が留置されたのに、
ものの1、2時間で血管が破れて皮下に出血する。
これは看護師の技術とは無関係だ。


ただでさえ同業者の腕に針を刺すのは施行者にとって
「絶対に失敗出来ない」という心理的なプレッシャーが働く。
手技がまずかったら私の場合、
「他の看護師呼んで、交替して貰って。」とはっきり言うが、
今回何故か手技のまずい人には当たらなかった。
(実は過去に入院した病院では当たった。)
相手が同業者だろうと何業者だろうと患者様は患者様、する事は同じ。
しかし、ここまで難易度高く脆い血管だと焦るし、時間は容赦なく経過する。
そして点滴の開始時刻は何時間後と決まっている。
1日2回投与する薬剤ならば12時間間隔を置かなければならず、
1回目で針が留置出来ずにもたもたして開始が遅れると
2回目の点滴を消灯過ぎにしなければならなくなる。
患者は寝入っている上に夜勤者が消灯後に暗い所で点滴を接続する事になる。
参ったなぁ。


血管だけでなく、皮膚の状態も
いまだかつて見た事無いほどのかぶれ様で、
最初に貼った、一般に使われている不織布製のテープでは
貼って5分経たずに真っ赤に腫れ上がり、退院した今になっても
火傷痕のような色素沈着が残る。
入院中はテープを使わず透明なフィルムで針の刺入部を二重固定した。
それも剥がした痕が膨隆疹になった。


「何処でも好きな所から刺していいよ」と言いながら、
血管外漏出の青痣とテープかぶれで何処にも針をさせる場所が無かったりする。
私の点滴担当者は気の毒な事だった。
刺しては腫れ、刺しては腫れ、しゃがんで汗をかきながら針を刺していた。
何でこんなに血管外漏出し易いのか、薬液の浸透圧のせいなのか何なのか。
腕だからいいようなものの、こんな脆いのが脳内の血管だったら・・・・どうよ。  


入院当日に理学療法士が来て面談し、私の所見とADLを評価した。
現時点では今回梗塞が生じた左頭頂葉の支配領域には
麻痺や脱力などの機能障害は出現していない。
このまま何事も無く順調に治療が進めばいいですね、と言っていた。


実際、初日一回のオリエンテーションだけでPTは終了した。
そこんところは、めでたし。


入院初日、作業療法士と面談して簡単なテストをした。
よくある「大人のドリル」みたいなものである。


ここで私は自分の計算能力が落ちていると自覚した。
正直、ショックだった。
単純な計算。


100-7=93。


「ではどんどん続けて、7ずつ引いていって下さい。」


93-7=・・・・答えが出て来ない!


幾ら普段から電卓を使って自力で計算しなくなっていたにしても、
こんな暗算が出来ないなんて。
ややしばらく考えて、やっと出て来た、86。
しかも96と言い間違える。
というよりも、ものを考える事自体がだるくて億劫だった。


「あれ3つとこれ5個、それ8束ちょうだい、あ、それも4つ。
 はい一万円札。あ、やっぱりこれとそれやめるからあっちのを
 2つ頂戴、全部で幾らになる?急いでるから早くして。」


客の気紛れに負けず、釣り銭の間違い無く、手早く袋に入れる、
八百屋のバイトで始終暗算していたかつての自分が嘘のようだ。
あれは別人か?
日常的にしてきた作業、点滴の滴下数、滴下速度、ガーゼカウント、
材料や残薬の計算などは最近では殆ど電卓を使って
自分の計算能力が落ちた事に気づいてすらいなかった。


結局、危機感を持って慌てたものの、
暗算が出来ない、と冷や汗をかいたのはこの入院当日の一回だけで、
この後何度か似たような口頭テストをしても計算は普通に出来た。
作業療法士はストップウォッチで測っていたが、
計算速度は健康な同年代と比較して平均よりも速く、
正答率も別に悪くないのだそうだ。


後で考えると、
入院当初と退院時では思考力が違っていたかも知れない。
入院当日だるくて考えられなかった事が今は考えられる。
こうして回想して記録する事も出来ている。
脳の所見では計算能力に関係する場所には梗塞は見られない。
一回計算が出来なくて慌ててもそれは脳の所見とは無関係な領域だと。


そんな訳で、OTでは日常生活動作上の
特に処理能力の問題の有無に注目して色々なテストをした。
パズルあり、謎かけあり、色や形の識別あり、迷路あり、4コマ漫画あり。


退院時、作業療法士に私が入院中に受けたプログラムの概要を聞くと
二つ返事で教えてくれた。
主に3種類。


WAIS-Ⅲ(Wechsler Adult Interigence Scale ⅢEdition)
 言語性(知識、単語理解)と行動性(絵から状況を判断する)。
 就職試験の時の一般常識みたいな質問形式。
 4コマの絵を展開に合わせて順番に並べるなど。


BADS(逆行機能障害症候群の行動評価;日本版)
 道具を使って行動する時に、構成、効率を考えて
 行動計画を立てる事が出来るかどうか。
 水の入った透明な容器、コルクの入った底の無い細長い筒と
 底のある短い筒、中途半端に曲がった針金、コルク。
 これらの道具を使ってコルクを筒の外に出す事が出来るかどうか。


Wisconsin Card Test
 物事を考える時の計画性。
 画像の中の図形の色、形、数を見て、
 前の画像との共通点を識別し、共通項目を口頭で言いながら
 共通している図形を指す。
 前の画像と共通する項目が色、形、数のどの項目かは知らされず、
 出した答えに「正しいです」「違います」と肯定か否定かどちらかの
 言語的リアクションが表示される。
 出した答えを「違います」と否定された場合の選び直しを
 冷静に的確に出来るかどうか、など。


これらの他にもいろいろやったが、多過ぎて思い出せない。
そして、細かい判定は聞けばその場で教えてくれるが
詳しい分析結果と正解は本人には知らせない。
何故なら今後の病状の変化によっては
同じプログラムを再びさせる可能性があるからだそうだ。


計算能力が自分に無いか、落ちたかと言われれば、
自分の点滴の滴下速度と残量、点滴交換の予想時刻を逆算するなどは
毎日無意識に病室でやっていた。
(職業病かも。)
点滴の滴下状態を観察しながら、
折り紙60枚を使って五弁花を合わせた正十二面体を作り、
一度折って開いた折り紙の折り目で出来た
様々な二等辺三角形や直角三角形の一辺の角度が何度かを計算し、
花弁一枚となる一個の三角錐の一つ一つの角度を計算していた。
口に頬張ったガムを噛んで顎をだるくしながら
手は小さい折り紙を折り続けて多面体を組み立て、計算をし、
配色を考え、耳ではCDを聴いて退院後の事を考えていた。
日常では一度に5つも6つもの動作や作業を平行し、同時進行する。
単調入院生活の一日一日も、そのようにして過ぎた。


今回の入院中、PT、OT、STの三つのリハビリのうち、
一番ストレスを感じたのはSTだった。


最初のOTで簡単な引き算が出来なかったのもショックだったが
STで行った幾つかのテストをしてみて、自分は単純なひらがな、カタカナを
情報として記憶する能力が極端に低い事を知った。
文字に書いたとして、表音文字が記憶出来ない。


口頭で情報として伝えられ耳から入って来る人名は全て音声であり、
紙に書くなら全てアルファベットかひらがなカタカナである。
その情報を記憶としてつなぎ留める事が、殆ど出来ない。
二週間目の退院前日、STで関わった言語療法士達の名前を
私がそらで言えたの7人のうちたった3人。
二週間びっしり毎日1時間ずつ、面談とテストで
言葉を交わし、雑談も交えて対話をし続けてきた人達だけで、
それも、紙に漢字で姓と名を書いて貰い、
その人の命名の由来を聞いたというエピソードがあってやっと
初めて覚える事が出来た。


普段からそういう傾向を自覚して、
私は日常で自分の記憶力を全く信用していない。
自分の記憶ほど信用出来ないものはこの世に無い。
それで何でもその場で証拠としてメモを取る。
紙に文字で書き、復唱して確認を取り、物事が完結するまでは
メモが命綱であり、完結して一段落して初めて最後にメモを破棄する。
破棄したメモ内容を再び思い出す事は無く、聞かれても思い出せない。


それでも今回脳の梗塞所見のある部位は記憶とは関係しないという。
自分で「言葉が出難かった」「耳で聞いた人の名前を覚えられない」
と私が言うのに対して、主治医は言った。


「ええー僕達だってそうですよ、だって物凄い忙しさの中で
 口頭で言われた名前なんか覚えてられないですよ、
 本人と対面して、所見を見て、診断つけたり治療を考えたりしないと。」


確かに、私もそうである。
問診で初対面の人と話して、一発で顔と名前を記憶出来るのは、
たまにやって来る、
職員や他の患者に危害を加えそうな危険な目つきの人物と、
緊急性のある重症患者だけである。
例えば、職員を恫喝したり突然訳も無く「ぶっ殺す」など、
根拠の無い苛立ちを理不尽にぶつけて来るような、
凶暴性を持った人格を相手に認識した場合や、
延々としつこく絡んで不平不満をぶつけて来る相手だけは
一発で顔と名前を記憶出来る。(当たり前か。)
これは口頭で聞いた名前ではなく、エピソードの方を記憶している。


STで行なったテストの項目を挙げてみる。


§ウエクスラー記憶検査(WMS-R=Wechsler Memory Scale-Revised)


 *図形の記憶(3つの図形と9つの図形を照合し、同じものを選ぶ)
   目で見た一瞬の記憶から共通点を抽出して選び出す。


 *論理的記憶Ⅰ、Ⅱ(Ⅱは遅延再生)
   新聞記事のようなある文章を言語療法士が読み上げ、
   被験者の私がその文章をメモを取らずに記憶し、
   直後に文章内容について質問を受けて答える。
   STの終了間際に再び同じ文章について質問を受け、答える。


   ex1.「北九州のウエダケイコさんは夜、大通りで男に襲われ、
      現金5万6千円の入ったバッグを奪われて大通りの交番に届け出た。
      ウエダさんには3人の子供があり、家賃の支払いもあって、
      まる二日間水しか飲んでいなかった。
      これを聞いた警察官が同情し、募金を呼びかけた。」


   ex2.「トラック運転手のサトウイチロウさんは、パルプ材を運送するため
      横浜方面に向かって4トントラックで走行中、車軸が折れて路肩に落ち、
      計器盤の方に投げ出された。
      助けを呼ぼうにも近くを走行する車は無かった。
      ちょうどその時、無線機に本社から通信が入ったので
      サトウさんは"おおーい助けてくれー"と無線で助けを求めた。」


今この文章を思い出して書き起こしているのが自分でも不思議であるが、
テストの時、私はこの文章全体を殆ど記憶して質問に答えたのに、
肝心の「ウエダケイコさん」「サトウイチロウさん」の名前だけが
全く思い出せなかった。
遅延再生では、他のテストをいろいろして雑談をした後で
STの終わり頃に再び同じ質問をされたが、やはり
「ウエダケイコさん」「サトウイチロウさん」の名前だけが出て来なかった。


それで言語療法士は私に、ST職員の名前を口頭で言って私に復唱させたが、
最初の一人目の名前からして出て来ない。
この地元では聞かない珍しい名前の人と、知り合いの親戚だった人と、
有名な運動選手と同姓同名の3人だけは、時間かかけてやっと思い出した。


 *視覚性対連合Ⅰ、Ⅱ(Ⅱは遅延再生)
   図形と色を記憶する。


 *言語性対連合Ⅰ、Ⅱ(Ⅱは遅延再生)
   関連性のある組み合わせ、無関係な組み合わせを取り混ぜて
   耳から聞いた対の単語を復唱する。メモは取らない。


 *視覚性再生Ⅰ、Ⅱ(Ⅱは遅延再生)
   見た図形を記憶し、同じものを描く。


 *視覚性記憶範囲
   一度見た図を指で指す。


 *数唱
   数字の復唱をする。
   2桁から7桁までの数字を順唱と逆唱で唱える。


単純な引き算が出来なくて慌てたり、また
耳から音声だけで入って来るひらがなやカタカナが
全く覚えられなかったりするが、数字の復唱はスムーズに出来る。
数字が長くなって7桁になっても、というよりは7桁の方が
2桁や4桁よりも記憶でき、復唱し易い。
逆唱も同様である。
いやむしろ偶数の2と4が苦手だ。
2と4には選択の迷いが生じるから。
言語療法士は「私は5桁くらいまでしか出来ないんですよ」と言う。
数字の羅列は程度にもよるが長い方が記憶し易い。
7桁が一番覚え易い。
言語療法士は私が音で数字を体感的に覚えるのかと聞いてきたが
私の場合、そうではない。
漠然とであるが、私の頭の中で10個の数字には色がある。
0は銀色。
1は灰色、4は黄色、7は黄土色。
2は薄紫色、5は青色、8は深紫色。
3は緑色、6は橙色、9は茶褐色。
音声だけで数字を覚えるのではなく音から連想する色で数字を識別していると、
わかって貰えまいと思いながら説明したら言語療法士が、
電話や電卓の数字の配列が縦に147、258、369であるのと
何か関係があるのかと聞いてきた。
・・・・どうなんだろう???
電話や電卓の数字の配列との関係はよく分からないが、
数字に色が付いていという認識は、幼児期に絵本や歌などで見た
イメージがそのまま記憶に焼き付いているものかも知れない。
大昔の歌で、子供に数字を覚えさせる歌があった。


 ♪数字の1は、なぁに、お屋根の煙突・・・だったかな。


§リバーミード行動記憶検査(RBMT=The Rivermead Behavioral Memory Test)
  新聞記事のように、読まれた物語を記憶して質問に答える。


   *「インコが逃げた」
     逃げたインコは知らない人に拾われたが自分の名前と住所を言ったので
     飼い主の元に戻る事が出来た、という話。
     飼い主の名前と所在、拾い主の名前と所在を思い出せない。


   *「札束を新聞に挟んで古紙回収に出してしまった。」
     主婦○○○○さん(名前が思い出せない)は、現金100万円の札束を
     新聞に挟んだまま古紙回収に出してしまい、ゴミ置き場に取りに行ったが
     既に回収された後だった。諦めきれない○○さんは、
     市のゴミ回収担当に問い合わせたが、
     もうゴミ処理場に送られた後だったので、○○さんはゴミ処理場まで行き、
     廃棄された古紙の山を片っ端から探し、
     とうとう新聞紙に挟まった札束を発見した、という話。

   *「貴金属泥棒」
     ○○の貴金属店に強盗が押し入り、店員らを脅し貴金属を奪って逃走し
     民家の物置に隠れたが、飼い犬が気づいて激しく吼えたため、
     見つかって逮捕された、という話。
     これも、地名が思い出せない。


どうも私は固有名詞に弱い。


「記憶力が落ちた」「固有名詞が覚えられない」、
「簡単な引き算が出来なくなった」という私の自覚と
今回の私の脳の所見がいまいち合っていない事について、
OTともSTともいろいろ話したが、どちらも私の握力を測定した。


私は日常生活では右利きであり、
箸、包丁、ペン、マウスは右手で操作し、左手は使えない。
一般的に、握力は利き手が優位だと聞くが、
私の場合、右手の握力は11~13kgしかない。
左手は28~32kgで、これは小学生、中学生の頃から変らない。
重い物を持ったり鞄を持つのは左手、タオルを絞る時も左手が上に来る。
また、無意識に両手を組んだ時、親指が自然と上に来る方の手が
利き手であるとも言われるが、
両手を組む時、私は左手の親指が必ず上に来る。
だから、タオルを絞ったり、手を組んだ時に
「井上さん、左利き?」と人に聞かれた事が何度もある。


人の言語野は、利き手側にある事が多いと言われる。
私の右利きは成長過程の早い段階で躾として矯正された
後天的なものかも知れない。
妹も左利きで、いちいち親に言われて矯正されていたのを
横で見た記憶がある。


握力の点から見ても、案外私も生来左利きだったのかも知れない。
しかし本人が右左を認識する以前に
強制的にスプーンや箸や鉛筆を持たせて右手でする事を強制すれば、
本来自分の利き手がどっちだったかなどはどうでもよくなる。


私の場合、自分がまだ言語を習得していなくて
「言ってごらん」と単語の復唱を強制されている記憶がある。
その古い記憶は何歳かは分からないが2歳以前である。
鉛筆で紙に字を書いた一番古い記憶は2歳の時である。
私が2歳半の時に妹が生まれているが、
ひらがなを書く練習をさせられていた当時、私はまだ一人っ子だった。
おそらく、妹が腹の中にいて動きたくなかった母は
私に鉛筆とノートを与えて字を書かせている間に休みたかったのであろう。
あいうえおとひらがな5文字を書くと一行が埋まる、5マスのノートに、
一文字ずつ書き、母にそれを見せると「もっと書きなさい」と言われた。
この時点で私は鉛筆を右手に持つように躾けられていた。
妹が生まれると自分の環境が激変したのでこそからの記憶は
いずれもはっきりしている。
妹が生まれた後も、私はノートの1マス毎にひらがなを書き続け、
7マスのノートを使っていた。
私が妹を嫌って排斥し、親から折檻されるようになった5歳頃は
8マスのノートを使っており、
2歳年上の従姉(母の姉の娘)は当時小学一年生で、
10マスのノートを使っていると私に自慢していたのを覚えている。
私がこういう話をすると、聞いていた言語療法士は言った。


「記憶力が落ちたと言うのは違うのではないかと思います。
 物凄く古い昔の記憶も忘れていないし、むしろ正確に具体的に記憶されていて、
 それでいて今さっきしたばかりのテストも記憶出来ている。
 長期記憶も短期記憶も、記憶力は問題ない、というよりも、
 極端に記憶力が強いのだと思います。」


幼少時の記憶がはっきり残っている事が能力的にいいのかどうか私は知らない。
しかし心理学的には望ましい事ではないと聞いた事がある。
幼少時の記憶が何十年経った現在も残っている事は、
その記憶のあった幼少時に相当強い心理的ストレスを受けていた証拠だそうだ。
確かに、良い環境でのびのび育ったとは言えないかも知れない。


そういえば、じじも80歳を過ぎて今なお幼少時の記憶がある。
育ててくれたお祖父さんの膝の上で長い顎髭を
引っ張ったりしがみついていたのを覚えていると私に語る。
じじの生まれ育ちも親が無く不安定で、親族の家を盥回しに転々として育った。
その時の記憶はじじの中に今も鮮明に残っている。


幸せで、欲求が満たされて満足した時、満たされた欲求は
自分の中で完結し、終わった事として優先順位の一番下に落とされ、
無意識の内に埋没して思い出されない。
長期記憶と心理的圧迫とは常に一緒である。


で、結局井上の言語野は右脳にあるのか、
梗塞像のある左脳にあるのか、どっちか。


言語療法士が言うには、脳ドックでSPECTをすると、
話をする時などいろいろの動作や行動時に脳の何処の血流が増えるかを
調べられなくもないらしい。
しかしその検査で自分の言語野が右か左か調べても、
結局だからなんだと思うので、この検査は不要。
今現在日常生活動作に不自由が無ければ問題無しという事。


病室に戻って、
また点滴をしながら時間潰しに折り紙をして気がついた。
私は折り紙の最後の一番細かくて面倒な操作を、殆ど左手でしている。
利き手である右手は持って支えるだけ。
折り紙を折る時の利き手は、左手である。

外出許可取って

2010-11-24 20:36:59 | 入院生活
雑用に走った。


銀行、自宅、市役所、コンビニ、じじ宅。
風が強くて空気がきりきり、顔面が痛かった。


10時から13時で外出許可取ったのに
直前にMRIに呼ばれ、出たのは10時半、
移動の時間を入れたら13時の帰院に間に合わず、
30分遅れで戻り、昼飯。
30枚折り終えて
組み立てるだけだった紙細工を完成させた。
午後はMTとSTでまたテスト。
終わって病室に戻ったらもう晩飯や。


コンビニ寄ったついでに週刊モーニングと
ターザンを買って来たが読みながら電源落ちした。


外出のため点滴も施行時間をずらして今夜は23時や。

何だか忙しい一日だった。

外に出たいなぁ

2010-11-23 11:16:23 | 入院生活
点滴が終わらん。
血管確保も気の毒な看護師が四苦八苦して
ようやく正中静脈の関節ぎりぎりに入れたので
肘を曲げると滴下が止まってしまう。
30分から60分で全量落とさねばならんのに
やっきりこいたわ。
血管が無い訳ではないし細い訳でもないが、
針を刺すと血管壁が脆いのかすぐに破れ、
血液が皮下に漏れる。
看護師が上手く針を留置して滴下を開始しても
一日保たず薬液が皮下に漏れて腫れる。
こんなに血管破れ易かったか?自分。


天気は曇りだけど散歩に行きたいなぁ。
自宅やじじ宅や職場のある街の辺りが遠くに見える。
あの辺からここまで足で歩いた事あるよ。
徒歩40分くらいかな。


点滴してちゃ無理か。