ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

言うだけタダ

2012-01-31 23:12:08 | 日常
寒い。


寒いのは摂取熱量不足も一因しているかもわからん。
おとなしく自室に引き籠っても本日23:12現在で1918kcal消費している。
しかし消化機能がヘタっており1008kcalしか摂取出来ていない。
消化力が落ちているだけに、無闇に高カロリー食品も食えず不健康である。
人間、好きなだけ食って食った以上に動き消費するのが良いと思う。


どうせ今胃腸炎で金も無いから食べられないが言うだけタダだから言う。


毛蟹食べたい。


胃腸は断固拒否し無期限ストライキ中であり言うだけタダだから言う。


稲荷寿司が食べたい。
このおいなりが。
http://blog.goo.ne.jp/t-i801025/e/d9396e1b8fdef0c8834be468b96a774a 
私が自分で油揚げ煮て作ったおいなりが、首から上だけ観念的に食べたい。


脳みそは毛蟹とおいなりを食べたがっているが、
横行結腸がまた猫ぢゃ猫ぢゃを踊りだした。
困ったものだ。
しかし胃腸炎のピークは越えた気がする。
吐き気はあるが吐かなくなったし、下痢は出すものももう無いらしい。
水分をちびちび取って、ご飯をちょっと食べてみた。
吐き気とゲップだけで吐かず。
明日の朝の体調で出勤可能かどうか決まる。

自宅療養引き籠りの一日

2012-01-31 18:30:28 | Weblog
寝たり起きたり。


じじの確定申告に向けて去年一年間の領収書整理した。
紙オムツ使用証明書を主治医に書いて貰っていなかった事に気づき、
慌てて病院に電話し、医療相談員に依頼した。
はぁ~あ。


吐かなくなったがまだ吐き気あり。
胃腸はまだ猫ぢゃ猫ぢゃしておる。


脳みそは休養を、筋肉は運動を、それぞれ要求しておりましてややこしい。

夜も更けた

2012-01-29 02:33:42 | 日常
冷えてきた。
寒いなと思ったら暖房もそう感知したのか、燃焼し始めた。


さて寝よう。
寒いし、たくさん散歩してたくさん書いたし、週末らしい夜更けである。


やっぱり寝る時は
突然気絶するとか眠くて朦朧として倒れこむとかではなくて、
自発的な「寝よう」という意志の下に就寝するのが良いと思う。


しみじみ。

発信歴「111」

2012-01-28 23:30:58 | 日常
札幌市白石区で餓死事件。
また白石区。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120123-00000641-yom-soci


生活保護を申請するにしても、簡単ではない現実に注目した記事もある。
私は今日この記事を何度も読んだ。
http://htl.li/8Fhnd


1987年の餓死事件を思い出す。
http://htl.li/8Fhtt


離婚して一人で子育てする母親が生活保護を打ち切られ、
再度申請しに行ったが取り合って貰えないまま自宅で子供の目の前で
衰弱し、餓死した事件をよく憶えている。


当時自分も同じ白石に住む白石区民であった。
病気のため入院と手術をした後で仕事復帰したものの体力が戻らず
働きながら抑鬱状態に陥っていた時期にこの事件が
テレビのニュースで取り上げられ、新聞に載った。
今は職に就いていても、明日は我が身だと思った。
そして住民票を取りに行っただけでもいちいちむかむかしなければならない
区役所窓口の職員の横柄な態度が目に浮かんでちらついて、
正直、当時精神的にきつかった。
あの時、ただ衰弱し横たわって餓死していく母親をなすすべなく
間近で見ていた子供達は今どうしているだろう。
人間が生きる事と死ぬ事とをどう受け止めただろう。
今、同じ白石区で同様の餓死事件が起こった事を見聞きして
成人したかつての子供達は何を考えるだろう。


そして今月、私のいる同じ市内で老老介護の夫妻が同様にして亡くなった。


知的障害を持つ妹を介護する姉が病死、妹は凍死。
事情あって一人で子育てする母親が子供の目の前で餓死。
認知症の夫を介護する妻が病死、夫は凍死。
いずれも生活保護を受けられず介護利用も無し。
ガス、電気は供給停止されていた。


自分の仕事柄、様々な事情によって援助の手が届かず福祉の綻び目から漏れて
必要な援助を受けられず生命の危険が予測出来る人に出会った場合、
例えば高齢者であればMSWを通じて地域包括担当につなぎ介護申請の道を開くとか
出来る限りの事をしなければならない。
今は1980年代当時と違ってMSWの役割もケアマネの役割も認められている。


私が同じ区内の餓死事件を見聞きした当時はまだMSWという職種自体が
まだ世に知られない存在だった。
勿論、
当時は介護保険も今のようでは無くケアマネという職種も知られていなかった。
その点、今であればこれは大変だと思われる場合には相談出来る窓口があり、
必要な援助を受けるための調整をする職業があるにはある。
それでも同じような事件は無くならない。
無くならないだけでなく、やはり明日は我が身である。


明日は我が身と言うのは、
私も一つ歯車が狂えばここに紹介した人々と同様の立場にあるという事である。
今は体力もあって使ってくれる職場があって働けるが、
もし今後それが出来ない状況になった場合、
実際自分と自分の親達それぞれはどうなるか。
明日は我が身と言うのはそのような意味である。


私は資格取得以来何度も転職した。
職場が嫌で辞めた訳ではなく、人間関係が嫌だったのでもなく、
仕事そのものも、いずれの職場にあっても好きだった。
忙しいとか疲れたとか言いながら楽しんで働いていた。
退職の理由はいつも同じ。


資格取得の翌年、父の脳梗塞で仕事を辞め転居、転職。
それから7年働いた時に父のADLが落ち介護環境の整備が必要で仕事を辞め転職。
そこで3年働いた時に母が大怪我をして住居整備と転居、介護環境整備のため
仕事を辞めて時間捻出のためにパート勤務に転職。
そして父のADLは更に落ち、一昨年、昨年と救急搬送と入院と、
退院後の認知症の進行のため度々仕事に穴を開ける事が続き、
パート勤務の時間を今は減らしている。


特に昨年父の心身の具合が悪く泊り込んでいた時は目が離せず夜間寝る暇も無く
自分自身が食べたり入浴する時間も確保出来たり出来なかったりして
勤務の時間が削られ収入が減っただけでなく、私自身までもが体調を崩した。


ひどい抑鬱状態に陥っていた事を認めざるを得ない。
生きるのが嫌になった。
おそらく、ここに紹介した人々も餓死、凍死に至る前には
自分と同じように疲れ果て、くたびれて無気力になっていたかも知れないと思う。
精神的に安定していたとは考え難く、健全な判断力もあったかどうか、
自分から役所に出向いても横柄な区役所の職員に見下され、
煩雑でわかり難い書類の記入、提出したものに対する対応も
いつになれば返事が来るかすら見えないまま延々待たされる。
まして生活保護の申請手続きなど、どんな対応をされた事だろう。


役所仕事と言うのは
それを必要とする人にとって決して親切でも親身でもない。
むしろ冷酷である。


例えば私が複雑骨折で歩けなくなった母の介護申請手続きをしたのは3年前の8月、
それから待ちに待って母の要介護認定が決まったのは11月過ぎであった。
遅れた理由は主治医意見書が遅れているからと。
その通知自体も忘れた頃になって漸く市役所から郵送されて来た。


私の場合は仕事柄、幸運にも知識を得ている。
高齢者福祉の申請から認定、担当者の決定、
最終的に介護サービス利用までにどれほどの期間待たされるか、
滞っているなら何処で滞っているかを問合せ、追跡する知識があるので
動揺したり失望せず出来る事をして冷静に待つ事が可能だった。
しかしそんな知識がもし自分に無かったらと考える。
何もわからないまままるまる何ヶ月もどうすればいいのか、
退院の日程の決まった母を部屋に一人置いて、どうやって凌ぐのか。
もし私が知識を持たない一般の人だったら。
或いは私が病気で働けなくなったら、病気で判断力を失ったら。


介護も育児も、時間がどうしても要る。
時間捻出のために仕事を削らなければならない。
どんな職場でも、勤務に穴ばかり開けていると周囲に負担をかけて居ずらくなる。
辞めて転職するにしても介護や育児を背負った人にとって職探しは容易ではない。
私の場合は非常に幸運でたまたま働かせて貰っているに過ぎない。
それが不可能になったら、
自分も彼らのように餓死や凍死する事態に陥らないとはいえない。


白石区で姉が病死した後、残された妹が助けを求めようと
携帯から「111」を発信していた事を思うといたたまれない。
姉が目の前で絶命して助けを呼ぶに「110」なのか「119」なのかわからず
何度も発信したという「111」。
やりきれない。

味復活

2012-01-28 14:14:00 | 
人に勧められて食べに来てみた。
市内では昔からある繁華街のラーメン店。
私が子供の頃、母親や母方の親族が好んで食べに連れて行って貰った事があった。
当時は地元を代表するラーメンだったが、
店を改築して大きくしたんだったか店主が交替したんだったか
味が落ちたという噂が定着して、かれこれ10年以上行っていなかった。
実際、私が20年近くも地元を離れ、再び戻って来た時、
懐かしさで一度食べに行ってみたがあまりの不味さというか、
ダシの風味の無さ、化学調味料のような刺激、
濃過ぎて苦いほどの醤油味にびっくりしてそれきり食べに来た事が無かった。
地元の知人の誰に聞いても良く言ったのを聞いた事が無かった。


それが先日、知人から勧められた。


「確かにここずっと20年くらい不味かったんだけど、
 こないだ食べに行ってみたら凄く美味しくなっていてびっくりした。
 あの店、復活したわ。
 本当に美味しいから、行って食べてみて。」


へぇぇ。
本当か?
私は昨年末に贔屓の美味しい食堂が閉業して、
もうラーメンは食べないぞくらいに思ってたからな。
しかし知人が私の顔を見る度に「食べに行ってきたか?」と尋ね、
「いやまだ」と言うと熱心に勧めるのでとうとう来てみた。


どうよ・・・塩。


あっ。


塩ワンタンメン美味しい。
普通に美味しい、いや普通よりももっと美味しいかな。


なるほど。
人の話は聞くものだ。

晴天なり。

2012-01-28 09:09:00 | Weblog
ちょろちょろっと岸壁を歩いたが、
あまりにも路面状況悪過ぎて思うように歩けない。
しかし自宅には戻らず、じじ宅に来た。


じじはさっきデイケアに出掛けた。
ベッドに布団乾燥機をかけ、洗濯機を回し、換気し、
溜まった結露を融かして拭き取り、
一週間分の内服薬をセットする。
ヘルパーやデイケアの記録をチェック。
食材の補充はまだいいかな。


洗濯機と布団乾燥機が終わるまで一休みして来よ。

おっおじさん!!

2012-01-28 08:41:00 | 散歩
平年並み程度の冷え具合では川面の氷もしょぼいなぁ。
昔は子供が乗っても沈まない(でも転覆して死亡事故になった)ほどの
分厚い頑丈な氷がこの川の表面を覆っていたんだけどなぁ。


やっぱり地球温暖化か。。


橋の真ん中まで来て、欄干に寄って携帯でこの写真を撮っていたら、
足元の何処かからカンカンカン・・・と音がして振り向くと、


「あ~ぁっと♪」


と陽気な掛け声がして、
小さい箒を手に持った作業服のおじさんが下の川から(!?)よじ登って来た。
欄干に片手をかけてひょいと飛び越え、すたっと橋の上に着地した。


お、おじさん!!!何してたの・・・・・・(((;゜Д゜)))


い、命綱も何も付けていないではありませんか。
ここは橋のど真ん中、真下は表面だけ氷の張った急流、
気温マイナス10℃よりも水温は高いかも知れないけど、
落ちたら絶対に助からないよ今時のここの川は。
見た目には多少の風情だって無くもないかも知れないけど、
この川では過去に無数の人が落ちて死んでるんですよ。
手を掛けるにしても足掛かりにするにしても、何処もかしこも凍って滑るのに。
よく下の川に落ちず橋の上まで素手でよじ登って来たものだ。


あーびっくりした。


仕事なんだろうか。
あの小さい箒で橋桁の何処かの雪払いか氷落としか、
何か作業やってたんだろうか。
なんちゅう危険な仕事だ。
見惚れてて危うく携帯落っことすところだった。

蓮氷

2012-01-28 08:31:01 | 散歩
先週とは別の、市内の寂れた中心部の川に来た。
気温があまり低くないためか、川面の氷が緩んで薄い半透明である。
足元がつるつるの凍結路面なので、迂闊に近付くと危険だ。

窓の氷紋

2012-01-28 08:16:01 | 散歩
6:00にマイナス11℃だったけど、日の出の後にもっと冷え込んだに違いない。
大して寒くないが廊下の窓ガラスの氷紋がだんだん分厚くなってきている。
ここまで厚くなると訳のわからない模様になってくる。

起きた。

2012-01-28 07:18:41 | 日常
昨夜一度も起きなかった。( ._ .)


今7:18や。
洗濯物は洗いっぱなしで干してないし
暖房で目と鼻と喉がカラカラヒリヒリや。
寝過ぎで腰痛いし。
何で腰が痛くなるまで眠って目が覚めないかな、自分。


今朝6:00の気温マイナス11℃、予想最高気温マイナス4℃まで上がるらしい。
そんなに寒くない、低め安定だな。
雪が降るとか言ってるが。
先日みたいなジャブジャブの融け方は勘弁してほしい。


さて、何処でもいいから出かけよ。
寝過ぎた事だし。

ね、眠い。。

2012-01-27 19:20:30 | 日常
まだ食後1時間未満だし眠ってはならない。
しかし20:00にもなっていないのに、目を開いていられない。。。
何か、呪いでもかけられたみたいな眠気である。
脳みそにカビでも生えたんだろうか。
食後3時間は起きていなければ祟りがある。
祟るんだぞ。


。。。。。。。。orz

100000年後の安全

2012-01-26 21:57:56 | 映画・DVD
昨夜DVD『100000年後の安全』を見た。
http://www.uplink.co.jp/100000/


2009年に作られたフィンランドのドキュメンタリーである。
オンカロ。
高レベル放射性廃棄物を地中深く埋めて、一定量以上溜まったら封印する。
100000年後に地上がどんな状態であっても
決して掘り起こさないためにはどうするか、
未来の住人に放射能が危険である事をどう伝えるか。



映画『100,000年後の安全』


映画『100,000年後の安全』


映画『100,000年後の安全』


映画『100,000年後の安全』


映画『100,000年後の安全』


映画『100,000年後の安全』


映画『100,000年後の安全』


映画『100,000年後の安全』


このドキュメンタリーが作られた2年後に私達の国で大震災が起こり、
原発が放射能漏れ事故を起こした。


2009年のこの映像の中の人々は
遠い未来に、未来の住人の手でオンカロの封印が解かれる事を恐れ、
高レベルの放射能が漏れ出す可能性に危機感を持って論じている。
漏れ出した時、一体どんな状況が起こるか誰も予測し得なかった。


たった2年前の映像であるが、遠い昔の映画のような気がする。
登場するフィンランドの有識者達が想像し得なかった放射能漏汚染の真っ只中に
今私達日本人はいて、色も匂いも無い放射能に晒されながら生活している。


この映像を見ていると、
登場する人々が「危険!近寄るな」と伝えようとする100000年後の地球の住人の一人に
自分がなった気がする。
封印を破られ、放射能が漏れ出したオンカロに国ごとすっぽり嵌まり込んだも同然、
それが今の私達の置かれている状況であり、逃れようの無い現実である事を
否応なしに突きつけられる。


100000年後の安全?
僅か2年後に別の場所で既に漏れ出してしまったのに。