早出出勤。
今日の予想最高気温マイナス4℃と聞いた。
ガラスは凍るが水分が少なくて乾燥し過ぎのため氷紋は少ししか現れない。
間もなく日が出る。
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つつがなく一日の仕事は終わった。
この後の時間を自分の好きに使っていいのであるが、
何をするにしても心底からは寛ぐ事が出来ない。
ろくな説明もなく突然「面会禁止」と言われたままじじの様子を知る事が出来ないため、
いろいろな事を考える。
介護ブログに詳しい経過を既に書き溜めている。
老人を受け入れてくれる病院が無いために仕方なく今の療養病床(いわゆる老人病院)に入院させた。
下血しても主治医の対応は
「うちはそういう病院ではない、確定診断のための検査や腫瘍マーカー採血などしない」であり、
「不満なら何処か他の病院に行って下さい」であり、
排便管理と称して三日おきに下剤を投与し、浣腸をしたら新鮮血が出たのを後になってから渋々白状し
下血するからと何か月も絶飲食にも関わらず下剤を注入するためだけの目的で鼻から胃に管を入れ
痰が絡む度にチューブを入れた方の鼻の穴から吸引チューブをも無理矢理差し込んで
気管内吸引をして胃のチューブを撓ませ、私から申し入れて鼻の管を抜いて貰って落ち着いたかと思った矢先に
今度は何の事前説明もなく「面会禁止」。
既にこのブログにも介護ブログにも書いた通りの現状である。
今現在は1/15の一方的な「風邪が流行りだしたから面会禁止」のまま
病棟にじじの様子を問い合わせしても看護師は「特に変わりないですけど」であり、
相談員に話をしても「そういう病棟の事はボクはわかりませんので」であり、
残り少ないじじのこの世の時間だけがどんどん過ぎて行く。
このまま一度も面会出来ずにじじが死ぬ可能性もあり得る。
市内の他の老人病院に転院させたいと思ったりもするが、その橋渡しについても
この名ばかりの相談員が調整のために動こうとする姿勢は一切なく
何を聞いても「先生に聞いてみないと」「病棟の事はわかりません」という返答ばかりで動こうとはしない。
いや実際何をしたらいいのかわからない様子である。
ペーパードライバーのような相談員が今のじじの相談員であり、相談窓口である。
今の入院先の相談員の協力が見込めないからと言って家族が直接転院させたいと動いたとしても
何処の病院もベッドは簡単には空かない。
うちの教会の牧師が言うように「もうここまで弱っているのだから動かさない方がいい」なのか、
或いは別の老人病院への転院を強く申し出て動かすのがいいのか。
じじ本人にとって生涯の残りの時間に
どれを選択するのが最善(安全、安楽、平安、人間らしく扱われる)に至る道なのか試案中。
子供の頃に私を虐待した父親であるが、今は自分にとって唯一の長年関わってきた受け持ち患者である。
じじにとって何が最善の選択か。
友人知人がとうに世を去り、かつての配偶者からも次女からも顧みられず忘れられ
寝たきりになって四肢が拘縮し自分の唾液すら気管に誤嚥して肺炎を繰り返し、下血もしている後期高齢者。
在宅介護が出来なくなって収容された今いる老人病院では認知症の同室者達が四肢を縛られ、
看護師や介護職員から怒鳴りつけられる、その光景を日常的に身近で目にするためか、
あの多弁で我の強いじじが発声も発語もしなくなった。
私が耳元でひそひそ話しかけないと自分からは喋らない。
じじの残り僅かな時間を無駄にしないために私がするべき事が何かを考えている。
実に、家族に病人を抱えると言う事はこういう戦いの現実である。
これまでも、これからも。
自分の感情を制し、一番立場の弱い病者にとっての最善を選択肢の中から選ぶ事、
手に余り自分に判らない、出来ない事は他者の知恵や知識も依り頼む事、
冷静に最善を目指して道を選び取る事をしなくてはならないのだと思う。
家族に病人を抱えたら、キーパーソンは自分の感情に打ち勝って強くあらねばならない。
病院の誰彼の言動行動に腹を立てたり悲嘆に暮れるのは後でやればいい事だ。
実際いつでも出来る、優先順位の低い問題に過ぎない。
時間の自由が与えられたら与えられたで、そんな事ばかり考えて頭の中を占領されている。
仕事が忙しいのは有り難い事だ。
仕事をしている時は仕事の事だけに集中し、しばし問題から解放される。
休日は散歩をし、ものを食べ、面白い本を読む。
しかし心底から休日の時間を楽しむ事は無い。
日が暮れた。
冬至から1ヶ月、随分日が長くなった。
明日も早出だ。
もう寝よう。