ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

漢和辞典

2009-09-29 22:49:00 | 日常
ある人に
名前をつけてあげようと思って
昨夜からずっと漢和辞典を開いて
文字を物色している。


姓と
音、意味、形の合う文字を探している。









なかなか決まらない。

げっっっ。。。。。。。。orz

2009-09-27 13:26:00 | 
暖房作動しっ放しで寝てたら室内が乾燥して
喉が乾いて目が覚めたので
冷蔵庫からまだ妖怪に変身していないキュウリを出して
齧ったら、


・・・・・・・・・・・・・・!!!


中が妖怪になっていた。


あまり冷蔵庫を開閉していなかったので
中途半端に凍結したのが
昨日一日食事を作るのに開閉したため
これまた中途半端に解凍されてしまって
そこから変身したらしい。


・・・・すんごい味だった。

えっとぉ・・・

2009-09-27 05:46:20 | 映画・DVD
書類整理しながら
映画のデスノート見てるが
DVD2枚組、長いわー。



あー
頑張って最後まで見るぞ。





あれ・・・・( -o・)q


これよく見たら、
本編の他に円盤がもう2枚も入ってる。


こっ・・これ全部見るのか。。。。。。。。orz




これ、
アニメの方が面白いかもなぁ。
アニメはやっぱり自由自在だしね。
なるほど
アニメのLとNは映画ではL一人に集約されてんのね。


Lの役者さんはいいよねLの人は。
この人だけ演技が異次元にいる。
訳のキャラクターではなくて演技が。


この役者さんの演じた銭ゲバを
全編通して見てみたかったなぁ。


元々飽きっぽくてテレビを見られないんだよね。
見ると睡魔が襲って来るから。
何せテレビの電源入れるのは
震度4以上の地震の時くらいだし。

これがそれ。

2009-09-26 20:25:20 | 
先日、
よく行く近所の回る寿司屋で食べた
鮮度の良いタコの吸盤の軍艦巻き125円。


割り箸でわさびを付けたらぐにゅ~っと動いた。
レギュラーメニューには無くて
たまたま良いタコが入った時だけしかない。


写真を撮ったけど
何処に保存したかわからなくなっていたのが
見つかった。


不気味と言うなかれ。
歯触りが良くて美味である。

まだ眠い。

2009-09-26 07:57:00 | 日常
早寝したおかげで
4:30には起きて来月の教会月報を完成させ、送った。
後は牧師先生のチェックを待つのみ。


まだ起きて3時間ちょっとしか経っていないのに
再び強烈な眠気がきた。


昨日本とかDVDとか買ったけど
全然読んでないし見てないじゃん。
朝だから腹も減ってきたが眠気が勝ったな。

写真

2009-09-26 06:10:00 | 日常
昨日、
採血から診察まで時間潰しに本とCDを物色し
ついでに3ヶ月前に拾った
リラックマを警察署まで引き取りに行ったが
それでもまださらに1時間もあったので
写真展を見て時間を潰した。


この人の写真、好きだなぁ。


http://www.edelmangallery.com/kenna.htm


モノクロームだけど
真冬の北海道の風景も撮っている。
写真ではないみたいに見えるけど
北海道の冬ってこういうのだよ。
私達が日常見慣れている、
ただ寒い寒いと見過ごしているいつもの光景が
この写真家の目を通すとこんな絵になる。

趣味は何ですか

2009-09-26 04:58:33 | 日常
ブログのお仲間の記事へのコメントが長くなったので
この日記の記事にしたであるよ。


「趣味は何ですか」と聞かれて
答えられるようなものはないので
でたらめに読書とか音楽鑑賞とか言ったりするが
実際には
義務の介護と自分の仕事と息抜き以外には
殆ど時間を使っていない。


趣味は基本的に老人のためのもの。
つまり「趣味でする事」は時間と金と自由のある人のもの。
私は自分の親を見てそう思ったな。
例えば
じじは趣味でしょっちゅう山奥に入って写真を撮っていたが
そんな事を本格的にしていたのは
定年退職して熟年離婚して一人になってからだし
じじの現役時代、
私は自分の父親が仕事して残業して食って寝る、
それ以外の事をしているのを殆ど見た事がなかった。
たまにカメラを持って休日に出掛ける事もあったが
ただの息抜きだったと思う。


私自身についても同様で
自分の親が元気だった時は私は自分の仕事で精一杯、
今は親の必要としている事をするのと自分の仕事とを
天秤にかけてバランスを取ろうとしている。
自分自身の休息のために音楽も聴くし何か見たりもするよ。
ただ、
音楽は作業の能率を上げるためか
または精神的な安静を得る目的で必要があって聴くし
読書は仕事上で必要な情報を得るためのものであり
それ以外は疲れた時の単なる息抜き、
事実、
私は入院でもしない限り本なんか聖書ですら読まない。
買うだけ。
読書は自分に故障が起こって
ベッドから下りられない時の時間潰しのためにするものだ。


「自分探し」「本当の自分」「夢」
「本当にやりたい事」「趣味を仕事にする」
「なりたい自分」


これを言う人達は
何を探して何を見つけたのかなと思うよ。


私は生まれてから何十年も生きていて
自分を探した事なんてないし
本当の自分なんかいないし
自分の人生に夢なんか持っていないし
自分の人生に何の期待もしていない。
したい事なんか探してないで
やらなければならない事をしなければならんと思うよ。
自分の親の生い立ちを考えても
自分自身のこれまでの人生を考えても本当にそう思う。


そして
疲れたら息抜きをして休んで、またするべき事をして、
そうやってだんだん消耗して年取っていつか死ぬよ。


人間は
「本当に自分がしたい事」のために
生かされて生きているだろうか?
私は自分が誰かに望まれる事をするために
生かされてる気がするが。


自分という者は
所詮他者との関係において初めて
存在する意味と価値が与えられるものだと思っている。
他者に要らないと思われたら自分の存在はそこまでである。


神と自分、
人と自分、
自分と他者との関係はそういうものだと思う。


「自分」なんか探してどうする。
「自分」など探す価値の無いものだと私は思う。
自分に都合のいい「私の好きな私」なんてこの世にいない。
自分が自分を好きかどうかとか
自分が自分をどう思うかがそんなに重要な事か?