今日明日2連休を確保している。
今日は午前午後とも教会で潰れるので明日が休養の日となる。
今朝は曇りで気温19.8℃もあって湿度100%、物凄く蒸し暑く不快指数高い。
朝っぱらからMOWバニラに岩塩かけて水出し珈琲と共に食べる。
ふむ。
水出し珈琲、今回はコロンビアのフレンチローストを使ったがアイスとよく合う。
よく寝かせたし、透明度もええ具合や。
侍プリンの空き瓶で飲んでる水出し珈琲の写メ撮ったり、馬鹿な事やってないで出かけよう。
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教会に来た。
主日礼拝
黙祷
招詞 詩編113;1~4
讃美歌(21) 10 452
聖句唱和 Ⅰヨハネ4;10
信仰告白
祈り
証し(長崎における朝祷会全国大会の事)
讃美歌(21) 451
聖書朗読 ヨハネ16;1~6
説教
讃美歌(21) 463
献金
祈り
頌栄 讃美歌(21) 27
祝祷
今日はゲストによる朝祷会全国大会の話(証し)があった。
何十年間も会の火を絶やさず続けて来た祈りの重さを考える。
自分達はその中で生かされている。
三浦綾子読書講演会講師による説教は辛過ぎる体験から主を通して知らされたものについて。
温厚な人なのに酒を飲むと人格が変わる、いわゆるアルコール依存症だった舅とは長年疎遠だったが
ある日突然妻の遠い故郷の警察から身元確認に来てほしいという連絡が来て出向くと、
舅は死後数か月の茶色い骸骨の姿で寝床にいた。
部屋中に無数の蠅の死骸が溜まっていた。
酒で家族や周囲の人々に迷惑をかけ続けたために誰からも見放され忘れられて
集落の外れで孤独に一人で暮らしていた舅が最後の日々にどんな思いでいたかは誰も知る事が出来ないが
きっと体調が悪かったに違いない。
一人臥床したまま受診する事も助けを呼ぶ事も出来ず絶命し、何か月も誰からも気づかれなかったのだった。
着衣から辛うじて本人である事がわかった。
講壇に立って語る講師はその変わり果てた舅の骸に主キリストを見たと言った。
誰からも見捨てられ、孤独に絶命し蛆に食われても長い間誰からも気づいて貰えなかった人の
孤独と苦痛が思い浮かんで責め苛まれた。
この変わり果てた舅の姿で、主がご自分を通って行けと示されたと講師は言った。
その意味を考える。
私達は誰もが日々死と隣り合わせである。
今自分達が生きている事は、
かの講師の舅のような死とはほんの紙一重の差に過ぎない。
私は自分自身の体験からその事をよく知っている。
私の父もまさに奇跡のような紙一重の差で孤独死を免れた。
父は最初の脳梗塞発症の時、離婚後一人暮らしだった。
妹は本州に住んでおり、私は札幌にいて父とも母とも15年間絶縁状態だった。
冷え込み厳しい11月半ばの早朝に、父は目が醒めて炊飯器のスイッチを入れようとすると右半身が動かなかった。
後でわかったが左中大脳動脈に梗塞が生じていた。
動けないまま父は暖房の入っていない冬の室内で早朝5:30から夕方の18:00過ぎまで、
12時間も一人で床に転がっていた。
しかしその日父は旧友と会って遊ぶ約束をしていたのだった。
夕方になっても現れず連絡が取れないので不審に思った旧友が電話してきた。
着信音の鳴る電話を父は床を這って何とか受話器を取り電話に出た。
呂律の回らない言葉で「動けない」と助けを求める事が出来た。
この着信が無かったら、父も今日の説教の講師の舅と全く同じ最期を迎えたであろう事は間違いない。
15年間も絶縁状態の子供達は翌年の春頃になって異臭で隣室の住人から通報されて呼び出され、
凍結と融解を繰り返し無残に崩壊した父親の骸の身元確認をしなければならなかったであろう。
実に、1本の着信によって父は孤独死を免れた。
父が世を去ったのはその時から19年後の事だ。
病院のベッドの上で苦しみ、教会家族の一員として、仲間と旧友の妻に見送られて天に凱旋して行った。
その事が私には奇跡に思われる。
講師は変わり果てた舅の茶色い骸骨に受難の主を見たと言った。
私は最期の日の前夜の父にも、同じように苦しんだ受け持ちの患者さん達にも受難の主を見た。
そして、この地上での苦しみを終えて天に帰った。
主がご自分を通って行けと講師に示されたのはその事に違いない。
礼拝の後、昼食がある。
食後に茶菓子があるか聞くと無いらしいので近所に買いに出た。
路肩に小さい花が咲いている。
これは小学生の時に見かけたと思うが、名前を知らない。
教会の庭の一画に誰かが妙な花を植えたらしい。
何だか咲いている。
木の葉が茶色いのは低温のために違いない。
教会のカレー、久しぶりだ。
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定例の教会員会終わって徒歩で帰る。
道の途中に昼顔が咲いている。
朝顔とは葉の形が違う。
キンレンカもコスモスも咲いているのだから、多分もう秋なのであろう。
これは霞草か?
随分細かい。
川は鉛色をしている。
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帰宅。
少しでも日光と風に当ててやりたいと思って外に出した鉢植えを屋内退避させる。
夕方海から立ち昇って来る塩分強い霧と冷気から守るためいちいち真水をかけてから室内に入れる毎日である。
今夜はモツレクを聴いている。
ずっと前に牧師から出されていた、というか提出期限を半年も過ぎた課題を今日また催促されて身が縮んだ。
去年だったか、教会員会で提案された案件だ。
教会で仲間の葬儀を行う時、愛唱讃美歌や好きな聖書の箇所などを生前のうちにお互い情報共有すれば
葬儀の時の式次第もスムーズとなり、仲間を見送る立場の者にとって助けになるので、
元気な今のうちに「自分の葬儀で歌ってほしい讃美歌」を書いて牧師に提出する事になっていた。
死は突然やって来るもの、いざ葬儀となった時に皆が悩まずに済む。
しかし自分はまだ提出していない、というか決まっていないのだ。。。orz