ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

考える事は歩きながら考える

2016-09-30 22:33:43 | 日常
本日日勤。
出勤ぎりぎりまで昼食弁当を作っていた。
今日も焼き魚を持参するので細長い弁当箱にぎゅうぎゅう、
詰めるだけ詰めた。

晴れている。
昨日の休みはどんより重苦しく雨降りで終日自室に引き籠り動かなかった。
おかげで足腰固まって痛い。
そして、休み明けはいつも晴れ。

出勤ぎりぎりだから空の写メも撮らない。

・・・・・

昼休み。
今日の昼飯弁当も一昨日と似たり寄ったりで、
塩昆布、乾燥わかめ、白ごまの混ぜ飯をおぼろ昆布で巻いたおにぎり。
おかずも同様で焼きピーマン、焼き魚は本日鰈の味醂干し、
出来合いのハンバーグの焼き直し、長葱としらすのだし巻き卵、
食後にプチトマト。
ハンバーグはちと重たかったが無理矢理弁当のおかずに詰めた。
本当は焼いたハンバーグにチーズとプチトマトを乗せて
二度焼きして夕食にするつもりだったが、
ここずっと夜帰宅して夕食を食べられないほど眠くて明日、また明日と
冷蔵庫内放置してダメにするのはもったいないので
朝か昼のうちにさっさと消費してしまおうと思って。
自作弁当ながら食べ応えあったな。
まあいいや。
これから夕方まで勤務だし。

・・・・・

仕事終わった。
くたびれたなぁ。
問題山積や。

ヘタってるし既に外は真っ暗になったが歩いて帰ろう。
気分転換が必要だ。
外気を吸わないとやってられない。
考える事は歩きながら考えよう。

・・・・・

帰宅。
足の裏が熱い。

一昨日届いたアクリル毛糸のエコたわし。
かわいい♪

この愛くるしいのをむんずと掴んで食器や調理器具をごしごし洗うのか。
滅相も無い。
畏れ多くて台所には持って行きたくないのぅ。

ありがとうござります。
大事にします。

・・・・・

ねむい。
明日また4時起きや。

必ず室内にある

2016-09-29 21:05:58 | 日常
昨夜は職場から呼び戻されなかった。
午前0時のおむつ交換時にバイタル再検を指示してあったのを
こちらから電話で確認し、問題なかったので朝まで爆睡した。
途中着信は無かった。

6:00に覚醒し前日の行動記録を入力しようとしたらカロリズムが無い。
部屋中探し回って小1時間。

6:30に一度捜索を中断して職場に電話した。
早番勤務者に午前0時に介護職員から受けた報告を申し送った。

さて捜索再開。
紛失した物品そのものよりも、
自分一人しかいない室内で物を紛失した事自体が釈然としない。
24時間身に着けているものを就寝前に見て数値を確認したのが
何故朝になったら無くなっているのか。
就寝前に見た事は間違いないのだから必ず室内にある筈。

とりあえず予備のカロリズムを装着した。
最悪昨日のデータを落としてしまったとしても仕方がない。

こんな場合に備えて前のカロリズムを捨てずに保管しておいてよかった。
予備のカロリズムに新品のボタン電池を入れて初期設定し装着した瞬間、
背中から何かがコロリと音を発てて床に落ちた。


ぅがあカロリズム!

何ちゅう奴だ。
睡眠中ずっと私の背中に貼り付いていたらしい。
どおりで幾ら探しても見つからない筈だ。
朝っぱらから何度も逆様になってベッドの下を覗き、寝室、居間、トイレ、台所、玄関、浴室と
昨夜帰宅してからの自分の行動を遡って探し回ったのに出て来なかったのは当然だった。
出て来ない筈だよだって探す者の背中に貼り付いてんだもの。(笑
それにしてもよくトイレに落ちなかったものだ。
買うとなるとやはりそれなりに痛い。
昨日のデータを眠くてまだ記録していなかったし。

さて気を取り直して休日。
なめこを大量に買ってある。
めんつゆ、昆布醤油、味醂、酒で煮詰めて瓶詰にした。

大根おろしを添えてなめこおろし蕎麦にしたり
そのままご飯にかけて食べてもウマい。
煮焦がさないように気を付けるだけで簡単。
ぐつぐつ煮立っているのを熱いうちに瓶に詰めて密封すると冷蔵でも割と長持ちする。
先日母からホヤの酢ものやキュウリ揉みを貰ったのでこれを瓶に詰めてお返しする。

休日で雨こそ降らないが、
窓の外を見る気にもならないほどどんより暗い、湿った天候。

室内が寒いので珈琲を淹れた。
これまた久しぶりのモカ・シダモ。
夏の間ずっと珈琲を飲まなかったのと飲んでもブルンジ・ブルンディばかりだったためか、
全然違う風味を新鮮に感じる。
軽やかで爽快。

ケニー・ドーハムとユッタ・ヒップを交互に聴いている。
ジャズのCDはあまり持っていない。

・・・・・

天気が重苦しいので外出せず終日引き籠って断捨離に休日を費やす。
古雑誌が溜まっている。
これらを処分したら別のものがもっと余裕持って収納出来る。
元々雑誌は読み終えたらその場で廃棄するが、保管してあるからには
何かそれなりの理由があるのかも知れないと他人事のように考えて開いてみた。

『NHKきょうの料理』2003年年10月号「特集・新米でいろいろ秋ご飯」というのが出て来た。
2003年当時はまだ父の介護度が軽く、そんなに頻繁に様子を見に行かずともよかった頃で
父はまだエレベーターのない古マンションで独居しており私は救急病院の術場で働いていた。
多分職場の売店で見かけた雑誌をたまたま買ったのだったと思う。
見もしないテレビ番組の料理本を買いに書店までわざわざ出向くなどあり得ない。
料理番組も含めテレビなんか見る生活をしていないのは2003年当時も今現在も同じ。
しかし何でこの雑誌を捨てずにおいたのだろう。
元々米飯をあまり好きでないが、こんな雑誌を買ったのは
多分仕事休みの日に父か母に季節感ある炊き込み飯でも差し入れるつもりだったかも知れない。

記事を見ると多種多彩な炊き込み飯やおこわが写真入りで載っている。
食欲はあまりそそられないが彩り豊かである。
醤油味の大根飯の薄茶色、雑穀飯の赤紫色、豚肉と糸昆布の炊き込み飯、
茸飯、小豆の赤飯、赤飯の豆を白花豆に代えた紅白の赤飯、栗の入った五目おこわ、
蟹とグリーンアスパラガスのおこわ、炒飯各種、雑炊、混ぜご飯、寿司。
和食は味が不味くても見た目重視だから視覚的には彩り豊かで華やかだ。

断捨離を中断し古雑誌をぱらぱら捲っていると「お作法の恐怖」という記事が出て来た。
筆者は酒井順子さんという文筆家だった。
作家かなと思って検索してみたら
ひと昔前に流行した単語「負け犬」の出元となった『負け犬の遠吠え』の作者だった。
その本では年齢30歳以上、未婚、子供のいない女性を「負け犬」と呼んだ。
そういうものの考え方をするものなのか、それはさぞ生き難かろうと思っただけで
その著作自体は読んでいない。
ていうか私は殆ど今現在流通している本を買わないし読まない。
そんな時間的余裕のある生活を以前も今もしていない。

この古雑誌『NHKきょうの料理』2003年年10月号に掲載されている
「お作法の恐怖」という随筆は興味深い。
筆者はある時京都で友人に招かれて旧家の邸宅を訪ねる。
そこで友人から「母親がお茶をどうぞと言っている」と招かれ、通された部屋は茶室だった。
茶道の嗜みなど知らない人なら誰でも困惑するだろう。
自分は外国人の如く茶道の事を何も知らないと告白するが、
気軽に飲んで下さいと勧められ、筆者は緊張しながら友人の母親の点てた抹茶を頂いた。
抹茶も和菓子も美味だった。
茶を点てた母親が「もう一杯如何ですか?」という意味の事を言った。
そこで辞退しては失礼だろうと気遣って「頂きます」と返事すると隣に座っていた友人から
「そこは一応遠慮するのが決まりなの」と“申し訳なさそうに”指導された。
また、後に自分の母親からも調度品を何も褒めなかった事の失態を知らされる。
筆者は羞恥を味わいながら茶室に座っていた、という記事だった。

これを読んで思うに、実に酷い話ではないか。
人を招いておきながら客に飲み食いの仕方で独自の流儀や作法を守る事を要求し、
作法の出来不出来を指摘して恥をかかせ肩身の狭い思いを味わわせる。
それも湿った木造家屋の微生物の湧くような植物を編んだものの上で
来客に足の痺れる座り方をさせて流儀や作法を要求し、
抹茶はともかく暴力的に甘ったるい和菓子を差し出した上に調度品を褒める事までも期待する。
茶を点てる人は何の目的で客を招いたのだろう?
これが日本の伝統文化だと言われればそれまでだが、
気位だけは高く、品性卑しく心貧しいとしか言いようが無い。
しかしこれが茶の湯の流儀とされてているらしい。
客人の立場になってみれば、
足を痺れさせ舌に刺さり歯にしみるような甘い菓子を提供された上に
珍奇な作法を知らないというだけで屈辱を味わわされる、
二重三重の暴力を受けるも同然ではないか。
これが日本の伝統的な“おもてなし”か。

当時はまだ雑誌の連載記事だったが、
検索ではこの記事は『箸の上げ下ろし』という一冊の著作の中に収録されているらしい。
機会があったらいつか読んでみよう。

私自身は大叔母がまだ存命だった時、
事ある毎に茶の湯を習いに来いと勧められるのをとうとう大叔母が死ぬまで断り通した。
大叔母は茶道と華道と書道の師範であり短歌を書いて本を出していた。
私に茶道を勧める時に大叔母が必ず口にした言葉が
「恥をかかないように、今のうちに習得しておきなさい」
だった。
“恥をかかないために”という理由で何かを習得した事は未だかつて一度も無い。
おそらく今後も“恥をかかないために”という理由で何かを習得する事は無い。
習得する理由が“恥をかかないために”というのは、
何かを学び習得する動機としてこれ以上に卑しい動機は無いと思う。
抹茶の味自体は不味くないのに残念な事だ。

この古雑誌の記事を読んで筆者を自分に置き換えるなら、私はもっと不調法な客になる筈だ。
茶室で肩身狭い思いを味わいながら筆者は気を使ってお代わりを辞退するかどうか迷うが
私であればまず畳敷きの木造家屋という時点で足が痺れると言って辞退する。
抹茶は嫌いではないが2杯も飲んだら足が痺れて立てなくなるし、
そもそも茶の湯の作法など知らない、和菓子も甘過ぎる餡ものは苦手だと、
辞退の理由をはっきり口に出すであろう。
日本の伝統的礼儀作法を知らない不調法どころか原始人も同然。(笑

で、「恥」とは一体何だ?

・・・・・

知らない間に雨が降っていたらしい。
終日引き籠って熱量を消費しなかったので今夜も適当にゲル飲料飲んで寝る。
明日は多忙の予定。

久しぶり

2016-09-28 21:34:13 | 日常
昨夜早々に就寝しましたら寝起きで腰が痛くなった。
うううやっきりこいたのう。
おまけに覚醒したら足が攣っていた。

しばしストレッチをする。
寝起きは良いが、覚醒から活動開始まで時間がかかる。
毎朝の事だが固まった足腰と悪戦苦闘する。

さて、昼の弁当を作って朝食を済ませよう。
昨夜睡魔に負けて牛乳と変などろどろした飲み物だけで夕食を済ませたので
朝食はしっかり摂らないと。
遅番であるが昼ではなく朝にカレーを食べる。
昼の弁当はこれまた久しぶりに和食にする。
塩昆布、乾燥わかめ、白ごまを混ぜた麦飯をおにぎりにしておぼろ昆布で巻く。
昆布尽くしのおにぎりや。
おかずは鮭の切り身と、長葱としらす入りのだし巻き卵焼きと、焼きピーマン。
鮭の切り身が長いから細長い弁当容器に詰めた。


出勤。
太陽はここずっとこんな具合に照るでもなく隠れるでもなく中途半端で湿度高い。


雲も薄ぼんやりと伸びてすっきりしない。


特に早く行く必要はないが、
ちと整理したい事と作りたい文書があるので1時間早く行く。

・・・・・

昼休み。
さほどバタバタしている訳でもないが皆きりきりしながら働いている。
荒れの余韻はまだ続いている。
塩昆布乾燥わかめ白ごまの混ぜ麦飯おにぎりのおぼろ昆布巻きウマい。
卵焼きも久しぶりでウマい。

何だかここ数日色々なものを「久しぶり」と思う。
散歩したのも、海を見たのも、塩ラーメンを食べたのも、
古いレストランで外食したのも、珈琲豆を買ったのも、珈琲を淹れたのも、
おにぎりを作ったのも、卵焼きと鮭の切り身を焼いたのも、
全部久しぶりだ。
いずれも当たり前の日常だった筈ではないか。
一体自分は今まで何処に行っていたのだ。
自分の生活はそんなに非日常に埋もれているか?

空が怪しくなってきた。


さっきぱらっと雨粒が窓ガラスに当たったな。

・・・・・

仕事終わってバス待ち。
ううう寒い。。。
世の終わりが来るみたいな冷えようだ。
足の裏だけがじんじん熱く痛い。
歩き過ぎではあるが今のところ半月板のちぎれた膝は健在。
自然治癒。
下手に病院で穿刺したり注射治療せずにおいてよかった。
もう気にしないで歩くでも筋トレでも何でもやろう。

・・・・・

帰宅するにはしたが、眠くて何も出来ない。
ものを食べるどころでないほど眠いが
14:00の昼食から明日の朝まで何も摂食しないまま就寝するのはまずい。
とりあえず牛乳と、何だか変なスムージーちゅうゲル状の飲み物を
さっきスーパーでたまたま見つけて買って来たので飲んでから寝る。
スムージー1Pは160gで99kcal、牛乳180mlは120kcal、
もう寝るから熱量はそんなに要らないから晩飯はこれでいいや。
とにかく眠い。
今夜は携帯当番で、さっき帰る前に夜勤介護職員に
体調不良な人の血圧の再検報告を午前0時のおむつ交換の後にくれるよう頼んで来た。
目覚ましを耳元に置いてそれまで少し寝ておく。

寒くなった

2016-09-27 21:13:51 | 日常
4:30に起きた。
昨日一日散々歩いたが疲労は残っていない。
空はどんより重たい。

出勤。
濃霧で視界悪い。

・・・・・

早番の仕事を終えた。
何か物の怪みたいなどす黒い雲が立ち上がってこちらに向かって来る。

まだ荒れモードの余波が続いており皆きりきりしている。
ほんの15分、バスを待つ気がしない。
せめて外気を吸って閉塞感を解消しようとする。
それと、今日は不要なほんと映画DVDを幾らか持って来た。
帰りに古書店で買い取りに出す。
二束三文の小銭で何買おうかな。

歩いている間に太陽は隠れたがまだ日没してはいない。

徒歩でもあまり汗をかかなくなった。
いやむしろ寒い。

・・・・・

帰宅。
取り寄せた写真集に見入る。

『世にも美しい瞳 ハエトリグモ』須黒 達巳 ナツメ社
  http://www.natsume.co.jp/book/index.php?action=show&code=006087
 
何と愛らしいのだろう。
本当に、今まで叩き潰してきて御免。
もうしません。

今夜も冷える。
帰宅時手がかじかんでやっきりこいた。
夕食のアジフライを食べたら睡魔に脳みそを食われつつある。

ことことば、דׇּבְר、λόγος

2016-09-26 23:44:18 | 日常
今日一日休みであるが通院で一日取られてしまう予定。
日の出を見たのは久しぶりだ。



病院まで歩こうかと思ったが、気が変わってバスに乗った。
月曜だから外来が混んでいるかも知れないから。

・・・・・

ぅわあ月曜日だからって外来が老人達でごった返している。
足の踏み場もない。
これは午前中の診察は無理だな。
採血が済んだら外出して午後一で診察に入れて貰おう。

・・・・・

玄関ホールで本を読んで待機しているが受付の保険証確認さえまだ呼ばれない。
ずっと読んで来た『孕みと音』(押田茂人著 思草庵)、最終章まで読み進んだ。
これまで読んだ数冊の中で著者が繰り返しこだわって述べている「ことことば」が
何の事かやっとわかった。
学生時代のキリスト教学の講義や聖書研究会ではこのように習い、
そういうものだとして読んだ。
   Ἐν ἀρχῇ ἦν ὁ Λόγος,
   καὶ ὁ Λόγος ἦν πρὸς τὸν Θεόν,
   καὶ Θεὸς ἦν ὁ Λόγος.
                              1;1Κατά Ιωάννην Ευαγγέλιο
   初めに言(λόγος)があった。
   言は神と共にあった。
   言は神であった。
                              (ヨハネ1;1 新共同訳)


辞書を引き、言(λόγος;ロゴス)の訳語を探すと言語、論理、真理となっている。
言は神と共にあり言は神であった、とヨハネ福音書の冒頭を読んで、
神=λόγος、λόγος=言葉、神=言葉
という安直な受け止め方をして脱線していた事に気づかされた。
著者の言う通り、カリラヤの漁師だった福音書記者、使徒ヨハネの
冒頭で語る「言」はギリシャ語のλόγος(言語、論理、真理)ではなく
ヘブライ語のדׇּבְר(ダーバール;ことば=言、事件、出来事)であると言う事。
ヘブライ語דׇּבְרの訳語にギリシャ語λόγοςを当てたために、
言も言葉も言語も一緒くたになってしまったらしい。
דׇּבְרは意思疎通の手段である「言語」ではない。
言語はただの道具。
道具を絶対視し神格化すると語られるべきものが聞き手の心に浸透しない。
用語の言い回しや解釈にこだわり言葉尻をあげつらう議論に明け暮れた大昔の
大学教授のサロン兼聖書研究会で読んだ福音書がざるで水を掬う如く、
今に至って何も記憶に残っていないのはここに理由がある気がする。

  「はじめに、つまり、時間の最初に、という意味ではなく、
   根源的はじめ、父母未生以前に、דׇּבְר(ダーバール)がある。
   これは、神に向かい合っていて、かつ神自身である。
   すべての実在するものは、これによって起こった。
   それによらずして起こるものは一つもない」
  といい、
  このダーバールは、生命であり、人間にとっての光であるが、
  人間の闇(意識に執着する限りの闇)はこれに届かないといい、
  さらに、
  「実に、このダーバールは、肉となり、われらのうちに住みたもうた」
  と書いています。

  ・・・・・

  ギリシャ・ローマ的ことばのながめが独占的立場をもつとき、それはキリスト教を殺します。
  すべての宗教的生命を殺します。
  人間の原点に戸を閉じ、人間の根源的自由を殺します。
                         『孕みと音』(押田茂人著 思草庵)


何とすんなり入って来るのだろう。
聖書の中で一番抽象的で意味不明だったヨハネの冒頭が謎ではなくなった気がする。
これまで読んだ押田茂人師の著作の随所に暗号のように用いられる“ことことば”は
妙な表現だなと思っていたらこういう意味だったのか。

(2016.9.29追記;
 この記事を書くのに文字入力でちと難儀した。
 ギリシャ語の単語λόγοςは何とか。
 しかしヘブライ語の単語דׇּבְרは横書きでありながら
 文字列の進行方向が日本語の縦書きと同じなために入力しようとすると
 あらぬ所に文字が飛んでしまう。)

呼ばれた。

・・・・・

採血するまでに1時間かかった。
診察はやはり午後一のがよさそうだ。
歩こう。

ナナカマドだ。
今年塩害でやられて濁った汚い色の未熟な実しか見かけないと思ったら
赤いのが足元に落ちていた。


露草は強い。


腹減った。
まだ店は何処も開いてないな。

珈琲の店まで来た。
業務用サイズのカレー粉とレトルトのイカ墨パスタソースと、
珈琲豆ブルンジ・ブルンディを100g買った。
珈琲豆を買うのは久しぶりだ。
この夏ずっと湿度高くて遠出せず珈琲豆が湿気を嫌うので買い控えたのと、
脱水傾向にあったので利尿効果の強い珈琲と緑茶を自粛していた。

せっかく来たし、海を見て行こう。
崖まで来た。
海を見るのも久しぶりだ。



太陽が暈を被って巨大な妖怪の目玉になっている。

この木は子供の頃よく見かけた。
しかしこんな場所にあったっけ。


何と言う木かは知らない。
ピンク色の菱形の実をつける。

足元には朽ちたパリパリの葉が多い。


浜に下りた。

空が鈍い薄曇りで海の色も燻し銀。


テトラポットの向こう側で波が炸裂している。


オオセグロカモメの軍団。
整列して待機中。


間近で波打ち際を眺めるのも久しぶりだ。



もう一つの崖に来た。
脚足は然程疲れない。
膝も捩じらなければ大丈夫だ。



坂を下って地元では知る人ぞ知るウマいラーメン屋に来た。
ラーメンも随分久しぶりだ。
朝飯に塩ラーメン!!!(愚

むははははウマーい!

ウマかった。
もう一歩きしよう。
バス通りに出る途中、港の見える場所がある。



船が入って来た。


聖公会の赤い尖がり屋根。


随分歩いたな。
古い小さなレストランがある。
ここの土地に移転して来た頃によく行った店だ。
街も変わった。

昼食。
と言っても既に14:00を回っている。
ポークソテー。
飯と味噌汁は辞退した。
珈琲付き。
パイナップルの輪切りが乗っている事について賛否両論あるが
私は抵抗ない。


さて、歩いて病院に戻る。



ナナカマドがしょぼいと思って、見上げながら歩いて来たら
1本だけ赤々とたくさん実をつけたのがあった。

誰かが手入れしたのかな。

病院に到着。
今日は16000歩歩いている。
割と待たずに呼ばれた。
「カンキがよくありません」と主治医から警告を受けた。
酒は飲んでないんだけど。
飲み会にも全く行かない。
夜は飲む前に眠くてダメだ。
眠気のために夕食すら省略しているというのに。

ちょうどいい時刻にバスが来た。
薬店に行く。

調剤の待ち時間に洗剤その他買い物を済ませた。


路肩のコスモスがいじけて地面を這っている。


一度帰宅して、買ったものを整理してから散髪屋に行く。


・・・・

はー。
朝から一日中歩き通しだった。
歩数19118歩。

明日は早番にて4時起きや。

まもなく10年

2016-09-25 21:37:44 | 日常
夜間また雨が降っていたらしい。
爆睡して気づかなかった。


昨夜は帰宅直後から携帯に4回着信があった。
トドメの5回目の着信は午前3:03、
婆ちゃんの一人がトイレでこけたが現時点で怪我は無いが経過観察する、
という報告だった。
それから再び睡沈し5:50に私から職場に電話した。
早番の看護師に昨夜の経過報告と引き継ぎを済ませてから起きて昼の弁当を作った。
本日の昼食は鮭ワカメの混ぜご飯おにぎりおぼろ昆布巻きと焼きピーマンと
昨夜食いそびれたハンバーグとプチトマト。

本日日勤。
疲れを引き摺っているので昨夜仕込んだカレーで朝食。

今回豚バラを使ってみた。
今はもう無くなってしまった街の食堂の黄色いカレーが豚バラを使っていたのだった。
思い出してあの味を目指しても同じものには決してならないのだが。

雨は上がったがすっきりしない雲だ。

今日一日働いたら明日は休みだ。

・・・・・

日勤の仕事を終えた。
荒れ具合は昨日と同じくらいかな。
もう荒れるのが感覚的には普通みたいになってきた。
介護施設と言ってもまるで中途半端な急性期病棟みたいである。

日曜日で帰りのバスが来るのは40分後。
日没が早くなったけど歩いて帰る。
せわしなくバタバタ忙しい時もあるが、黙々と内服薬の仕分けをして忙しい時もある。
バタバタではただの肉体疲労で済むが黙々だと眼肩腰をやられる。
今日は午前中バタバタ、午後からは黙々と薬の仕分けをして腰が痛い。
腰痛は長時間歩くと案外解消し易い。
それで路面凍結までの期間は空き時間を見つけては歩く。
歩くと凝り固まった足腰や股関節の周囲の筋肉の動きが微調整されてかなり楽になる。

二度目の椎間板ヘルニアの手術から9年経過し、来春で10年になる。
三度めは無い。
もう切除するものも残っていないので骨と骨とが擦り合わさるような痛みはある。
患部の周囲の筋肉を強くしたいと思う。
介護施設で働く自分が介護される状態に陥るのは避けたい。
患部に負担をかけないために体重を落とす事は必至であるが、
先月タニタの体組成計購入以来欲が出た。
以来1ヶ月かけて徐々に体脂肪率を落としつつある。
数字は正直だ。
タニタの製品は体組成計以前にカロリズムを愛用している。
減食し筋トレして数字を見る毎日であるが、
体重が減っても筋肉量が落ちて体脂肪が増えるのでは無意味だと思い知らされ、
以前のように筋トレを再開したのだった。
以前のようにと言うのは、父がまだ存命でまだ重介護状態でなかった頃は
カロリズムを装着し摂取熱量と消費熱量のバランスを見ながら
熱量計算し減食しながら筋トレをしたり一日中歩き回って自己管理していたのが
父の在宅介護がADL低下につれて重くなり認知症が進んで不穏が続き
急変や怪我で入退院を繰り返すようになってからは自分の生活時間が無くなった。
父宅に泊まり込み見守りと介助をするようになると少しの空き時間のうちに
短時間でとりあえず手軽に食べられる握り飯のようなものばかり食べるようになった。
不穏で床を這い回る父から目を離すと転倒して救急搬送する事になるので
時間的にも場所的にも拘束され好きなように外を歩き回る時間を確保出来なくなった。
父の在宅介護から入退院、死去、死後の整理が終わるまでのほぼ5年間、
生活が完全に崩れた。
寝不足と運動不足で体重が増えないように減食しても結果的に逆効果、
体重減少は筋肉量の減少であり体脂肪率がむしろ上がる。
筋肉を増強しないと患部の負担が重くなる。
左膝を捩じって半月板断裂したためだましだましの生活をしていたが
ここ最近膝があまり痛まなくなってきたのでまた長距離歩くようになった。
気分転換にもなる。
帰宅後は筋トレもするが、スクワットをしてもやり過ぎなければ膝は痛まなくなった。
今は食事内容を記録して摂取熱量を計算し、カロリズムも含め運動消費熱量を計算し
朝晩体組成計に表示される数字を記録し睨んでからものを食べる。
記録した数字の動きを毎日見ている。
今のところ一日平均1400kcal食べて2400kcal消費している。
毎日の熱量収支は平均1000kcal前後を維持している。
三度目の手術をしないためである。

という訳で、早いけど寝る。
明日一日休みであるが通院と雑用で朝から一日出歩かなければならない。

着信あり

2016-09-24 23:08:10 | 日常
雨は上がっているが雲はすっきりしないへろへろのどす黒。
さて、本日遅番にて出勤。

・・・・・

昼休み。

空は薄日が差しているがすっきりしない。

・・・・・

はー。
仕事終わった。
熱発者と不穏の対応とで足止め食い、
土曜でもう帰りのバスが無いから20:30に帰りのタクシー呼んで
乗ろうとした瞬間、職場内から着信あり。
痰が詰まりかけて喉がゴロゴロ鳴っている人が出たため引き返して喀痰吸引し、
待たせた運転手に詫びながら帰宅し、玄関で靴を脱いだ瞬間に職場から着信あり。
報告受けて指示を出し、風呂に入ろうと服を脱いだ瞬間また職場から着信あり。
今さっき4回目の着信あり。
いずれも経過報告だった。

腹減った。
今朝、初めて買ってみた冷凍食品のラザニアが予想外にウマかった。
1箱に2個入りで、後日思い出したらもう1個食べるつもりだったのが、
晩飯も冷凍ラザニア食っちまった。
本当は自作したらきっともっとウマまいんだろうな。

平べったいラザニアが手近になかった学生時代の昔、
学友はスパゲッティで代用したものを作って得意料理としていた。
グラタンにしたスパゲティにミートソースをかけ、
その上からゴータチーズとパルメザンチーズを乗せてオーブントースターで焼いていた。
遊びに行って泊まった晩、夕食でご馳走してくれたのがウマかった。
何だか夢のように楽しかった学生時代の味覚。
マンガや小説や音楽の話を朝まで延々喋って酔っぱらったように楽しかった、
酒飲んでも飲まなくても酔っぱらって楽しかった時代の味。
あの時の学友は森川久美のマンガを好きだったな。
金井美恵子の小説『兎』を貸してくれて感想を求められた。
私がそれまであまり興味持たなかった画家の画集を見せてくれりもした。
ルドン、ビアズリー、エッシャー、ロセッティ、ミュシャなど、
当時私達の住んでいた街に来た絵画展の図録を片っ端から出して見せてくれた。
私は絵画展とか殆ど行かなかった。
ラザニアの熱量の高さは半端ないと思うがこの冷食の熱量表示を見ると一食285kcal。
この熱量なら筋トレ数セットで消費出来るが、熱量だけの問題ではなく
糖質が多過ぎるのが最大の問題。

今のうちに少し横になろう。
多分職場からの電話はまた鳴る。
呼び戻されて出向く事になるかも知れないので今のうちに寝ておこう。

酸味好き

2016-09-23 18:24:17 | 日常
早番にて4時起き。
予報では雨の筈だ。
こちらに来ないうちに急ぎ出勤する。

げっ
まだ降ってないかと思ったら既に土砂降りだった。

・・・・・

はー。
げんなりするほど荒れた。
何なんだ一体。
呪われているのか。

昼から雨が止んだので徒歩で帰宅。


湿度高いなぁ。
風が無くて空気が生臭いんだよ。
海の方から臭って来るのだ。


徒歩で帰宅するとついあちこち寄り道する事になる。
薬屋に立ち寄った。
今年は例年に比べて圧倒的に日照が少なかったので肝油ドロップを買って来た。

医薬品カワイ肝油ドロップC20。
成人15歳以上1回2粒、1日2回の服用の所を、数えもせず掌にこんもり乗せて、
一気に口の中へざあっと投入し頬張って味を堪能している。
うんまい。
一般の菓子類よりも断然うんまい。(愚

カレーを全部食べ切ったのでまた仕込む。
カレーの霊に憑りつかれつつある。

肝油ドロップ、1缶全部一気食いで完食してしまいそうだ。(危
今度はタケダのビタミンC剤「ハイシーL」を口に頬張る。
これも大好き。
唾液全開。
酸味中毒の傾向あり、特に柑橘系の酸味にはまり易い。
ポッカレモン100%とか生のレモン皮剥いて齧って食べるとか、
ビタミンC剤のハイシー-Lや菓子類では「男梅」のタブレットとか、
フリスクキャンディーのレモン味などをつい一気食いしてしまう。
ハイシー-L今でもお菓子のようにポリポリ食ってしまうが、実はかなり危険。
昔私の腹を切った外科医が言っていた。

「尿管結石になるぞ。
 痛いぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉー」

当時何か色々説明してくれたが、聞いた当時私はただの会社員であった。
腹は切ったが尿管結石ではなかった。
尿管結石で苦しんだのは当の話している外科医の先生だった。
それで他人事にしか聞いていなかったが、
その外科医によると真っ赤な鮮血と共に結石が尿道口から飛び出すまで
物凄い激痛で相当苦しんだと言っていた。
牛乳のがぶ飲み、ほうれん草の食い過ぎ、ビタミン剤やカルシウム剤の過剰摂取は
「俺のような目に遭うぞ」と当時患者だった私達にしつこく布教していた。
「ダイエットとか何とか言ってビタミン剤やサプリばかり食うのは危ないからやめちまえ」と。
摂り過ぎると過剰な成分が結石を作り易いらしい。
尿管結石は物凄く痛そうだ。
当時同室だった私の隣のベッドの人が一晩中泣きながら四転八倒し
ベッドから凄まじい勢いで転がり落ちたたのを見た事ある。
もっとも隣の人が尿管結石でベッド上を転げ回るのを横目に、
私は術場に搬送されて腹を魚のわた出しのように大きく切開したのだった。
当時私はただの会社員で医療的知識は全く無かった。
処方して貰った痛み止めの座薬をどっち向きに使うのかすら知らず、
看護師詰所にわざわざ座薬を持って行って

「すみません、この座薬の進行方向はどっちですか?」

と質問し、その場にいた看護師達を悶絶させた。
座薬なんぞ使った事なかったので見た事すら無いもの、知るか。
そして内心は

「術中眠ったらこいつらの手にかかって何されるかわからん」

と思っていたので術前オリエンテーションの時、麻酔医に

「眠らずに手術出来ませんか」

と要望したら

「OK、いいよー。
 手術中眠りたくない、そういう人もいるからね。」

と快諾、私は開腹中意識があった。
ただ術中色々質問して執刀医が迷惑だったのか、
途中で「ちょっと眠っててね」と言われ静脈ラインから何か流されて意識が無くなった。
目が醒めた時「ああ、自分は寝てたんだな」と思った。
もう手術は終わったのかと思ったらまだやっていた。

「すみません、麻酔が切れたんですが」

と言ってみたら執刀医が

「今縫ってるから、ちょっと待ちなさい」

と返事した。
今となっては笑い話であるが、それから15年も20年も経って自分が医療現場の、
それも術場で働く事になるとはまさか思ってもみなかった。
同じ仕事をして初めて理解した。
あの時の術場スタッフの人々に私はとんでもない迷惑をかけたと思う。
執刀医や直接介助の看護師達の集中力を挫くような事を散々した自覚がある。
無知と興味本位の恐ろしさ。

私が医療職になってから受けた椎間板ヘルニアの顕微鏡下切除術の時は、
整形の顕微鏡下手術をナマで見た事なかったため
勉強をしたいが自分の背中の手術は物理的に見る事が出来ないのでとお願いしたら
主治医の先生は快諾し動画を撮ってくれた。
自分の椎間板切除術の動画、今もまだ持っている。
かの先生は、患者の私が医療従事者だからというよりも、
インフォームドコンセントを大事にするお医者さんだったと思う。

そんな訳で、あちこち切ったり貼ったりしているので
自分自身の身体的メンテナンスには多少神経を使っているが暢気に歩けるのも今のうち。
間もなく冬が来て路面が凍結したら一歩踏み出すのも命懸け、歩くどころではなくなる。

雨は止んだ筈であるがどうもまだ降り足りないらしい。
今にも雷の来そうなどす黒い雲が頭上に圧し掛かって来た。


どおりで湿度高い訳だ。

あーあ天気も仕事も荒れ荒れ。

何とかお願いできないでしょうか

2016-09-22 22:38:33 | 日常
昨夜、職場からの呼び出しはなかった。
寒い。
一雨ごとに寒くなる。
明日は雨の予報、日に当たるのも今日一日。

今日は秋分の日か。
明日がどんどん日が短くなっていくのだ。
おはぎの中身の白い部分だけ食べたいなぁ。
自粛しているけど。

休日にて冷蔵庫内食材一掃処分。
普段食べない和定食で朝食。


9:53。
何やらやかましい街頭演説でケニー・ドーハムが掻き消された。
何かと思って聞いてみたら血液センターだ。
献血車が近所に来ているらしい。

「血液が大変不足しております。
 近くに献血車が来ております。
 ご協力をお願いします。」


危機的なほどの血液不足らしい。
協力したいけど薬剤たくさん飲んでて無理。(悲

・・・・・

先日発掘した4~5年前に賞味期限切れた各種「おかず辣油」は捨てよう。
しかし未開封のため瓶の蓋がきつくてなかなか開かない。

これらを買った当時の脳天気だった事を思い出すと気分が悪くなった。
購入した時はまだ父が存命で私が泊り込まねばならないほどの重介護ではなかった。
私は当時新発売された「おかず辣油」が気に入って具材を色々変え炒飯を何種類も作り、
昼の弁当にして職場に持参していた。
そのうち商品にも色々な種類が増えたので片っ端から試してみて
炒飯のバリエーションを増やそうと思っていた頃に、
母が転倒事故で大怪我し元の生活に戻れなくなった。
一から介護申請の手続きをし、自分は二交替の仕事を辞めてパート勤務に転職した。
母が1人で暮らせる部屋を探し、母方の親族の協力を得て転居作業に明け暮れた。
退院した母の生活が一段落した頃に
父がみるみる体調を崩し何度も救急搬送と入退院を繰り返した。
認知症が進んだ父は不穏が続き、突発的に嘔吐と誤嚥、転倒して肋骨骨折、TIA発作、
蜂窩織炎、緑内障発作、椅子から転落し頭部強打と前額部裂傷、血尿と血圧下降、誤嚥性肺炎と、
坂を転がるように怪我と病気を繰り返し、心身の機能が落ちて目が離せなくなった。
炒飯に使う筈だったこれら長期保存の瓶詰類はそれところではなくなったので
棚の奥に入れたまま何年も忘れていた。
私が自分の部屋に戻って来てまともに食事をしたのは一昨年父が死んだ後の事だ。
2009年から2014年まで、5年間自分自身の生活をしなかったために
目立って腐ったりしないものは収納したまま時間的に置き去りにして忘れていた。
自分の生活をしないというのは1日24時間のうち自分のために使う時間が100%無い事だ。
睡眠も、食事や入浴も、自分の生活の支えとなる収入を得るための仕事をする時間も
何一つ自分の時間ではなかった。
ほんの何分かの隙間時間のうちに自分の食事やトイレ、仮眠、入浴などを済ませないと
目を離した隙にとんでもない事態が起こった。
そんな空白の5年間を恨みがましく思い出す要因を今の生活環境から排除して来たが、
まだこんな所にも残っていたかと自分で呆れた。

腐っていなくても今は食べない。
体脂肪を落とそうとしているのに油を食ってどうする。(笑

・・・・・

13:30。
献血のPR車、まだ呼び込みしながら回っている。

「献血の出来る方、お時間のある方、
 何とかお願いできないでしょうか」


休みなので出かけようと思っていた。
晴れているが何やらすんごくのびのび声を出す女性歌手を
ようつべで見つけて聴き入ってしまって、だらだら動かずにいる。
しかしイヤホンで音量MAXで朝から聴き続けていたら耳が変になった。

ブルンジ・ブルンディ終わっちゃったな。
また買いに行こ。

14:38。
血液センターの車、まだ走り回っている。

「大変困っている状況です、
 何とかご協力をお願いします」


・・・・・

曇って来た。
日が暮れるのが早い。
あ、例年は秋分に橋の上から港に沈む夕日を撮っていたが今年は無し。
午後から曇って来たので太陽は見えない。

腹へった。
買い出しに行かねばならないが寒くて外に出たくない。
今夜は枝豆を少しつまんで寝よう。

・・・きっと明日にはまた別の荒れ荒れが発生しているかも知れない。
今から寝たら4:00まで5時間半くらいは眠れるかな。
明日こそは平穏でありますように。

崖に向かって走り続ける

2016-09-21 22:15:47 | 日常
明け方4:57に職場から着信あった。
生命がどうこうなる類ではなく不定愁訴と下肢痛の訴えで、
看護師に連絡しなければ本人が納得せず介護職員が手を焼いていると言うので
話を聞き、マッサージと温罨法するように伝えた。
間もなく早番が出勤して来る。

特に早く行く必要もないが本の続きを読むため1時間早いバスで出勤する。
40年前に出された本の、既にこの世を去った信仰者の書き遺した言葉が
2016年の今の時代を生きる自分の在り方を、柔和かつ丁寧に、容赦無く裁断する。
40年前に書かれたものとは思われない、今日現在の人間の心の在り方への警告。

  生活のない空間は、赤ん坊の時から始まっています。
  自分の母親の乳ではない乳をのみ、自分の母親の作らぬものを食べ、
  お金で買われる玩具で遊び、学校に通えば、規格品の教科書で、規格品の説明を聞き、
  規格化されて大学を出ると、規格化された社会コースに押し出され、
  機械的な仕事や交際をして、出世したり、下積みになったりして、
  やがて年をとって、養老院で死ぬと、どれも同じような焼き場の穴に入れられて、
  等級にしたがって灰になって、下手をすれば、ビルディングの片隅に番号札を付けられて、
  忘れられてしまうのです。
  ・・・・・
  急行列車は何者も制しえぬままに、崖に向かって現実に走り続けています。
  目標が何であるべきか、誰も知らないのです。
                             (押田茂人『孕みと音』思草庵)


生活のない空間。
確かに、予め出来上がった規格品ばかりで生きてきた。
無い所から自分で創造する事を時間の無駄と忌み嫌い
効率を上げる事だけを最優先する価値観の中で私も生きている。
つまらんのう。
だから何かを得ても達成感も充実感も無い、手に入れたものにすぐ飽きてゴミばかり出す。
自分は「生活」と言える生活をしているだろうか。

バスを降りると木が立っている。
半分を高濃度の塩を含んだ雨と風で焼かれ、
もう半分は日光を浴びて春のように息を吹き返し半死半生。
しかしもうすぐ本物の冬が来る。


・・・・・

はー。
間もなく15:00ではないか。
やっと昼休み。

何なんだ一体。
今日は昨日以上の地獄である。
この国には福祉なんて存在しない。
あっても妄想の産物に過ぎない。
荒れ荒れはともかく、
昼飯弁当は半熟目玉焼き丼と母から貰ったキュウリもみ。
半熟目玉焼き、潰してめんつゆを少しかけると黄身がとろけた。
目玉焼きの下には玉葱入り薩摩揚げと長葱を刻んで炒めたものが敷いてある。
一番下は麦飯。

ウマい。

あんまり息苦しいので外に出た。
売店へチョコを買いに行こうとして、足元に黄色い生き物がいた。

あんたの事、好きだったよ小学2年の時。

・・・・・

はーやっと仕事終わった。
毎日の事だが相変わらずへろへろだ。

帰りに母宅に安否確認の電話を入れると私よりも全然元気な様子だった。
しかし時々言いたい単語が出て来ない様子。
時々ホヤの酢ものを作ると分けてくれるが、今回は新たにレシピを考案し、
ホヤと軟白葱の酢味噌和えにしてみたので試食するようにと言って分けてくれた。

母はいつも生のホヤを買って来て下処理し自分で調理する。
今回はさっと熱湯をくぐらせて殺菌と歯応えを出す事に成功したと自信ありげだった。
ウマい。
さすがだ。

母はよく喋るが会話の途中で言いたい言葉を忘れたり、言い間違えたりしている。
徐々に機能低下が進んでいると思う。
それでも日常生活動作はちゃんと出来ている。
今の母の年齢の時の父が何もかも全介助だった事を思うと、
戦前の教育は一定年齢の男女の生活動作を比較すると大失敗だった事が判る。
自分でやって当然の自分の勤務をこなすだけで精一杯、
威張り腐るだけで身の回りの生活動作の一切を誰かに頼らねば茶碗の在り処も知らず
自分の履くパンツの在り処も分からなかった昭和日本男児であった80歳の時の父の、
戦前日本の腐れ伝統的価値観で教育された依存性と生命力の脆弱さを
私は今現在80歳の母親と比較して目に見る。
働き盛りの現役時代から人の手助けが無いと目の前の飯すら食えなかったのだから
世にこれ以上の弱者はない。
しかし何も出来ない分、介護する立場にとって父親は御し易い親であった。
食生活における栄養管理も生活時間の管理も服薬管理も、介護福祉事業の利用も
全て介護する側が管理運営し、昭和一桁の父は殿様のように乗るだけでよかった。
しかし母親はそうではない。
全ての生活動作を100%自分の思い通りに自分自身でやらないと気が済まない。
老化によって心身の機能が落ちて来た時に現実を認め受け入れる事の困難さが予想される。
女親は、男親よりも難しい。
何もかもが難しい。

・・・・・

あんまり寒いので帰宅後しばし湯に浸かっていた。
『旅の宿 濁り湯シリーズ』の白骨温泉の粉、これ好き。

遅番であったが今夜の携帯当番は私ではなく後輩が携帯を持つ。
もし手に余る急変事態が起こったら応援要請の連絡が来る予定。
その確率は低い気がする。

明日は1日休みだ。
本の続きを読み切ってしまおう。

カルワリオは…ありませんでした

2016-09-20 23:10:52 | 日常
台所の清掃、明け方までかかってしまった。
へとへとや。(愚

それでも4:00から7:00まで眠った。
10:00からの勤務であるが2日間休みだったので1時間早いバスで行こう。
2日間分の経過記録を読まないと。

・・・・・

くそっ1時間早いバスを逃した。

自宅に引き返すのは癪に障るので定時のバスに乗る。
20分待ち時間あり。
バス停で本を読む。

日常業務の卑しい喧騒に明け暮れてなかなか読み終わらない、
押田茂人『孕みと音』、残りあと少し。
バス内で読み進んで突然固まった。

著者押田茂人がエルサレムに行った時の記述。

  カルワリオと、イエズスの復活した墓のあと
   ―墓は、回教徒にこなごなに壊されてあとかたもありません―
  とを一つに抱き込んでいる大伽藍の戸口で、
  ある日、一人のインド人の娘が泣いていました。
  「どうしたのか」ときくと、彼女は泣きじゃくりながら答えました。
  「私は…カルワリオを…拝みに来たんです。
   …カルワリオは…丘だと…思っていたのに…
   …カルワリオは…ありませんでした。
   …私は…すべてを犠牲にして、ここにきました。
   だけど…カルワリオは…カルワリオは…ありませんでした…」
                             (押田茂人『孕みと音』思草庵)


出勤途中の車内で固まった。
この人はその後どうしただろう。
どのようにして、その後の生涯を過ごしたのだろう。
著者はエルサレムで「きわめて大事な事を学んだ」と述べている。

バスを降りて職場まで歩く。
泣いていた人はどうしただろうか。
故郷に帰る事は出来たのだろうか、どのようにして。
どのようにその後の日々を生きただろう。
この本の発行が昭和51年、1976年か。
しかし書かれたのはそれ以前の事で、
著者がエルサレムで泣いている女性と出会ったのはもっとずっと前の事だ。


40年前に発行された本の中に書き留められた、泣いていた人が気になる。

・・・・・

14:50。
また昼休みに入れない。
病人が出て職場と病院とを行ったり来たりしている。

今日は出勤するなり荒れ荒れのどつぼだった。
連休明けだからか?

・・・・・

昼休み、終わった。
何時だ今。
もう日が暮れるではないか。


・・・・・

仕事終わった。
ひっでえ一日だったなぁ。
へろへろや。
連休明けだからってもう。
眼がショボくてダメだ。(眠

今夜は職場に呼び戻される可能性高い。
明日は二連続でもう1日遅番である。

・・・・・

昨夜から未明まで台所の清掃と食材庫をして発掘した「おかず辣油」の瓶詰、
2011年2月~2012年10月に期限の切れている。
いずれも未開封だが、これらは食べられるだろうか???
油なので酸化していたら多分嘔吐する。
しかし以前冷蔵庫で1年過ぎた教会の復活祭の茹で卵を食べてみてだいじょぶだった。
食べてみないと何とも言えないかもな。
あの1年経った茹で卵は奇跡と言うか謎だった。
何で腐っていなかったのか謎。
2011年に期限切れた「おがず辣油」は辛いから腐らないのではと思うが、
腐らなくても酸化した油は危ないかもなぁ。

眠くてだめだ。
多分職場から呼び戻されそうだから今のうちに少し寝ておこう。

発掘

2016-09-19 23:59:12 | 日常
昨夜早々に就寝し、
丑三つ時にイヤホンで音楽を聴くうちに朝まで睡沈していた。
起きたら寒くて縮み上がった。
暖房全開。

ニ連休二日目は終日掃除の日とする。
換気のため窓とベランダを開放し、掃除機をかけた。
たまに生活環境を整備しないと。


寒いので暖房入れて掃除中。
筋トレを兼ねて汚部屋磨きに取り組んでいる。

・・・・・

今、床磨き終わった。
汗だくになった。
しかしまだ燃焼が足りない。
これから台所を磨く。
底なし沼であるよ。
今日はとにかく台所を何とかしなければならない。

・・・・・

掃除の合間に、久しぶりに葱納豆ご飯を食べた。
簡単手軽。
しかし超絶胃もたれ。

ちと買い出しに行ってくる。
よく晴れている。
散歩に行きたいほどの晴天であるが清掃優先のため自粛。



帰宅。
早生蜜柑を買って来た。

ええ香りやー♪
蜜柑を食べるのは皮が濃緑色の今時期だけ。
緑色でなくなると香りは消失し酸味が抜けてべとべと甘ったるくなる。

・・・・・

台所の食材庫を掃除して、期限切れの瓶詰が未開封で発掘された。
賞味期限2011~2年のおかず辣油だ。
どうすっかなこれ。

明日考えよ。
汗だくのへとへと。
明日は遅番出勤だ。

休日はいつも雨

2016-09-18 20:26:43 | 日常
朝の日の出が遅くなった。


寒くてやっきりこくなぁ。
起きたらまず暖房のスイッチ入れる生活だもの。

室温を上げるよりも自分の体を内側から温める。
激辛唐辛子カレー+ゴータチーズ+半熟目玉焼き。

食後に熱い珈琲を淹れる。
ブルンジ・ブルンディウマい。
ミルで挽いて立ち昇る香りに平穏な生活の有り難さを感ずる。

朝食にもう80kcalくらい何か食べよう。

あ、そうだ。
昨夜スーパーで見つけたタニタの「おいしい低糖質プリン」。
どうよ。

食べてみたけどちと甘過ぎる。
カラメルソースを底に沈殿させずプリン本体に全量混ぜてしまっている。
プリンの甘さをもっと抑制しカラメルソースをもっと煮詰めた方が好みだ。
苦味効かせたカラメルソースを容器の底に沈殿させてほしかったなぁ。

・・・・・

珈琲を嗅ぎながらケニー・ドーハムを聴き、Twitterのお仲間達との対話を読む。
Twitterによって自分の価値観を変えられた事が一つある。
蛾、ハエトリグモ、毛虫などの虫類を私はこれまで根拠なく忌み嫌っていた。
身近で彼らを見つけると私は反射的に叩き殺すか、
そこらじゅうべとべとになるまでキンチョールを大量噴霧し殺害してきた。
しかし彼らをこよなく慈しむ方々がTLに上げた写真画像を見るうちに
ものの見方が変えられて彼らをかわいいと思うようになった。
これは虫愛でる皆様の愛の力であろう。
私はこれまで網を張るオニグモの匠の技ばかりに注目し
ハエトリグモの可愛らしさを気に留めて来なかった。
見つける毎に叩っ殺してきた己の野蛮を反省する。
今まで叩き殺してきたハエトリグモの皆さん、ごめんなさい。
悔い改めます。
もう金輪際叩きませぬ。
ちょろちょろ床を動き回るものがあると
つい反射的に叩き殺す自分の獰猛な衝動が呪わしい。
いつかデジカメと立派なレンズを購入して愛らしい顔を至近距離で拡大撮影しよう。
この日記ブログに愛くるしい画像を上げたいものだ。

そんな訳で、今月の給料入ったらこの本買う!
可愛いんだよすんごく可愛い♪

『世にも美しい瞳 ハエトリグモ』須黒 達巳 ナツメ社
  http://www.natsume.co.jp/book/index.php?action=show&code=006087
 

ところで昨日、職場の介護職のおにっちゃん達と私は口論になった。
私はそこらを動き回らず精巧な芸術作品の大網を張るオニグモを常々愛でているが、
若いおにっちゃん達は誰も彼も虫類が大の苦手だそうで、きゃあきゃあ騒いで
ド僻地にある職場の窓にせっかく立派な補虫網を張って番をしているオニグモさんを
事もあろうにおにっちゃん達ときたらキンチョールで殺害しようとしするので
私が力ずくで制止したのだった。
まだ若い鬼蜘蛛さんで、うちの自宅付近にいる個体と異なり綺麗な姿かたちをしていた。
何とか迫害を免れてよかった。
冬が来るまであと少しの短い期間に獲物をたくさん捕獲してほしいものだ。

・・・・・

ずっと放置して聴いていなかった落語CDを聴きながらぼさっと一日過ごしている。
日の入りが早くなった。
と言っても太陽は朝から雲隠れで雨雲どんより、雨降りで室内は暗く空気が重たい。

気が付いたら去年の水風船が萎んで落ちていた。


去年の今頃まだ私は求職中だった。
今の職場に正式採用される前に看護協会の紹介で2日間だけバイトをした。
某放送局のイベントの2日間、
怪我人や急病人が出た時の救護班として待機するものだった。
イベントはちょっとしたお祭りのようなもので子供連れの家族が楽しめるように
テントを張って縁日っぽい事をしていた。
2日間何事もなくイベントは終わったが、
初日にちらと覗いたテントでは「ヨーヨー釣り」を無料でやっていた。
釣り上げた水風船をただで貰い、綿飴も無料で貰って
やたら嬉しく幸せな気分になった。
その時の水風船だ。→

何となく捨て難く部屋に吊るしたまんまにしていた。
来月で1年経とうとしている。
辛い事を憶えているのは簡単だが嬉しい事を忘れずにいる事は難しい。
それで何となく捨て難かった。
明日には萎びて破裂し無くなるだろうと思っていたのが今頃になって落ちた。
完全に干上がって縮んだ1年後の今、書き留めて備忘。

今年はお祭りに縁無かったな。
水風船にも綿飴にも与らなかった。
天候悪過ぎた事もある。
小学生の頃、祭りと言えば露店のヨーヨーと呼ばれる水風船と
綿飴と金魚すくいが楽しみだった。
あの何の役にも立たない他愛ないものが大好きだった。

・・・・・

筋トレをしている。
ちょっとした加減だが左肩甲骨付近の小骨と小骨の間に不具合があって気になる。
どうにかコキッとかピキッとか鳴らしてすっきりしたい。
かれこれ2時間半もストレッチとか筋トレとかダンベルとか色々やっているが
なかなか目的の小骨と小骨の不具合を整復するには至らず、
ただ筋肉が無闇に増強するのみ。

ぅがぁ気分悪いこの左肩甲骨!(疼

週末の危機

2016-09-17 21:02:24 | 日常
今日も日勤だ。

雨が降りそうな重たい空であるが1時間以上早く自宅を出て徒歩で出勤する。
ここ数日の体調不良の原因が内臓ではなく筋骨格系にある気がしてならないので
敢えて交通機関を使わずに、体調管理のため徒歩で1時間かけてみる。

傘を持参したが、道の途中何も降らなかった。
週日は登校する小学生が前を見ずぶつかって来るので警戒するが
子供が出て来ない。
そういえば今日は土曜日か。
今の時代、小学校は土曜日休みなのか?
関わりないのでよく知らない。
すいすい歩き易いのは有り難い。

・・・・・

土日祝日は人員配置が人手薄のため荒れなくても通常業務が普段より忙しい。
黙々と業務をこなして昼休みになった。
朝は食欲がなかなか起動せず胚芽クラッカーと牛乳だけを流し込んで来たので
朝カレーを昼食に持って来た。
ひと働きした後ならちゃんと食べられる。
胃腸が鈍らになっているのだ。
やはり低温時期になるとこのような不調になる。

午前中には一時太陽が現れてくっきりと丸い暈を被ってぼけていたのが
今は殆ど雲に光を遮られている。


風が冷たく、横殴りである。
足元の草が風で撫で付けられている。

これから台風16が来て当地はまたその影響で大雨が降るのかな。

・・・・・

やれやれ。
やっと仕事終えた。
午後からとんでもない荒れ荒れになった。
前に勤務した特養でも思ったが、
何故こうして週末になると急病人が出るのだろう。
自分の父親もそうだったが医療機関が休診に入る週末になるとどうして
高齢者達は週末を狙ったように吐いたり発熱したり転んだり
食事や薬を受け付けなくなったり不穏になったりするのか。
どの医療機関も高齢者の飛び込み受診に対して受け入れはよくない。
電話で受診の交渉をしても「様子見て下さい」「他の医療機関に行って下さい」と
断られる事は実際多い。
医療機関も人手薄なのだ。
多少の発熱くらいでは様子見てと言われるのが当たり前になっており、
症状を経過観察して酸素飽和度が90%以下で全然上がって来ないとか意識消失とか、
何かはっきりした危機的症状が肉眼的に表れてからでないと
行った先の救急外来で「何で来たの?」と邪険にされた事は数知れない。
実際自分の父親の存命中にも救急車で行った先の医療機関のERでカーテン越しに当直医から
「何だこれは。何でこんなのが来るんだ」と
邪険に吐き捨てるような対応をされて随分腹を立て恨みに思ったものだ。
父の死後2年以上の時間が経過してみて、
あの時よりもさらに状況が劣悪化しているのを痛感する。
この現実に腹を立てても何もならない事は承知している。
今日は幸いにも問い合わせして受診の依頼をしたら一軒目で断られ
別の医療機関で何とか当直医に見て貰う事が出来た。
助かった。
ありがたや。

忙しく動き回ってへとへとの時には何ともないのに、
動きの少ない今日は何故か腰が痛くなった。
救急外来で3時間ほどじっと待機していたためか。
早々に帰ろうとしたが
仕事が終わってもド僻地なので土日祝祭日は40分後でないとバスが来ない。
そんなバスなんか待たずに徒歩で帰宅した。
今日は行きも帰りも1時間ずつ歩いた。
お陰で痛みが取れて足腰が楽になった。

帰宅。
歩いて腰痛は軽減したものの脳みそがへろへろにくたびれた。
早々に休もう。
あんまり疲れたから明日は教会行きをさぼろうと思う。

私は何でここにいるのだ

2016-09-16 23:34:50 | 日常
地震だった。
妙に生々しい横揺れで震度5強から6くらい、
身近なものがガタガタと音を発てて横滑りするので
本棚や家電が倒れないか危惧していた。
家具を押さえるよりも避難した方がいい、と感じた。
咄嗟に、何故かわからないが大昔に住んでいた札幌の古いアパートの、
かつて自分が住んでいた部屋に入って揺れが収まるのを待った。
この一室は今現在既に別の誰かが住んでいるのだと思った時、
壁に取り付けてある電話が鳴った。
何か公共料金の請求電話だ。
その部屋の現在の住人は男性で何かの料金を滞納しているらしい。
電話の向こうのおっさんは執拗に「在宅なのはわかったからこれから行く」と言う。
いや来られても私はこの部屋の滞納者ではないし、
住人でない私が支払う謂れは無いと言うと、
電話の相手は突っ込んで来た。

「ではあなたは誰ですか?何でそこにいるんですか?」

???

そうだ。
私は何でここにいるのだ?

目が醒めた。
3:16。
知らんうちに爆睡していた。
照明を消すのも忘れてうっかり寝入って睡眠が浅かったのか夢を見ていた。
職場からの呼び出し電話は今のところないのでもう一度寝る。

・・・・・

再び覚醒したら7:00。
本日は日勤、完全に寝坊である。
寝起き悪いなぁ。
ぎりぎりの出勤となってしまった。

・・・・・

昼休み。
腹が立ってくるほどに忙しい。
実際にひどい荒れ荒れでもないが休日が教会や所用で潰れる事が続き、
日常の業務の他に勉強会の講師役なんかが回って来たりする上に
やった事のない業務を割り当てられて新らたに追加して憶えなければならないとか、
回転する日常の動きの一つ一つをトリアージし優先順位をつけながら
脳みそが付いて行けてない苛立ちがある。
自分自身以外の誰にも向けようのない苛立ちである。

朝は天気よかったのが昼食の卵とじ丼を食べている間に雲が伸びて来た。

卵とじ丼はウマかったが、和食はやはり糖度が高い気がする。
食後にぼたもちを餡も除けずに3個くらい食ってしまったような
不快感と後悔が口の中に残る。
甘辛い味の和食は紛れもないジャンクフードである。
食べている最中はウマくても心身の健康には甚だよろしくない、
私にとって和食は毒物のようなものだ。

・・・・・

引継ぎを済ませて業務を抜ける。
慌ただしく勉強会の準備をして会場に向かう時、窓の外が急変していた。

げー。
叩かれたら痛いほどの雨だ。
地面の水溜りが波打っているではないか。
この物凄い雨の中、私は今日帰宅出来るのか?

・・・・・

仕事、何とか終えた。
バスに乗った時には叩き付けていた大雨が、降りた時には小降りに転じていた。
傘無しでも大丈夫だ。
ナトリウム灯で潮焼けした樹木が照らされている。


・・・・・

帰宅後気絶していた。
寒い。
ここ数日の体調不良は気温が下がったからであろう。
何処がどう悪い訳でもなく、
気温と湿度が上がって皆がへたれても自分だけ平気だったのが
涼しくなった途端に毎年の事ながら体調不良になる。
自覚している以上に低温に弱いかも知れない。
しかしこんな事ではこれからの冬に生き延びられないので
いや別に生き延びなくてもいいんだけど寒いのは嫌いだから体内から温めるため
朝から激辛カレー、出勤は路面が凍るまでは徒歩、帰宅後は筋トレ、
就寝前は入浴と温めた牛乳とキヨーレオピンを欠かさないようにしている。
真冬の厳寒期に入ってしまうとむしろ体調が安定するのでそれまでの辛抱だ。
じりじり焼け付く灼熱の夏とばりばりフリーズドライな厳寒の真冬を快適と感じるのは
中途半端に冷えたり生暖かかったりして冷気と湿気が衣類を通すからだと思う。

あ。
床にイモム氏。
何処に行くつもりだ。

何処から侵入して来たのだ。
窓やベランダではなく、先日から活けてある鬼灯と竜胆とススキのうちの
どれかにくっ付いていたのだろう。
何の挨拶も無く私の視界をのんびり横切ろうとする。
足で行く手を遮り床をドンと踏み鳴らすと緊張したのかぴたりと固まった。
再度ドンと踏み鳴らすと頼みもしないのにぐるりと捻じ曲がって丸まった。
あれ。
動かなくなったぞ。
面白くないから不要なチラシ紙で捕獲し、窓の外に放り投げた。
窓の下には草が生えている。
寒いけどな。

・・・・・

先日映画『早過ぎた埋葬』をようつべで見たら、
幼少時に見た他の恐怖映画も探したくなった。
しかし何せ就学前に見た幼児期の記憶を辿って探すものだから
当の映画の題名も何もわからない。
憶えているのは映画の一番最後のおどろおどろしい映像である。
主人公の男と恋仲だったヒロインの顔面がどろどろと茶色く融け出す。
愛を告白し接吻を要求する美しい女がみるみる融けて崩壊、液状化する。
最後にはドレスを着た髑髏が残る。
途中の物語はよく憶えていない。
ゾンビや幽霊や血を吸う典型的な妖怪ではなく
大昔に死んだ女性が近代に甦った設定ではなかったか。
何百年も昔の女が甦って実年齢をひた隠しにして主人公と恋仲になるのだったかな。
主人公は恋仲になった相手の辻褄合わない言動と周囲に起こる怪現象に不審を抱き、
映画の中でいろいろ調べて奔走し、最後のシーンには古い墓所に到達する。
謎が解かれた瞬間恋人が融け始める。
主人公に愛の言葉を囁きながら美女の顔がぼろぼろと崩れ始める。
そこから映画の最後の監督や製作スタッフ、キャストなどの名前が
どろどろと加速して液状化する女の顔を背景にエンディングの字幕として画面を上下に通過する。
最後の文字が画面中央で止まった時、融けた女は完全な骸骨になった。
その映画を見たのは昭和40年代前半だった。
時代考証や衣装は『早過ぎた埋葬』の時代と同じような時代のもので、
私が見たのは「ローズマリーの赤ちゃん」より少なくとも5、6年以上は前であり、
「エクソシスト」の映画封切よりも10年は前にテレビの洋画劇場の再放送で見た。
細部まで憶えているようでも記憶が断片的過ぎて検索の手掛かりが乏しく探し出せない。
本当はどんな映画だったのか今一度見てみたいものだ。