ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

対比の構図

2011-03-29 23:10:38 | 日常
教会の子供達に、じじがおやつを渡す。
大きな袋入りのお買い得チョコ。
「皆で仲良く公平に分けて食べなさい」と言うと、
子供達は皆で人数を数えて分配し、余ったチョコは
その場に居合わせた大人にも分けてくれると言って走り寄って来る。
小さい子供達であるが、小さければ小さいなりに、
チョコを貰えていない人がいないかどうか気にして大人達を見回している。


一つのものを、皆で
誰一人当たらない者の無いように公平に分かち合う事を
子供達は出来るようになった。
最近、自分達だけでなく他の大人達にも分ける事を自発的にするようになった。
ささやかな、微笑ましい分かち合いの光景。


この“分かち合い”はこれから生きて行く上で重要だと感じる。
“分かち合い”を日常で実践出来るかどうかで、
大災害のような限界状況に追い詰められても
皆で知恵と力を持ち寄ってある物を分かち合いお互いを思いやりながら
確実に生き延びていけるかどうか左右されるに違いない。


昨日読んだ、
被災地で医療支援に従事した看護師の方のブログの中の一文が気になった。


  『…炊き出しの時間も現地の人優先だったので
   見てるとお腹がすきそうだから救急車の中にいると
   いつもお裾分けに来てくれた自分の母親くらいの年齢の方がいた。
   「○○チャンに倒れられたらそれこそ大変だから」
   と私の名前を覚えてくれていつも届けてくれた。
   自分の明日の食事も見通しがつなかい状況なのに
   申し訳ないのと感謝の気持ちでいっぱいで
   いつも母のことを思い出していた。

   そんなときラジオから
   都内で物資を取り合いしているニュースが流れていて
   震災の被災地が東京だったら絶対復興はしないだろうなと
   ぼんやり考えていた…』
           (ブログ『JKTS』2011-3-23 16:48:23 11.スマイルより)


読んでなるほどと思った。


大地震と大津波の後、
被災地では電気も水も燃料も無い避難所で身を寄せ合い、
人数分に足りないおにぎりの一個を数人で分け合って救援を待っていた。
その同じ時、被災しなかった地域のスーパーマーケットでは
米、飲料水、トイレットペーパー、
乾電池などの買い占め買い溜めに走る人々が殺到し、
商品棚から商品が消え、商品の補充が間に合わず、
一つの商品を二人の主婦が争って掴み合いする光景が繰り広げられ
日常的な目撃情報として話題になった。
(実際、私の住む田舎でも大型店の食品売り場から一時的に米が消えた。)


こんな奪い合いの状況にもし災害が襲って来たら
生存競争が起こって生き残る人は無く、復興も望めない。
米や水なんか奪い合ってどうする。
地震や津波の時に持って逃げるのか?
重いんだよ米も水も。
賞味期限とか品質保持期限というものだってあるし。


分かち合いが出来るかどうかに、私達人間の存亡がかかっていると思う。
何だか、『聖☆おにいさん』という
マンガの一コマに出ていた極楽と地獄の対比みたいである。
仏教の詳しい話は皆目分からないが、
次のような話のような話を聞いた事がある。


あの世ではスプーンの柄が物凄く長いので食べ難い。


極楽では柄の長いスプーンを使ってまず他の人に食べさせてやる。
すると他の人々も同じように自分よりも先に誰かの口に食べ物を入れ、
互いに食べさせ合うので、誰もが常に満腹している。


地獄では誰もが我先にと他者を押し退けてスプーンで食べ物をすくうが
柄が長過ぎて自分の口に入れる事は出来ず、誰もが常に空腹である。


私達の主イエスも、
持っている者は持っていない者に分け与えよと言われた。
救援の行き届かない被災地で一個のおにぎりを数人で分け合う人々と
被災もしていない地域の店で一個の商品を数人で奪い合う人々。
図式的に当てはまり過ぎではないか。
何と分かり易い極楽と地獄の対比。

被災地

2011-03-28 23:48:31 | 日常
夕食食べながら携帯でツイッター見て、
某怪人様のリツイートされたブログを読んで泣いた。
私もリツイートしたが、自分のブログにもブクマした。

http://blog.goo.ne.jp/flower-wing

救援のため陸前高田市に行った看護師の現地での日記ブログ。
無数の赤い旗が辛い。
この看護師のブログを読むと、あの3/11を境に
「赤い旗」の持つイメージが違うものに塗り替えられた気がする。
「赤い旗」といえば某政治団体の機関紙の名前を連想したが、
今は「赤い旗」と聞くと瓦礫の中の「遺体が見つかった場所」
を連想する。


先日のmixiのお仲間による福島県民からの悲痛な呼びかけも、
自分のブログに記事更新した。

http://blog.goo.ne.jp/t-i801025/e/cac24d4e77d24381f17aa8b8824d3452


陸前高田で救援活動した人のブログと、
福島県民であるmixiのお仲間の呼びかけには共通点がある。


「復興したら(陸前高田に)旅行においで」
「福島に旅行に来てください」


今が無理でも、復興してからでもいいから来て、この地を見て下さい、
産物を買って下さい、それが長期的に復興を支えるのだと。

2011-03-27 23:59:11 | 信仰
3月11日の大地震、大津波から16日目。
未だ被害の全容が知れない程の大災害で被災された方々のために、
教会でも、あちこちのSNSでも、キリスト者同士呼びかけて祈っている。


3月17日の記事で紹介させて頂いた、
或るカトリック司祭からの祈りの呼び掛けの9日間はあっという間に過ぎた。
しかし祈りはこれからも続ける。


 主が被災の苦しみを担って下さる事を確信し、
 兄弟姉妹の心に合わせて祈ります。


 今もまだ誰からも発見されず瓦礫の下で助けを求め待っている人々、
 救援の届かない避難所で辛い生活をする人々、
 家族の消息を求めて瓦礫の中を、遺体安置所を、徒歩で探し歩く人々、
 不眠不休で救援活動に従事し続ける人々、
 原発事故の被害を食い止めるために体を張って闘う人々、
 風評被害で生活の糧を絶たれた人々、
 被災地の家族の安否情報の届かない離れた所で心を引き裂かれる人々、
 被災に遭われたお一人お一人の苦しみを癒して下さい。
 

 この大災害で生命を奪われた、
 数知れないほど大勢の犠牲者お一人お一人の魂を
 御手に抱き取って、天国にお迎え下さい。
 永遠の安息に犠牲者のお一人お一人をお迎え下さい。
 

 原発事故の被害がこれ以上拡大しませんように。
 周辺地域の人々の健康が守られ、
 地域が生活の場として甦りますように。


 主なる神、憐れんで下さい。




避難所にいる人々や福島の人々の今置かれた現状を知る限り、
祈らずにはいられない。


海外から見ると考えられないくらいの物凄い速さで
現地は復興の道を進んでいるかも知れないが
被災された方々にとっては
地獄のように長い苦しみの日々であろうと思われる。


今日礼拝の時、
牧師先生が福島の原発事故による放射能漏れで
現地の或るプロテスタントの教会が根こそぎ別の地域に
避難しなければならなくなった事を紹介し、祈りの課題に挙げた。
きっと同じような事情の教会が他にも、各地にあるに違いない。
私達の知らない所で、
災害のために教会が一度根を下ろした場所にいられない現実がある。


祈ります。
この試練は決して失望に終わらない。
主が共にいらして教会員一人一人の信仰を強め、導いて下さる。
今、住み慣れた土地を出て行き場の無い教会が
この試練を乗り越える事が出来、数え切れないほど多くの収穫を
主なる神から受けますように。
確信をもって。
アーメン。

火事じゃないよ。

2011-03-26 16:14:00 | 散歩
雪であるよ。


一昨日の夜、
仕事帰りの頃から雪が降り始め、
じじ宅に行く時はだんだん降りがひどくなった。
近所の大きな道路の中央分離帯に植えられた街路樹が
枝の先々まで雪で白くコーティングされ、
ナトリウム灯の橙色の光に眩しく照らされて良い眺めだった。
(他にも撮ったが写真ブログ『ぱんくず散歩録』に収録。)


携帯で撮るうちに、
真上の枝を撮ろうとしたらこんな具合になった。


火の粉が舞っているように見えるが、雪。

被災地福島からのお願い

2011-03-26 14:17:00 | 日常
mixiのお仲間の所から転載。
切実な訴えです。


以下本文。


1.福島県民に対する差別をしないでください。
  福島県民全員が被曝したわけではありません。
  仮に被曝していてもきちんとスクリーニング検査を受けていますし、
  一生放射線を体から出して生きてくわけじゃありません。
  きちんと対処しています。(除染等)。
  それをきちんとわかってください。
  福島県出身者を見かけたら、暖かく迎えてください。


2.福島県産の特産物を買って下さい。
  今は無理に買わなくてもいいです。
  福島県民の私だって、
  県産特産物に放射能が含まれてるんじゃないかと不安です。
  だから、他県の人が不安になるのは当然だと思います。
  ただ、半年も経てば状況はだいぶ落ち着きます。
  市場に出回るということは安全だということです。
  そうなったら福島県産の物を買ってください。
  福島県産の特産物を購入してもらうことが、
  福島県を助ける一番の方法です。
  福島県の農家、酪農家を助けてください。
  福島県は果物も野菜も海産物もとてもおいしいです。
  福島牛というブランドもあります。
  ぜひ購入をお願いします。


3.そして、できれば福島に旅行に来てください。
  今回の被害を実際に見ていただきたいのと、
  福島県の復興を助けてほしいからです。
  よろしくお願いします。

  被災地を長期的に支援していただくためには、まずは
  福島県産の物を買ってもらうことが一番です。
  よろしくお願いします。
  このお願いは、できればみなさんの日記に転記&拡散願います。
  この2つが地震、津波、原発での被害を受けた福島県を風評から守り、
  支援することになります。




応援しますよ。
ほうれん草も牛乳も、もったいない。
北海道にだって原発はあります。
いつ同じ境遇になっても不思議は無い、他人事ではありません。
どうか、くじけないで下さい。 (井上)

子連れ

2011-03-22 12:11:23 | 日常
診察待ち中。


ロビーは子連れ達でごった返している。
私の前の椅子に座った毛染めの落ちかけた女が携帯片手に
二人の子供のうち年長らしい一人を叱って、
というよりむしろ罵倒し始めた。

「黙って座ってろってんだわかってんのかこら。
迷惑なんだよてめえみたいなのは。
***(年下の子供の名前)に構うなってんだろうが。
こいつがまた熱出したらどうしてくれんだよ、
 お前が家で面倒見るのかこら。
家帰ったらヤキ入れっからなおぼえとけよこのやろう。」


罵倒されてる年上の子供の顔、
無表情で青白く、腫れぼったく見えるが
右の眼瞼が腫脹+青痣の痕跡あり。
飲みかけの茶と缶ココアを置きっぱなしで親子三人消えた。
診察の順番が待てず何処かに時間潰しに行ったらしい。

軍隊アリ

2011-03-19 23:52:00 | 日常
この人の言っている事はまさにその通りだと思う。(拍手)


「もう一度冷静になれよ!」2011-03-18 19:50:57
http://ameblo.jp/ramos-ruy/


お江戸在住のブログ仲間も
すっからかんになった食品コーナーを
軍隊アリの通過した跡に譬えていた。
それほどに凄まじい状況らしい。


お仲間の所にも書いたけど、軍隊アリは怖いよ。
黒い絨毯という恐怖映画が昔あった。
軍隊アリが地面を真っ黒にして大群で移動した跡は
根こそぎ食い尽くされて何も残らない。
残るのは無数の動物の骨。
生き物はどれもこれも皆、
あっという間に食い尽くされて骨しか残らない。


こんな北海道の端の、
地震多発地域でもお江戸に倣って米買い溜めする人が大勢いて、
市内の店の食品売り場では米が完売。
「お一人様一点限り」の張り紙が虚しく貼ってある。
大津波警報が出てもその場ですぐ避難した人はほんの僅かなのに
お江戸で米とトイレットペーパーの買い溜めが起こって品薄とか
テレビか何かで聞いたら即座に反応する不条理。
軍隊アリが群れ成して必死で何十キロも米買い込んでんのね。
山のようなトイレットペーパー買って米何十キロも買って、
地震や津波が来たらどうするんだろう。
持って逃げるのか?
米は重たいしトイレットペーパーは水に溶けるんだよ。


軍隊アリ化した人々はこの後、
買い溜めした米やトイレットペーパーをどうするだろうか。


ずっと後になって持て余した買い溜めの米を、
味が落ちて賞味期限の切れる頃になって「被災地に寄付します」とか、
まさか言うんではないでしょうね。


嫌ですね軍隊アリ。

そして今日

2011-03-19 17:41:00 | 日常
今日から世の中は三連休。
私は連休明けに受診のため休みを取り四連休。


今日は先週の土曜日にしなかった事をした。


掃除した。
溜まった埃が物凄い。


冷蔵庫を開けてみた。


この一週間、仕事は忙しく疲れは抜けず、
先週の土曜日にお浸しにするはずだったほうれん草が
干物に変身していたのを水に浸けたら甦ったので
湯掻いてめでたくお浸しにした。


先週の土曜日におやつに食べる筈だったキュウリが
萎びかけていたのを大根と一緒に塩昆布と合わせて揉み、
浅漬けにした。


幸い、
ゲル状化や液状化して妖怪にまで変身した食材は無く、
食べられるものはまだ食べられる。


・・・・・(-"-;)


一週間何やってたんだ?自分。

この一週間

2011-03-19 17:18:00 | Weblog
先週の金曜日。
午前中の外来は多忙を極め、
仕事柄バタバタ本気走りする訳にいかず小走りし続けて
午前中に飲む筈だったペットボトルのお茶を一口しか飲まず
何か頭が痛いかなと思いながら遅い昼休みに入って
社食で昼食をかっ込み、午後は処置室にいた。
救急外来と行ったり来たりして、
患者さんに使った車椅子を回収し、
夕方からの夜間診療まで少し時間があったので
点滴中の方に声をかけたり物品の補充したり雑務をしていた。


何だか眩暈がした。
午前中全然水分を摂っていなかった、
ああまずい、自分は脱水だなと思った。
しかし他の人達も「何だか眩暈がする」「更年期かな?」
などと同じような事を言っていてそのうち誰かが
「あ、地震じゃない?」と言った。
処置室の天井から吊ってある点滴棒が
振り子のようにぶんぶん揺れているのに初めて気がついた。
それから大きめの横揺れが来た。
皆で手分けして、
待合室、処置室、各トイレ全部を見て声をかけて歩いた。


足元がゆっくり回っているような揺れだった。
あ、これ以上大きく揺れたら物が倒れると思った。
多分震度3か4だなと思っていたら、震度4だったらしい。
速報を聞いた人が「東北方面で大地震になっている」と言った。


この地元では5、6年前に震度6を経験しており、
また震度3や4は珍しくない、しょっちゅう揺れる
地震の多い地域という事もあって、
震度4くらいだと余り危機感が起こらない。
誰も体調不良を訴える患者さんは無く、逃げる人も無く、物も倒れず、
何事も無かったように仕事に戻った。


じじが一人で家にいる時間帯だったので
念のため電話をかけたら寝ていたらしく、不機嫌だった。


「こんな揺れくらい何でもないっ」


「そうかい、そりゃ起こしてごめん。
 でもお父さんテレビ見てて。
 東北で地震が大きかったみたいだよ。」


それから間もなく外が騒がしくなった。
広報車とサイレンと外来の喧騒と、
どれが何の音か声か判別つかないまま勤務が終わった。
ロッカー室では大津波警報と避難勧告で国道や幾つかの橋が
通行止めになって家に帰れないと言う職員が何人かいた。
じじ宅の夕方のヘルパーも来られないかも知れない。
急いで目の前で客待ちしていたタクシーに乗ってじじ宅に行くと、
じじはテレビの前で固まっていた。


「・・・大変な事になった。」


市内の海岸沿いに住んでいる教会仲間と
河口近くに住む教会仲間と、
千葉の妹にまず連絡してみたが当然通話はつながらず、
メールを送った。


飯を炊け、握り飯を作る炊き出しの用意をして
避難所の教会仲間に届けろと言うじじに辟易した。


定刻通りにじじの晩飯の配食とヘルパーが来た。
幸い、ヘルパーはいずれも橋の手前の地区在住だったので
私が交替する必要は無く、通常通りのケア業務をして貰い、
私は珈琲店で自分の夕食を摂ってから
ヘルパーと入れ替わりでじじ宅に行った。


余震が何分か置きに繰り返し続いており、万一の避難に備えて
その晩はじじ宅で夜明かしした。


アクション映画のCGにすら出て来ないような物凄い大津波が
人と民家と街全体を飲み込んで行く光景をテレビ画面に見た。


水が燃えながら街を飲み込んで行く。


この街にも2mの津波が来て、河畔の商業施設が浸水した。
水嵩を増した川は逆流していた。
震度3から4の余震が何度も繰り返し来た。
私は避難路の確保を考えていた。


震度6が来てもじじは動かさない方が安全である。
そのために大きな地震を想定して家具を配置し、
背の高い家具は別室に集めて配置してある。
どうしようもない物はL字の金具で壁に固定してある。
しかし万一火災が発生した時はエレベーターが使えないので
どうやって介助して階段を下りさせるか。
それを考えていた。
ダンボールに座らせて引き摺り下ろそうか、とか。


こんな夜に、
病院で夜勤をする同業者は生きた心地がしないだろうな。


テレビの中継では
夜の暗闇の中で中継地の街のあちこちで火柱が上がっていた。
妹一家のいる所でも工場火災が発生し、炎上したのを知った。
まさか地震発生の時にちょうどその近くにいたら、などと思ったが
じじの前で口に出す訳には行かず。


じじは興奮し、血圧が高かった。
就寝したと思ったらまたすぐ這い出してトイレに行く。


深夜近くなって
避難している教会仲間と
同じ市内で津波の来た場所に近い病院で働く友達から
無事を知らせる連絡が届いた。


午前2時半過ぎに限界を感じて少しうとうとしたが、
何度も余震で目が覚めた。
室内が点灯して目が覚めると、
じじが早々と起きてテレビに見入っていた。
4:30。
黙って座らせて置く訳にも行かず、茶を入れて時間を持たせた。
それでもいつもより3時間も早いじじの朝食だった。


妹から明け方になってメールが届いていた。
たまたま一家全員が家にいて、無事で帰宅難民にもならなかったと。


こんな時でもなければ淹れる事の無い朝の珈琲を淹れてやり、
じじが飲んでいる間に
ヘルパーとデイケア職員宛ての申し送りを書いて夜が明けた。


雲一つ無い青空に、東の地平線から太陽が昇って来た。
(携帯の変なボタンを知らずに触っていたのか、
 うっかり暗闇モードで撮った空と太陽は画像が変に荒い。)


定刻に来たヘルパーにじじを頼んで申し送りをした。
朝食がいつもよりも3時間も早いため、
昼食の時間までに低血糖を起こす可能性がある事。
そのために念のためブドウ糖を2袋持たせた。


私は室内を片付け、量販店に行った。
前回の震度6以来5年以上も放置して使えない状態の
『非常持出袋』を整備するため。


量販店には良い物があった。
阪神淡路大震災の被災者の声を聞いて作った避難グッズのセット。
リュック入りのがあったので1個購入した。
災害緊急時の最低限の必要物品のセットには、
生活事情に応じて追加して用意すべき物リストや
災害時の171電話の使い方を書いた小さなパンフレットが入っている。
これがあれば、セット商品そのものが完売しても
自分で手持ちのリュックに百均で買い揃えた物を詰めて置く事が出来る。


なるほど。
これは役に立つ。
いい仕事してるなぁ。
棚に一個しか残ってないが在庫あるかと店員に聞いたら
この商品を出している会社自体が仙台にあって被災したため、
次の入荷がいつになるか見当もつかないと言う。


無念だ。
これを作っていた人々は今災害の真っ只中なのか。


私はもう一セット分の物品を買い揃えて
じじ宅と私の自宅に設置した。


『非常持出袋』は二つ要る。
災害発生から避難所に行くまでを想定すると、
じじが在宅していた場合はじじ宅に一式設置してあるのを
その時居合わせたヘルパーまたは私が
『非常持出袋』を持ってじじを避難誘導する。
じじがデイケアまたは教会などで外出中だった場合は
私が自宅にあるのを持ってじじを迎えに行く。
幾つかの場合を想定した。
しかし本物の災害時に私の姑息なシュミレーションなど
どこまで通用するだろうか。


夜、『非常持出袋』のパンフレットをコピーしてじじに読ませた。
じじは寝不足でくたびれていたのか早々就寝、
私も「揺れたら来る」事にして帰宅した。


日曜日は教会。
教会関係者で消息不明の人がいる事を聞いた。


月曜日、仕事に行くと血圧の高い患者さんが多かった。
皆寝不足だった。
寝てなどいられる筈が無い。


一週間はあっという間だ。
一日24時間が飛ぶように過ぎて行く。
しかし被災した人々にとっては
一日が拷問のように長い事だろうと思う。


毎日仕事の後じじ宅に行き、私のする事は決まっている。
デイケアやヘルパーからの申し送りを確認し、
じじの血圧を測って服薬させ、足の爪と血流をチェックし、
祈って聖書を開き、じじと共に朗読。
茶か珈琲を淹れる。
終わったら食器洗い、室温と火の元確認、植物に水を遣り、
戸締りして帰宅する。


元々は認知症の入り口にあって不穏で落ち着かないじじの
精神的な安定を目論んで始めた聖書朗読だった。
この一週間、
聖書の箇所はたまたま山上の垂訓の「幸いな人」だった。


主の祈りも、山上の垂訓も、これほどまでに心に沁みた事は無い。
あの金曜日、激震と大津波と大火災に遭って肉親とはぐれ、
着の身着のまま氷点下の避難所で身を寄せ合い、
救援の毛布とおにぎりを待つ人々を目にしてから、
主の祈りと山上の垂訓を冷静に読めなくなった。


炊き出しのおにぎりを配るが人数分に足りず、
一個を数人で分け合って食べる避難所もあるとテレビで聞いてから、
主の祈りが苦しい。
「わたしたちに必要な糧を今日与えて下さい」という文言に
苦しくなって涙が出る。
長年住み慣れた街で、自分の住まいで、暖かい部屋で
いつものように食事を摂り、珈琲を飲む、
そんないつもと同じ日常の営みに罪悪感と後ろめたさを感じ、
祈りの言葉に詰まる。


主なる神、憐れんで下さい。

8日目

2011-03-19 10:47:00 | 日常
8日目。
救助された人がいた。
私達は弱く無力であっても望みを捨ててはいけないのだ。
瓦礫の下で、海上で、生きて救助を待つ人が
まだ他にもきっといるに違いない。
今も誰かが、助けを待っているに違いない。


http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110319/dst11031910160021-n1.htm


祈。

凄っ!

2011-03-18 00:18:09 | 日常
これは凄い。
徹夜で頑張ったんですね。


先頭にhをつけてね。
   ↓
   ttp://p.twipple.jp/WECbs


作業しておられる方々、お疲れ様です。
一刻も早く被災地への輸送路が復旧しますように。