ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

言葉が残されている

2019-03-17 22:44:36 | 日常
今日明日2連休、朝から教会に行く。
良い天気だ。


主日礼拝

黙祷
招詞 詩編149;1~4
讃美歌(21) 205 292
詩編交読 詩編23;1~6
メノナイト信仰告白
祈り
讃美歌(21) 393
聖書朗読 ヨハネ17;20~26
説教
讃美歌(21) 542
献金 讃美歌(21) 512
祈り
頌栄 讃美歌(21) 488

昼食の後は教会員会、定例の会議がある。
教会のカレーウマい。


・・・・・

所属教会が創立半世紀を迎える。
牧師だけでなく教会員も信仰者として福音を語る特色を持つ教派のため、
教会月報に掲載された信徒一人一人の信仰告白が半世紀分蓄積されている。
何とかして一冊に出来ないか提案したらあっさり決まった。
ファイルを2冊持ち帰り、帰宅後ずっと読んでいた。

小さな教会ではあるが半世紀分の信仰告白となると小高いファイルの山になる。
記念誌に載せるべく抜粋するため2冊だけ借りて来たのは1970年代と1980年代の分。

70年代の教会員の信仰告白は紙が黄ばみ青紫色の文字が退色して薄く、
内容は生真面目で敬虔な信者であろうと頑張っている文章が多い。
1980年代のは安い茶色ばんだ紙に黒インク、コピー機を導入し、内容は肩の力が抜けて
プログラムにはゴスペルフォーク、月報の余白にメルヘンチックなイラストが挿入されている。

泣けてきた。
2002年の四旬節をよく憶えている。
2か月後に結婚を控え新郎となる教会員が打ち合わせのため実家の両親に会いに行く筈だった。
しかし市の郊外の道の途中、暴走車に激突された。
自分達の教会で婚礼を挙げる筈だった新郎の葬儀を、私達はしなければならなかった。

1990年の月報に当時大学生だったその人の信仰告白が残っている。
何かの講座の感想だ。

 「葬儀も教会で行うくらいの信仰を持てと講師の先生に教えられた」

若い人達への奨励である。
人生に紆余曲折あっても一生涯神に繋がっていなさいという意味だ。
確かに私達は彼の葬儀を教会で行なった。
たった12年後に、突然。

帰天したあの人もこの人も今はこの世にいないが、こうして彼らの言葉が残されている。
私達はそれを共有する事が出来る。

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