ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

教会に行った

2013-06-30 12:10:58 | 教会
牧師を通じて教会からじじにお見舞いを頂いたので礼拝に行った。

                  

教会の庭が花盛りだ。

                  

                  


じじの近況報告と感謝の挨拶をして、退席した。
今日は午後から月例の会議がありカレーの匂いがする。
子供達は大きくなって、増えて相変わらず賑やかに騒いでいた。


家族というものに縁無く育ち、結婚生活も破綻して孤独な独居老人となって
脳梗塞を発症し介護度の進んだじじにとって、この教会だけが実質上「家族」であり
常にじじを気にかけて、心配してくれて、じじのために祈りを捧げてくれる、
家族と呼べるのはこの教会の人々だけであった。


2008年の復活の日の受洗から2011年夏の認知症による譫妄で教会行きを中止するまで、
じじは毎週日曜日にこの教会の礼拝堂でヘルパーに付き添われて車椅子に座り、
子供用の福音紙芝居に見入り、礼拝中は居眠りをし、
子供達に菓子をやって「ありがとう」と言われて喜び、
教会のカレーライスがうまいうまいと喜び、
賛美歌も歌っていたし聖餐式の分餐の言葉をちゃんと言ってパンと杯の受け渡しもした。


じじにとって教会生活は一番幸せな3年間だったと思う。
今もじじ宅の居間のコルクボードには医療、介護関係の業者の連絡先や予定表と共に、
教会の子供達から貰った誕生日のお祝いのメッセージと折り紙の花が貼ってある。
それらを貰った時、じじは本当に嬉しそうにして何度も手に取って眺めていた。
教会の人々のおかげでじじは幸せな時を過ごす恵みに預かる事が出来た。
言葉では言い尽くせない感謝を述べた。


現時点ではじじはもう自分の車椅子に座る事も出来ない完全寝たきり患者となり、
ミキサー食を飲み込めるか誤嚥するかのぎりぎり、肺炎と尿路感染で褥瘡まで出来た。
生きて再びこの教会の礼拝堂で皆と共に礼拝する事は実質的に出来なくなった。
じじはもう二度とこの教会に来られない、今度来る時は母教会であるここで
皆と最後のお別れをする日となる可能性が高い。
その時は家族として一緒に見送って頂きたいと話した。


いつどうなるかは誰にもわからない。
しかし言える感謝は言える時に伝えなければ。

朝。

2011-06-06 08:02:00 | 教会
母教会の友達の出棺の朝。
私は現地に行けない。
今頃家族が最後の別れにじっと耐えている。


私がここに引っ越して来る前、母教会で
神の家族として私を迎え入れ陰日向となって支えて下さった、
私にとって重荷以外の何物でもない血のつながった家族よりも家族らしい
神の家族だった一家の中の、一際華やかな光を放っていた人だ。
内向的で口数の少ない高校生でありながら、自分をしっかり持っていた。
ボランティアでスリランカに行って大きく成長し
逞しくなった写真の笑顔は大輪の花のようだった。
結婚して遠い関西に移り住み、子供達を産み育て、きっと、
もっともっと逞しく美しかった事だろう。
これから育児や教育や家庭の様々な事に
泣いたり笑ったり悩んだり祈ったりする筈だった。


本人はもう覚悟を決めていたとも聞いた。
しかし余命数ヶ月と宣告されて今日まで、彼女と周囲の人々が
どれほど過酷な一分一秒に耐えた事だろう。


9ヶ月の苦しい戦いの最中の顔を私は見ていない。


私の記憶の中のその人は今も
教会の事務机で聖書を開いて難しい顔をしていた
はにかみ屋の美しい少女であり、
海外ボランティアから戻って輝く光を放つ笑顔の人のままだ。

訃報

2011-06-04 19:52:09 | 教会
今、訃報を聞いた。


昔、母教会で一緒に机を囲んだ仲間が昨日夕方帰天した。


昨年9月、
卵巣癌のステージ4、余命数ヵ月と宣告されて以来ずっと
昨日の夕方まで戦っていた。
本人も家族も。


幼すぎる
残された5歳と2歳の子供達はどうやって
母親の死を受け入れるのだろう。

教会に行かなかった

2011-02-27 13:02:51 | 教会
教会でじじの昼飯を渡す筈が
腰痛にて礼拝に出掛けるのを中止し睡沈していた。
朝、まだ早かったのでちょっと時間潰しに横になり
雑誌など見るつもりでいたら
その後起き上がれなくなった。
バスタブに湯を溜めたまんまぢゃ。
やっきりこいたなぁ。


そういえば二度目の手術から何年経ったかな。
確か2007年の今頃入院していたと思う。
光陰矢の如し。
もう飛び出す髄核も残ってない筈。

教会の賑わい

2010-10-24 22:19:02 | 教会
そんな訳で今日はK先生を歓迎して
皆で持ち寄り昼食会。


じじは同年代のK先生に話し掛けられて
嬉しそうだった。
食事の時には隣に座った年配の求道者の方と
いろいろ話し込んでいた。


私はK先生から母教会の様子を聞く事が出来た。嬉)
あの大鍋のカレーが無性に食べたい。
壮年会が活発で、
『男の料理教室』や祈祷会など盛んらしい。羨)
バザーも教会祭りとして
地域にしっかり根付いて盛大な様子。
懐かしいなぁ。
母教会の牧師先生、兄弟姉妹の皆さん、
いつも祈っています。
忘れません。


K先生は、
「死ぬ前に、
 自分が歩いた教会の一つ一つを全部訪ねたい。」
と仰る。
羨ましいと思うよ。
じじと同世代で
自分の足で何処にでも行ける人を見ると、
いつもそう思う。


今日は子供達のテンションが特に高くて
楽しそうだった。


ご馳走はテーブルに並べきれないほど
いろいろあって、テーブルを一つ追加した。
この日記ではパンクしそうなので、
食卓の様子はぱんくず迷走録にて。

髭っ!!

2010-04-04 09:58:00 | 教会
じじ宅に電話したら教会に同行するヘルパーが出た。
やはりじじはまだ髭を剃っていなかった。


昨夜帰りがけに、
「明日、教会に行く前にちゃんと髭を剃りなさいね」
と言ったら聞こえないふりをしていたので
念のため電話してみたのだった。


「髭ですか?
 あああーまだ剃ってない様子ですねぇ。
 わかりました。
 髭剃ってから教会にお連れします。」


「自分で剃らせて下さい。
 よろしくお願いします。」


じじめ、
やっぱり髭ボーボーのまま教会に行くつもりであったか。
よかった電話しといて。

主日礼拝

2010-03-21 20:13:00 | 教会
四旬節も第5週め。
いよいよ来週は枝の主日だ。

朝は小雨、
そのうち止んで風が強くなった。


今日の聖書はフィリピ4;1~9


4;3に注目。
「真実の協力者よ」(新共同訳)
原文直訳では
「真実な軛(重荷)を共にする人よ」
という表現になるそうだ。


真実な重荷を共に負う人よ。




昨日散々言ったのに
じじは髭を剃らずに礼拝に来ていた。


同行のヘルパーさんは、
あの新顔の物静かな人だ。
今日も真剣な眼差しで
食い入るように説教を聞いていた。
牧師先生の話に応じて熱心に聖書のページを捲り、
文字を目で追い、
また牧師先生の話に聞き入る。
賛美歌も歌っている。


今日の礼拝、
ギデオン協会の奉仕者の方々が来ておられ、
ギデオン協会への協力を呼び掛けていた。
ギデオンの配布用新約聖書を
何冊か置いて帰られた。


早速その中の一冊を、
じじに同行してきたヘルパーさんに差し上げた。


聖餐式と教会員会が終わって帰る時、
牧師先生にその事を話したら、
牧師先生もあのヘルパーさんに気付いていたらしい。
去年のクリスマスに
キリスト教の教会という場所に
初めて足を踏み入れたと言っていたが、
あのただならぬ真剣な
礼拝中の眼差しは一体何だろう。 
何に、
誰に向けられていたのだろう。

津波が来たらしい

2010-02-28 20:30:00 | 教会
帰宅途中に立ち寄った薬屋のおかみさんに
津波警報の事を聞いて、
海沿い在住のため礼拝を休んで朝から避難していた教会仲間に
安否確認のメールを送り、そのまま睡沈したらしい。


目が覚めたら19時過ぎていた。


滅多に電源すら入れた事の無いテレビを見ると、
既に何度も津波は到着していたらしい。
干潮時刻のため大きな被害は無いものの、
同じ太平洋沿岸の近隣では1.0mの津波だったという。
後になればなるほど津波の高さは増していく。


睡沈する前にメールした仲間から返信が来ていた。
何と、年寄り二人を連れて朝から避難していたら
年寄りにとってはしんどいらしく、疲れたので
17時頃に帰宅したという。
おいおいちょっと前にどんどん津波が高くなって1.0mとか
警報解除は当分出来ないとかテレビで言ってたじゃん。
大丈夫かよ。


電話してみた。


「何だかさ、津波来る来るって、
 避難所にいるのは一人暮らしの年寄りがちらほら、
 あと他の皆さんは何処行ったのって感じだったよ。」


あああ。
そうやって本物のでっかいのが襲って来た時に
皆して波に飲まれて命を落とすんだな。


「いやいや、暢気なもんだよ。
 朝からずっと避難所にいると疲れるんだわ。
 津波来るからラーメン食べに行こっかなーとか
 言ってた人もいたし。」


何それ訳わかんないし。


「ねー。
 暢気なもんだよぉ。」


薬屋のおかみが言ってたわそういえば。
テレビのローカルニュースで広報車が巡回して
いくら避難しろしろって言っても皆、
誰も避難しないって怒ってたって。


「そーなんだわ。」


えーだけどさ、
隣のN市で1.0mまで高くなってきたって、
たった今ニュースで言ってたよ。
避難所に戻った方がよくない?


「そーなんだけどさ、
 うちの年寄り達が疲れてもう嫌だって。
 窓から海を見てたんだけどさ、
 もう暗くて見えない。」


そんな近場から見てちゃダメなんじゃないの。
海から離れないと。
明け方の満潮が一番危ないんだよ。


「うん。
 一応注意はしておく。」


暢気過ぎるってば。