ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

2017-09-30 23:40:00 | 日常
今日も晴れ。

雨も風も無いそうなので植物を外に出して出勤する。
貴重な日光だ。

・・・・・

昼休み、今日も少し散歩。
太陽は相変わらず眩しい。

道端でビー玉拾った。

風が強いな。

・・・・・

仕事は定時に終えた。
母には柿を差し入れた。
元気そうで変わりない様子。
寒いと言っていた。
それはそうだ。
だってもう秋分過ぎたのだから。

バス待ち中に近くのコンビニで昼間見かけた黄色い団子を買った。

粉末の緑茶を濃いめに溶かして飲みながら食べる。
満月はまだまだだけどな。

スーパーの生花売り場で芒と鬼灯も買って来て父の遺影に飾った。
 

残念ながら青紫の竜胆は無かった。

昼間道で拾ったビー玉。

昔よく舗装されていない道路にビー玉が落ちていたっけ。
子供達がビー玉で遊んで落としたまま探せなかったビー玉がよく道路に落ちていた。
ビー玉は大好きだったな。
緑や青や無色透明の気泡の多いビー玉が多く、濃淡は様々で酒やサイダーのガラス瓶と同じ色だった。
気泡が少なくて中に花のような形の色模様の入っているものもあって大事にしていた。
今の時代の子供は道端でビー玉とビー玉とをぶつけ合って遊んだりはしない。

明日明後日2日間連休だ。
夜更かししよう。

何となく動画を物色していたらフェリーニの『魂のジュリエッタ』があってつい見入ってしまった。
字幕無しだ。
動画物色でフェリーニの映画の数本の断片を幾つも見た。
見ているうちに今の日常で目にするテレビドラマや映画が何故つまらないか、
つまらないと感じる理由が何となくわかった。
顔だ。
人間の顔。
今の時代の映画やドラマに登場する人々は主役も脇役も群衆も茹で卵のように画一的な顔をしているのだ。
いずれも小奇麗に手入れされ整えられ体毛も傷も歪みもなく歯列は矯正され口は小さく顎やエラは削ったのか
眼は昆虫のように大きく、肌に吹き出物の痕は無く、鼻筋は細く高く、
男性ならばどう見ても30歳過ぎているのに思春期前の男児の如く肌はすべすべ、
植物に例えるなら色は薄く白っぽい日陰のひょうたんかへちまのように、平均的に誰も彼も皆小奇麗だ。
どの俳優も皆同じ遺伝子でも持っているのかと思われるほどに同系統の顔に見える。

フェリーニの映画は何十年も前から見たものばかりでDVDまでも持っていると言うのに
たまたまネット逍遥中に動画を見かける度につい見入ってしまうのは、
よくぞここまで色々な顔の人間を集めて来たものだと感心するほど面白い顔の人々が続々と
大勢登場するからかも知れない。
今動画で見た「サテリコン」「カサノバ」「そして船は行く」「道」「フェリーニのローマ」は
いずれもDVDを持っているが視覚的に引き込まれる。
登場人物の誰を取っても小奇麗に整えられた顔ではないからだ。

小奇麗に整った顔は美しい顔と同じではない。
むしろ視覚的に退屈で、途中で飽きてしまうしすぐ忘れてしまう。

ううう寒くなって来た。
足元が冷える。
寝よう。

なっぽりったんー♪

2017-09-29 21:53:11 | 日常
晴れた。
それも昨日の休日をまるまる台無しにしてくれた雨の翌日に、
雲一つ無く冴え冴えと澄んだ青空を見上げながら出勤するうらめしさ。

・・・・・

昼休みに外を少し散歩した。
太陽は低い。
これから冬至に向かってどんどん低くなるであろう。


職場近くにコンビニがあったので入ってみたが何もほしいものが無くて
干し梅を買った。
甘いのと甘くないのと両方とも。
職場に戻って双方を食べ比べてみたら甘い方よりも甘くない方が好みだった。

・・・・・

仕事終わった運動不足だから歩いて帰ろう。

私が子供の頃からある小さな青果店で二十世紀梨の大玉を買った。
夏のスイカのようにザクザクバリバリ貪りたい。

スーパーにも立ち寄った。
明日の朝食のパンと昼弁当のおかずで食べたい旨煮の惣菜があったので買って来た。
風が強くて頭がざりざり砂っぽくなった。

自分の好みのパンと母がこよなく愛する米粉パンも。
さっき母宅に寄って届けたら喜んでいた。
元気そうだ。

そうそう、どうしても惣菜の「ナポリタン」も食べたくなって買ってしまったのだった。
惣菜の小さいパック入りのナポリタン。
一昨日Twitterのお仲間に教えて貰ったのだこの歌。
♪ナッポリッタン―、ナッポリタンー、ナッポリッタンーたーべたいっっ♪
THIS IS NATS / ナポリタン




ぅあああこの歌、脳内で回る!
何という危険な歌だこれは!

大河ドラマと筋トレの休日

2017-09-28 22:25:49 | 日常
5:07。
雨が降って室内が暗いのに赤花の蕾が緩んで開こうとしている。


8:38
開花したが完全ではない。


9:59。
完全に開いた。


朝食にしよう。
昨日の食べかけのパンをオーブントースターで焼いた。
茹で野菜と昨日のチーズ入りはんぺんフライの焼き直しとウィンナーと半熟目玉焼き。


下肢の筋肉が運動を要求してやかましいが筋トレは黙々と数を数えながらするよりも
映画かドラマを見ながらの方が続け易いのでダンベルやりながら10年前の大河ドラマを見る事にした。

・・・・・

休みだからと言って朝からずっとオンデマンドで昔の大河ドラマ見ている。
『風林火山』(2007)面白や。
今、桶狭間で今川義元が織田信長の奇襲を受けて木っ端微塵にされたところ。

・・・・・

昼過ぎた。
休日はまたも雨降って引き籠もり。
朝から大河ドラマを延々見ながら筋トレしている。
スクワットしながら第4次川中島の合戦まで来た。
軍師山本勘助はここで落命してドラマは終わりぢゃ。

・・・・・

『風林火山』見終わった。
井上靖の原作は昭和40年代の昔、小学生の時に父の本棚でみかけた。
今から10年前の2007年に大河ドラマ化されたのを入院中病室備え付けのテレビで見て、
退院後父宅で風林火山の原作本を掘り出そうとしたが手乳の転居の際に私が廃棄したらしく見当たらないので
文庫本を新しく買って読み直したらやはり面白かった。
面白く読んだ事は読んだがこうして大河ドラマになったのを今見てみると、
如何にも男性美崇拝的ヒロイズム満載で辟易する。
合戦場面以外は冗長で甘ったるく感傷的だ。
登場人物達が始終過去を回想してはやたらさめざめ泣く。
誰か死んだと言って泣き、生き別れと言って泣き、負けて無念と言って泣き、
有り難き幸せと言って泣き、恐悦至極と言って泣き、無闇に湿度高い。
井上靖『風林火山』原作を読んだ時はこんなメロメロお涙ドラマ的ではなかった筈だけどな。
テレビの大河ドラマだと登場人物が泣く度に演出が如何にもおセンチな音楽を垂れ流すので鬱陶しい。

・・・・・

そうそう、啄木鳥が読まれて車懸りでやられるのだ。
戦国時代の人物像として信玄や謙信はあまり何とも思わないが、山本勘助は結構好きだ。
ドラマは原作の勘助のイメージを損なっていないのでよかった。

そういえば謙信役の女顔のおにっちゃん何て言うたかな。
父の生前にあれは女子に人気のある歌手だぞと説明したら父は
「そうかあれがヒカワキヨシか」と言うのでもう説明するのが面倒臭くてそういう事にしておいたのだった。

映画やドラマを見る時は何か飲み食いしながらでなくスクワットやりながら見るのがお薦めであるよ。
全身が温まって暖房の節約になるので。

明日休み

2017-09-27 21:25:27 | 日常
よく寝た。
日の出と共に覚醒した。

晴れると日の出と共に目が覚め、雨や曇りでは無性に眠いのは原始的な体質かも知れない。
体内時計が頑固なのだ。

あれよあれよと言う間に太陽は随分高く昇った。
仕事行かないとな。


・・・・・

仕事定時に終わった。
午後から定期の往診があってそれなりに多忙だったためか足が疲れた。
ずっと立ち通しだったからな。
それにしても日の落ちるのが早くなった。

帰り道、スーパーで食べるものを買った。
母宅に寄ると元気そうだった。
ひじきを入れ過ぎたひじきご飯をおにぎりにしてくれた。(笑
これは冷凍して仕事の日に弁当にしよう。

夕食に半額寿司パックとチーズ入りはんぺんフライ。
寿司は鰯の蕪寿司。
 

珍妙な組み合わせである。
鰯の蕪寿司は脂が乗ってウマい。
はんぺんフライはガスレンジの魚焼きグリルで焼きを入れ余分な油を落としたのでサクサクだ。

明日は1日休みだな。
今夜は夜更かししよう。
予報では明日は雨と言っている。
終日寝て暮らすか映画DVDでも見るか、多分終日引き籠もる事になると思う。

不調

2017-09-26 19:24:53 | 日常
晴れ。
朝晩寒くて寝起き悪い。

・・・・・

仕事終わった。
薬店に寄って目薬を買う。

母は甘いものを食べ過ぎて胃の具合が悪いと言っていた。
食道楽だから胃が不調だと何もかも不調らしい。

眠いな。
まだ19:30ではないか。
毎日帰宅後は眠気で何も出来ない。

失われた松並木

2017-09-25 22:24:19 | 日常
晴れ。
空は雲も何もなくただ青いだけ。

・・・・・

仕事終わった。
一日中天気が良かった。
日の暮れた今頃になって薄雲が出て来た。
月が出ている。




昨日の運動不足を少しでも取り戻すべく歩いて帰る。
歩きながら、昼間高齢の女性から聞かされた思い出話を反芻した。
70年も昔の事だ。
その人の生まれ育った町には神社があり、境内に向かう細い道の両側には松並木があった。
いずれも樹齢100年以上の高く聳える大木であったらしい。
幼少時から青春時代をその人は松並木を見上げて育った。
しかし戦争が始まると松並木は1本残らず全部切り倒された。
樹木が邪魔だったのか何なのか、戦時中の事情で並木は伐採された。
その人は当時17歳だったと言う。
すかすかの何も無い光景が今も忘れられないとその人は言った。
1本の苗木が大木になるまでどれほどの年月がかかる事か、
それを人間は都合でいとも簡単に切り倒す、と。
毎日の処置の軟膏を塗りながらうんうんと相槌を打って聞き流していたのを
帰り道歩きながら思い出し、反芻している。

私が学生時代を過ごした寮の敷地にも当時松並木があった。
鬱蒼と影を落とす野鳥の住処は針葉樹特有の蒼い香りがした。
しかし私が卒業して間もなくその松並木は悉く伐採された。
近所の住民が苦情を言って来たため寮の持ち主が木々の住宅側だけ枝を払ったら木が全部死んでしまった。
死んだ樹木は立ち枯れて倒れ易い。
危険な状態になったので倒れないうちに全部伐採したらしい。
苦情と言うのは並木の枝が住宅の屋根の上に張り出して
枯れ葉が落ちて積もったとか枝に溜まった雨が落ちたとか雪が落ちて来たというものだった。
卒業後数年経って訪れた時の言いようの無い無念さを思い出した。
あの松並木の匂いを時々無性に嗅ぎたくなる。

運動不足

2017-09-24 22:22:38 | 日常
今日も朝から雲が重たい。


・・・・・

残業になった。
平穏無事に一日の業務が終るかと思ったら午後になってケガ人が出て急遽受診に同行し遅くなった。
休日外科当番の病院はケガ人で溢れ返っており検査、診察待ち、入院まで5時間かかった。
長時間身動きせず座っていたため下肢の筋肉が運動を要求しむずむず騒いで耐えられないので
帰りは徒歩で遠回りしつつ食べるものを買い込んで母の安否確認をしてから帰宅した。
パン屋の売れ残りのメロンパン。

何とも重量感の無い軽いパンである。
表面はサクサク。
こんな時刻に食べていいものではないが、食べる。

母宅にも寄ってパンを差し入れたら母は母でまたも何やらおかずを作ったと言って分けてくれた。
有り難や。
明日の弁当のおかずにしよう。

和食のニラ卵とじではなく、豚肉、にら、人参、エノキタケを卵焼きにして
味付けは塩胡椒だけもの。
母は最近よくこれを作る。
私も作れるし作りたいがにらを冷蔵庫で液状化させてしまうので自粛している。

忙しいような忙しくなかったような。
疲労感はあるが運動量が全然足りない。
どうにかしないと。

またも休日は雨

2017-09-23 22:28:45 | 日常
早くから起きているがどうも休日となると空がどんより曇る。
朝晩の冷え込みも厳しくなったため暖房の使用時間が長くなって鼻の穴が乾燥でカピカピだ。

朝食は買い置きのパンを焼いて済ませた。
食後に二十世紀梨を食べている。
梨は昔から二十世紀梨だけが好きで他は殆ど食べない。
梨の中でウマいのは二十世紀梨だけであると思う。
軽い酸味も香りも長十郎の仲間より格段に良い。
毎年二十世紀梨が出回るとスイカの次に大量消費するが、最近あまり出回らなくなった。
私が子供の頃は梨と言えばパートレットと呼ばれる瓢箪形の洋梨か丸い二十世紀梨か、
二種類しかスーパーで出回っていなかった。
昭和40年代当時は丸くて茶色く酸味の無い長十郎梨もごくたまに見かけたが、
気の抜けた薄甘いだけの梨は不味いので食べなかった。
今は長十郎が肥満体になったような豊水や幸水が多く出回っており二十世梨は影薄くなった。

・・・・・

一日中引き籠もって昼から夕方まで爆睡していた。
夕方知らない間に雨が降ったらしい。
買ったままずっと放置してあった映画DVDを1本見た。
中古屋で買ったDVDだ。
フェルナンド・アラバール『死よ、万歳 Viva la muerte』(1970 フランス)。
原作はアラバールの自伝と言われる。
映画は全編血みどろの映像である。
冒頭のタイトルと共に子供が口ずさむ歌の単純な旋律が猟奇的な絵画と共に
見終わった後もまだ脳内にこびり付いている。
内戦時代のスペインで主人公の少年の父親は共産主義者としてファシスト軍に逮捕され処刑された。
少年は父親をファシストに密告したのが母親であった事を知る。
狂信的なカトリック信者である母親は息子に対して「女」であり支配的、呪縛そのものだ。
顔も見ないまま父親の処刑を知らされた少年は父親の死がどのようなものであったのか
あらゆる血まみれの光景を思い描き、妄想する。
あくまで子供の目線で不条理な現実を見ている。

19:42か。
随分遅くなったので夕食は省略しようかと思ったがやはり何か食べよう。
朝食のパンを食べた後何も食べていなかった事を思い出した。
昼寝していたので昼食抜きだった。
適当にあるものを食べる。
レトルトのパスタソース、消費しよう。
トマトクリームだそうだ。
私の手にかかると全然違うものになってしまったが。

ウマい。
パスタは久しぶりだ。

湿度のせいか気圧のせいか、昼間熟睡したのに夕食後の今また眠くなった。
何故かわからないが毎日毎日眠気と戦っている。

小さな食堂

2017-09-22 22:08:05 | 日常
明け方寒かった。
昨日買って来たパンを焼き、珈琲を淹れた。
晴れた朝は寝醒めがすこぶる良い。

快晴で雲一つ無し。

ハイビスカスの鉢を外に出しておこう。
今のうちに日光に当ててやらねば。

・・・・・

仕事終った。
一日中快晴だった。


今朝外に出してきた鉢植えの葉が冷気で黄色く枯れないか気になったが自分で今外に出てみると
そんなに寒くないのでまたあの小さい食堂でカレーを食べて帰る事にした。

店には私と同年代くらいの女性が一人晩酌しながらテレビの相撲を見ていた。
カレー来た。
昔懐かしくウマいこのカレーは500円だ。

カツ定食などもあるが一番高くて700円程度、1000円以上の料理はメニューに無い。
細々と長く続いているこの店を大事に通い続ける常連客達がいる。

カレーを食べていると晩酌しながら相撲を見ていた女性が頓狂に「ぎゃー」と叫んだ。
誰か贔屓の力士が勝つか負けるかしたらしい。
店の女将さんと何やら相撲の話で盛り上がっている。
そこに前にも見かけた常連らしいおじさんが入って来た。
遠慮して奥の席に行こうとするのを晩酌の女性が呼び止めた。

「相席どうですか、テレビが見えにくい場所だけど」

「ああ、どうも。では遠慮なく。テレビは椅子をずらせば見えますから」

テレビの前のテーブル席は俄かに相撲観戦の場となった。
見知らぬ客同士で相撲の良し悪しを語り合っている。
妙に温まる。

店を出た時は既に真っ暗だった。
ウマかったなぁカレー。
一日仕事した帰りに立ち寄る事の出来る食堂は貴重だ。

帰りに母宅に寄って様子を見たが元気そうだった。
二十世紀梨をコンビニで買って差し入れた。

明日一日休みだ。
天気悪いらしいので終日引き籠もる事になるだろう。
明日こそ買ったままの映画DVD1本くらい見よう。

「失敗作だけど」

2017-09-21 22:07:38 | 日常
何とも禍々しい朝の雲の流れ。


・・・・・

仕事終わった。
朝の雲は何処かに飛び去って今は雲一つ無し。


やはり運動不足を感じるのでまたあちこち寄り道しながら歩いて帰路に着いた。
途中スーパーの総菜コーナーで貝の炊き込み飯を買った。
自分の夕食にもするが母にも差し入れた。
母宅に様子を見に立ち寄るとまたも「失敗作だけど」と言ってズッキーニの肉巻きをくれた。

失敗作と言うが全然ウマいではないか。
電話でそのように母に伝えたが母にとっては納得の行く出来ではないらしい。

明日も晴れるらしい。
朝晩寒くて動きが悪い。
そして無駄に早く眠くなるので困る。
早く帰宅出来ているのだから買ったまま見ていない映画DVDを見たいのだが。

何処かに行きたい

2017-09-20 22:07:15 | 日常
今日も朝から晴れている。
空気が冷たくなると快晴の日が多くなる。
確実に冬が近づいている。

・・・・・

仕事終わった。


一日中晴れていた。
何処か行きたいねぇなどと職場の人々と話した。
何処かにと言ったって遠出する体力も金も暇も無し、ただ散歩するだけでいいんだけど。
休日が爽快に晴れる事はあまり無くて、休みと言えば大抵は一昨日のような塩まみれの暴風雨か
どんより暗く曇るか、夏は霧、冬は雪だ。
それで室内に引き籠もるとこれまた部屋の中が暗い。
暗いと真昼間でも眠くなって映画DVDもまともに最後まで見られなかったりする。
そのように休日は時間を無駄に消費して終わる。
快晴の昼間にぶらぶら散歩したいが天気に注文を付けても仕方ない。

今の仕事に変わってから運動量が絶対的に不足している。
今日などは通院の付き添いで半日外来待合室に座ったまま拘束されたので足が運動を要求してだるいし
睡眠が浅く寝ている時間が長いのもそれが原因だと思われる。
それで帰り道は遠回りしてぐるぐる歩き回り、買い物をして歩いた。

最後に母宅に寄ると母は今日一日暑かったと言うが脱水にもならず元気そうだった。
ブロッコリーを湯掻いたと言って分けてくれた。
今夜の夕食にする。


眠気と戦いながら音楽を聴いている。

もういい加減に就寝しなければならない時刻であるが
グスタフ・レオンハルト奏でるBWV996の第1曲目Praeludio-Prestoだけを
CDで延々繰り返し2時間聴き続けている。

眼瞼浮腫

2017-09-19 22:06:43 | 日常
雨も風も何処かに去って行った。
残ったのは塩まみれの窓ガラスのみ。

朝食は昨夜作った反省飯と白菜煮込み。


昼の弁当は茹でたブロッコリーと人参、焼いたキャベツとピーマン、ウィンナー、卵焼き。
主食は無し。


出勤。
雲一つ無い。


・・・・・

仕事終わった。
今朝、処置のため巡回していたら高齢女性の一人から顔が腫れぼったいと指摘された。

「瞼が腫れてるよ、昨日と違うねぇ。
 疲れてるんじゃないのかい、無理するんじゃないよ、体に気をつけてねぇ。
 体は大事にして、元気でねぇ、さよなら、・・・どうもお世話になりました(涙)」

???

目蓋の浮腫を指摘されて狼狽えるうちに今生の別れみたいになってしまった。
手を握られ涙ながらに見送られ、居室を出た。
涙の別れの10分後にデイルームで再会する摩訶不思議。

今朝は寝起き悪くて起床時に目蓋に浮腫があった。
認知症と言えど侮るなかれ、高齢者は看護師や介護福祉士をよく見ている。

幾らか雲が出て来た。
風は然程冷たくない。


帰り道、母宅に寄ると元気そうだった。
牛蒡の味噌炒めを作ったと言って少し分けてくれた。
夕食はこれまた先日母から分けて貰ったキムチ鍋の残りと今日貰った牛蒡。

牛蒡の味噌炒めウマい。
明日の弁当にも加えよう。

眠い。
最近睡眠時間が延長しつつある。
眠くなるのが早く朝目覚めるのが遅くなった。
イヤホンで音量MAXにして音楽を聴きながら居眠りしていた。
ダメだ。
ちゃんと寝よう。

暴風雨

2017-09-18 21:46:57 | 日常
窓ガラスがみしみし鳴っている。
爆睡している間に暴風雨が来ていたらしい。
仕事が今日一日休みだからと言って寝過ごした。
いい加減9:00も過ぎているが室内が暗くて何をするにも難儀だ。

とりあえず保存食のパンを焼き、弁当のおかずにしようと解凍して使わずにいた魚を焼き、
残り野菜と目玉焼きも焼いた。
食卓が暗いのう。
赤タバスコを切らしているがこの天気では買いに出られず緑ので妥協する。


昨日買って来た白菜は今弱火で煮込んでいる。
昼には出来上がるだろう。

木の枝が撓んで折れそうな風。
雨が叩き付けている。


 

 


昨日は母に安否確認の電話をしなかった。
白菜の煮込みを届けて来た。
もんの凄い暴風と全開のシャワーみたいな雨が叩きつけていたが転ばずに帰宅した。
珈琲淹れよう。
ガテマラSHBの豆、終了した。
甘みの強いまろやかな珈琲豆であった。

珈琲のアテに買い置きのチョコレートを色違いで買い並べてあったのを一口ずつ味見してみた。
黒い箱のもあったが先に完食してしまったので、無い。
赤、黄、白では赤い箱のが食べ易いな。
白と黄色は甘過ぎ。

しかし食べてみると珈琲にアテは要らないな。

断捨離の続き。
不要な本を片付け、書類を片付けながら適当にCDを鳴らしている。

ん。
窓の外が明るくなってきた。
海沿いなのでしょっぱい雨風の後は窓ガラスを洗わないと塩で真っ白に曇る。
今から窓拭きが憂鬱だなぁ。

陽が差してきた。
風は相変わらず唸り木の枝は撓んでいるが、雨は小降りになったらしい。

と言っても塩を吹き付けられて窓ガラスがべたべたで外の様子が見えない。

珈琲お代わり、ルワンダスカイヒル。
然程甘くなく軽やかで爽快な風味。
暴風雨のため窓を閉め切っているとこの爽快さに救われる。

まだ風は強いが空は完全に晴れたらしい。
敬老餅を買って来よう。
 

予報では明日晴れる。
一雨ごとに冬に近づく。
再度母宅に出向き敬老餅を届けた。
母は怒るかと思ったが六花亭の敬老餅を喜んだ。

夕食は白菜煮込みにした。
今の職場に転職してから運動量が減ったためかあまり空腹感が無い。
夕食には野菜の煮込みや茹で野菜で十分な気がする。


昨日買ったブロッコリーも湯掻いた。
明日の昼食にしよう。
運動量が減ったので「反省飯」を今炊いているところだ。
しばらくは朝食のパンを自粛して反省飯を一日1回の主食にする。
明日からまた仕事だ。

(追記)反省飯、完成した。
ウマく出来た。

言葉は履歴書

2017-09-17 20:51:15 | 日常
秋晴れ。
ひんやりした風が心地よい。


・・・・・

休日なので二度寝していた。
さっさと風呂浴びて礼拝に行かないと。

ぼさっとしている間に太陽が画像に入らないほど高く昇ってしまった。
おっ♪
ええ感じの雲が東からこちらに向かって来る。


雲はまだ太陽に届かない。




主日礼拝

黙祷
招詞 詩編1;1~3
讃美歌(21) 56 119
聖句唱和 詩編126;5~6
主の祈り
祈り
讃美歌(21) 58
聖書朗読 箴言12;18~19
証し
讃美歌(21) 59
献金 讃美歌(21) 512
祈り
頌栄 讃美歌(21) 27
祝祷

今日の礼拝は牧師夫人が信仰の証しを語った。
聖書箇所は箴言12;18~19「言葉」。
ここ数日の間に思う事ありこの日記ブログに「言葉は残る」と書いた。
言葉は自分がこの世を去った後も残るから細心の注意を払わねばと思ったりする。

信仰者となってからよく体験する事であるが、
一つの事柄に思い巡らす事があって祈ったり黙想したりするとまるで見えない誰かからの応答の如く
同じキーワードが礼拝説教や教会仲間の語る証しや人との会話の中で語られる事がある。
不思議な事に、
その時の会話や説教の一字一句がメモも取らないのに後々まで消えず記憶に残って反芻したりする。

今日の聖書箇所。
所属教会の聖書は新改訳を使っている。

  軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。
  しかし知恵のある人の舌は人をいやす。
  真実のくちびるはいつまでも堅く立つ。
  偽りの舌は瞬きの間だけ。(箴言12;18~19 新改訳)


私が普段読んでいる新共同訳では微妙に言い回しが違っている。

  軽率なひと言が剣のように刺すこともある。
  知恵ある人の舌は癒やす。
  真実を語る唇はいつまでも確かなもの。
  うそをつく舌は一瞬。(箴言12;18~19 新共同訳)


箴言では言葉についての戒めが多い。
今日の礼拝で証しを語った牧師夫人もその事に注目し、幾つか引用していた。

  悪者のことばは血に飢えている。
  しかし正しい者の口は彼らを救い出す。(箴言12;6 新改訳)

  神に逆らう者のことばは待ち伏せて流血を犯す。
  正しい者の口は自分を救う。(箴言12;6 新共同訳)


  悪人はくちびるでそむきの罪を犯して、わなにかかる。
  しかし正しい者は苦しみを免れる。
  人はその口の実によって良いものに満ち足りる。(箴言12;13~14 新改訳)

  悪人は唇の罪の罠にかかる。
  神に従う人は苦難から逃れ出る。
  口の言葉が結ぶ実によって人は良いものに飽き足りる。(箴言12;13~14 新共同訳)


  偽りのくちびるは主に忌みきらわれる。(箴言12;22 新改訳)
  うそをつく唇を主はいとわれる。(箴言12;22 新共同訳)

三浦綾子愛読者である牧師夫人は今日の礼拝で
『三浦綾子366の言葉』(日本基督教出版局)の中にある一つを引用し
著者が生前自分の発する言葉が真実であるかどうか厳しく吟味して語る事を自分に課していた点に注目していた。
言葉は生き物でありその力の恐ろしさを意識して自分の口を制しなければならないと
私達信仰者は受洗する前から教えられてきたが、教わった事をそのまま習得出来ずに
その時その場で己の感情のままに毒のある言葉を垂れ流している惨めな現実が私達にはある。
自分の発した言葉は、自分の死後も残るものだ。
SNSで気ままに垂れ流した思い付きの言葉であれ、日常で誰かを相手に感情任せに吐き出した言葉であれ、
TLに文字として、聞いた人の耳と脳裏に音声として、必ず残る。

先月、8/13にたまたまTwitterで見かけた言葉に注目した。

  ツイッターで心ない文句を言ってくる人間に深く思う事がある。
  殆ど誰も「覚悟を持って投稿していない」と言う事だ。
  僕がリプして返して来た方は皆無。
  何しろ軽口だから返す弾が無い。
  仏教の教えに「悪口は自己紹介」と言うものがある。
  その文句はあなたの鏡です。
  書いて流す前に考えて。
                          桂 春蝶‏


全くその通りだと思う。
悪意で人を貶める言葉をTLに垂れ流す人の語る言葉を見ると、
私はそのまま字義通りに信じ込むよりもむしろ語る者の人間像を思い浮かべ、分析する。
口汚く誰かを中傷する時、自分の発する言葉によって自分の履歴書を自ら晒しているも同じ。
言葉の禍いとはそういうものであろう。
感情に任せて毒を垂れ流そうとする己の口を制する難しさを考える。

・・・・・

今日明日は近郊の町で午後から同じ教派の教会が一泊二日で集まる懇談会があり、
牧師夫妻と宣教師と役員1人がこれから参加する。
行きの今日は晴天でいいが明日の帰りは北海道がすっぽり入るほどの大型台風が来るので
皆して帰りの無事を祈っている。
前回の台風の被害から北海道はまだ立ち直れていないのだ。
崖っ縁の海岸線を車で移動する事を思うと無事を祈らずにいられようか。

宣教師の音頭で婦人達が讃美歌の特訓をしている。
教会を出た時、太陽が暈を被っていた。
しばらく暈を見ない事が続いていたのにまたよく見かけるようになった。


土日祝日の帰りのバスが半分以下に減ってしまって時間が無駄に長くなってしまったので
教会近くのスーパーで買い出しをする。
然程安くもないがうちの近所の店よりは格安である。

黒葡萄のキャンベルと二十世紀梨とブロッコリーとでかい白菜を1玉買った。
重たいわ。(笑
今日明日休みだから煮込みにしよう。

明日は大荒れと予報で言っているが雲は来るのか来ないのかまだ近づいて来ない。


帰宅。
白菜のお尻を切って水に浸けておき、掃除と洗濯をする。
明日は湿度が上がるから今のうちに洗濯。
ハイビスカス達も今のうちにベランダで日光と風に当て水遣りを済ませる。
夕方には屋内に避難させないと当地の雨風は塩分が強いので潮焼けしてしまう。

掃除ついでに断捨離の続きに取り掛かる。
後生大事に溜め込んで古くなった看護書籍、医学書を処分し、本棚に隙間を作った。
医療は日進月歩、買った時に実践で役立ったものが現在では全く使えなかったりする。
こういう垢をどんどん廃棄して身軽にならないと。

眠い。
台風が来る前の気圧の変化のせいかな。
大した運動もしていないのに眠い。

冬が来る

2017-09-16 19:37:19 | 日常
快晴の朝。
空気が冷たい。

・・・・・

今日は職場で敬老会がありちょっと忙しかった。
仕事を定時に終えて外に出ると既に日没後だった。
間もなく彼岸入り。

残照。
風がひんやりしている。
ゆっくり散歩してから帰ろう。


もみじの赤くなっている所もある。


明日明後日は2連休だ。
果物と柿の種を買った。
スイカと青蜜柑を母宅に届けたらキムチ鍋を作ったと言ってジプロックコンテナに詰めてくれた。

鍋物がウマい季節だ。
ありがたや。

青蜜柑。

国産の蜜柑は今の時期しか食べない。
甘ったるくて酸味の無い冬蜜柑がスーパーで幅を利かせるまでは
この青蜜柑の皮の香りと酸味を楽しむ事が出来る。

まだ全然早いが既に眠くなってきた。
明日、礼拝の後はマルコを読む会がある。
昼食の弁当を用意しなければ。