JKTS

被災地へ医療スタッフとして行ってきました。

短い間でしたが貴重な体験となりました。

いつもと違う冬に。

2011-12-02 15:07:50 | 皆様へ

先日やっと厚生省へ年間の被災地医療支援のレポートと今後の課題と政府に取り組んでほしい事例をまとめたものを提出しました。

とにかく被災地にひとつでも多く
病院や診療所を建ててほしいし
理想は各仮設住宅の中に診療所を設けてほしいのですが国は国外のことにばかり目を向けがちな今、どこまで動かすことが出来るか。
ひとつになったとは言っても小さな医療支援チームの意見。

必ず実を結びますように。



瑠奈チャンは今、遠く離れた関西の親族のもとにいると
陸前高田にいる瑠奈チャンの叔母さんより連絡をいただきました。


あまりに大事にしすぎてお母さんが命をかけて守ったお人形のひとつを最近無くしてしまったそうで
瑠奈チャンも元気がないと聞きました。


100人サンタの話を教えていただいたので
瑠奈チャンへクリスマスには陸前高田の叔母さんのところに泊まりに来るようにすすめてもらいました。

叔母さんからサンタさんがたくさん来ることは内緒にしてもらい、

小さなお人形を無くしてしまった瑠奈チャンにまた新しい大切なものがサンタさんから貰えるように、

そして何よりも心から笑って欲しいと願います。


震災後に月と星がきれいだった夜に
避難所の体育館から寒い外に出て、
家族の誰かや友達を亡くした子供たちが

「さっき届いた絵本に死んでしまったらお空の星になるって描いてあったよ。あの光ってる星が、じいちゃん。」と泣いていた悠くんも

「大人になったら飛行機に乗って星に行ってみんなを迎えにいく。
そして津波に流されない家を建ててあげる」と言って大人を泣かせたじゅんくんたちも

みんな笑顔になれるといいなぁ。




私もその付近に陸前高田の診療所と病院に医療支援に伺う予定なので
瑠奈チャンや避難所でお世話になったみなさんに会えるのが楽しみです。



日に日に寒さも増して来ましたが
風化に拍車がかからないように
まだまだ出来ること、思うことをみんなで今まで以上にしていきます。


あの頃と比べたら支援の仕方や必要としているものが変わってきています。


今年が終わるからと言って
3.11はリセット出来ないことのひとつ。


少しでもあったかい気持ちや
笑顔になれることを見つけていきたいです。

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南三陸町で出会った友よ。

2011-10-15 18:24:24 | 皆様へ

9月の終わりに健診と病院の夜勤のお手伝いで南三陸町に行きました。

震災直後と今とでは医療従事者の役割もだいぶ変わってきたように思います。

南三陸町にある土手に上って景色を見渡すと

果てしなく続く更地と所々に集められた瓦礫しかありませんでした。

たくさんの職員のかたが犠牲となった役所も通りましたがTVで見ていたよりも

はるかに大きく本当に見上げるほどの建物でした。

 

健診は希望者がとても多かったけれど順調にすすみ、

仮設のほうもまわって診療介助にあたりましたが震災直後に比べれば環境はよくなってるように見えますが

まだまだ赤ちゃんやお年寄りのかたがたが生活していくうえではこれから来る冬対策も兼ねて改善していく面や予防接種の被災地無料化など挙げられる問題点がたくさんありました。

東京に帰ってそれらを政府に届けるためのレポート作成も今やっているところです。

 

今回、私と同じ年であの3・11に一瞬にして旦那さんも子供も両親も

妹夫婦も家も職場も同僚も何もかもを失ってしまった人に出会いました。

「半年たってもいろんな人に励まされても全然良いほうに今でも考えられない。今は仕方なく生きてる、早くあっちの世界に行きたいけど、一周忌、三周忌だ、ってみんなで仕事を残して行っちゃったからそういうのをこないていればいずれあっちで会えるからね。

でもなんで私も死ななかったんだろう。それが悔しい。」

と言っていました。

何の苦労もなく平々凡々に生きている私には想像を絶する絶望です。

携帯を見つめながら「登録してる人、ほとんど死んじゃったんだよ」と泣いている彼女にかける言葉はみつかりませんでした。

ずっとそばで背中をさすっていたときにやっと見つけた言葉が「友達になろうよ!」です。

時が止まったままの彼女の携帯に私の連絡先を登録してもらい、

気が向いたらでいいからいつか遊びに来て!と小さな約束をしました。

彼女も笑顔が見れたとき本当に嬉しかったです、一瞬でも。

 

被災地のみなさんは強いなって思っていたけど、踏ん張っていないとどうしようもない現実に負けちゃいそうだからなんですよね。

でもずっと踏ん張ってると体も心も疲れてしまうから

今は寄り添える「人」や「音楽」や「本」だったり「ペット」だったり「思い出」だったり

そういうのが大事な時期に突入していることを実感しました。

誰かの支えになるということは簡単なことじゃないけど

何気ない一言やしぐさでも伝わることもあると思うし、自分も誰かに支えられて誰かを支えられるような存在でいたいと思いました。

悲しみや絶望の中、そんな中でも前を向く勇気を持っている人たちとの出会いは小さなことで挫けてしまう私に色んなことを教えてもらう気がします。

だからこそ、私に出来る医療支援という形でこれからも出来ることはどんどんやっていこうと思う。一日も早い復興のためでもあるし、自分のためにも。

 

南三陸町の方々が言っていました。

「こんなに悲しい震災を忘れられていくことが一番つらい」

 

これから冬が来ます。もっともっと出来ることがあるはず。

 

★ドリカムのコンサート、楽しかったです!!

オープニングから「何度でも」で、イントロが聞こえた時点で化粧が全部落ちるくらい泣いてました。

歌に励まされて腕まくりをしていたあの頃が鮮明に蘇って

どんなに頑張ってもどうしようもないことがいっぱいあったあの夜や、ダメだと思っても明日は何か変わってるかもしれない、奇跡が起こるかもしれないって言い聞かせていた自分や

寝ないで物資や医療機器を運搬してくれた運転手さんや

全員に国民栄誉賞をあげたいくらい本当に本当に頑張っていた自衛隊のみなさんや

励ましてくれた仲間や家族、そして、ずっと心は繋がっている陸前高田のみなさんを思い出して周りが心配するくらい泣いていました。

たくさんの素敵な歌にいっぱい背中を押してもらって泣いたり笑顔になったり、

そして何よりもコンサートに参加出来ることは当たり前じゃなく幸せなことなんだって感謝の気持ちでいっぱいでした。

 

 

 

 

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半年。

2011-09-17 21:23:33 | 皆様へ

残暑が厳しい中、震災から半年が経過しました。

あれから災害医療をもう一度改めて勉強しなおし、職場環境に悩みながらも衛生と感染看護の資格も取ろうと思い研究と臨床の毎日です。

ちょうど半年の9・11に気仙沼で看護師をしている友達に近況を聞いてみました。

「半年経過しましたが、あっという間でしたか?長かったですか?」

その返事は「長かった。今もまだ状況は良くなってないから長く感じる」とのことでした。

報道や特集が減った今もなお、向かい合って頑張っている人がまだまだたくさんいるし心の傷が癒えることはずっと先のことだと思います。

先日ニュースで陸前高田で希望のひまわり畑の特集を見て、少しずつきれいになっていく景色やお世話になったかたの元気そうな姿や瑠奈チャンと同年代の子たちがひまわりの種を植えている姿に涙が止まりませんでした。

私の実家でも祖母が毎年ひまわりを植えていて種もたくさんあったので陸前高田のひまわりプロジェクトに種を提供させていただいたので、あの中で咲き誇ってるひまわりのどれかは繋がってるんだなと思うと自分の故郷と第二の故郷がひとつになった感覚で嬉しかったです。

今月中に被災地に再度訪問させていただきますが今回は南三陸に数日間ですが行って来ます。行く目的もだいぶ変わりました。健康診断や現時点で不足している看護体制の把握で行かせていただきます。

年内には福島へ健康診断にも行くことが決まっており福島も大好きな県なので少しでも何か出来ればという気持ちで放射能に関しても正しい認識を学ぼうと思っています。

ま、こうやって近況を報告していると勉強ばっかの真面目人間に思われそうですが趣味や気分転換で出かけたり遊んだりもしていて親に心配されています。

 

 

明日はドリカムのコンサートへ行って来ます!!

あのときいっぱい背中を押してもらった「何度でも」聞けるといいな。絶対泣いてしまう。

でもあのときに聞いていた心境と今とでは全然違う心理だけど

背中を押してもらえるということは変わらない。

たくさん大好きなみんなやお世話になった方々、家族の顔が浮かんでくると思うけどきれいな涙を流せると思います!

 

 

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5ヶ月

2011-08-12 17:54:42 | 皆様へ
震災から5ヶ月が立ち
寒くてバスタオルに包まって凍えていたあの日から
今の猛暑日が続く毎日を過ごしていると
時間の流れや季節の移り変わりを感じます。


定期的に送ってもらえる被災地の映像や写真はあの日から大きく変わることはなく、
まだ5ヶ月、もう5ヶ月と月日のとらえ方も変わっていきます。



医療支援に行かせていただいた陸前高田の避難所も閉鎖になり
皆が仮設住宅や他に引っ越して行きました。


起きてしまった災害に怒りと悲しみをぶつけようがなくみんなで涙を流した避難所。


そんな中、再会出来て喜びと安堵の涙を流した避難所。


これからのことを皆で話し合い途方に暮れた避難所。

途方に暮れた中でも
小さな希望や幸せを見つけたり探した避難所。


寂しいときも誰かが必ず気が付いてくれて寄り添った避難所。



そんな避難所が閉鎖になるのは寂しい気持ちもあり、
皆が仮設でも住まいを確保出来た嬉しさもあるけど
避難所がなくなったことで「これから」訪れる孤独や不安に対する気持ちの持っていき所やそれに対するケアが行き届くことが出来るのか
問題や課題も山積みで心配です。


私達の役割や存在ももっと見つめ直していかなくては。



お盆の時期できっと犠牲になった方々の御霊が天国から帰ってきているはず。



きっと大切な人のそばで花火を一緒に見ていたと思うし
そっと背中を押してくれていると思います。




5ヶ月もたてば色々と状況は変わり、
私の周りの環境も少しずつ変わって来ました。

その環境に我慢出来ずに
このお仕事を辞めようか迷っていたりしました。


でも、そんなときに
コメントを見ると頑張ろう!!という想いが強くなりました。



また被災地に行く約束も果たせてないので、
それも年内には実行しなくては!!


もっと勉強もしなくては。
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被災地からのお手紙

2011-06-06 19:18:21 | 皆様へ
今日陸前高田の避難所の方からお手紙が届きました。
そこにはゆっくりだけど復興に向かっていること


何も変わらない街並みと国からの支援


陸前高田を離れていく人たちのこと


いまだに親族が見つかっていない人がたくさんいること


減っていくボランティアや報道陣の数にこんなにも早い風化への足音


そして瑠奈チャンのこと


瑠奈チャンは最近になり
関西か九州の親戚のもとに引き取られて行ったそうです。

叔母さんと一緒に暮らしたかったそうですが
叔母さん宅も何も残っていない状態で家族が増えても瑠奈チャンを養っていけない現状だそうで一番瑠奈チャンが不自由なく生活出来る環境ということで
遠く離れたところに引き取られて行ったそうです。
叔母さんの気持ちも痛いくらい分かるので
きっとこれが一番いいかたちなんだと思います。




瑠奈チャンはぼろぼろになったキティちゃんのマスクやミッフィーちゃんの小さなちゃぶ台と必死にお母さんが抱えた瑠奈チャンの大切なものがたくさん入ったリュックだけ持って
陸前高田を後にしたそうです。

今後、大きくなった瑠奈チャンにどこで会えるか分からないけど生きてさえいれば必ず会えるのでずっと気にとめていこうと思います。

瑠奈チャンのこれからの長い長い人生が
たくさんの笑顔と優しさに囲まれているように願います。
瑠奈チャンだけでなく被災地の皆さんの人生も同様です。



今も陸前高田の避難所がテレビに映ると私が行っていた期間一緒に過ごした方々の顔が見受けられます。
元気そうな顔に安心するけど、
まだ仮設や住む場所が確保されていないのかという思いも強くなります。



お手紙にも書いてあった
まだ3ヶ月を迎えるような時期なのに風化に向かう足音への恐怖を
被災地の方々は抱いています。


これから梅雨や夏に向けまた山積みとなる課題に備えた復興を考え、
行動していきたい気持ちでいます。
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2ヶ月

2011-05-11 15:55:56 | 皆様へ
今日で東日本大震災から2ヶ月です。

1ヶ月はあっという間に感じたけど2ヶ月を迎えるのはちょっと長く感じました。


止まったままの時間
動き出した時間
あの日より良くなったこと
悪くなったこと




感じ方も経過していく時間の長さ短さも人それぞれだけど
こうした節目で必ずみんなで考えたり思い出す時間にしていかなくてはと最近よく思っています。





今朝5時代に緊急地震速報が出て空振りだったけど、世間が忘れそうになると警告が出るような気がします。



ある知人が「地震速報はだいたいあてにならないしうるさいから解除した」と言っているのを聞いて
これも世間の関心が薄れていく実情のひとつなのかなと思い、危機管理がまた緩くなっていくことや
あれだけの犠牲になった尊い命が伝えてくれたことをいかされなくなるのがやるせなく感じ、
かなり強い口調で注意してしまった。




ちょうど1ヶ月経つときにブログの記事は削除しましたが
女川にお嫁に行った友達に看護学校の同期のみんなと会いに行きました。



一家全滅で友達にも一番受け入れたくなかったかたちで会うことに。



いつも笑顔でその場を明るくしてくれた友達は恐怖に怯えた顔で亡くなっていました。


大好きな旦那さんの隣にそのまま埋葬されるのをみんなで呆然と立ち尽くしてその場に居合わせることしか出来ませんでした。


どんなに無念だったと思うと涙が出てきて止まりません。





あの日からいろいろ考えて自分が「生かされている意味」もよく分からなくなるようなことばかり。



「生きていく義務」だと思えばちょっと何か見えてきそうな気もするけど。



あれからの救急部は災害対策のマニュアルの大幅な見直しに追われたり
被災地に行っているチームと連絡を取り合い、新しい情報をどんどんもらっています。



でも現実はGWを節目に医療チームが大幅に撤退した被災地や避難所も多く、
これから梅雨にかけての衛生管理が悪くなることにより問題も増えていく中、
検討や対策がまた必要だと思います。







明日は看護の日。


看護大学のイベントに参加したあとに夜勤入りの予定です。。。
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雨の松島

2011-04-26 12:53:49 | 皆様へ
先週末に仙台市内に住んでいる友達に会いながら
一緒に松島へ一泊旅行に行ってきました。

全国の共通の友人から、あったかい言葉いっぱいのメッセージカードを集めたファイルをどうしても渡したかったのと
松島は私の両親が初めて遠出のデートに行った場所と聞いていて
震災後の松島や瑞巌寺を心配していたので、実際行ってみて確認したくて。



まだ新幹線が復旧していなかったので高速バスで片道6時間かけて仙台へ。


わくわくしてなかなか眠れなくて、やっとうとうとしたらパーキング休憩を繰り返していました。


パーキングでは被災地に向かう自衛隊や医療チームのバスもたくさん止まっていて
ついつい「お疲れ様でーす!!」と言ってしまいました。



東京は桜の時期が終わってしまいましたが、仙台に向かう途中の福島は高速から見える桜も満開ですごくきれいでした。

今は大変な時間を過ごしているけどやっぱり福島は自然もたくさん残っていて
春になったら桜満開になり
大自然からも「大丈夫!!」って言われてるような気持ちになりました。




仙台駅に着いたら寒い中待っていてくれた友達を見つけて嬉しくて駆け寄ってしまいました。

やっぱり実際会って笑顔を見ると本当に本当に安心しました。


地震にあった日のことや
ライフラインが復旧するまでの話を聞いて
改めて怖くなったし、こうして1ヶ月以上が経過して笑顔で会えることに友達に感謝の気持ちでいっぱいになりました。



車で松島に向かい、途中の道のりも海が近くなるにつれて地震の傷痕が所々見られました。



松島は景色は震災前の美しいままでした。
お土産街道は泥だらけで一階部分は商品も撤去されて土嚢が積まれていたけど
1日も早く観光客を迎えたい一心でみんなが掃除をしていました。
瑞巌寺はお寺の手前で津波が止まったらしく、何ていうか「こういうミラクルもあるんだなぁ」って神秘的なものを感じてしまいました。
どんな困難にも負けない力みたいなものをもらった気がしました!



五大堂も無事でした。
みんなの幸せと健康祈願をしてきました。
写真は五大堂からの眺めです。




高台のホテルに泊まって
雨の松島の絶景を見ながら友達といろんな話をして
やっとのんびり足を伸ばしてゆっくりした時間を持てた気がする。



ホテルの従業員のかたや
仙台駅のお土産売り場の店員さんたちも
みんな笑顔で接してくれて復興に向けて一人一人が頑張っている姿が印象的でした。
ぜひぜひゴールデンウィークに仙台や松島に観光に行ってほしいです!!
牛タンのお店も営業してるし駅構内も新幹線復旧前でしたが活気が溢れていました。



帰ってから母の携帯に松島の景色などを送信して
「大丈夫だったよ!!
またお父さんとのんびり旅行してきなよ!」と電話をすると
「お父さんより娘と行きたいわ」との返事にちょっと困ってしまいました(^^ゞ


あいにく雨の二日間でしたが、それはそれで風情があって良かったです。


遊覧船が復活したらまた必ず遊びに行こうと思います!!
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何度でも。

2011-04-06 01:23:50 | 皆様へ
最近になりほとんどのコメントを読むことが出来ました。ありがとうございました。まだ続々とコメントを残して下さっているのでありがとうございます、かな。
時間を見つけて目を通します。
ありがとうございます。


たくさんのコメントの中に避難所でかかわった方々もいて本当に感激しました。

それもこれも広めて、呼び掛けていただいた皆様のおかげだと感謝しています。ありがとうございます。
人と人を介して、本当にびっくりするような方々にも読んでいただけたようで
縁というかつながりも実感しました。



あまりにもたくさんの人に読んでもらって
なかなか次のこの日記が書けずにいたのも事実です。

かなり優しくていい人のイメージが出来上がってしまったようですが
全然そんな出来た人間でなく仕事にも普段の生活にも不満もたくさん抱えています。

被災地に行ったことで
知らないうちにいろいろなことを剥ぎ落としてきたというのもあり
今までハマっていたものや好きだったものも
なんであんなにハマってたんだろう?と考えが変わってしまった面もいっぱいあり、なかなか日常に戻るのも実は大変でした。



もともと災害医療を勉強したきっかけは地元にいたときにフライトナースの資格を取った時にセットで取らないとならないものになっており、
ついでのような感じで勉強をはじめました。


そうして災害医療を学びDMATの資格がもらえたときも
「もしかしたら自分が現役の時にでっかい災害に遭遇することはないんじゃないか」
なんて甘い考えも浮かんでいました。


今回実際被災地で医療活動にあたり、学んできたことは活かされたのかと問われると
胸を張ってYES!とは言えないように思います。


マニュアルをこえた現実というか、マニュアル以上の大惨事でした。


帰ってきてからも医療チームでマニュアルも全て改訂する作業をしています。


今は第3チームが行っており、
医療も急性期から慢性期疾患に重点が置かれているようです。
今後被災地医療に向かうコメントも多々あったので参考にして心構えしてもらえたらと、いくつか・・・。


水道工事がまだ復旧していません。
トイレの衛生面がかなり厳しい状況で気温の上昇に伴い感染の増大が見込まれています。
消毒液も多く持って行き、トイレ掃除は自治会の方や当番の方がしている避難所がほとんどですが
ウィルス除菌の消毒液の使い方の指導も必要になっていきます。
あとは血栓予防のフットケア、心労からの胃潰瘍、メンタルサポートがもうすでに必要になっています。

被災地での薬品不足で見落としがちだったのが交換用のストマ、化学療法の薬品、点眼薬。
これらは自分が向かう避難所と病院にどのくらいの該当患者さんがいるか事前に知っておき予定の五倍は持って行ってください。
歯磨きが十分にできていないので肺炎も合併してきているらしいのでせめてものうがい薬も必要です。


みんな我慢強い傾向も見受けられたので症状も全部言ってこなかったり
ギリギリまで我慢してからの受診や救急搬送のケースもたくさんありました。
なので主訴からもどんどん範囲を広めた診察が大事に思います。


私が次に行くのは6月くらいの予定です。
その頃には求められることも前回とは違ってくるのでまだまだ勉強をしなくては。



復興の手助けには程遠く、自分も限られたことしか出来ないので
ほんの少しでも前回より、より良い医療を提供出来るように日々勉強と仕事に励んでいきます。



あと、コメントの中で
翻訳に関してたくさんありましたが
あのような文章でよければ世界中の皆様にも届けていただくきっかけになればと思うので構いません。

出版に関しては本当に夢のようで嬉しいのですが
ここでこのまま残しておきますので個人ブログとしてここに時々読みに来てもらうだけでお願いしたいです。
もともと友達の友達とかにも読んでもらって
被災地で起きていることや医療チームの葛藤を共有出来たら・・・
そのくらいの考えでアップしたものなので
予想外の反響だけでも嬉しいのと、戸惑う気持ちで精一杯なので本当にすみません。



第3チームも今いろいろな局面にぶつかっているみたいです。

そして変わらず大変なのは医療チームだけでなく
復興に携わるあらゆるセクションのみんなもあの日からずっと同じ大変さとそれ以上の過酷な毎日は続いています。
でも常に気持ちはひとつ。東北地方の復興のため、
被災した全ての人の笑顔のため。






被災地の方々はもう十分頑張ったので頑張らなくていいから元気でいてください。




私達が頑張りますから。
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こちらこそありがとうございます。

2011-03-28 14:20:32 | 皆様へ
あの震災から、被災地から戻ってからいつも以上に月日がたつのがはやく感じます。


たくさんのコメントありがとうございます。
お一人お一人にお返事を書きたかったのですが出来そうになく、こちらでお礼を申しあげます。



最初友達に『コメントがたくさん入ってるよ』と教えてもらい、
あれ!なんかまずいことを書いてしまったかなって思ってしまいました。


もともとここはあるタレントの大ファンの私のコンサートや舞台の細々とした参戦日記でした。



そんな個人ブログだったので
今回こんなにたくさんのかたが訪問してくださりビックリしています。
著名人の方々もツイッターで広めて下さったとのことですが、ありがとうございますよりも本当にすみません。

いつも記録やレポート、論文を直されるくらいに文章下手なので読みにくかったり文法も間違えまくりだと思います。



最初は友達にメールをつくるのに綴っていた記録でした。
ブログに残せば友達の友達とかにも読んでもらえるかなと思ってアップしました。
写真もなく文章だけのもので分かりにくかったり伝わらないことも多かったと思います。



想像以上にたくさんの
いろいろな各地、仕事、立場の方からコメントもいただき反響にただ驚いています。


そして、たくさんのかたに被災地のことを知って自分が何をするべきか何が出来るかを少しでも考えてもらえたきっかけになっていただけて嬉しく思います。



優しい心を持った人がいっぱいいてコメントを読みながらすごく勇気が出ました。
折れてしまった心にみなさんが優しい薬を塗ってくれたようで、人を助けてくれるのはやっぱり人なんだなと改めて思いました。
ありがとうございます。




私は皆さんからほめてもらうような人間ではありません。

でもこれからいくつもの困難や悲しみに出会ったら
残してもらったコメントを見て頑張れそうです。



被災地から戻った今も、ついつい天気予報でも岩手の天気や気温を真っ先に見てしまいます。



次にまた行くまで時間がありますが、それまでは東京の病院でお仕事を頑張ります。

ふと、陸前高田のことを思い出しては空を見ています。
繋がっていることを確信して避難所のみんなと心はずっとそばにいます。


長いトンネルの遥か向こうに光が見えているので
着実に一歩一歩進んでいると思います。



今日も夕方から夜勤です。


明日は明けなので
もう一度コメントすべて正座して読ませていただきます。
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1、被災地へ。

2011-03-23 16:51:54 | 皆様へ
3月11日
午後2時46分。
東北関東大震災。



被災地の皆様、被災地以外でも様々な影響を受けている皆様、
1日も早く元の生活に向けて復旧しますようお祈り申し上げます。
多くの犠牲者の方々、心よりご冥福をお祈り申し上げます。



今回放置状態だったこちらのブログを一時的にアップしたのは理由があります。

3月15日
私の勤務する病院でも災害対策支援医療チームが発足されました。


救命センターの中から私も被災地に行くことになり、16日から23日までの第一陣のチームで
そこで見たものや
感じたこと、どうにもならないこと、
私なりの文章でお伝え出来ればと思います。



決してきれいごとではなくて
どんどん増えていく被害状況や泣いている人を見て自分には「今」何が出来るか
何をすべきかあの地震の日からずっと考えていました。

この仕事をしている以上、きっと何か出来るんじゃないかとずっと思っていて
オファーが来たときは「これだ!」と思いました。



前日に資料を配られ医療チームでの協議に参加。
荷造りに必要なものの中に財布やお金は不要と書かれていました。
持って行っても使い道はない、食事や睡眠は確保出来ないと思う事、トイレも仮設トイレは被災者優先と。

そして他院のリーダーナースとして指揮をとる方からの挨拶。

『想像以上に現場は壮絶。甘い考えやボランティア精神の人はここでリタイアしてください。

現場ではどんな状況下においても絶対に泣かないこと。
私達は同情しに行くんじゃない。看護、医療を提供しに行く。あなたたちが泣きたい気持ちなんかより
現地の方々はどんなに泣きたいか。こんなに裕福な東京医療チームの涙なんて現地の人には迷惑や嫌味だからね』


へたれな私はもうこの時点でドヨーンとした思いでした。


ばっちりメイクの先輩も名指しで呼ばれて

『化粧なんてして来ないように』



協議が終わって部屋に帰ってからは不安な気持ちを紛らわせたくて
お友達にメールしたり
被災地に行く宣言をすることで自分に気合いを入れていました。


しばらくあったかいものも食べられないと思って
つけ麺も頑張って2玉食べました(´`)



実家も被害を受けていたけど様子を見に行きたくても交通機関が復旧していなくて帰れないし

医療チームとして明日から被災地に行くことを母に電話して
背中を押してもらった気持ちになりました。


『実家のみんなはピンピンしてるから
困っていたり大変な思いをしている人の力になってきな〜』と言われてすごく元気になりました。


もちろん出発前夜は何回も荷物の確認をしたり
明日からのことを考えてあんまり眠れず朝を迎えました。


そう、一時的にこちらを再開したのは医療支援に行くからには私が見てきたものや感じたことをみんなに伝えなくてはと考えて
その日その日が終わるたびに携帯メールに日記を残すことを決め、まとめてこちらに載せようと思ったのがきっかけ。

なかなか文章ではあらわせないことばかりに向かい合ってきたので
うまく伝わらないと思いますが・・・・。
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2、初日の自分。

2011-03-23 16:51:41 | 皆様へ

3月16日


出発日に自分の行く場所を発表されました。


「あなたは陸前高田」



被害の大きかった岩手県の陸前高田への医療班を告げられ空路で移動。


先輩たちは福島、宮城とそれぞれチームが分かれました。



東京の病院から各チームごと
点滴、薬、包帯、湿布、オムツ、ナプキン、ガーゼ、マスクetc
1万単位の数であらゆる物流手段で移送。
一万個、一万本、一万枚がこの後全然数が足りないことも知らないまま。。。



いつも仕事で着ている白衣ではなくジャージのようなスモッグにNURSE・看護師と印字されたユニフォーム。



空から見ても栃木を越えたあたりかな?
福島上空になると屋根が壊れた家や街並みが増えてくる。原発も見ました。
指揮官ドクターに「海沿いをずっと見ていくと分かるよ」「あれが仙台市内かな」

お友達が住んでいる、何回も行ったことがある仙台の街並みが一変していました。


みんなから「無事」や「大丈夫」メールをもらったけど、
大丈夫じゃないじゃんと
やるせない思いです。



上空から仙台市内の様子を教えてもらうたびに
次第に無口になってく機内。



次第に岩手の三陸地方の街並みに。
足がすくむ思いでした。
まるで水に浸かった焼け野原です。


他人事に聞こえるかも知れないけど「これが日本なんだ、東京からもそこまで離れていないのに」と
これから自分が向かう場所がすごく怖く感じました。




それと同時に
自分は足手まといにならないか不安な気持ちも強くなっていきました。




現地に到着するとそんな不安な気持ちになっていられないくらい過酷な毎日が待っていました。

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3、赤い旗

2011-03-23 16:51:26 | 皆様へ

陸前高田に降り立ったときの印象はぬかるんだ地面と瓦礫の山。

津波の被害で壊滅的の場所です。
本当に何もなくて
残っている建物も廃墟と化していました。

5階建てマンションの5階にまで泥や船の備品が突き刺さっていて何度も目を疑いました。



何の匂いだろう?
焦げ臭い匂いがつーんと鼻に抜けていきました。


あとすごく静かでした。
報道のヘリや自衛隊のヘリが上空を旋回している音だけが響いている感じ。



雪が瓦礫の山に積もっていて、ずっとしんしんと降っていたけど寒いという感覚よりも恐怖のほうが強かったです。
足が震えていたのは寒さでなく恐怖でだったと思います。




一分間黙祷をしながら
もっと早く来るべきだったと思いました。


避難所や病院に行く前に
ざっと市内を案内される。




ここは商店街でした、
ここは郵便局だよ、
ここはおいしいラーメン屋、
ここは公民館、
ここは幼稚園、、、



ただの瓦礫の山。



15mくらいの真っ黒な津波が往復して全てを飲み込んでいったとのこと。
避難勧告が出て準備をしていたり、逃げる最中にみんな流されて行って
誰かのせいにすれば少しは矛先が出来て醜い感情を出せるけど、天災だから怒りの持って行き場がないと言っていました。


年に数回海を敬うお祀りもあっていつも海に感謝をして暮らしていたんだよ、それなのに・・・と
現地の人は案内しながら涙を流していました。

もうこの時点で私も泣きそうだったけど、絶対泣かない約束だったから
現実から目を背けて曇った空ばかり見ていました。


案内する人の後ろをずっと手をグーにして肩をすくめてついていきました。



風が吹くとどこからか
セピア色の写真や赤ちゃんの写真付きの年賀状が足元に飛ばされてくる。



そして一歩二歩歩くごとに赤い旗がヒラヒラ揺らいでいる。
しかも数えきれないおびただしい数の旗。




「この赤い旗は遺体が見つかった場所に立てられています」




正直つらかったです。





ある旗の前に佇んでいるお婆さん。
私のお婆さんと同じくらいの年だったかな?



「東京の看護婦さん、
ここにおじいちゃんが戦後一生懸命働いて建てたおうちがあったんだよ、
おじいちゃん病気ひとつしなかったのに死んじゃったよ」


人間の感情があるから泣くなと言われても無理でした。


リーダーナースが飛んで来て私の耳を引っ張って車の陰に連れて行かれて
すっごくおこられました。怒られようがもう自分は素直な感情でここでやっていこうと思いました。



テレビで映されているのは報道規制のなかの範囲内でそれでもあの映像。


映されない、テレビで流せない現状をこの目で見てきましたがそれはもう地獄でした。

案内されている隣で
自衛隊の方が瓦礫や木材をどかすと泥だらけになった遺体が必ず出てきて。

この光景は一生忘れないし
忘れてはいけないと思う。

瓦礫や木材と言っても数日前は誰かの生活の一部だった家や道具や誰かの宝物です。

その下から続々見つかる遺体。

そのたびに手を合わせる自衛隊の方々。そして偶然居合わせてしまった私たちも合掌しました。






初日はあわただしく避難所をまわってお年寄りの血圧測定と健康相談でした。

無我夢中で多分、私に笑顔はなかったんじゃないかな。
高齢者が多いな、という印象でした。


電気が復旧していないので暗くなる前までに1人でも多く血圧を測ってあげたくて本当に無我夢中でした。


脈をとっていると私の手を握り返してきて

「孫と同じくらいだな、看護婦さん。あったかい手だねぇ」

とそのまましばらく目を閉じているお婆さん。


両手を合わせて拝んで
何回も何回もお礼を言うおじいさん。


寝たきりなのに飛びきりの笑顔を見せて起き上がろうとするおじいさん。


美味しそうに小さなおにぎりを食べる子供たち。


毛布に包まって眠る赤ちゃん。





健康相談では「体育館では眠れないよ」
「親類と連絡がとれなくて眠れない」
と眠れない訴えが多く
血圧も高めなかたがたくさんでした。



すっかり暗くなる頃には
私の腕が上がらなくなっていました。


10数ヶ所の避難所、それでもまだまだたくさんまわれなかった避難所と救護所だらけでした。



あとから聞いたのですが
私は初日だけでも数百人の血圧を測ったらしい。



でも全然足りないくらい、測ってあげられなかったお年寄りのほうが断然多かったです。



気付けば朝トイレに行ったきり夜更けになっていました。



反省会や明日以降の予定のミーティングを終え、移動の疲れや現地を目にしたショックと
避難所まわりであっという間で忙しく過ぎた1日でした。



避難所だってぎゅうぎゅうで
もちろん私たちは寝る場所もなく
初日の夜は遺体安置所のわきの簡易プレハブに男女関係なく雑魚寝。




疲れているのに眠れるわけがなく、
持ってきたiPodを聞きながら友達と撮った写真を見たり圏外のままの携帯にこの文章をずっと打っていたり
友達がくれたメールを読み直して
1日泣くのを我慢していたのでバスタオルに包まってずっと朝まで泣いていました。

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4、小児と高齢者

2011-03-23 16:51:01 | 皆様へ

17日


避難所の一部を救護所兼病院として救急車を受け入れているところへヘルプに入る



救護所のベッドはすでに満床で
待合室には数えきれない受診希望の患者数
全然足りない薬品と医療品



トリアージにまわると
小児の間で39℃代の熱発による受診希望が多い





うー、嫌な予感




そして嫌な予感的中、
インフルエンザ




リレンザもタミフルも持ってきていたけど備蓄が足りない

症状軽めの患者にはカロナールでなんとか解熱を期待する

抵抗力の弱い小児や高齢者、
しかも今の状況だと全ての人が抵抗力が弱っているから感染してしまう可能性が高い


救護所の中もインフルエンザの患者とその他の症状の患者を分けて対応することに


これ以上拡大しないようにと気持ちが焦っていました



先輩の管轄の避難所から救急要請が入る



下痢で脱水気味の高齢者数人搬送したいと


物資が届かずなんと生米を食べていたらしく胃腸炎を起こしているとのこと




ラジオからは物資は続々届いているけど
小さな避難所には行き届いていないことやガソリン不足による物流が困難というニュースが流れていた




自分も雪解け水を飲んでしまいお腹の調子がいまいち




でも弱音は吐かないで笑顔!笑顔!
みんなの前では元気!元気!




今日は休憩は2時間半で朝までぶっ通し


みんなはもっともっとつらくて大変なんだから
これくらいのことは頑張らないと



搬送されてきた高齢者は
みんな脱水症状と低体温



点滴のストックがもうすぐ底をつく


点滴の針もあと数箱




避難所生活のストレスで胃潰瘍からの出血なのか吐血で血圧低下のショック状態の患者さんも搬送されてきた


すぐに内視鏡と輸血!
ドクターが叫んで自分で「あぁ、ここには何もないんだ」我に返っていた

緊急処置で点滴確保してどんどん補液しながら血圧を保たせながらヘリで内視鏡や処置が出来る盛岡市内へ搬送となる

最善の治療が出来なくて申し訳ない気持ちで見送る医療チーム




明日石巻に医療機器不足の連絡がとれるといいけど向こうも同じような状況なのかも



いまだに家族と連絡がとれない被災者は増える一方




あの日から奥さんを探すおじいさん
なんとか休んで欲しい




想像以上の状況と過酷さに挫けそうになるけど、
少しずつ高速バスが再開したり途中まででも新幹線が再開するニュースも聞こえてきた


昨日よりは絶対前に進んでいる!!

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5、消えてく命、生まれてくる命

2011-03-23 16:50:42 | 皆様へ

18日


救急患者を受け入れている病院へ。


とにかくここの病院のドクター、ナース、薬剤師、放射線技師、検査技師、栄養士、看護助手・・・
全て震災後から不眠不休。家族や休みだったスタッフの安否さえ分からないまま、
極限の精神状態で仕事をしていたらしいです。



少しでも交代で休んでもらうようにサポートに入ることに。



地域や物品の場所は全く違っても、医療は共通。
そう思いながらも、続々搬送されてくる救急車と
受診を求めて並んでいる1000人以上の患者さんを目の当たりにして正直途方に暮れましたが
目的の「1人でも多くのかたに医療と看護を」のために気持ちを切り替えました。


救急搬送のほうのグループになり
搬送されてくる患者さんも
心筋梗塞や脳梗塞の薬を飲めていないから
再梗塞を起こしていたり
透析患者さんが透析を出来なくてカリウムの数値が上がっていたり心不全を起こしていたり
医療機材が足りていない中、現状は相当厳しかったです。

地震によるケガは免れ生き抜いたのに、地震後に病気で亡くなってしまう方の無念さと
私達医療スタッフの絶望感は文章にはあらわせないです。


東京の病院では手を伸ばせば点滴台、棚をあければ薬品etc
そして当たり前についている電気


自家発電とはいえ、バッテリーと時間との勝負で
手術が必要な患者さんはヘリで他県へ搬送の繰り返し。


採血をすると真っ黒でどろどろした血液がひけて

「お食事したりお水飲めていますか?」と聞くと

「私だけそんな飲み食い出来ないし、おにぎりと朝夕のお茶だけだよ」と力なく答える患者さん達。


点滴も足りなかった・・・


受診する患者さんをどんどん固い床に寝かせ点滴をして
様子を見て
点滴を抜いて止血して
誰が何の点滴をしてどのペースで終わるか把握するだけでも精一杯



そうこうしてるうちに救急車の受け入れ




そういえば今日もあんまり笑顔を見せてないなって時に
妊婦さんが産気づいたとの連絡。



私と同じ年くらいの初産の妊婦さん。


助産師の免許はないから
点滴の確保とベビーキャッチにまわりました。



点滴を入れていると
「重症のかたがたくさんいるこんな時に本当にすみません」と。



「何をおっしゃいますか!!
高田のみんなや全国のみんなが赤ちゃんを待ってますよ!!」と声をかけました。
赤ちゃんは明日への希望です。




元気な赤ちゃんが生まれたときは、薄暗い分娩室が
本当に明るくなったように思います。

お湯も思うように沸かせないからガスコンロであたためた湯を準備したり
支援物資で届いたアンパンマンのバスタオルに包んで。


涙を流してるお母さんが

「もうちょっと早く生まれてきてくれたらおじいちゃんとおばあちゃんに見せられたのに。
とても楽しみにしていたのに。」と言っていました。


でもこんなにスムーズに
元気な赤ちゃんが誕生したことはきっとそばで見守ってくれていたに違いないと思いました。


眉間にシワを寄せてピリピリしていた救急チームも産声に駆けつけ
一気に笑顔の空間に。



これから大変なことがたくさん待ってるけど、
絶対それ以上に嬉しいこと、幸せなこと、楽しいことだって待っています。


この赤ちゃんが大人になる頃は元の高田市に戻って笑顔が溢れる穏やかな街並みになっていることを
その場にいたみんなが願いました。



ラジオからはひっきりなしに聞こえてくるどんどん増えていく死亡者数。


こうやって生まれてくる新しい命。


どちらも尊いものです。
命の重さもみんな同じ。



改めてそう思いました。



明日も笑顔で今日よりいいことを見つけよう。

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6、ライフラインと絆

2011-03-23 16:50:16 | 皆様へ

18日夜



避難所の体育館に時間制限はありますが電気が復旧しました!!



電気がついた瞬間拍手喝采で嬉しくてみんなで泣きました。


全国で節電したから予定より早く復旧したそうで
本当に本当に嬉しかったです。
優しさが伝わりました。



被災地に到着した日は
雪が降り積もっていて現地の人が
「こんなときに雪が降って神も仏もいなくなったな」とつぶやいていたけど

神も仏もいない今、
優しい気持ちの生きてる人間がたくさんいるよ!!とちょっと胸をはれたような気がします。
でも本当に大変なのはこれからです。
これからも全国の優しい気持ちが広がることを願います。



ガスや灯油が届かなくて寒いのは変わらなかったけど、
夜に電気が灯っているだけでなんだかあったかくなった気分でした。




18日午後
震災が起きた時間14:46には手を止めて黙祷をしました。
サイレンが鳴り響いて
現地の人たちの涙を見て
1週間経過した時間に対して早く感じました。


1週間経過したことでメンタル的サポートも必要になってきたようにも思う光景も増えてくる。



相変わらず救急搬送患者や入院が必要な被災者が増えていく一方、
救急車の燃料切れや
受け入れ先病院を探してもどこも満床、少なくなっていく医療物品、
新たな問題も山積みになり何度も立ち尽くしてしまいました。
そういう問題にぶつかるたびに弱気になったけど気持ちは常に強く。



救急患者対応だけでなく
避難所の血圧測定と健康相談、
現地ナースに休んでもらうために入院病棟の患者の処置や巡視、
エレベーターが止まったままなので食事の配膳時には5階建て階段の往復、
時間が少しでもあいたら火をおこしてお湯を沸かす、
1日が24時間では足りないくらいでした。


寝る時間が2時間でも
横になりながらこの時間も何か有効につかえないか考えていました。

こうして記録して現状を報告することしか思いつきませんでした。




電気がついただけなのに
全国で節電をしたみんなのことを思うと絆で結んだ電気に思えてすごく明るくあったかく電球が見えました。


頑張りがこうして形になって見えると俄然自分ももっと頑張らなくてはと背中を押された気持ちになります。

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