昨夜呼び出しは無かった。
今日明日二連休だ。
朝食に昔食べたものを食べたいと思う。
小学生の時に冷蔵庫に常備されていた魚肉ソーセージとピーマンを炒めて醤油をかける。
キュウリをただ切ってハムと一緒に麺つゆをかける。
麦飯120g。
小学5年生以降は自分でこんなのをおかずにして食べていた。
これに半熟目玉焼きも添えたが、今日は卵をあまり食べたくないので作らなかった。
休みの金曜日なので教会に行く。
午後からイザヤ書を読む会をやっているので参加してみる。
・・・・・
教会の帰り、古い商業施設の中の食堂でカレーライスを食べる。
ウマい。
昔懐かしいカレー粉の味のする食堂のカレー。
ここは来月廃業する。
数件の飲食店や雑貨屋、書店やレンタル屋の入居している建物を新しく建て替えるのだ。
いずれの店も地域住民に馴染み深い店だから、新しい店舗に皆一緒に移転するかと言うとそう単純でもないのか
書店、雑貨屋、レンタル屋、花屋、たい焼き屋、おはぎ屋、とんかつ屋、鉄板焼きスパゲティ屋、
そしてこの530円のウマいカレーを食べられる中華料理屋、皆移転や廃業で退去と決まったらしい。
今こぞって食べに来ている客達は私も含めて名残を惜しんで食べに来たのだ。
移転ではなくて廃業だと。
店の奥さんがお客の一人に話している。
「店続けたくてもねぇ。後継者いなくて。」
・・・・・
橋の上は風が強い。
川面にさざ波が立っている。
空が重たくなってきた。
・・・・・
ビッグイシューが届いた。
ストーンズの若い頃はギトギト脂ぎったおにっちゃん達だったのに、何て素敵に齢を取ったのだ彼らは。
今も大好きだ。
皆等しく齢を取る。
私は自分が老いる事が嫌ではない。
むしろ自分の母方の祖父母の記憶が残像として濃く残っていて、68歳で死んだ祖母の年齢まであと何年か考える。
祖父は72歳で死んだ。
68歳の祖母は痩せ細って小さく猫背で、顔は眼窩が落ち窪み本当に皺くちゃだった。
その娘、と言っても祖母にとっては末から二番目、四女である母は今80歳をとうに超えながら
68歳だった祖母よりも10も20も若く見える。
顔の手入れを怠らず皮膚の皺が少ない。
私は自分が老いて祖母のようでありたいと思う。
皺くちゃの「おばあちゃん」であれたらと思う。
祖父のように日焼けして、祖母のように皺くちゃに。
72歳と68歳だった祖父母は私の両親よりも若く短命だったがこの世の生活の困難を乗り越えた叡智を顔に刻んでいた。
貧しく食べる物に困窮してとても食べられない筈の硬い植物を祖父は採って来て食べられるように工夫し、
そこらの野鳥や魚を獲って来て食べられるように調理し、狭い庭にあらゆる野菜を育てた。
畑の作物から種を収穫して翌年また植えるとまた実った。
小鳥を飼うのが好きで自分で竹籤と細木で作った鳥籠や金網と壺巣と止まり木のある手製の鳥小屋で育て、
可愛がって育てた。
貧しい生活から得た多くの経験と知恵によって私の母親と伯父伯母達は養われた。
強靭な生活力と知恵であらゆる困難を乗り越えた人達だ。
祖母が逝った68歳まであと何年の時間があるだろうか。
母は祖母の齢をとっくに超えてしまった。
自分の親達も、自分自身もあのように美しく磨かれた精悍な人間にはなれない事はわかっている。
それでもいつか焼かれて灰になる。
灰は灰に、塵は塵に。
ここはまだ雪が残っている。
桜は・・・5月頃かなぁ。
今日明日二連休だ。
朝食に昔食べたものを食べたいと思う。
小学生の時に冷蔵庫に常備されていた魚肉ソーセージとピーマンを炒めて醤油をかける。
キュウリをただ切ってハムと一緒に麺つゆをかける。
麦飯120g。
小学5年生以降は自分でこんなのをおかずにして食べていた。
これに半熟目玉焼きも添えたが、今日は卵をあまり食べたくないので作らなかった。
休みの金曜日なので教会に行く。
午後からイザヤ書を読む会をやっているので参加してみる。
・・・・・
教会の帰り、古い商業施設の中の食堂でカレーライスを食べる。
ウマい。
昔懐かしいカレー粉の味のする食堂のカレー。
ここは来月廃業する。
数件の飲食店や雑貨屋、書店やレンタル屋の入居している建物を新しく建て替えるのだ。
いずれの店も地域住民に馴染み深い店だから、新しい店舗に皆一緒に移転するかと言うとそう単純でもないのか
書店、雑貨屋、レンタル屋、花屋、たい焼き屋、おはぎ屋、とんかつ屋、鉄板焼きスパゲティ屋、
そしてこの530円のウマいカレーを食べられる中華料理屋、皆移転や廃業で退去と決まったらしい。
今こぞって食べに来ている客達は私も含めて名残を惜しんで食べに来たのだ。
移転ではなくて廃業だと。
店の奥さんがお客の一人に話している。
「店続けたくてもねぇ。後継者いなくて。」
・・・・・
橋の上は風が強い。
川面にさざ波が立っている。
空が重たくなってきた。
・・・・・
ビッグイシューが届いた。
ストーンズの若い頃はギトギト脂ぎったおにっちゃん達だったのに、何て素敵に齢を取ったのだ彼らは。
今も大好きだ。
皆等しく齢を取る。
私は自分が老いる事が嫌ではない。
むしろ自分の母方の祖父母の記憶が残像として濃く残っていて、68歳で死んだ祖母の年齢まであと何年か考える。
祖父は72歳で死んだ。
68歳の祖母は痩せ細って小さく猫背で、顔は眼窩が落ち窪み本当に皺くちゃだった。
その娘、と言っても祖母にとっては末から二番目、四女である母は今80歳をとうに超えながら
68歳だった祖母よりも10も20も若く見える。
顔の手入れを怠らず皮膚の皺が少ない。
私は自分が老いて祖母のようでありたいと思う。
皺くちゃの「おばあちゃん」であれたらと思う。
祖父のように日焼けして、祖母のように皺くちゃに。
72歳と68歳だった祖父母は私の両親よりも若く短命だったがこの世の生活の困難を乗り越えた叡智を顔に刻んでいた。
貧しく食べる物に困窮してとても食べられない筈の硬い植物を祖父は採って来て食べられるように工夫し、
そこらの野鳥や魚を獲って来て食べられるように調理し、狭い庭にあらゆる野菜を育てた。
畑の作物から種を収穫して翌年また植えるとまた実った。
小鳥を飼うのが好きで自分で竹籤と細木で作った鳥籠や金網と壺巣と止まり木のある手製の鳥小屋で育て、
可愛がって育てた。
貧しい生活から得た多くの経験と知恵によって私の母親と伯父伯母達は養われた。
強靭な生活力と知恵であらゆる困難を乗り越えた人達だ。
祖母が逝った68歳まであと何年の時間があるだろうか。
母は祖母の齢をとっくに超えてしまった。
自分の親達も、自分自身もあのように美しく磨かれた精悍な人間にはなれない事はわかっている。
それでもいつか焼かれて灰になる。
灰は灰に、塵は塵に。
ここはまだ雪が残っている。
桜は・・・5月頃かなぁ。