ぱんくず迷走録

日曜日は教会へ。

教会仲間は超絶健康志向

2016-11-20 23:12:43 | 教会
朝から雲が重たいなぁ。


主日礼拝

黙祷
招詞 詩編149;1~4
讃美歌(21) 56 230
聖句暗唱 Ⅰヨハネ4;9
詩篇交読 詩編119;161~176
祈り
讃美歌(21) 475
聖書朗読 マルコ2;23~28
証し
讃美歌(21)459
献金
祈り
頌栄 28
祝祷

牧師夫人の証しだった。
継続する事の力について。

礼拝の後、近くのスーパーで安い弁当を買った。
皆がカステラと煎茶で歓談する間、私は昼食を済ませた。
食後にカステラを頂いた。
誰かが冗談を言って皆で笑いこけた時、気管にカステラと煎茶を吸い込んだ。
死ぬかと思った。
左右の下の大臼歯を抜いて以来誤嚥し易くなった。
危ない危ない。

教会の人々は誰も彼も皆「健康おたく」である。
食事の中の何から食べれば体にいいとか何を食べるといいとか情報交換で盛り上がっている。
超絶健康志向であるよ。
私は皆に尋ねた。

みんな病気の話が好きだね、
そんなに健康に気を使ってあと何百年生きるつもりなの

牧師先生が答えた。

「そりゃ齢取ってきたし、
 人の手を借りなければならないような体にならないためだよ」

ずっと自立した生活を続けてある日突然コロッと逝く事を皆期待しているのかな。
コロッと逝けるかどうかそればかりは誰にも分らないが、私はむしろ疑問を感じる。
私達はいつか必ず老い衰えるのだ。
老い衰え、弱って人の手を借りて生きなければならなくなるのは確かに辛い事だ。
実際施設に入所している高齢者で認知症を発症していない人は一様に同じ事を嘆く。

「人の手を借りて大便小便をしなきゃならない、
 こうやって人に迷惑ばかりかけて、こんな体になったら生きていたって仕方がない。」

そう漏らした人に私は尋ねた事があった。

誰でも皆齢取ったらあちこち弱って人の手も借りなきゃならなくなるし
 齢取らなくても、若くても怪我や病気で人の手を借りてやっと生活している人もいるよ
 誰もが終生元気溌剌で自立して何でも出来て人の手なんか要らない世の中になったら
 それは皆幸せかも知れない。
でも子供や若い人達は可愛がってくれた身近な爺ちゃん婆ちゃんが
 寝込んだり弱っていく辛い姿を見ないで
 世話をしたりされたりする辛い人の気持ちを思いやったり労わったりする術を
 どうやって誰から学べばいいの?

私がそう尋ねると、その人は考え込んで「そうだね」と言った。
それからしばらく他愛ない会話が続いた。
以前働いた職場で出会った高齢の方とそんな話をした事を思い出した。
あの人は今どうしているだろう。

私は老いも病みも回避しないなぁ。
必ず来るものを回避してどうする。
自分が老いて病み衰え、
拠り所無く滅び逝く無力な被造物の一つに過ぎない事を思い知って初めて
天地万物を創られた唯一の御方を仰ぐ事が出来る気がする。

・・・・・

まだ気管がざりざりするが、まずは病院に向かう。
バスもあるが、昨日一日引き籠っていたので下肢の筋肉が運動を要求している。

・・・・・

友人を見舞って来た。

病院には牧師夫妻も心配し来ていた。
笑顔が見られてよかった。

心配な連絡事項幾つかあり

2016-11-13 22:37:31 | 教会
時間が押している。
朝カレーは取りやめて(多分教会の昼食もカレーかな)カロリーメイトもどきを齧ってでかける。
礼拝の司会役に遅刻は許されない。

天気よくないな。
降り出しそうだ。


主日礼拝

黙祷
招詞 詩編149;1~4
讃美歌(21) 352 230
聖句暗唱 Ⅰヨハネ4;9
詩篇交読 詩編119;145~160
祈り
讃美歌(21) 476
聖書朗読 ヨハネ16;1~15
説教
讃美歌(21) 342
献金
祈り
頌栄 29
祝祷

気にかかる心配な連絡事項が幾つかあり、祈る。
午後は月一の教会員会がある。
昼食の準備の間に会議中に回す駄菓子を買いに行く。
雨は止んだが日が出たり引っ込んだりしている。

昼食はカレーでなくて団子汁だった。
団子は三色で、ジャガイモの白、紫イモの紫、カボチャの黄色。
色々な野菜と鶏肉が入ってウマい。

一味も教会員の自家製。
温まる。

午後の教会員会の議題はたくさんあり。
いよいよ待降節、降誕節の準備に入る。
先週11/3に行われた同じ教派の教会の連絡会議の報告があった。
酷い悪天候の中を牧師夫妻と役員を務める友人が帯広まで行って帰って来たのだった。
議事録を見せてくれたので借りた。

まだ明るいうちに会議は終わった。
終了後牧師館で牧師のPCに大量に送られて来たスパムメールに対策を試みた。

・・・・・

帰宅。
今日は何かといろいろ忙しかった。

そういえばさっき教会員会の席で歯の詰め物が外れた。
この夏に割れた小臼歯に被せた冠が、治療終了から日を置かずに外れて再装着して貰ったのが、
今日教会で会議の最中に飴を噛み砕いたらまた剥がれてしまった。
また歯科に行かねば。
飴を噛まなければよいのであるが、
私は飴を舐めるのではなく噛み砕きたくなる性分で、
飴が甘かろうが甘くなかろうがどうでもいい。
硬いものを噛み砕きたいのである。
飴がある限り歯が負けて破損する事故からは逃れられない。

今日、礼拝で詩編を交読している時、149節が響いた。

 あなたの恵みによって私の声を聞いてください。
 主よ。
 あなたの決めておられるように、私を生かしてください。
                      詩篇119;149(新改訳)


全道の同じ教派の教会連絡会議の議事録を貸して頂いたので読む。

・・・・・

何だか住む世界の異なる話だと感じる。
私は別に構わないが、
高齢化しネット環境に恵まれない地方の片田舎の教会の人々と
英語が読めて当たり前、ネットを使えて当たり前の一部高学歴者の多い教会との間の格差は
どうしようもないほど大きく開いている。
これでは情報共有は難しいだろうな。
共感するものも無い。
学校教師、学者の多い教派だから仕方ないか。
早々に返却しよう。

漆黒の闇の中の御臨在

2016-10-30 22:09:00 | 教会
昨夜夕食後睡魔に負けてちょっと寝るつもりががっつり11時間も爆睡していた。
おかげで腰が痛くて起き上がるのに30分かかった。
立つも座るもならんの。
長時間睡眠は最も危険だ。

起きてTwitterを開いたらたまたまバチカンのニュース記事が載っている。
先日聴いた英神父様の説教の中でも、フランシスコ法王と記者との問答に触れていた。

  記者「ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ(フランシスコ法王の本名)とは誰ですか」

  法王「私は罪人です。
     これがより正確な定義です。
     ただ単なる言葉の綾でも文学的表現でもありません。
     より深い心の底から起こって来る事で、より真実と感じている事はこうです。
     主に見つめられ、私は罪人です。」
             (福音 お休み処 説教ライブ ルカ18章9-14節「罪人の祈り」)
               先頭にhをつけてね→ ttp://hanafusa-fukuin.com/archives/1313


これは重要な事だ。
信仰者にとって。

・・・・・

今日は日曜日で仕事1日休みだからとりあえず教会に行かねば。
帰りは徒歩にすれば少しはよくなるかもわからんし。
いやその前に礼拝中座っていられるのかな。

天気いいが風は凍っている。


主日礼拝

黙祷
招詞 詩編106;1~3
讃美歌(21) 210 409
聖句暗唱 Ⅰコリント3;11
詩篇交読 詩編119;113~118
祈り
讃美歌(21) 456
聖書朗読 ルカ11;9~13
証し
讃美歌(21) 481
献金
祈り
頌栄 27
祝祷

遅れて礼拝堂に入った。
教会員の信仰告白。
文字通り病める時も健やかなる時も共に生きた伴侶を昨年見送った人の
信仰歴と戦前、戦中、戦後をあらゆる職について生き延びてきた事。
貧しい農家に生まれて戦時中の子供時代に飢えを体験し、
戦後は生き延びるために様々な仕事を転々とし、人との出会いによって信仰に導かれた。
炭鉱で地下に潜り慣れない石炭採掘をした事もあった。
地中の炭鉱の中は明かりが無いと鼻をつままれても気づかないほど完全な闇だった。
その漆黒の闇の中で主の御臨在を感じたと。

・・・・・

礼拝が終わって挨拶もそこそこに教会を出た。
椅子から立ち上がる時ちょっと腰に響いたが歩くと少しよくなるかも。

・・・・・

腰痛いからと言って即行歩き出したが風びゅーびゅーで寒い。
顔と耳がキリキリ痛む。

誤訳

2016-10-16 23:39:11 | 教会
明け方、寒くて目が醒めたら5:00で日の出前だった。
目覚ましをセットして二度寝した。

また夢を見た。
父が車に乗っている。
不機嫌で無言のまま猛スピードで市内を、
駅前、中心街から東の方角へ、郊外まで大きく迂回してから陸橋に上がり国道に出て
市の西側へ猛スピードで車を走らせている。
外は東に雷雲が垂れ込め、西から日が差している。
何処に行くのか訊いても父は無言のまま不機嫌にアクセルを踏んだ。
何でこんなに急いで車を飛ばすのだ。
車体が大揺れして危ないと思った。
そういえば私はシートベルトをしていなかった。
シートベルトを締めながら父の不機嫌な横顔を見た。
市の西の外れに教会がある。
あ、そうだ、しばらく教会に行っていないと自覚した瞬間目が醒めた。
今日は礼拝で司会役に当たっていたのだった。
慌てて携帯を見たら6:30、まだアラームは鳴っていなかった。
時間に追われる生活をしているとこういう夢を見る。

起きてベッドから出たが、首と肩が痛む。
どうも睡沈している間にあちこち故障する。
教会まで歩いて行きたいなぁ。
歩くと体調改善するんだけどな。
しかし時間的に無理っぽい。

クラッカーと牛乳で朝食を済ませ、タクシーで教会に行く。

父の死後、介護が無くなったら
自分のために時間を使えるようになると思っていた。
休日に職場へ出向くのは自分が自分の仕事をやり易くするための自分の時間だ。
教会行きも?
当然自分で選択した時間だ。
誰からも強制されていない。
にも拘わらず常に追い立てられる気がする。
職場でも教会でも、慇懃に低姿勢で役割を振って来る人があり、
自分は期待される役割を果たそうとする、茶番の力学が働いている。
そして自分は自分のために使えない潰れた休日や空き時間を
さも恵みか何かのように喜ばしくいそいそと時間配分し予定を調整しながら思う。

いつまで続くのだ茶番は。
如何にも有り難げなこの茶番は。
何なのだこのぎっしりと隙間の無い行事予定は。

溜息ばかり出る。
来月はアドヴェントだ。
あっという間に地獄の12月が来る。
楽しそうに幸せそうに、地獄の12月が来る。
地獄が来るから楽しそうに幸せそうにしなければ。

全身が痛だるい。
寝相が悪かったかな。

何と深い青空だ。


主日礼拝

黙祷
招詞 詩編106;1~3
讃美歌(21) 11 409
聖句暗唱 Ⅰコリント3;11
詩篇交読 詩編119;81~96
祈り
讃美歌(21) 481
聖書朗読 ガラテヤ3;23~29
説教
讃美歌(21) 416
献金 65-2
祈り
頌栄 28
祝祷

今日の説教は先日の連休に他所で行われた修養会から
聖書の日本語訳の誤謬について。
パウロ書簡に述べられている「信仰義認」の箇所を長い年月の間、
私達の教会も含め日本のプロテスタント諸派では
イエス・キリストを信じる信仰によって義とされる”と訳し
実際そのように教えられ解釈して来た。
しかしこの“イエス・キリストを信じる信仰”は
ギリシャ語原典では“イエス・キリストの信仰”と書かれている。
ギリシャ語から英語に訳した聖書でも“イエス・キリストの信仰”と訳されており、
“イエス・キリストを信じる信仰”という訳は日本語訳のみらしい。
自分達は誰の信仰によって義とされたのか、という事。
日本語訳だと我々は自分の信仰によって義とされる、
つまりキリストに対する自分の信仰で自分自身を救っている事になる。
ギリシャ語を日本語に訳す時点でそのような翻訳をしたために
妙な逆選択的な解釈になっているという事をこの度の修養会で神学者達が指摘したと言う。
今でもプロテスタント諸派では多数であろう。
しかし原典からそのまま“イエス・キリストの信仰”と訳した方が自然でしっくりくる。
それは福音書でイエスが語られた言葉から私はそのように受け止めている。
この日記ブログには詳細を書かないが、
例えばルカ22;31、32のイエスの言葉から私はそのように受け止めている。
「自分がキリストを信仰するその信仰によって義とされる」は、
信徒に高いハードルを飛べと要求し、追い立てる。
英神父様が著作『祈りのはこぶね』で指摘した「ミムネ病」の発生源にすらなり得る気がする。
実際、自分が信じる信仰ほど頼りないものはない。
自分自身は鶏が鳴く直前のペトロと同じく情けない者であり、
手放しでただ赦されただけの罪人である。
ルカ22;31、32のイエスの言葉から、私はそのように思う。
結局この度の修養会は神学論議でやたらと難しかったのだな。
参加した人達はお疲れ様な事だ。
訳語を一つ一つ取り上げてギリシャ語と英語と日本語の言葉の違いを照らし合わせる事を奨励し
「聖書を学ぶ」と称し聖書を日本語訳を数種類読み比べろとか英語の聖書を読めとか
方角がどんどん脱線していくのを感じる。
字面を追い言葉尻を分析する事に終始する集会が
日々の生活で精一杯の無学な信者にどれほどの恩恵をもたらすかは知らない。
דׇּבְרをλόγοςとしてしまっている以上は翻訳と解釈というこの字面の問題からは逃れられない。
ただ、言っている事は重要な事であり、実にその通りだと思う。

はー。
(ここまで書いて、甚だ疲れた。
修養会の日程は休みだったと記憶するが参加しなくて正解だった。
休日に他所にはるばる出向き2日間も神学談議や聖書の翻訳学に時間を費やすなどあり得ない。
信仰者と神学者とは別物だと思う。)

礼拝の後、昼食のカレー。

挽肉と豆のカレー。
米飯を半分残してしまった。
大食いの筈なのに、ヤキが回ったな。

午後は月一の会議。
来月11月は待降節。
その先の12月の降誕節に向けた行事日程の過密ぶりを見て今朝見た夢を思い出した。
毎年の事ながら12月のこのクリスマス行事の過密は何だろう。
牧師夫妻も教会員達も過労死しないのか心配になるほどだ。
昭和20年代30年代の大昔の、
狭い教会に団塊世代の学生達と大勢の子供達が溢れ返り犇めき合っていた時代の行事を
過疎と高齢化の今の時代になってもまだ同じように続けているからだ。
半世紀前の先人達が青春時代に大盛り上がりして心血注いだものの火を絶やさず
同じく変わらず続けて行きたいのだ牧師先生達も皆も。

会議の最中に強い疲労感を感じた。
消耗感や疲労感と言うよりも、これは背部痛だ。
背部に鈍痛がある。
何だろう。
4日後に内科の定期通院がある。
何か問題あればその時の採血で主治医が指摘してくるだろう。
帰り道を徒歩で、自宅まで歩けば案外よくなるかも知れない。

来月の分担を決めるのに業務日程を確認しなければならず途中職場に電話して確認した。

会議は長く感じたが普段よりも早く終わった。
歩こう。

教会でリンゴを1個頂いた。
甘いリンゴは苦手なので母宅に寄って差し入れにした。
母からは鮭の漬け焼きとキュウリ揉みを貰った。

「他者は自分の敵ではない」

2016-09-11 21:24:05 | 教会
あほんだらな事ばかりやってないで急ぎ教会に行く。
そうそう、礼拝の司会に当たっておるので遅刻は許されない。
風強い。
吹き飛ばされて行く雲がドラマチコや。


主日礼拝

黙祷
招詞 イザヤ26;12~13
讃美歌(21) 204 454
聖句暗唱 ヘブル11;16
主の祈り
祈り
讃美歌(21) 561
聖書朗読 マタイ5;43~48
説教 「“他者”は自分の敵ではない」
讃美歌(21) 499
献金
祈り
讃美歌(21)90
祝祷

教会仲間が台所でカレーの仕上げをしている。
私は午後の会議用に茶菓子を買いに出た。
乾いた風が心地よい。
茶菓子を物色しながら、1本60円の朝採りトウモロコシの
切り口のみずみずしいのが気になった。
うちの近所のスーパーで萎びたトウモロコシが1本98円で「安売り」されている。
教会の行事が全部終わったら買って帰ろう。

戻ったらカレーが完成していた。

教会のカレー。

・・・・・

教会員会終わった。
帰りにさっきのトウモロコシと黒ブドウのキャンベルを買い込んだ。

運動量が足りないので徒歩で帰宅する。

2016-08-28 18:30:19 | 教会
昨日夕日と清浄に晴れた空を見たので予報を裏切って晴れる事を期待したら、
律儀にも土砂降りで大雨。
しかも寒い)))
いよいよ冬に向かってるんだなぁ。

教会に行く。
はるばるお江戸から道東管内の教会を訪ねるために当地に来られた方が
この雨のために列車が運休になって足止めされているとTwitterで伺って
私達の教会にお誘いした。

嫌な雨だなぁ。


主日礼拝
黙祷
招詞 詩編149;1~4
讃美歌(21) 1 561
聖句暗唱 エフェソ2;14~15
詩篇交読 詩編119;65~80
祈り
讃美歌(21) 533
聖書朗読 マルコ2;1~12
証し
讃美歌(21) 532
献金
祈り
頌栄 28
祝祷

今日は月一回の教会員による信仰告白。
病んだ時に体を労わって大事に大事に臥床すればするほど病みが進み、
起きて床を上げ、体を動かせば動かすうちに活気を取り戻す事を
日野原重明先生の話から学んだという事。
主の憐れみと励ましを受け、起きて床を担いで歩く。

この日記ブログの読者としてコメントも下さった方と初対面の挨拶を交わした。
私達の所属する教派の古くからの信徒であり今はお江戸の教会を支える方である。
故郷の教会を訪ねようとして豪雨のため電車が運休し駅で足止めされたため
今日の礼拝を一緒にした。
お江戸の教会では昔私と一緒に受洗した高校生だった人や
青年会にいた学生だった人がいて教会を支えている。
彼らの消息を聞く事が出来て嬉しかった。
礼拝の後しばし歓談した。
今週末に予定されている婦人会の集会の相談もあって賑やかだ。

酷い雨だ。

帰宅後、同じ教派の教会の牧師に電話で事情を話した。
牧師はいつも送られて来るお江戸の教会の月報を読んで活躍を喜んでいた様子。
また会う機会はきっと与えられる。

大雨雷暴風洪水波浪高潮警報

2016-08-21 20:20:28 | 教会
台風の皆さんが続々やって来る。

勤務でもないのに6:00に起床してOS1を500ml飲んだら甘くて閉口した。
あんまり食欲ないが集中力上げないと。
やはり勤務でもないのに朝食は激辛カレー。
食後に再びOS1を飲んでみたらそんなに甘くなかった。

さて、早めに教会に行く。

酷い雨だ。
叩き付けている。


しかもこの雨は塩分が強いのだ。
そこらの樹木や草が塩辛い雨と風に叩かれて茶色く腐食しているのは
何とも禍々しい光景だ。






写メ撮っていると教会仲間が到着し、
居住する地区が冠水して立ち往生しそうになったと言う。
何とか教会までは来られたが帰り大丈夫か?

礼拝が始まるまで少し時間がある。
週報を参照して讃美歌の番号と詩篇と新約の聖書個所に付箋をつけ、
一通り黙読した。
教会仲間が数分間一緒に祈ってくれた。


主日礼拝

黙祷
招詞 詩編103;1~5
   わがたましいよ 主をほめたたえよ
   私のうちにあるすべてのものよ
   聖なる御名をほめたたえよ
   わがたましいよ 主をほめたたえよ
   主のよくして下さったことを何一つ忘れるな…
   ・・・・・
讃美歌(21) 202 561
聖句暗唱 エフェソ2;14~15
主の祈り
祈り
讃美歌(21)469
聖書朗読 ヨハネ15;26~16;4
説教
讃美歌(21) 391
献金
祈り
頌栄 28
祝祷

初の司会、終わった。
滑舌悪かったな自分。

説教の間、雨が激しくなった。
礼拝が終わって食事当番の教会仲間がカレーの仕上げをしている。

「まだ緩いかなぁ」

「ちょっとまだ緩す過ぎるんじゃない?」

「もうちょっとかな」

見るとデザートの果物が無かったので近くのスーパーに買いに行く。
ちょうど小降りになった今のうちに。
ブドウは、デラウェアが安くてたくさん入っていたのでそれにした。
あとかき餅と曲がり煎餅も。

戻ったらカレーが完成していた。

教会の甘口カレー、ウマい。
作った仲間が「教会の大鍋で作ると美味しいんだよね」と言っている。

雑談しながら皆でカレーを食べていたら
突然各自の携帯やスマホが一斉に鳴って驚いた。
緊急災害情報のアラームだった。
市内の一部に河川の氾濫、冠水と土砂崩れの危険があり避難するようにと。
教会の周囲も私の自宅近くは排水悪くないのか何ともない。
ただ、大きな川が氾濫して橋が封鎖されたら帰れないなぁ。

この夏は塩辛い雨と風にやられて全滅だと、
カレーを食べながら畑をやっているどの人も嘆いていた。
今年は畑が全くダメになったから昼間の時間が空いてする事が何もないと。
それでも僅かな収穫の中からズッキーニをくれた。
買うと高いんだよ。
私には多いくらいだ。
有り難く頂いた。

別の教会仲間に電話の着信が来た。
知人宅の裏山が土砂崩れして樹木が壁を突き破り、家屋がダメになったと。
とりあえず避難しているらしい。
けが人は幸い出なかったが大変な事になっているらしい。

雨がまた激しくなった。
先週の墓前礼拝の残りの花かと思ったらそうではなく、
牧師館で植えた百合が風雨に叩かれて折れそうだったので
切り花にして飾ったと牧師夫人が言っている。


食後、急遽来月初めの婦人会の相談が始まって、
終わるのを待った。

聖餐式
讃美歌(21) 78
聖書朗読 Ⅰコリント11;23
祈り

聖餐式の後、教会員会。
来月の行事予定、私は来月も司会の任に当たる。
議題たくさんあるなぁ。

9月10月は職場の講習会に4回出なければならず
その準備で月一程度しか日曜の礼拝に出るのは無理かも。

15:30。
教会員会終わった。
皆で食器洗いを終わらせ、帰りは教会仲間が自宅まで送ってくれた。
冠水した地区に住む仲間が心配である。
疲れた。
少し横になろう。

墓所の清掃に行く

2016-08-07 22:14:39 | 教会
連休2日の1日めは職場に出向き嚥下評価のための頸部聴診と月曜の往診準備、
2日めの今日は礼拝の後で教会墓所の清掃。
今月は何故か日曜日が全部休みになっているので休日でも休めない。
今週何処かで休み取れないかなぁ。


いい天気だ。

牧師先生が先週教会墓所の清掃を「雨が降るかも知れない」と言って
今日に延期したのは正解だった。


主日礼拝

黙祷
招詞 詩編149;1~4
讃美歌(21) 560 561 
聖句暗唱 エフェソ2;14~15
詩編交読 詩編119;49~64
祈り
讃美歌(21) 371 562
聖書朗読 ローマ8;18~23
説教
讃美歌(21) 426
献金
祈り
派遣 讃美歌(21) 90
祝祷

暑くて腐りそうなので昼の弁当を作らなかった。
教会近くのスーパーに弁当を買いに行った。
戻って来た時、教会の垣根のラズベリーの実が赤くなっていた。




わいわい談笑しながら皆で昼食を済ませた後、
墓所の清掃に行く組と、残って会堂の清掃をする組とに分かれた。
私は墓地に行く組。
ここしばらく続いた雨の湿気で納骨堂の中がカビていたら難儀だな。

道の途中、如何にも北海道らしい風景。

霊園に着くと、牧師夫人と教会仲間が地面を見て喜んだ。
ねじり草?
ねじ巻き草?
 

牧師夫人と教会員は何か宝物でも発見したかのように喜んでいる。
私はこの草を初めて見た。

納骨堂の内部はカビてはいなかったが雨が吹き込んで排水が悪いのか
床に水が溜まって濡れていたので拭き掃除した。
父の遺骨は棚の最上段で奥まで手が届かなかったので仲間に頼んで拭いて貰った。
それから皆で納骨堂の敷石をデッキブラシで磨いた。


炎天下で肉体労働、和気藹々。
夏椿が咲いている。



蕾がたくさんついている。
来週の召天者記念礼拝にはもっと咲きそうだ。

帰りの車中から父が撮った湿原の眺めを写メに撮ろうとしたが
一瞬で通過した。


市内に戻ってバス待ちしたが来そうにないので歩いた。

予型

2016-07-31 21:40:14 | 教会
霧雨と思っていたら本降りになったなぁ。
昼の弁当はとても自作する気にならずとりあえずスーパーで
弁当を買って教会へ。




主日礼拝

黙祷
招詞 詩編149;1~4
讃美歌(21) 205 120
聖句暗唱 コロサイ3;15
使徒信条
祈り
讃美歌(21) 510
聖書朗読 ヨナ2;1~10
説教


洗礼式 ローマ6;1~6
受洗者による信仰告白、証し
讃美歌(21) 67
献金
祈り
讃美歌(21) 90
祝祷


洗礼式があった。
いつになく感動した。
教会仲間の説教がよかった。
牧師も洗礼式の後に触れていたが、
まるで今日の洗礼式のために備えられたかのような説教だった。
ヨナ書をイエス・キリストの死と復活の予型として注目し、
古い自分が罪と共に死んで新しく生まれる洗礼の象徴としても理解される、
わかり易い説教だった。
しかし特に今日の洗礼式を意識してヨナ書を選んだ訳ではないらしい。
年に1回のペースで回って来る説教奉仕で一昨年、昨年と
一貫してヨナ書を選んで語って来た、今回が3回目だと言う。
説教の原稿は印字してあって希望者にくれるというので一昨年と去年のを頂いた。

私達の所属教派では説教の奉仕は必ずしも牧師や宣教師だけの仕事ではない。
牧師も教会員も、誰もが福音を人前で語って
自分の信仰を告白すべきという考え方を伝統的にしている。
実際、年に1回の当番が回って来るだけでも負担であるが、
今日説教をした仲間の原稿を読むとその事について一昨年話していた。

「長年教会を支えてくれている牧師の負担を少しでも軽減したい、
 少しでも楽になって貰って、少しでも長く奉仕してほしい、
 教会員である自分も兄弟姉妹達も皆、機会があれば
  自身の成長のためにも説教の奉仕をどんどんやるべきであるが、
 それがなかなか出来ないでいる…」

という内容が冒頭に書かれている。
日付を見ると2014.11.23。
私はその日曜日に何をしていただろう?
この日記ブログを見ると私は前の職場で早番勤務をしていた。
胃がしくしく痛みだしていた。
まだその頃は父が亡くなった後で遺品整理が残っていた。
私がそんな事している間に仲間はもっと先に踏み出していたのだと思う。
仲間の信仰に触れると自分の内部が火で温まって来る気がする。
受洗し新たに教会家族に加えられた人に挨拶した。
家族が増えた幸福。


天気が悪いので墓所の清掃は牧師の提案により来週に延期となった。
しばし立ち話して、その後の茶話会は辞退し教会を出てバスに乗った。
バス定期更新と携帯電話とルーターの電池パックを買いに行かないと。
スーパーで買った弁当はとりあえずカバンに入れて持ち歩いた。

街路樹の1本に白い花が付いていると思ったら夏椿だった。

教会墓所の傍にあったのと同じだ。

物理的な法則のような何か

2016-07-17 20:05:03 | 教会
どんより曇り、そして霧。



主日礼拝

黙祷
招詞 詩編149;1~4
讃美歌(21) 6 482
聖句暗唱 コロサイ3;15
詩編交読 詩編119;17~32
祈り
讃美歌(21) 516
聖書朗読 ヨハネ1;1~5
説教
讃美歌(21) 226
献金
祈り
派遣 讃美歌(21) 90
祝祷


昼食の準備の間に近所のスーパーに行って
皆で食べられるような果物と駄菓子を購入した。
スイカだと生ゴミが出る。
この後会議もあるし、
終了後すぐに牧師夫妻と役員の一人が帯広に出かけるので
食後の後始末の簡単なのがいい。
来月の召天者記念の時にはスイカを出す事が既に決まっている。
それで結局サクランボにした。

戻ると冷やし中華が出来ていた。



うまー♪

そうめんばかりでなくて冷やし中華を昼の弁当にしてもいいな。
昨年秋に奥様を天に見送った方が
隣に座って今栽培しているキクイモの話をしてくれた。
キクイモはイヌリンが豊富で健康にいいと熱心に勧められた。
ティーバッグの袋には料理のレシピも入っている。
甘酢漬け、味噌漬け、サラダ、カレーライス、シチュー、煮物。
へぇーこれはジャガイモというよりも長芋のレシピっぽいな。
乾燥させてティーバッグにしたキクイモ茶を一つ分けて下さった。
有り難く頂戴して、飲んでみよう。
スーパーで最近よく見かけるキクイモ。
食べるのはジャガイモと同じ扱いでいいらしい。


食事中、牧師先生から札幌の私の母教会に関する深刻な話を聞いた。
先月訪ねてくれた牧師が辞任したと言う。
しばし考え込む。

午後から月一の教会員会。
来月の業務分担、会計報告、讃美歌選び、行事予定。

毎年訪ねてくれる井上薫牧師が今年もまた来られる。
私が昨年集会に出席した時は大雨だったけど大勢来ていたと言うと、
牧師はじめ皆してそれは一昨年の事だと言う。
いやあれは私が仕事辞めて求職中だったから出席出来たので、
去年だと言うと、皆いやそれは確か一昨年でほんの数人しか来なかったと言う。
携帯から自分のブログのアーカイブを見ると実に去年の8/18だった。
この日記に記事がある。
皆、記憶が怪しい。(笑
つまり、井上薫牧師を迎えた集会の日は昨年も一昨年も土砂降りだったらしい。
その時の説教は共感を覚え印象深かかったのではっきり憶えている。

「幼稚園か小学1年か、そんな小さい頃、
 夜道で一人空を見上げたら空一面に星が出ていたんです。
 一人ぼっちで無数の星を見上げていると
 何とも言えない感情が湧き起ってきました。
 無性に寂しいような恋い焦がれるような、
 言葉では表現出来ない感情が湧き起りました。
 今思うと、
 唯一の神を思う思いとは、そのようなものです。」(井上薫牧師 2015.8/18説教)


再会したいがお盆時期だ。
勤務表のシフト上休みを確保するのは難しいかも知れない。

8月第2主日は召天者記念日で礼拝の後教会員と遺族が集まり
昼食を共に懇談した後、午後から郊外の霊園に行って墓前礼拝をする。
今月最終主日7/31はそれに先んじて礼拝の後協力して二手に分かれる。
礼拝後教会に残る人は会堂の清掃を、
残らない人は有志で霊園に行き納骨堂と周囲の清掃をする。

7/31は忙しい。
何故ならその日は午前中礼拝の時に洗礼式がある。
日程は急遽決まったような気がするがそれは
私が月一程度しか教会に行けていないためであって、
受洗者はもう何年も前から週日の聖書研究会に参加していた。
教会家族に兄弟が増える。
何より嬉しい事だ。
私達の教会はこの数年間、
兄弟姉妹達を何人も天に見送る事が続いて寂しくくたびれていた。
忙しくなるね。
慌ただしく忙しく、そして嬉しい。

午後の会議が終わって、自分の感覚ではもう16:00近い気がした。
帯広に行く人達が17:00までに間に合うのか気が揉めた。
しかし時計を見て愕然。
14:20。
まだ14:20だったのか。
やはり自分の時間の感覚が変だ。


牧師夫妻と友達は帯広に車を走らせて行った。
私はバスの待ち時間が長かったので歩く事にした。



路肩に黄色い花か咲いていた。


母教会の牧師辞任の件を聞いて、歩きながら考えた。

先月私達の教会を訪ねて来られた時そんな話は無く、
そぶりもなかった。
しかし唐突に決まるような事柄ではない。
牧師がいられなくなるような何かがあったのだろう。
その原因が牧師個人によるものか教会の事情によるものか、
詮索するのはやめよう。
どうでもいい事だ。
今の牧師にはもっと重要な、
生活を横に置いてでも優先しなければならないものがある。
そのために行かなければならないのだと思う。
私はその事を知っている。


教会の組織は、神がお望みなら存続されるだろう。
ただ、今の所属教会の牧師から話を聞いた時、
「この群れは散らされる」と何故か頭に浮かんだ。
母教会という一つの教会の事ではなく協議会という群れの事だ。
「散らされる」というのはこの18年ずっと気にかかっていた事だ。
大昔、翌日解体される福住旧センターの廃屋で
押し入れに放置されて廃棄処分を待つ新品の新約聖書を手に取った時
耳の穴の奥で声が聞こえた。
後ろを振り返ったが誰もいなかった。
不気味な体験をした。
物事に批判的な考えを持つと変な体験するものだ、あれは幻聴だ、
と自分で思おうとした。
そして20年ほど時間が経過した今、現実を振り返って背筋が寒い。
北海道のメノナイト教会がこの十数年の間に幾つも、
それぞれの事情で閉鎖され地上から消えた。
帯広の協議会ハウスの事にかまけて悪者退治や吊し上げに興じる間に、
仲間の教会が閉鎖され消滅して行った。
私の母教会や今の所属教会がこの次に名を連ねる可能性が無いとは言えないのだ。
協議会の中には休止状態や他の教会からサポートされて
辛うじて存続している教会が他にも幾つかあるかも知れない。
機関紙の近況報告欄には円満で楽し気な活動報告しか載らないので
何年も前から私は機関紙の購読をやめている。
上げ底の菓子折りのように実情から乖離した近況報告を見ても仕方ない。


随分前に『道しるべ』の著者英隆一郎師がいつか説教ライブで語っていた。

「もしどっちの道を選ぶべきか迷ったら、
 身の回りの一番力の無い、立場の弱い人を中心にして選ぶのが良い」

と。
その群れで最も立場弱い人を最優先して進路を選ぶと神が動いて下さる。
自分がやりたい事かどうかとか、利害損得や執着を全部横に置き、
ただ中心に据えられた立場弱い人にとっての最善を模索し道を求める、
すると道が開かれる、と。
不思議だがこれは何か物理的な法則のような真実だ。
教会がそれを怠って
自分達の思いついた「ビジョン」だの「理想」だのを掲げて最優先し
やりたい事をやりたいようにやって面白楽しく盛り上がり、
群れの中の最優先されるべき者の存在を忘れた時、
少しずつ、誰も気づかない小さな綻びから我欲の衝突が生じる。
そしてこれからしようとしていた物事は空中分解し
屋台骨である筈の人が去り、後に残ったものを負い切れない人も去って行く。
教会は神の下に寄せ集められた人間の群れだ。
教会から人が去る時、群れが何を優先して動いたが問われる。
御旨に適わないものを優先していれば私達は散らされる。
母教会を去る牧師と、母教会のために祈ろう。

2016.6.19礼拝メッセージ

2016-06-19 23:59:23 | 礼拝メッセージ
皆さんおはようございます。
今日は『放蕩息子の譬え』を皆さんと一緒に味わいたいと思います。

昨年仕事を辞めて次の仕事が決まるまでの間に、
友達が随分心配して祈って下さって、
その頃にヘンリ・ナウエンの「放蕩息子の帰郷」という本を使って黙想をした、
とてもよかったからと言ってわざわざ送って貸してくれました。
この本『放蕩息子の帰郷』を使って黙想というのは、
単純に表現すると福音書の譬え話を通して自分を見つめ直す事でした。
福音書でイエスが語られた譬え話の登場人物一人一人に自分の身を置き換えて、
自分の心の在り方を見つめ直す、
そしてイエスがこの自分に譬え話を以て自分に何を語り、
教えようとされているかを探る試みです。

聖書を読む事は、
鶏がエサをついばむようにノートを睨んで受験生のように
カリカリと知識を溜め込んで分析する事とは別の次元の事だと私は思います。
昔読んだ祈りの本の中にサクソニーのルドルフという人の遺した言葉がありました。

「福音書の中で起こったことを、
 今ここで起こっているつもりで読みなさい。
 主イエス・キリストを通じて語られ、なされたことに、
 全身全霊をこめてあずかりなさい。
 ・・・・・・つづられている出来事を、自分の耳で聞き、
 自分の目で見ているかのように味わいなさい。」


実に、そのような読み方で聖書を読むと、聖書に登場する人々が急に生き生きと親しく感じられて、
身近な隣人に変わります。

ナウエン『放蕩息子の帰郷』を読み始めた時に序章の中の三つの語句に私は注目しました。
著者ナウエンが最も重視する聖書と向き合う姿勢は三つの語句で言い表されています。

“頭よりも心で聴く”
“自分の内にある神の住まい”
“内なる聖所”

この三つに注目し、
意識しながら放蕩息子の譬え話を読み直してみました。
詳しくは、
私が喋るよりもナウエンの本を読んで下さる方が理解し易いと思いますので
是非お勧めします。

メモを取るほどの大層な聖書の勉強の話ではないので、
皆さんにもノートを書くのをやめて
ご一緒に考えて頂きたいと思いますので宜しくお願いします。
今、司会者に福音書の『放蕩息子』の章を朗読して頂きました。
この譬え話は受洗以来数えきれないほど何度も読んできて、
馴染み深い、親しみ易い箇所です。


1.放蕩息子の譬え話を今の時代の身近な出来事に当て嵌めてみます。
普通に読むとこの譬え話は今の時代の親子関係によくある図式ではないでしょうか。
反抗的な弟、真面目な兄、息子に甘い父親。
3人の人間像は実際身近な人々に当てはまる事が幾つもあって、
いずれも身近に見る家族関係としては悲劇的です。

放蕩息子、この弟息子は父親に対して物凄く残酷な仕打ちをしました。
放蕩と言っても単なる自堕落な遊び人ではありません。
中東諸国の伝統的な価値観では、現代でも、
息子が生きている父親に対して「遺産をくれ」と要求する行為は、
父親に面と向かって「早く死んで財産を寄こせ」と言ったと
同じ事になるそうです。
養ってくれた父親に対する最低最悪の侮辱です。
つまりイエスがこの譬え話で語られた弟息子は
父親に対してこう言った事になります。

「お父さんあなたが死ぬまで待てません、
 私が相続する分の遺産を今下さい。
 遺産を自由に処分する権利も今下さい。」

父親はどんな気持ちがしたでしょうか。
しかし何故か父親はこの弟息子を叩きのめす事をせず
財産を兄弟2人に分けてやりました。
弟息子は家を出て有り金を全て使い果たして路頭に迷い、
後悔して故郷に帰って来ました。

私は友達が貸してくれたナウエンの本を読むまでは、
福音書のこの箇所を読む度に
いつも身近で目撃した二つの光景を思い出します。

一つは、
父親の厳しい怒りを受ける事を思い浮かべながら
弟息子が父親の元に帰って来ました。
何と叱られるだろうか何と言って謝ろうかと言葉を探しながら
身を持ち崩した弟息子が故郷に戻ってみると、
故郷に父親の家はありませんでした。
彼が父親の存在を忘れて放蕩の旅に明け暮れている間に、
父親は死んで世を去り故郷の実家の土地も建物も既に無くなっていました。
父の家は兄が処分して更地になっており、
畑も知らない他人に売却した後でした。

もう一つは、
落ちぶれて訪ねて来た弟息子を年老いた父親は門前払いしました。
父親は後悔していました。
自分が甘やかしたために弟息子が堕落した、
育て方を間違えたと父親は悔やんで、弟
息子が戻って来た時にここでまたも言いなりになっては
本人と自分自身のためにならないと思って意を決し心を鬼にし
初めて息子を叱り付け、追い返しました。
放蕩息子は行く宛てなく立ち去りました。
父親は自分自身に言い聞かせていたかも知れません。

弟息子はまだ若いのだから
一度身を持ち崩しても何とか立ち直ってくれるだろう。
いつか本当に自分のした事を反省して帰って来るだろう。
金や食い物をせびりに来るのではなく、
いつかきっと本当に悔い改めて帰って来るだろう。

半月も経った頃、街外れで行き倒れた人が見つかって、
人々が顔を背けながら父親を呼びに来ました。
運ばれて来たのは変わり果てた息子でした。
年老いた父親は杖に寄りかかり、うなだれていつまでも見ていました。
変わり果てた弟息子の顔を。
埋葬をしてやりたくても父親の財産は息子に全部やってしまったので
何も残っていませんでした。

と、この譬え話から身近に起こった出来事を思い浮かべる事があります。
2000年以上前にイエスが語られた譬え話を、
今の時代にの人間に起こる出来事として当て嵌めると、
結末の大半はこのような悲劇になってしまいます。
もし譬え話でなく、
父も弟息子も実際の生身の人間で現実に起こった事であったら、
この話の結末は救い難い悲劇になる筈です。
現実の父親達はどの父親も父なる神ではなくただの平凡な人間の父親ですから、
悔やんだ放蕩息子が帰って来るまで年老いた父親が生きているとは限りません。
父親が年老いて健在であっても息子が無事に生きて帰って来るとは限りません。
これは私自身の脱線と言えば脱線ですが、
この譬え話の「父」は生身の人間の父親ではなく、
人の親に譬えられた父なる神です。
ナウエンはこの本で『放蕩息子の譬え話』に登場する3人の人間像を
一人一人思い浮かべ、弟、兄、父親に自分自身を当て嵌めて
その心の在り方を考えています。


2.まず、放蕩の弟息子に自分自身を当て嵌めて思い浮かべてみます。
放蕩息子、父の家を出る弟息子の心の思いはどんなものでしょうか。
裕福な家に生まれ育ちながら弟はどうして家を出たかったのでしょうか。
弟息子が父の家を出るに至った経緯を考えると、弟が本当に自堕落な遊び人だったら、
何も父親と絶縁する必要はなかったのではないでしょうか。
むしろ出て行かずいつまでも家にいて父親の脛を齧るニート息子でいてよかった筈。
彼が父の家を出たいと思ったのは、父や兄から頭を押さえ付けられる息苦しさとか、
真面目なお兄ちゃんと仲が悪かったとかいろいろ考えられる部分もあります。
今信仰者としてこの箇所を読むと、
この弟息子の問題は放蕩ではなく、親の金を使い果たした事でもなく、
差し伸べられる父親の手を無視して「失われた子供」となった事だと気づかされます。
失われた子供となった弟は、神の見えない御手で首根っこをつかまれて、
否応なしに故郷に帰る道を辿らされました。

「お父さん、私は天に対しても
 またお父さんに対しても罪を犯しました。」(ルカ15;21)


というこの台詞は腹が減っていたから出た言葉でしょうか、
それとも本心でしょうか。
もし父親が金持ちでなく貧乏だったら、
この放蕩息子は父親の元に帰って来るのでしょうか。
弟息子は自分が身を持ち崩し腹が減って父親の元に帰ったとは書いてありますが、
どうでしょう?
この放蕩息子は「何て言って謝ろうか」とは頭でぐるぐる考えても、
自分がどれほど父親を侮辱し傷つけたか、
その自覚があったかどうかまでは書かれていませんし、
イエスはそこまでは私達に語られていません。
弟が父親を傷つけた自分の罪とどこまで向き合ったか、
そこから先は私達一人一人が自分の心の在り方を深く掘り下げて神と向き合い、
この譬え話から悟る事をイエスが期待しておられる気がします。
そしてそんな放蕩息子を、
まだ遠くにいるのに父の方から迎えに行きます。

3.次に、家出しなかった兄息子に自分を当て嵌めて思い浮かべてみます。
家に居残って父に仕えていた兄です。
ナウエン自身は幼い時から両親に期待される優秀な息子であり、
真面目で敬虔なクリスチャンであり優秀な司祭であり、
学識豊かな神学者として成功をおさめ、
息子としてもキリスト教信者としても宗教的指導者としても学者としても
エリートで順風満帆の優等生だった自分自身の半生を振り返っています。
優等生としてのナウエンは、優等生だからこその欠点がありました。
優等生の良い子ちゃんは、
迷う人や道を踏み外した人、落ちこぼれる人の痛みや辛さに
共感する事が出来ないのです。
友達に寄り添って話を聞いたり見守ったり腹を割って付き合う事ができず、
心の弱っている人や友達に対して思いやりをもって接しなかったという意味です。
優等生的な綺麗事の信心深さ敬虔さによって
人から高く評価されている自分というプライドというものがあったために、
自分では自覚しないままに人を傷つけたり裁いたりして友達からは煙たがられ、
嫌われ、敬遠されて人間関係がうまくいかず孤独に陥り、絶望に陥ったそうです。
そんなナウエンにある友人が指摘しました。

「あなたは赦された放蕩息子ではなくむしろ兄息子の方ではないか」

と、そのように指摘されて
ナウエンは心理的な打撃を受けたとこの本の中で述べています。

私達はどうでしょう。
自分はこの譬え話の中の弟か、兄か、どちらだと思いますか?
兄は帰って来た弟のために豪華な宴会を開く父親に対して腹を立てています。
私は兄の怒りに共感できます。
むしろ兄の怒りの感情はわかり易くありませんか?
この兄が弟を可愛がるどころか嫌っていた事も伝わってきます。
失踪し、死んだと思われていた弟が生きて帰って来ても全然喜んでいない。
弟が生きて帰って来てもこのお兄ちゃんは嬉しくないのでしょうか。
もしほんの僅かでも兄弟愛があるなら
父親と同じかそれ以上に喜ぶ筈だと思いませんか?
この兄は、落ちぶれた惨めな姿で戻った放蕩息子を「弟」とは呼ばず
父親に向かって「あなたのあの息子」と呼び、
言葉に出してこう言っています。

「俺は父さんの傍で長年仕えてきたのに父さんのあの息子よりも不遇だ。
 傍でこんなに働いてきたのに
 父さんはあの息子には気前よく大盤振る舞いで大宴会、
 俺には子山羊1匹すらくれない、不公平ではないか。
 父さんはあの息子ばかりちやほやして
 この俺をないがしろにしている。」

この兄はふらふら家出なんかせず父の元に留まって、
道を踏み外す事も無く真面目に父に仕える優等生、
よい子なお兄ちゃんの筈でした。
しかしこの兄の心の在り方を、イエスはここで私達に問われます。
放蕩ではなかった兄の心にあるのは
損得勘定と積もり積もった不満、根深い恨み辛みです。

ナウエンは「あなたは兄の方だ」と言われてショックを受けたと述べていますが、
私自身は自分をこの兄息子に置き換えて考えるのは簡単です。
実際、釧路に戻って来てからの父の在宅介護をしていた15年間、
私の中にはこの兄息子の怒りの感情そのものがありました。
親元にいる子供は親の世話に縛られて時間的にも体力的にも拘束されますから、
親のために自分の生活を奪い取られて報われない、
人生を台無しにされていると感じるのです。
ですから私自身はこの箇所を読むと、
放蕩の弟息子が赦された喜びよりもこの兄息子の怒りの方に共感しますし
兄の方に感情移入し易いのです。
おそらくこんな兄息子の「偽りの従順」を父親は見抜いていたのでしょう。
だからこそ外まで兄を迎えに来て一緒に宴会の席に着くように和解の説得をします。
二人の息子達の父親は、帰って来た放蕩息子だけでなく、
ふてくされて中に入って来ない兄息子をも迎えに来る、
何処までも寛容で慈愛に満ちた父親です。

この点について、
昔、私の母教会の青年会の聖書研究会である高校生の男の子が

「父親が一番悪い、子供に甘すぎる。」

と言った事がありました。
私にとっては懐かしい思い出ですが、
皆さんはどう思われますか?

ただ言える事は、
この放蕩息子の譬え話で注目されるのは「失われた息子」です。
失われた息子とは、家出した弟息子ではなく
父と共に家にいる兄息子の事でした。
私達はイエスの語られた譬え話から、
人の心の在り方を読み取る事を求められています。
父親の招きに応じる子供と応じない子供、
招きに応じないのは失われた子供です。
釧路に来てこの15年間の私自身はこの譬え話の兄息子と同じ、
失われた子供でした。
失われた子供にとって「宴会の食卓」に招かれる事は
嬉しいどころか怒りの火種でしかありません。
宴会の食卓に招かれて食卓の主のすぐ傍にいるにも拘らず
残念な、失われた子供、家出しなかった兄息子は本当に悲劇的です。
兄息子はふてくされたまま家に入らなかったのでしょうか。
それとも思い直して宴会の席に着いたのでしょうか。
最終的に兄息子が宴会の席に着いたか着かなかったか、
その結末が伏せてあるのは、
この譬え話から天の父なる神の意図を悟る事を、
イエスがその場で聞いていた人々と
後の世の私達に期待して語られたからではないでしょうか。


4.生きている時から死んだ者とされる親について考えてみます。
放蕩息子の譬え話の主人公は弟でも兄でもなく
父親であるとナウエンは述べています。
二人の息子の父親の苦しみを思い浮かべると、
この父親は物凄く不幸だと思いませんか?
放蕩の弟もふてくされた兄も、どの息子も父親の心を思いやりません。
気の毒な父親です。
息子が2人いながらどの息子も自分の損得しか考えていない、
慈しんで育てて財産を生前贈与までしたのに
どの子供からも思いやりを受けず労わって貰えない父親です。
弟息子は父親の生きているうちから「早く死んで財産をくれ」と要求し、
失踪した挙句、経済的な援助を求めて戻って来ました。
一緒に暮らしている兄息子は傍で一緒に生活しながら
「弟よりも優遇されない」と思い込み、不平不満と怒りを燻ぶらせなが
上っ面の従順さで父親に仕え、宴の食卓を用意したのに
「子山羊一匹すらくれない」と言って不満をぶつけて来ます。

子供から金づるとしか思われず、
疎まれ見捨てられる親の気持ちはどんなものでしょうか。
人の親でない私には想像すら出来ない事ですが、
高齢者の多い病院や高齢者施設で働くと、
その辛い心情を日常の中で聞かされる事がよくあります。

「一泊でいいから子供達の所に外泊して、一緒に年越ししたかったけど。
 今年の年末年始も迎えに来てくれなかった。」


とか、

「子供がいないと寂しいとは聞くけどね、子供がいると返って寂しいものだよ。
子供が大勢いたって小遣いに困った時に孫がたかりに来る以外は誰も来やしない。」


仕事柄そういう話を日常的に聞かされます。
二人の息子の父親はどうして、
何を望んで不従順な息子達を宴会の食卓に招くのでしょうか。
弟も兄も、二人の息子達はどちらも不従順で、不誠実です。
二人の息子にとって父親は「財産の今の持ち主」、金づるでしかありません。
弟も兄も父の財産には注目しますが父親の心を顧みる事をしていない、
父親を既に死んだ者のようにしか見ていません。
そんな父親の心情を思い浮かべると預言者イザヤの言葉が思い出されます。

 わたしに問わなかった者たちに、
 わたしは尋ねられ、
 わたしを探さなかった者たちに、見つけられた。
 わたしは、わたしの名を呼び求めなかった国民に向かって、
 「わたしはここだ、わたしはここだ。」と言った。
 わたしは反逆の民、
 自分の思いに従って良くない道を歩む者たちに、
 一日中、わたしの手を差し伸べた。(イザヤ65;1~2)


天の父なる神が手を差し伸べているのに、
神の民は見向きもしないのです。
イエスは天の御父を二人の息子を持つ父親に譬えて話しています。
神なる主、天の御父は宴会の用意をして待っておられると。
宴会の食卓を一緒に囲んで
美味しいものを美味しい美味しいと喜んで分かち合う、
歓びを共有する事を切実に望んで、
宴会の食卓に私達を招き手を差し伸べておられると。
預言者イザヤを通して
ここでは父なる神が御手をこちらに差し伸べている事が示されています。
しかし私自身は自分の心に抱える日常の不平不満しか心になくて、
すぐくたびれて希望を捨て、期待する事を諦め、辛い事にしか目が行きません。
ふてくされた兄息子のように宴の招きに背を向けるとは
実際このような事ではないでしょうか。
宴会の席を整えて招いて下さるお方はどんな気持ちがするでしょうか。
私達は放蕩息子の譬え話から、
せっかくお祝いの御馳走を用意したのに子供からそっぽを向かれて傷ついた父親の、
深い悲しみに注目しなければなりません。


5.大宴会を辞退する行為の重大さを思い浮かべてみます。
譬え話に登場する『宴会』とは何でしょうか。
招かれた宴会の食卓に着く事を拒む事にはどんな意味があるかを考えさせられます。
招かれた宴会の食卓に着かない事の意味を私達は考えなければなりません。
失われていた弟息子は生きて帰り父と共に食卓に着きました。
親に反抗せず暴言も吐かなかった兄息子はふてくされて家の中に入って来ません。
兄息子が思い直して父親の用意した食卓に着いたかどうかは私達読者にはわかりませんが、
放蕩息子の譬え話の前の章、『大宴会』(ルカ14;15~24)の譬えの箇所で
イエスが話をこのように結んでいる事をナウエンは指摘しています。

 「あの招かれた人たちの中で、
  わたしの食事を味わう者は一人もいない。」(ルカ14;24)


『放蕩息子』の譬え話で父が招く宴を拒絶する事の意味を考えると、
父の宴会の招きに背中を向けて拒絶する事は、
反抗し後足で砂を蹴散らして立ち去る事よりももっと重く絶望的でと気づかされます。
「失われた息子」は反発し金をせびって親と家を捨てた弟息子ではなく、
心の内に不満を隠し偽りの従順さを以て仕えてきた兄息子の方だとお話ししましたが、
ナウエンはイエスの受難の時のペトロとイスカリオテのユダとを対比して述べています。
ペトロもユダも土壇場でイエスを裏切ったのは同じでした。
ペトロは悔やみながらイエスと和解しました。
ユダは神も自分の命も全てを放棄して自殺しました。
この『放蕩息子の帰郷』の譬え話を自分自身に当て嵌めて読み直すと気づかされます。
私自身も、弟息子であると同時に、兄息子でもあるという現実です。
自分の心の在り方を見直さなければなりません。
つまりこの譬え話から私は「失われた自分」を見直す事を
考えさせられ、教わりました。
これまで何度となく福音書の『放蕩息子』の譬え話を読んでいながら、
今まで私は二人の息子の父には注目せずさらりと素通りしてきました。
この度友達が貸してくれたナウエンの本を読んだ事で、
差し伸べた祝福と慈愛の腕を払い除けられる父親の悲しみ、
子供から忘れられ死んだものとされる親の苦悩に気づき考えさせられました。
自分は天の父なる神様に対してそのような仕打ちをして来なかっただろうかと。
自覚がなかっただけでそのような事を神様に対してしてきたと思います。
これまで気づかなかったのは聖書の字面だけ読んでも実は読み取っていなかった、
イエスの語られる事柄を自分の事として受け止めようとする心が欠けていたからです。


6.宴会への招きを思い浮かべて見る角度を変えてみます。
「天の御父が招いて下さる大宴会」とは何でしょうか。
この譬え話で父が招く宴会とは、実に私達お互いの「喜びの共有」です。
ふてくされた兄息子は、不満を父親にぶつけました。
父親に対してこれまで口に出せなかった不満な思いを正直にぶつけたのは、
私はこのお兄ちゃんはこれで良かったと思うのです。
心に抱える不満を口に出して完結したのですからふてくされず食卓に着くべきでした。
実際、天の父なる神が用意して私達を招いておられる宴会の食卓とは何でしょうか。
どのようなものでしょうか。
私達は日常で出会った人々の生涯から苦しみの意義を見出す事がありますが、
苦しみの向こうに備えられた祝福の宴を見出す事も可能だと、
この度ナウエンを通して『放蕩息子』の箇所を読み直した事で気づかされました。

ずっと前にこの教会で当番が回って来た時に皆さんにお話ししたかも知れません。
以前話を聞いた方はすみません。
私はここの土地に引っ越して来て近所に住んでいた二人の信仰者と出会いました。
天の父なる神が備えられた宴会の食卓を、
ここで出会ったお二人の生涯から思い浮かべる事が出来ます。
お二人とも近所のカトリック教会の信徒の方でした。
一人は「ペトロさん」、もう一人は「アグネスさん」と、ここではお呼びしましょう。

ペトロさんは腰痛で受けた手術の失敗によって頸から下が動きませんでした。
昭和の時代の大昔ですから、医療過誤の裁判で被害者が勝訴するケースは稀でした。
腰が痛くて当時最新技術と言われた手術を受けて首から下が全く麻痺してしまったために、
仕事も生活も何もかも失っただけでなく、医療従事者達から暴言や侮辱を受け、
人間として扱われない体験をしました。
首から下が動かないと言う事は、体の自由が全く無い、自殺する自由すらありません。
ペトロさんは手術を担当した医師2名と病院を告発し相手取って訴訟を起こしました。
何年もの長い裁判をペトロさんは戦いました。
身体の機能と、仕事と生活の全てと、人生の望みの全てを奪われ、自殺の道さえ断たれて、
例え勝ち目がないと解っていても闘わずにはいられなかった裁判で、
最終的にこの人は勝ちました。
但し首から下を全部麻痺にされた7000万円の賠償請求に対したった300万円の勝利でした。
手術の前に承諾書を書いていたからです。
ペトロさんが自分自身の境遇を語った時の言葉を15年経った今も私は一字一句忘れません。

 「井上さん、俺は負けたんだ。
  俺は裁判には勝った。
  医者の落ち度を暴いて裁判には勝った。
  医者連中と病院側に非を認めさせて裁判には勝った。
  でも俺は負けた。」

たった300万の賠償金を手にした瞬間、それまで力になったり励ましてくれたり
何かと世話して支えてくれた親戚や友達が皆ハイエナに変わりました。
300万の中から半分は裁判の費用や弁護士に支払って消えました。
残ったお金から医療費を支払うと、親戚や友達が貸した金を返せと言って来ました。
手元に残った金も、あの時あれをしてやったからこれをしてやったからと
親戚や友達がみんな毟り取って、手元には数万円のお金しか残らなかったそうです。
金銭が無くなったらペトロさんの回りには誰も残りませんでした。
身内も友達も、誰一人信用できる人間がいなくなりました。
そういう事情でも賠償金を貰ったからという理由で市から生活保護費を打ち切られました。

 「俺が負けたと言うのはさ、裁判には勝ったけど何もかも失った、だから負けたんだ。
  俺は負けたんだよ。」

どうして私がこの事情を知ったかというと、初対面で聞かれたのです。
「 ここに来る前は何処の病院で働いていたの?
  …それは俺の体をこんなにした奴の病院だよ!」

私はこの人の体をダメにした医者の元で知らずに勤務した事がきっかけで、
今の生活の糧となる資格を働きながら取得する事が出来ました。
一人の医者との出会いで私は生活の糧を得ましたが
同じ医者との出会いによってこの人は人生をずたずたにされました。
首から下を動かなくされ、辛うじて得た賠償金の殆どを親戚や知人達に取り上げられ、
生活保護まで打ち切られたペトロさんに、
見かねて援助の手を差し伸べ力を貸したのはある政治団体の人々でした。
しかし無神論的な政治団体にのめり込むほど、
唯一の神に心の拠り所を求める気持ちが何故か強くなって、
人に頼んであるプロテスタントの教会に連れて行って貰いました。
聖書研究会に参加するようになりましたが、ちょうどその頃湾岸戦争が勃発して、
政治意識の強かったペトロさんは聖書研究会の席で問題提起しました。
キリストの平和を掲げながら逆の事をする者に対して、
教会は何故何の抗議行動もせず黙って見ているのかと。
メノナイト教会なら何の問題も無かったでしょう。
しかし当時小さな教会の聖書研究会に政治論議を持ち込んだために、
ペトロさんは教会の人々から煙たがられて、
やっとキリスト教の教会につながる事が出来たにも拘らず
その教会に居られなくなりました。
口論になって教会を去る時、信者の女性が自分の所属教会を捨ててついて来ました。
奥さんとなった人は私に言いました。

 「私が一緒に行かないと自分では動けないこの人が
  キリストとつながる道が永久に絶たれてしまうと思った。
  人間は教派や教会をなんぼでも作るけど、神様はたった一人だけ。
  この人を連れて行ける、キリスト教の他の教会を探そうと思った。」

そしてある日近所のカトリック教会にその人を連れて行きました。
自分達がそれまでいた教会とは趣きの全然違う教会でしたが、
キリスト教なら何でもいいと思ったそうです。
主任司祭の神父様は諸手を挙げて大歓迎、
早速公教要理の勉強の場を設けてくれて、ご復活の日に洗礼を授けました。
この人の辿った道のりから天の父なる神を感じ取る事が出来ます。
父なる神は動けないこの人のために道を用意し、
祝宴の食卓を整えて待っておられました。
神ご自身が御手でこの人を絶望から守り、必要な助け手となる信仰者を興して、
ペトロさんを大切に大切に運ばれた事を、
私は現実の出会いの体験を通して目に見せられた気がします。

医者も病院も生涯許せないでしょうねと私は聞いてみました。
静かに、穏やかな顔で答えたペトロさんの言葉と声を
私は今さっきの事のように思い出します。

 「井上さん、俺達は神様から幸せを頂いてるんだ。
  だから辛い事も頂くんだよ。」

これは旧約聖書のヨブ記の引用ではありません。
ご自身の体験から私に語ってくれた、この人自身の言葉です。
字面だけの聖書知識でヨブ記を引用したのとは違います。
『放蕩息子』の箇所で主なる神様が準備し招いて下さった「宴会」とは、
実にこのような事ではないかと気づかされました。

私が出会ったもう一人の人「アグネスさん」も
同じ近所のカトリックの信徒の方で、長崎の浦上出身でした。
ご近所で顔見知りになって、その頃私がたまたま入院して手術を受けたと聞いて
わざわざ病室までお見舞いに来て下さいました。
カトリックの信者さんと知り合うと、私は興味を持って聞きます。

 「貴方は成人洗礼を受けたのですか、それとも幼児洗礼でしたか?」

私の無遠慮な質問に対して、
アグネスさんはご自分が洗礼を受けたいきさつを話してくれました。

アグネスさんには母親しか家族がありませんでした。
どんな家庭の事情で母一人子一人になったのか自分でもわからないと言いました。
母親は結核だったためにずっと療養所暮らしで、キリスト教の信者である事は
親類縁者には隠していたそうです。
幼いアグネスさんは親類縁者や里親の間を行ったり来たりして育ちました。
ある時、母親は療養所を出てアグネスさんを連れて函館から長崎に行こうとしました。
アグネスさんはその時まだ10歳になっていなかったそうです。

「今思うとね、母は死期を悟って
  私の行く先を教会に頼もうとしたのかも知れないわ。」

と私に言いました。
汽車の長旅で母親がどんどん衰弱していくのが子供の目にもわかりました。
ところがあと少しで長崎に着くと思っていたら突然汽車が動かなくなってしまいました。
どうして汽車が動かないのか何時になれば再び動き出すのか目途が全く立たず、
母親はアグネスさんを連れて汽車を降り、長崎を目指し線路伝いに歩き始めました。
道の途中で、母親は何度か血を吐きました。
力尽きて線路脇に倒れ込みながら、母親はアグネスさんに言ったそうです。

「お母さんはもうすぐ死ぬわ。
 死んだら顔を手拭いで巻いて結びなさい。
 お母さんは結核だから、死んだらこの口から悪い菌がどんどん出て来る。
 だから必ずそうして口を塞ぐのよ。
 お母さんはもう一緒に行けないから、あなたは一人で長崎に行きなさい。
 長崎に行ったら教会を訪ねるのよ。
 いい?
 必ず教会を訪ねなさい。
 お母さんがここで死んでいる事とあなたが生まれた時に洗礼を受けた事を
  そこで言いなさい。
 必ず。」

幼い娘の目の前で母親はやがて息をしなくなり、動かなくなりました。
アグネスさんは、言われた通りに荷物の中から手拭いを取り出して、
母親の顔に巻き付けて後ろでしっかり結びました。
その時の心境をあっけらかんと話してくれました。

「お母さんは死んでしまったし、
 私にはもう行く所がない、
 ああ、これから私はどうしよう、って思ったわ。」

しばらく死んだ母親の遺体の傍でぼーっとしていましたが、
言われた通り歩き出すより他にありませんでした。
アグネスさんは一人で荷物を担いで線路伝いに歩き始めました。
母親に言われた通り、長崎に向かって一人で歩き出した時の
小さな女の子の気持ちは想像もつきません。
そして、その時既に長崎は原爆を落とされていました。
一面瓦礫と焼け焦げた死体の山になった街をアグネスさんは途方に暮れながら
母に言われた通りに、場所も知らない教会を探して歩き続けました。
幼い娘をたった一人この世に残して線路脇で力尽きて死んで行った母親の気持ちと、
母親の亡骸を後にして、一人ぼっちで線路伝いに長崎に向かって歩いた先で、
原爆を落とされて瓦礫と化した長崎を見た時の女の子の恐怖と絶望とを思うと
とても冷静ではいられません。
10歳にならない小さな子供がたった一人で、
焼けた線路を辿って原爆投下直後の焼野原を行き倒れもせずに
長崎市内に入る事が出来ただけでも奇跡としか言いようがありません。
瓦礫の中を彷徨ううちに浦上の教会を知る人と出会って、
辛うじて生き残った司祭の一人と会わせて貰う事が出来ました。
しかし洗礼台帳も何もかも焼けてしまっていて、
この人の幼児洗礼を証明する記録は残っておらず受洗を確認する事はできませんでした。
司祭はアグネスさんに

「あなたのお母さんの仰った事は、私は本当だと信じます。
 ただ貴方はまだあまりにも幼いから、
 もし万一という事があっても大丈夫であるように」

と言ってこの小さな女の子にその場で洗礼を授けました。
これが私の入院先に見舞いに来てくれたアグネスさんの受洗のいきさつでした。
洗礼名の「アグネス」は「子羊」という意味です。

私達の所属するメノナイト教会は歴史的に再洗礼派の末裔として位置付けられており
あくまで自分の意志で信仰告白をした者にしか洗礼は授けない、
自分の意志でない洗礼は無効であると、幼児洗礼を認めない考え方によって
メノナイトは迫害の歴史を歩んできました。
もっとも私達が実際に迫害を受けた訳でも何でもありませんが。
とにかく今でも私達の教会は幼児洗礼に対して批判的な考え方をする立場にあります。

しかしこの人にとって「幼児洗礼か成人洗礼か」などどうでもいい事です。
私は「幼児洗礼か成人洗礼か」とこの人に尋ねた自分の卑しさを痛感しています。
本当に恥ずかしい、愚劣なくだらない質問をしたと思います。
天の父なる神様がこの人と片時も離れずにいらした事を
私は目の前で示された気がします。
幼かったこの人が行き倒れもせず命を落とす事無く教会で保護されたのは、
神様がこの人を御手の中に大切に守って運ばれたからだと私は確信します。
瓦礫の中で行き倒れずに、生き延びて何十年も経った後に私と出会ったのです。
この出会いによって主は私に何を悟れと言われるのか、
その事を考えさせられます。
アグネスさんは私に言いました。

「毎朝、お祈りをするのよ。
 今日一日、
 私に出会わせて下さる人、
 擦れ違う人、
 全員が天国に迎えられますように。」

この人がどんな経歴でどんな道のりを歩いて来たかを知らなければ、
この祈りは如何にも取って付けたような敬虔で信心深い祈りの言葉、
模範的な優等生信者の台詞のように、
出来過ぎて鼻に付く白々しい文言に聞こえるかも知れません。
しかし私は知っています。
この祈りはこの人がまだ10歳にもならない子供だった時に目にした、
惨い光景の只中の祈りです。
線路脇に行き倒れて死んでいった母親や、道の途中の至る所で焼け焦げた人々の
無残な死体の前で「みんな天国に迎えられますように」と祈った幼い子供の祈りでした。
真っ黒に焼け焦げて死んで行った人々だけでなく、焼かれて死にきれず息絶え絶えの、
惨たらしい状態の人々をもこの人は見たでしょう。
小さい子供だったこの人の幼い魂を天の父なる神様は守って、
司祭と出会うまでの道程を御手の中で大事に大事に運ばれたと思います。

私達は一人一人苦難と喜びとを与えられています。
ペトロさん、アグネスさんと出会って、
彼らが潜り抜けて来たあまりにも過酷な体験を聞いた時、私は動揺しました。
そして、お二人がそれぞれ何故そんな酷い目に遭わなければならなかったのか、
苦難の意味を尋ねる事を、私は祈りの中で神様に対してしました。

主なる神が宴を用意し招いておられる事には目もくれず、
自分や他人の苦難の方にばかり注目する、そんな心の在り方を
ナウエンは厳しく見つめ、この『放蕩息子の帰郷』の本の中で

「相手の苦難の方にばかり注目する自分」

と言い表し、
より深刻でセンセーショナルな三面記事を好む心理について述べています。
私は自分が指摘された気がします。

今お話ししたお二人の苦難の方にばかり注目して、
肝腎の、その先に備えられた祝福、父なる神が如何に彼らを大切に守って
喜びの宴の席に運ばれたかについては私は殆ど目を向けて来ませんでした。
知っているのに注目して来なかったのです。
お二人が味わわれた過酷な体験の、過酷な部分にばかり私は気を取られて、
彼らが一生涯かけて体験した天の父なる神の祝福をせっかく私に語ってくれたのに、
その祝福に私は目を向けず彼らの苦難にばかり注目していた事にこの度気づかされました。
自分の心の在り方、ものの見方を変えられたというのはこの事です。
勿論他の人の苦しみに共感し涙する事は大切な事です。
相手の直面する問題を深刻に考えて話し合い、泣く人と共に泣く事から
更にその先へ踏み出す事についてもナウエンはこの本の中で述べています。
苦難を通じて見出される祝宴への招きとその喜びを共有するが出来るからです。
この度ナウエンのこの本『放蕩息子の帰還』の9章、主の宴の食卓の章を読んだ時、
私は真っ先にお二人の事を思い出しました。

そして今、この本を読んだのがきっかけで、
彼らが体験を通じて語った事は、
それ自体が天の御父の宴、御父の喜びの食卓だったと今になって気づかされました。

ここの土地で出会ったお二人が天に帰られてからもう10年以上になります。
10年経っても、天に凱旋して行った人達が苦難を通して
私に語って下さった言葉は私の中に鮮明に残っており、
今さっきの出来事のように、私は一字一句忘れていません。
忘れようとして忘れられるものではなく、むしろ記憶の中で燦然と輝いています。
天の御父の宴の食卓とはそのようなものかも知れません。

私自身は信仰者として優等生にはなれませんし、敬虔でもいられません。
ただ、放蕩息子の譬え話の兄のように、
天の父なる神が招いて待っておられる食卓に背を向ける事には気を付けようと思います。
差し伸べられた御手に背を向ける事無くこの生涯を最後まで、そして皆さんと共に
全うする事を切に望みます。

傘忘れた

2016-06-19 19:42:21 | 教会
結局朝までずっと自分の書いた文章をひたすら削っていた。
まだもっと削れる気がするが、そろそろ時間だ。
やはり風邪ひいた。
昨夜葛根湯とキヨーレオピン飲んだが。


霧雨だなぁ。
寒いし暗いし湿度高い。

今朝早くにぽんぽんと爆竹か花火か何かの音が3発聞えた。
タクシーの運転手によると、
市内幾つかの小学校では運動会やってるらしいこの寒空の霧雨の中で。
みんな風邪引いてしまうんではないの。
そこまでして決められた行事を決められた日程通りに
何が何でもこなさなければならないものなのか。


主日礼拝

黙祷
招詞 詩編66;1~4
讃美歌(21) 208 393
聖句暗唱 Ⅰテモテ2;4~5
主の祈り
祈り
讃美歌(21) 441
聖書朗読 ルカ15;11~32
説教
讃美歌(21) 459
献金
祈り
頌栄 29
祝祷


礼拝堂の中は暖房で蒸し暑いくらいだった。
今日は私が礼拝のメッセージ当番であったがダメダメだった。
鼻と咽喉やられた上に寝不足もあって滑舌悪いし
削り足りない事もあって時間が長くなってしまった。
礼拝メッセージの当番をする度に毎度思う、
こんな事やっている自分が在り得ない恥知らずな気がする。
トドメに聴衆の一人から「いいお話でした」と一番聞きたくないセリフを
終わった直後に言われてどっと疲労感が来た。

以前にも誰彼から同じセリフを何度か言われた。
日曜日に私なんかの「いいお話」なんか聞くくらいなら
映画かTVのお笑い番組でも見る方がましだろう。
牧師であろうとなかろうと誰でも福音を語るべきというのが
うちの教会の、メノナイトという教派のモットーとはいえ、
毎度毎度、終わった後に二度とやるものかと思う。


昼食の豆と挽肉のカレー。




昼食後すぐ定例の教会の会議。


礼拝メッセージの当番が終わったので
次は職場のカンファレンスに向けて準備と入力急がないと。
年末の研究発表に向けてマニュアルの見直しのため
不足部分を手書きでまとめて若い人達に渡さないと。
次の土曜日は終末医療から看取り介護の研修。
何だか日程をこなすだけで精いっぱいや。
頭がついて行けてない。


帰宅。
教会にビニール傘忘れて来た。
帰る頃一時的に薄日が差したので傘の存在を忘れていた。

教会の家族

2016-06-12 21:09:57 | 教会
起きた。
今何時や。
6:00。
早番だったら大遅刻だけどどうよ。
本日の勤務は何だったっけ?

えーと。
記憶を辿ると、
昨夜21:00過ぎに帰宅、22:00過ぎにリンゴ食べながら脳みそ強制終了、
睡眠中0:18に職場から呼び出され、
気道に痰が詰まりそうな人々全員喀痰吸引して3:00少し前に帰宅し睡沈、
携帯のカレンダーを見ると、今日の勤務は何と休日。

そうか今日は休日だったのか。
それも日曜日。
幸い午前3時には帰宅できたのでそれなりに睡眠を取る事は出来た。
今日は母教会からお客人達を迎えて食いしごきの日だ。
行かねば。


主日礼拝。

黙祷
招詞 詩編98;1~3
讃美歌(21) 202
聖句暗唱 Ⅰテモテ2;4~5
主の祈り
祈り
讃美歌(21) 393
聖書朗読 使徒11;19~30 13;1~3
説教
讃美歌(21) 564
献金
祈り
頌栄 28
祝祷

今日の礼拝は母教会の現在の牧師先生による説教奉仕があった。
母教会を離れてから25年になる。
前任の牧師先生の手を通して受洗し、
私はあの母教会で家族として本当に大切に養育されたと痛感する。
慈愛と恩恵を受けるだけ受けて、
出た後はこの土地で日々の生活に追われて一度も戻っていない。
仕事で出張があった時に一度だけ、それも週日に、
ほんの数十分だけ会堂を訪ねた事はあった。
その時現在の牧師先生が迎えて下さったのだった。

25年も経つと、
教会の諸先輩達は高齢となって介護を受ける立場に転じ、
ある人は子供達に引き取られて他の地に転出して行き、
ある人は施設に入所したと聞き、またある人は既に帰天された。
私の周りで走り回って大騒ぎしていた教会の子供達は
今では人の親となって家庭生活を営み、子育てや仕事や、
また教会の運営に知恵と能力を注いでいると聞いた。
私が今職場で一緒に働いている若い介護職員達と同年代だ。
母教会にいた7年間は、私にとって実に揺籃の7年間だった。
懐かしい母教会の家族に時々無性に会いたくなる。

忘れた事は一度もありません。
いつも覚えて祈っています。
これから新しい道に進もうとしている若い人の道程が
主と共にあって私が頂いた以上の豊かな恵みを受けますように。

礼拝の後、持ち寄りの食事会。
間もなく留学のため渡米する若い人から決意と信仰の証を聞く。
大丈夫。
応援しますから。

話が尽きなくて名残惜しい。

教会の帰り、仲間の一人とお茶を飲んだ。
お互い仕事と生活に追われて普段は話をする時間も無い。
何か飲みながら話をするのは久しぶりだ。
私は父の介護で半分潰れたり父の死後の事後処理や転職で
落ち着いてテーブルに座って何か飲みながら仲間と話をする状態は
長い期間実現していなかった。
今は仲間達が一人また一人と親を見送る時期に来たのかも知れない。
かつての私のように疲れ果てて体調を崩している人も少なくない。
今日一緒にテーブルに着いて冷たいミルクティを飲んでいる仲間も
近い将来やって来る「親の介護」に漠然とした不安を持っている。
とりとめなく色々な話をした。
こういう対話が本当は大事なのだと思う。
なかなか実現できないけど。

長話になってもう一品、
友達が甘いものを食べたいと言ったので私も同じものを頼んだ。



そして更にまた話し続けていると、着信。
夕方髪の毛を切る予約を入れておいたのが、
キャンセルが1件出たので予定が早まったので店を出た。

来週、礼拝メッセージの当番だなぁ。

花が咲いた

2016-05-22 21:51:19 | 教会
昨日は朝から晩まで一日中原稿書きをして費やした。
しかしまだ推敲が不十分だ。

今日は日曜だ。
教会に行かないと。
礼拝の受付当番だし午後は月一の定例会議。
休みだからと言って別に何もせず休める訳ではない。

教会の玄関に、
じじ宅で育ったサンスベリン?という名前だったかな
鉢植えが置いてあった。



時々ピンクのような橙色のような小さい釣鐘型の花をつける。


主日礼拝

黙祷
招詞 詩編135;1~4
讃美歌(21) 206 341
聖句暗唱 テトス3;5
詩編交読 詩編119;169~176
祈り
讃美歌(21) 352
聖書朗読 ヨハネ14;22~26
説教
讃美歌(21) 475
ギデオン協会の方々よりメッセージ
献金
祈り
頌栄 28
祝祷

教会に入ってスリッパを履くとダンベルを落とした右足が痛い。
スリッパの甲の部分が硬いから当たると響く。

日曜日に休みが付くのは月に1回の頻度で、
自分から教会で会議のある日曜日は休みの希望を出している。
前日の遅番も無しで希望を出す。
そんな訳で月1回しか教会に来る事が無く
それ以外の日曜日は全部仕事しているのであるが
1か月ぶりに来ると教会の庭の様子が一変していた。
先月はまだ枯れ草しか無かったのが今はこの通り。





牧師夫妻がいつだったか植えたものもあるし
何処から来たのか勝手に咲いているものもある。


昼食のカレー。




会議は早めに始める事が出来て早めに終わった。
前日の北海道内の各教会が集まって行った総会の報告もあり。
来月の讃美歌を選曲する時、何だったか話して笑った。
何で笑ったか、笑うと忘れてしまう。

年次総会

2016-04-24 19:50:58 | 教会
さて教会に行く。
今日は礼拝の後に年次総会あり。




主日礼拝

黙祷
招詞 詩編62;5~8
讃美歌(21) 140 324
聖句暗唱 コロサイ2;12
主の祈り
祈り
讃美歌(21) 289
聖書朗読 ルカ23;34
説教
讃美歌(21) 206
献金
祈り
頌栄 28
祝祷

今日は月一の、
教会員による礼拝メッセージ奉仕だった。
「ゆるし」について。
「ゆるせない自分」について。

食事当番の友達がカレーを作った。
食後の年次総会は長丁場になるが茶菓子が無いので近所に買い出しに出た。

雲が面白い。
まだ寒くて秋冬物の厚地ジャケットを手放せないのに
空に夏の雲がもくもくと立ち上がっている。




買い出しから戻るとカレーが完成していた。



ウマかったぁ。

・・・・・

年次総会で今年度の収支報告と行事予定と礼拝奉仕のシフトを組んだ。
毎月一回教会員が礼拝のメッセージ奉仕をするが、今年私は6月。
ぎょえー6月!?
急ぎ準備に取り掛からねば。
ぼさっとしている暇はない。
1ヶ月なんてあっと言う間だ。
そして月報に掲載する要約も原稿にして提出しないと。