ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

二連休は雨

2018-09-30 22:05:03 | 日常
1:50。
急変待機中だったが、今呼ばれた。
これから出勤する。

・・・・・

2:30か。
不穏なお人に手を焼いた夜勤者からの呼び出しだった。
深夜に看護師を呼びつける行為自体が自己目的化する事もあり。
ただ、そのままにしておいて万一の事が起こり得ないとも限らないので念のため様子見に行って来た。
何処をどう見ても何処も何ともないので経過観察として帰宅した。

寝る。

・・・・・

起きた。

湿度高いおかげで9:00過ぎまで爆睡していた。
日曜日であるが教会行きは中止した。
だるいのは風邪の症状と思う。
大勢の人と接触したくないので牧師夫人に連絡した。

ドイツパン食べよう。
ツナとトウモロコシのサラダを挟んで軽く焼いた。
感謝して頂きます。

ウマい。
ありがとうござります。
ご馳走様です。

雨が来る。
珈琲を淹れた。
外の清浄な空気を吸いたいが、寒い上に寝不足で外に出るのが億劫だ。

アイス食べよう。
母が昨日だったっけ、親族の家に出かけて長年仲の良い兄嫁と終日歓談して喜んでいた。
そのおみやげに貰ったという伯母特製の黒豆を少し分けてくれたのでMOWバニラに乗せて岩塩をかけた。

伯母の黒豆はウマい。
控えめな甘さ。

・・・・・

風邪気味だったが寝ている間に治ってしまった。
2連休だが台風が列島縦断するので多分排水溝に詰まった枯れ葉の山のために冠水するかも知れない。
2日間とも引き籠もって映画三昧するつもりでいる。

・・・・・

友達がまた面白いブログ記事を書いたのでTLでその話をした。

「力と力の作用反作用で人間の社会を考える人」

について。
群れを成して棲息する動物や鳥類の世界の序列と似ている。
というか同じかも知れない。
そう思うと「政治的にものを考える人」というのはケモノ臭い。
姿形の美醜にこだわって人を見下し馬鹿にしたりマウンティングするのも同様。
あれは鳥獣が同じ事をすると聞いた事がある。

・・・・・

飲料水としている強炭酸水の在庫が心許ないので明日の暴風雨が来る前に買って来よう。
外は小雨だ。
風は無く湿度高い。

民家の薔薇。
敷地から歩道にはみ出して雨に打たれている。
 


路肩の雑草が水滴を湛えている。




落ち葉はあまり赤くない。
 


・・・・・

帰宅して、しばらく寝ていた。
室内は真っ暗だ。

・・・・・

パゾリーニの映画『アポロンの地獄』を見た。
固唾を飲んで見入った。
見終わって数分間放心状態に陥った。

珈琲淹れ換えた。
先に神山を飲んで次にペルーチャンチャマイヨを淹れてみたら、やっぱり何だろう、味気ない。
チャンチャマイヨは初めて買って飲んで以来何か薄いような味気ない気がして、
淹れ方の問題かと思ったが同じ淹れ方してるからなあ。
苦味と甘味はあまり無くて、でも香りはそれほどでもなくて。
軽くて爽やかと言えば爽やかだけど。
何か足りない気がする。

下衆日本男児の末路

2018-09-29 21:09:41 | 日常
雨上がった。
昨夜職場からの呼び出しは無かった。


・・・・・

昼休み。
比較的平穏に半日が経過した。
外は風が強い。


腰痛いな。
多忙で走り回っても何処も痛くならないが、外来受診に同行して待合室に何時間もじっと座っていると
背中や腰が痛くなって疲労感も翌々日まで残る。
人間の体は動き回るように出来ているのだ。

・・・・・

仕事終わった。
だるい疲れたと思っていたら風邪気味かも。
今夜も急変待機だ。
もし呼び出しが無ければ明日明後日2連休だ。
しかし台風が当地にも来るらしい。

ん?
職場の玄関の壁に何かいる。


ゾウムシかな?
昔姪が小学生だった時にゾウムシと呼んでいたのがこんな虫ではなかったろうか。


・・・・・

帰宅。
今のところ呼び出し電話はかかって来ない。
Twitterで男尊女卑の話題が出た。
先日誰かの呟きで読んだ。
九州の何処だったか、

「夫の実家に行ったら女性達が台所で調理や配膳をしている最中から男どもが
 待てないのか酒を開け全員揃わないうちに飲み食いし始める、そこに女達がいそいそと給仕するので驚いた」

とあった。
土俗の生活習慣であろがが卑しい風習だと思う。
「九州男児」という単語は男尊女卑の風土の中で甘やかされ依存的な男に対する蔑称と言えるが、
別に九州だからという事でもない。
北海道だって同様である。
台所では女達がいそいそと働き、茶の間では男がまったり寛いで酒の肴をつまみながら歓談する光景を見て私も育った。
当時は厨房に立ち行って料理したり食器を並べたり洗うなどは「男の沽券に拘わる」事とされていた。
今の時代になってもそんな事をしている生活能力無しは問題外であるが。

自分の両親も同様であった。
菓子屋のパートに出ていた母が残業で遅くなる事はクリスマス近くなる時期にはよくあった。
父が帰宅しても母が残業で帰らず私が夕食を出したりしたが、そのような時に父は腕組みをして
憮然と椅子に座ったまま出された食事に手を付けなかった。
夫が帰宅したというのに女房がまだ帰って来ていなくて食事の用意すら女房がしていないという事態に
父は激怒しふてくされていた。
夕食に食べる物があろうと無かろうと問題ではなかった。
主人である父が帰宅しても女房である母がまだ仕事で帰宅していない夕食も作っていない事が
父にとっては大いに日本男児の自尊心に障る問題であった。
昭和一桁生まれの日本男児であった父にとって配偶者は金で養ってやっている女中であり、
主人が帰宅する前に家で夕餉を整えておくのが当然だった。
当時高校生だった私はそんな父を横目に見て妹と嘲笑った。

「馬鹿じゃないの。
 女房が帰って来て食事を作ってくれるまで待つつもりなんだよ。
 飢え死にするまでふてくされて待っていればいいのよ」

後年、両親は離婚したが、父は自分の何が悪くて配偶者に去られたのか理解出来ずに
自分を捨てて出て行った女房を終生恨んでいた。
昭和一桁の日本男児は自分を被害者の立場に置いて相手を悪者にし周囲の同情を自分に集め、
自己憐憫する技にも長けていた。
どうして人が自分から離れ去り見捨てられたのかを省みる事の出来ない人は不幸だ。

そのような風習で生まれ育ち齢を取った父のような老人達は、例えば介護施設や病院で職員を女中や女郎と認識し
特に若い女性職員を女中のつもりで見下し顎で理不尽にこき使い難癖をつけ暴言を吐き、
女郎のつもりで暴力や猥褻行為を働く。
私の父も生前は居宅ヘルパーに対して女中のように規定外の雑用をしろと理不尽に要求したり難癖をつけ、
何か気に入らないと「クビだ!」などと罵倒していた。
現場を押さえた時、ヘルパーには中途で帰って貰って父を諫めたが逆上し殴りかかって来たので応戦し、
取っ組み合いの喧嘩に発展した事があった。
後日父は「親に歯向かう子供は成敗しなければならん、殺す」と言って寝具の中に刃物を数本隠し持っていた。
ヘルパーに発見されたおかげで私は父に殺害されず脳外科主治医に紹介状を書いて貰って父を精神科に受診させた。
以後、在宅介護にあった期間は父の糞日本男児の自意識によってヘルパー達も私も随分難儀した。
しかしそれも尿路感染と誤嚥性肺炎を繰り返し全身状態が落ちて入院し寝たきりになるまでの1年間だけだった。
日本男児として育てられ根拠の無い自尊心によって配偶者を虐げた末に捨てられた、
愚かで気の毒な人であった。
TLで批判される「男尊女卑」は女を不幸にするが、誰よりも不幸なのは晩年に尾羽打ち枯らしたリア王と化し
子供に持て余される男であると思う。

夜はまた雨

2018-09-28 00:09:24 | 日常
昨夜職場からの呼び出しは無かった。
今朝も空が重たい。
夜はまた雨になるらしい。


・・・・・

仕事終わった。。
不穏な事あり気の抜けない毎日である。

・・・・・

帰宅したら不在票が。
ドイツパン頂いた。
ありがたや。
お江戸はタンネのドイツパン、ウマいよ。
ライ麦パンが特に好きだ。
母にも分けたら喜んでいた。


仕事で色々頭の痛む案件あり。
気分転換が要るので映画でも見ようかと思うが睡魔に負けそうだ。

外は雨だ。
眠い。

雨の夜は眠い

2018-09-27 22:08:42 | 日常
昨日の青空が夢だったかと思うほどに空が重苦しい。
今日は雨が来るらしい。


・・・・・

雨が降っている。
今日も仕事終わるの遅かったな。

今夜急変待機。
緊急性は無いけど気になる案件あり昼間受診した人の経過観察を夜勤者に依頼したので
何かあれば報告の連絡が入るかも。

・・・・・

眠い。
雨の日は睡魔に負ける。

TLで映画の話が出ている。
「風立ちぬ」は皆が見てたからまだ見ていない。
皆が見ている、観客動員数が大きい話題作は、皆が見ているからという理由で見ない事が多い。
10年くらい経ったら見るかも知れない。

眠くてダメだ。
眠れるうちに寝ておこう。

海散歩・物の怪話

2018-09-26 23:08:16 | 日常
待機でも何でもない昨夜はよく寝た。
眠っていたのか気絶していたのか死んでいたのかわからないくらい眠った。
今日は定期受診に出かけなければ。

外来は混んでいる。
座る場所も無い。


採血終わった。
貴重な休日の1日、時間が惜しいので診察待ちに時間を費やしたくない。
診察は次回に回して定期処方だけにして貰った。
せっかく天気が良いので歩きたい。
同じいつものコースであるが散歩する。

・・・・・

朝晩冷えるがまだ霜は降りていない。
 

本州には台風が何度も来ているらしい。
こちらに来る頃には大抵温帯低気圧に変じているが、枯れ葉が路面に溜まる時期の風雨は冠水になるので厄介だ。

間もなく南中の時刻なのに太陽が低い。
水平線と一緒に太陽が画面に入るのでわかる。
刻一刻と冬に向かっている。


今日は空も海も青が鮮やかだ。






波は殆ど無く日光を反射するのみ。


これ、以前郊外の砂浜にもあった豆の花に似た形の植物だ。
何だろう。
浜に群生していたのは数年前コンビニ建設で無くなってしまったが、遠いこんな場所に同じものがある。


これからあそこまで歩くよ。


・・・・・

太陽光を浴びているためか歩くと暑い。
視界は青く涼しげだけど。


風が穏やかだ。


水の動き。




・・・・・

更に歩いて別の坂を上った。
雲がええ具合やー。


僅かな雲が太陽の前を通過する。
今日は波が無くて食い物が無いのか飛ぶカモメが少ない。


雲は横切って行った。


水平線がはっきりしている。
体感的には日光で暖かくても気温は低いのだと思う。
確実に冬に向かっている。


動く海面が日光を反射するのをしばし眺める。


・・・・・

時間まだあるし、空腹になった。


岸壁に立ち寄ってたい焼きを買った。


このたい焼き、中身は小豆餡ではない。
小豆餡は食べると胃がしくしく痛み出して苦手なのて買わない。
これこれ。
中身は小豆餡ではなく「豚塩」だって。

なかなかウマい。
以前、ジャーマンポテトたい焼きとカレーたい焼きを売っていたが、店の人が変わって今はやっていないそうだ。
今はこの「豚塩」を売っている。
甘いのよりも食べ易くて好きだ。
色々実験的にやっているたい焼き屋であるよ。

・・・・・

処方薬を受け取って、帰る。
午後の木漏れ日。


・・・・・

何だか知らない間に寝ていた。
冷蔵庫に青バナナを買ったまま忘れていたので甜菜糖をかけて焼いた。

我ながら変な食べ方をする。
しかし亡き父ほどには変ではないと思う。
父は私が子供の頃バナナの皮を剥き、ウスターソースをかけてナイフとフォークで食べていた。
どんな味がするかはあまり想像したくないが、
半世紀生きて来てあんな変なバナナの食べ方をする人は他に見た事ない。

・・・・・

Twitterを開いてTLを逍遥していると友達の日記ブログの記事が面白くて、幽霊談義になった。
妖精や幽霊の話が出ている。
妖精は知らんけど、幽霊は普通にいる。
自分は見ない体質であるが、明け方腕を引っ張られた事はある。
困るんだよ人が寝ている明け方に、川に落ちて流されたからって「行こう行こう」って。
私の左腕を掴んで引っ張るんだもの。
引っ張られた左腕は冷たくなって痛むし寝ていられなかった。

TLで対話している友達のように私も言ってやればよかった。

「もっと冷静になって自分が体をもっていない事実をよく考えてみろ」

って。
いやむしろ「反則だぞお前!!!」か。
私も眠いからその時は「何だ誰だお前」と思っただけであったが、
1時間後に、近所の川に前日中学生の男子が落ちて捜索されていると朝のニュースで知った。
その日のうちに河口で遺体で発見されたとも聞いた。
何の根拠も無く、今朝のあれは彼だったのかと思った。
冷静になって考えれば、そういう事だったかと納得した。
早朝は眠くて脳みそが半分融けていたから言ってやるべき事を言わず、勿体ない事をした気がする。
しかしTLで話しているのはそういう奥床しい幽霊の事ではなく「認識」の話である。

「認識というものがいかに誤魔化されやすいかを知っていれば、
 さて、自分がほんとうに存在しているものなのかどうか」

について話していたのだった。
その点では自分自身もあんまり自信を持って「私は存在している」とは言えない。

今日も空が重たい

2018-09-25 20:07:54 | 日常
昨夜職場から呼び出しは無かった。


湿度のためか寝起き悪いな。
仕事仕事。。。

・・・・・

今日も何事も…無くはなかったが、何とか仕事終わった。
癒しのカラス動画を見て、今夜は早く寝よう。

カラスという鳥は猫以上に目で意思疎通が出来ると毎朝思う。
挨拶するとちゃんと覚えてくれて出勤時は見送りもしてくれる。

秋分過ぎたら冬

2018-09-24 22:07:13 | 日常
昨日秋分の日だった。
今日から冬に向かって暗く寒くなって、やがて凍る。
仕事に行く。


雨で落ちた葉はまだ小さいものばかり。


審判の喇叭は数少なくなったがまだ頑張っている。
 


・・・・・

特に何事も無く仕事終わった。
今夜は急変待機だ。

・・・・・

北海道東部では春夏秋冬の季節感が国内一般的な時節の情報とは大きくずれている。
自分のいる場所がネットやテレビの天気情報からは圏外である事に子供の時から慣れている。
春の3月4月に桜が咲くのも、秋の10月11月に紅葉が色付くのも、
あれはテレビの中の事で、自分が今いる現実とは別物だと刷り込まれて育った。
小学校の教科書に載っていた春=桜、夏=海水浴、秋=紅葉、冬=雪だるま、スキー、
のようなものは全く現実味が無かった。
今も無い。
3月4月は冬の延長でまだ路面が凍っており暖房無しではいられない、
5月になると一斉に花が咲く。
連翹と雪柳と桜と蒲公英と躑躅が混然と咲く。
夏と秋はコスモスと紫陽花と薔薇と百合と向日葵と桔梗と吾亦紅が
暦を無視して一緒くたに咲くので西洋暦も陰暦も時節も糞もどうでもよくなる。
夏休みはやはり寒くて海に入るのは漁業関係者か死のうと試みる人くらいだ。
お盆を過ぎるとすぐ秋になる。
秋はお盆過ぎから秋分まで、秋分過ぎると空気は冬の匂いがしてくる。
とにかく秋分過ぎたら冬である。
道を歩くだけでも命懸けな凍結路面の季節がやって来る。

部屋に新潮社の本が何冊あるか

2018-09-23 20:06:48 | 日常
寒い。
休日の雨降り。
昨夜急変待機だったため眠いので教会にも何処にも行かない。

・・・・・

外出しない休日は掃除と断捨離をする。
今、本棚を見ている。
新潮社の本が何冊あるか数えている。
雑誌は無いが単行本が何冊かと古い文庫本がある。



何度かの転居と断捨離の度に選択して長年手元に残してきたこれらは愛読書と言える。
子供の時から読んで今に至る優れた文学の宝庫であった新潮文庫には愛着があり、
長年の愛読書は多数あるが、かつて優れた文学作品を世に普及させた功績のある出版社は
今では文芸どころか害毒を撒き散らすものとなり果ててしまった。
当の下衆親爺雑誌をたとえ誰も買わなくなったとしても別に何がどう変わる訳でも無い。
雑誌の存在など今に誰も思い出さなくなるであろう。
新刊本の不買など何でもない事だ。
同じ一つの出版社から出ている下衆な雑誌とこれらの文学作品とは別物であり
十把一絡げに出来るものでない事はわかりきっている。
それに自分が何かされた訳でも何でもない。
しかし棚に並ぶ本の背表紙に「新潮社」「新潮文庫」と表示されているのが目障りだ。
自室の本棚で付き合い長くこよなく愛してきたこれら文学の価値は計り知れないが、
同じ出版社から人間を貶める卑しい悪意が垂れ流されるならそれは死んだものであり
これまで愛読して来た年月を帳消しにするものである。
一つの出版社が立場の弱い一部の人々を貶めておきながら
同時に読者に生きる指標を与える文学を提供し続ける事は救い難い欺瞞と思う。
新潮社の文芸は死んだものだ。

・・・・・

余程愛着ある数冊を選別するか迷ったがいずれも1年以上手に取っていない。
意に沿わない少数の立場の人間を見下し文章を以て貶める差別という害毒を撒き散らす出版社から出た書籍は
ゴミとして廃棄するのが相応しい。

カポーティ、サリンジャー、カフカ、ヘッセ、コクトー、ボードレール、ランボー、
室生犀星、北原白秋、宮沢賢治、三島由紀夫、小松左京、筒井康隆、星新一、
北杜夫、遠藤周作、安倍公房、塩野七生、その他。
これら新潮社の本は表紙が褪色するまで長年愛読してきたが、廃棄しよう。
この狭い部屋の棚の隅に長年あった新潮社の文芸の足跡は少なくともこの部屋からは消える。
さよなら。
残念だけど。

・・・・・

可燃ゴミの袋に、鼻を拭いた紙やパン屑と一緒に詰めて捨てて来た。
本は重いので40Lのゴミ袋3枚も使って、ゴミ袋が惜しい。
市の指定可燃ごみ袋40Lは1枚100円だ。
文学はゴミではないが新潮社から出た本はゴミだ。
ゴミとして廃棄した古本を二度と手に取る事は無い。
引っ張り出して読み返す事は無く、過去の優れた文学作品を手掛けた新潮社の足跡を
思い出す必要も無い。
本はたくさんあるので今捨てた本の他にも
まだ新潮社の本が部屋の何処かに残っているかも知れない。
今後自分は新潮社の本を一切買わないが、まだ残っているものがあれば
見つけ次第可燃ゴミに出す。

ここから見ると文庫本の棚がスカスカだ。

しかし何も無い訳ではない。
奥の方に古い文庫本がまだ幾らか残っている。
昔の角川文庫の夢野久作とか澁澤龍彦の文庫とか。

新潮文庫を全部廃棄したついでに文春文庫や角川文庫や講談社文庫も捨てた。
源氏物語とか伊勢物語とか新古今和歌集なども捨てた。
何だかすっきり風通し良くなった 。

明日は秋分

2018-09-22 22:06:23 | 日常
昨夜残業だったが爆睡し目覚まし無しで5時前に覚醒、激辛カレーの朝食後に水出し珈琲とMOWバニラ。
久々に分離していないMOWバニラウマい。


思うところあり、一時間早く出勤する。


ナナカマドに赤い実が付いた。


路肩のコスモス。
 


雲の隙間から梯子が降りて来た。


・・・・・

仕事終わった。
帰りにスーパーに立ち寄って季節の植物を買った。
明日は秋分、何となくそれらしいものを。


インクみたいに濃い色だ。


今夜、急変待機。
小栗康平監督の映画『死の棘』を見ている。
昔、原作を昔読んだ。
この映画では岸部一徳が凄く良い。
トシオの役を、今の時代の30代後半~40代前半の俳優で誰か演じる事が出来るだろうか。
例えば高橋一生ならどんなトシオになるだろうか 。

副題に「本当に狂っていたのは、妻か夫か」とある。
どっちもだと私は思う。
人間は互いに影響しあって生きている。
同居家族で一人だけ病むのがむしろ不自然である。
日常生活が儘ならないほど病んだ弟を札幌の教会に連れて来た兄が、昔いた。
確かに弟は病人であったが発病させたのは兄の病的興奮と暴力であり、
弟は兄の暴力と支離滅裂な思考回路と命令に逆らえず心身を病んでいた事が後々になって皆の知るところとなった。
兄の方が本物の患者だった事が判明した。
どちらも病んでいたのだった。
この映画のトシオとミホも、どちらかが正常でどちらかが病むという図式は不自然に思われる。
人間同士が日常一緒に暮らしていると良くも悪くもお互いに影響し合うからだ。

星空と地図

2018-09-21 21:21:20 | 日常
仕事に行く。
今日は難易事例があって胃が痛む。

・・・・・

仕事終わった。
前途多難ではあるが道は出来た。
残業にはなったけどささやかな達成感がある。
着任して間もないケアマネが人間的にも技能的にも優れた人で、随分助けられた。
介護分野で高齢者とその家族とに関わる場合、医療職では立ち入り様のない限界を感じる事がある。

・・・・・

TwitterのTLで小学校の授業の話が出た。
小学校では理科大好きだったが、授業なんぞろくに聞かず家で百科事典開いていろいろ調べてたなぁ。
天体とか気象とか月面とか星座とか星雲とか、今でも好きだ。
社会科も嫌いではなかった。
授業そっちのけで地図描いて色分けしたりしていた。
宿題が無くても勝手にやっていた。
但し、出された宿題はやらずに学校の机の奥にぐしゃっと丸めて押し込んで、
後から後からぎゅうぎゅう詰め込んで化石化していたっけ。

TL読んで思い出した。
いつだったか近郊の同じ教派の教会の牧師先生に案内されて行った、360度地平線が見える場所。
あそこで一晩中阿呆のように星空を眺める事が出来たらなぁ。

イモは嫌いだ

2018-09-20 21:20:03 | 日常
昨夜職場からの急変呼び出しは無かった。
秋晴れ。


ここしばらく仕事でバタバタして落ち着かない。
今日みたいな快晴の日にどこか散歩行きたいなぁ。
海岸にも湿原にもずっと行っていない。

・・・・・

仕事終わった。
1時間半居残って明日の仕事の資料を作っていた。
明日、胃の痛くなるようなめんどくさいややこしい仕事がある。

はー。

・・・・・

昨夜、Twitter見るとTLに“反体制フォークはカッコ悪いか?”というタイトルの記事が目についた。
体制反体制もかっこいい悪いもどうでもいいが、フォークソングとフォークダンスは子供の時から大嫌いだ。
10歳足らずの子供だったからフォーク全盛のその時代を懐かしいとは思うが、
あのギタージャカジャカ鳴らして皆で片寄せ合って陶酔的に歌うのは団塊の世代の産物であり、
小中高と学校で長時間椅子に縛られていた生徒だった自分にとっては押しつけがましく鬱陶しく厭世的だった。
しかし当時既に絶滅していた歌声喫茶を愛好し学校で生徒にその真似事をやらせようとする学校教師達が
少なからずいて中学高校時代にはうんざりした。
体制も反体制も糞も、学校教師達が自分の若い頃を夢見て教育者の立場を利用して教え子達に押し付けたので辟易した。
高校の時、自習時間に私が三島由紀夫の『近代能楽集』を読んでいると

「三島の本なんか読んでいるのか、三島は日本を軍国主義にしようとした者だ、お前はそんなものを読んでいるのか」

と難癖つけてきた教師もその流れだったかも知れない。
腐臭がしたからだ。
今本読んでるんですけど邪魔しないで貰えませんかと切り返した自分も可愛げ無い生徒であった。

三島の『近代能楽集』は年経った今でも好きだよ。
当時三島の著作はどれ読んでも過不足無くハズレ無く平均的に面白かったので新潮文庫を買い漁って随分読んだ。

反戦も、反戦主義と“主義”がついてしまうと押しつけがましく腐臭がしてくる。
そうかと思えば「愛校心」という単語を連発し「滅私奉公・愛国心」の雛形にしてこれまた押しつけがましく説教垂れる、
腐った魚のミイラの如き老教師も当時はまだ生き残っていた。
そんな糞教師達の世代が生徒であった1960年代生まれの私達を「無気力・無関心・無責任の三無主義」とか
「しらけ世代」と揶揄し、ただでさえつまらない授業の脱線のネタにして批判し憂いた。
無気力・無関心・無責任の三無主義って“主義”と呼ぶ時点で“無”ではないではないか、馬鹿じゃねーのと
高校生だった自分は鼻で笑った。
右であろうと左であろうといずれも同調圧力は同じである。
それは当時子供だった私達を随分苛立たせうんざりさせた。
サツマイモもジャガイモもどっちにしろ喉につかえるでんぷん質ではないか。
熱でベトベトくっ付いてしつこいのは同じ。
私は昔も今もイモは嫌いだ。
社会人になった頃には「新人類」とも呼ばれた私達は今「昭和の化石」である。
元々全然新しくもなんともなかった新人類は、間もなく死に絶えて塵となる。

子供の足音

2018-09-19 21:19:34 | 日常
晴れた。
徐々に低くなってきた太陽が眼を直撃する。


・・・・・

今日は敬老会だった。
寿司と慰問ボランティアの三味線と民謡。

夕食、何か買って帰ろう。
半額寿司か弁当あるかな。

街灯の下で路肩のコスモスが揺れる。


・・・・・

帰宅して、半額弁当を食べながらTwitterのお仲間の更新したブログ記事を読んだ。
凄く面白かった。
この記事はとても気に入った、午前3時の子供の話。
子供の霊は怖い。
その記事読んで子供の霊の薄暗さを思い出した。
このブログを始めた当初自分が勤務していた、寝たきり老人ばかりの療養型病院で二交替勤務16時間の夜勤をしていた頃、
午前3時過ぎに一人で看護記録を書いてると私の背後を足音だけの子供がぱたぱた走り回る事が度々あった。
幽霊は殆ど自分の眼で見た事が無かったが、その病院で勤務した3年間の間に何度も怪現象に遭遇した。
その時刻にいる筈の無い警備員の歩き回る足音、今の時代にはあり得ない白ストッキングに白サンダルの看護師の脚、
たまたま私しか病棟にいない未明の時刻に廊下の脇の非常階段から私を名指しで呼ぶ声、
患者さんが亡くなって誰もいない病室から頻繁に鳴るナースコール、
午前2時になると使われていない霊安室のある地下から病棟に上がって来て扉の開くエレベーター、
そして未明に一人で記録を書いていると背後でパタパタ走り回る子供の足音。
これら数ある怪現象の中で一番恐怖だったのが深夜の老人病院にいる筈の無い子供の足音であった。
何でそれが恐怖なのかはわからないが、とにかく一番恐怖を感じた。
Twitterのお仲間のブログ記事読んで思い出してしまった。
あー何か背筋がぞっとする。
でもこのような奥床しい物の怪の登場する話は趣深くて大好きだ。
しかしもうとっくに寒くなっているのに納涼大会みたいになってしまった。

寝るかな。
今夜も急変待機だ。

みかん終了

2018-09-18 20:19:09 | 日常
寝起き悪い。
昨日だらだらし過ぎた。

・・・・・

仕事終わった。
受診同行で午前半日、午後まで潰れた。
じっと外来に座っていると多忙で走り回る日よりも疲労する。
腰痛いな。

日没が早くなった。
刻一刻と冬に向かっている。


帰宅。
夕食も食べずにかっぱえびせんを食べる。
我がこよなく愛する主食、かっぱえびせん。
スーパーで見かけてつい買ってしまった。
元祖とえび2倍のとを食べ比べてみたがやはり元祖がウマい。

えびが多ければ良いというものでもないらしい。

かっぱえびせんの後、青切りみかんを食べているが大いに不満である。
みかんは香りがあって皮の青い今の時期のしか食べない。
皮の香りは良いが、実は酸味が全然足りない。
3個めが少し酸っぱくて少しはましだったが、4個目は全然酸っぱくない。
一体何個食べれば酸っぱい青みかんに当たるのだ。

みかんの季節はもう終わりだ。
残念である。
橙色の冬みかんは嫌いなので食べない。
この青みかんが終わったら今年のみかんは終わりである。
柑橘類は酸っぱくてなんぼであるよ。

眠い。
帰宅してまだ何もしていないのに。

だらだら

2018-09-17 21:18:03 | 日常
2連休2日め。
掃除して洗濯しながら英神父様の説教ライブを聴いている。
考えさせられる。
英神父様の言う成熟した信徒の定義。
「信徒に躓かない」
「神父に躓かない」
ヨハネ6章60-69節  hanafusa-fukuin.com/archives/2014

・・・・・

買い出し行って来た。
薬店とスーパーと、六花亭。
母親に敬老餅買った。
まだ餅で窒息するほど咀嚼嚥下は衰えていないのは有り難い。

一日だらだらと動画見て休日を費やした。

そろそろ準備しないと

2018-09-16 21:17:34 | 日常
天気悪いなぁ。
しかし今日は教会に行かねば。

・・・・・

今にも降り出しそうだ。


主日礼拝
黙祷
招詞 申命記10:12~14
讃美歌(21) 202 413
聖句唱和 マタイ25;40
平和の祈り
メノナイト信仰告白
祈り
讃美歌(21) 414
聖書朗読 マタイ25;31~46
説教
讃美歌(21) 531
献金 讃美歌(21) 515
祈り
派遣 讃美歌(21) 90
祝祷

礼拝の後、定例の教会員会がある。
来月の役割分担と行事、会計報告など話し合う。

その前に昼食。
今日はハヤシライス。

普段カレーばかり食べてハヤシライスはあまり食べる機会が無い。
ウマいわー♪

・・・・・

教会員会終った。
行事多いな。
そろそろ自分の礼拝当番が回って来る。
準備しないと。

風が出て来た。
路肩のコスモスが揺れている。




随分色の濃いキンレンカだ。


橋に来た。
オオセグロカモメは羽繕い中。


霧で視界が霞んで来た。
体感的にはそんなに寒くない。
湿度高いからかも知れない。


あれ、前にも見かけた猫だ。
あんまり天気良くないけど外で寛ぎ中。

どうもお邪魔しました。

・・・・・

思ったよりも早く帰宅出来た。
PC開けて、この日記ブログの記事を編集したり写真画像の整理したりしているが何か音を聴きながら作業したいので
ヴィスコンティの映画『ベニスに死す』、これもDVD持っているが音声だけBGM代わりにしようと思って
オンデマンドサイトで再生してみたら、何で英語で喋っているのだ?
DVDではイタリア語なのに。
耳障りで不快だ。
即行再生リストから削除した。

明日も休みであるが何もしない日にしよう。
ひたすら引き籠もって爆睡する休日があっても良い筈だ。