日付が変わった。
苦楽を共にした身近な友人を亡くす経験を
私は未だ体験した事が無い。
現実の生活で同年代の知人達は皆私よりも元気そうだ。
ネットで仲良くして下さるお仲間の方々も
ほぼ毎日SNSで対話したりその発言を目にして
日々健在である事を私は知っている。
しかし日課のように交わしているお互いの日常会話が
ある日突然ぴたりと止む可能性がある事、
いつか将来確実に起こるであろう事に対して
なかなか実感を持てない。
例えばTwitterのTLで何気なく交わしている、
「おはようござります」「お疲れ様です」「こんばんは」
「随分冷えましたな」「ただ今降っております」
「体調は如何ですか」「風邪、お大事に」など
他愛なく繰り返す挨拶や安否確認、近況報告が
いつかある日ぴたりと途絶える日の事を考える。
ネットの場合、実際の日常では顔も見た事ない者同士で
家族や身近な人々と話さないような深い事柄まで相談したり
打ち明け合ったりする。
文字の上だからこそ可能な、現実の生活では不可能な長い対話を
私達は日々共有している。
同じ事を日常でやったら大変だ。
とんでもない長時間の電話や会議を毎日し続けるようなものだ。
文字の上だからこそできる。
ネットに書き込んだ言葉のやりとりにも人間関係はあり、
その結果反りが合わず没交渉になって消滅する人間関係もあるが
2006年6月末のこの日記ブログ開設から彼是10年になろうとする今、
開設当初からずっと付き合い続けて下さる方々との対話は
実際の日常で接触する人々とのやり取り以上に濃密である。
その近しく対話する人々の誰かがぱたりとTLに現れなくなる日が
いつか来るのだという事を想像する。
姿を見た事なく思索の深部を互いに交換し合い
毎日の挨拶を交わしてきたPCの向こうの
姿の見えないしかし確実に存在する人々の中の誰か、
話しかければ返答してくれる人々の中の誰かが
ある日ここからは見えない遠い場所でこの世を去った時、
私はどうやってそれを知るだろう。
いつもなら返ってる筈の返事が一向に返って来ないまま
相手が世を去って既にいない事を私はどうやって知るだろう。
見えない相手の不在をどうやって実感し受け入れるだろう。
そんな事を考える。
顔を見た事の無い、声を聞いた事も無い、
しかし現実に存在し日常を共有していた人々との
いつか確実にやって来るこの世での別れを
その時自分はどうやって実感し受け入れるだろうか。
返って来る筈の言葉が返って来ない日常の、
その喪失感とどうやって自分は向き合うだろう。
・・・・・
殆ど眠らなかった。
6:00にマイナス14.4℃だったという。
生ぬるい厳寒期は続く。
さて、そろそろ行こう。
快晴だ。
ド僻地のでかい病院の外来は相変わらず混雑して
ラッシュ時の札幌の地下鉄の如し。
検査予約してあるのですぐ中待合室に呼ばれた。
しかし時間通り来ても結局そこで1時間待ち。
眠い。
本を持ってきたが読むどころではない。
zzz...
睡沈していた。
気が付いたら中待合に入ってから2時間経過している。
カルテの流れで手違いはないのか。
クラークに聞くと私の受付番号と検査予約時刻を見て慌てて
看護師に聞きに行った。
拡大内視鏡のカメラが洗浄中なのだそうだ。
普通の内視鏡は台数多く
患者が入れ代わり立ち代わり出入りしている。
呼ばれたと思ったら看護師がベノキシール噴霧しようとする。
いきなり麻酔かよ。
ガスコンドロップは要らないのかと聞くと
「えっ飲んでないんですか?」
おいおい誰に聞いてるの。
まだ誰からも声かかってなかったけど。
看護師が急ぎ持ってきたガスコン、ちと量多くないか?
これ全部飲むのかと思わず聞いたよ。
「全部飲んで下さい。」
そしてスプレー噴霧。
看護師が医師を呼んでいる。
「せんせー、拡大いいですよー」
いつもの如く、マウスピースで左の顎が外れるので
手で押さえていいかどうか看護師と姿勢を調整していると、
医師が診察室から早歩きで来た。
よろしくお願いしますと挨拶された。
こちらは動けないし喋れない。
一昨年の暮れに初めて拡大内視鏡を飲んだ時は
スコープが胃に入った途端激痛が起こったが
今回は鈍痛のみ。
痛む事は痛むが自制内。
看護師が顎が外れないかと声をかけてきて、
私の返答を待たずに
「顎が外れても口腔外科にかかれます、大丈夫ですから。」
何が大丈夫だ。
顎を外されてたまるかあほんだらめ。
機能性ディスペプシアのための内服を毎日3回服用していると
こうも違うものなのか。
今回生検採取なし。
起き上がって看護師に診察室へ誘導されようとしたら
医師が制止してその場でICとなった。
シャーカステンに今撮ったレポートをクリップで留めて
拡大画像の説明を受けた。
私は医師とは初対面のつもりでいたが、医師の方が憶えていて
どうやら二度目らしい。
一昨年のEMRの時とは別の医師だった。
いつの受診でだったか私は胃で診察を受けていた。
胃壁に大量発生しているポリープを顕微鏡レベルまで拡大して見て、
前回の胃底腺ポリープと様相が同じ良性と思われるため
この度はEMR不要、経過観察で可と言った。
紹介してくれた前医から私が普段服用している内服薬のため
ポリープから出血し易いので摘出した方がいいと言われた事を話した。
また、私自身はこれほど大量発生してしまったらどれとどれを
切除するのか、1個や2個なら大丈夫でもこれ程でかいのが無数にあると、
全部相手にしてたらその方がリスク大きいのではないか、
もし出血したらその時に出血しているものだけをEMRで対応するのは
どうかと尋ねると、医師もそれでいいと思うと答えた。
出血したらしたでその時に対応すればいいのだ。
眠い。
疲れた。
即行帰宅したいがバス定期の更新をしに街に出かける。
・・・しかし間違えて逆方向行きのバスに乗っていいた。
途中下車して乗り直した。
爆睡していたら終点のバスターミナルに着いていた。
定期を更新して自宅方向に行くバスが無いか時刻を見たが、
行ったばかりで待ち時間長い。
天気良いし、歩いて岸壁に行く。
厳寒期の筈なのになんと生ぬるいのだろう。
予想最高気温マイナス2℃とか言っていたが
どう見ても3月下旬の雪解け時期並みに緩んでいる。
川面に蓮氷すら無いとは。
これでは魚が全然獲れないだろう。
岸壁の茶屋。
病院の待合室で読むつもりだった押田茂人著『道すがら』を読み始めた。
眠気が消し飛んだ。
まえがきの文章を読んだだけで圧倒される。
文字通り皮と骨だけにやせこけた、母のむくろをながめていたら、
六人の子を産み、八十六年を生きて、子供や、孫や、ひこにかこまれて、
死んでいく人間の尊さ、おごそかさが身にしみわたってきました。
だれにも知られず、平凡に生きて平凡に死んでいった母を、
つくづく羨ましく思いました。
この世の中に、せつない汗を流しながら、
あくせくとして生きねばならない、すべての名のない人々に、
心からの尊敬をこめて、この本を贈らせていただきます。
昭和四十四年十月七日
著者
(押田成人『道すがら』思草庵 まえがきより)
執筆中に母親が帰天した事に触れ、
この本をその母に捧げると書いてある。
同じ事や同様の事柄を書き表現した文章は無数にあると思われる。
しかし同じ事を書いたとしても、見る視点も角度も、使う言葉も
全く違う。
私が普段この日記ブログで書くに用いている言語とは
同じ日本語と思えない。
自分の書く文章が日本語ですらない気がする。
ブログという媒体をげろバケツ代わりに書き殴るだけの
吐物のような私の言葉とこの人の練られた言葉とは異次元ほどの違いがある。
血流の温かみを持ち、静謐で、寸分の隙も無く微塵の無駄も無い。
自分は一体これまで何を読み何の言語を使ってきたのだろう。
・・・・・
昨日から全然寝ていないが、
貴重な休日を半日だけ休日らしく過ごした。
傾いた太陽。
この光の玉をしばし眺めた。
さっき岸壁で読んだ本の中の「光」についての文を反芻する。
それは聖書の一番初めの、
創世記と言う書物の冒頭に出てくる、光のすがたであり、
聖書の一番あとの書物、
黙示録の終りに出てくる、天主のすがたでもあります。
感覚でとらえる光と、知的な光と、霊的な光とは、
全く違ったものでありますが、しかも、同じ光のすがたをもっています。
・・・・・
キリストは、
「私に従う者は闇の中を歩まず、
かえって生命の光を身の内に所有するだろう」
と申されました。
その光とは、すべての感覚の光を消した後に、
信仰の闇の中にあらわれる光のことなのです。
(押田成人『道すがら』思草庵 本文より)
帰宅。
ね、、眠い。
疲れた。
ちょっと寝る