ぱんくず日記

日々の記録と自己分析。

夏休み3日目引き籠り

2016-11-21 22:40:42 | 日常
今朝も冷え込んだ。
気温がプラスって本当かな。
路面凍ってるんだけど。
沸騰したミルクティーがみるみるぬるくなっていくではないか。

今朝6:00にはプラス0.8℃だった。
今日の予想最高気温4℃、数字的にはそんなに寒くない筈だけどな。

寒くてダメだ。
昨日買って来た白菜を煮込みにした。
白菜と豚こまとしめじとエノキタケを、水を使わず極弱火でじっくり蒸した。
時間かかるけどウマい。

味付けは昆布茶だけ。
昆布茶の塩分で白菜本体から甘味のある汁が鍋一杯になみなみと滲み出す。

はー。
ウマかったぁ。
温まったわー♪

・・・・・

まだ足の裏が痛むのと寒いのとで引き籠ってブログ記事の整理している。
ミルクティーがぶがぶ。

・・・・・

寒くて一日中自室に引き籠っていると暖房が勿体ないな。
低温に設定してさっきまで牛乳で割ったぬるいUK風味な紅茶をがぶがぶ飲んでいた。
しかし飽きたのでレモンを輪切りして入れようとしたら、
いつ購入したか思い出せない国産レモンが冷蔵庫内で干物になっていた。
2/3くらいに縮んでいる。
買った時は結構大きいレモンだったんだよ。


ふむ。
皮剥いて輪切りして紅茶に入れた。
一部齧って食べたけど、干物になったレモンて甘いのね。

・・・・・

頸と肩と腰が痛むので長風呂してまる1時間湯に浸かった。
「旅の宿 濁り湯シリーズ 白骨」がまだ2袋残っていたので使用した。
入浴後にストレッチするとかなりよくなった。
しかし寝たらまた元に戻るんだろうな。

よく晴れていたが一日中一歩も外に出ず
白菜を煮てブログ整理とストレッに明け暮れ紅茶をがぶ飲みする冬らしい休日だった。
明日は研究発表の事前打ち合わせのためまたも職場に出向くが予報は雪だな。

寝る前に映画DVD見る。
何度か見た『王妃マリーアントワネット』。
映画というよりも死刑囚カペー未亡人の最期の手紙から起こしたドキュメンタリーだ。
太陽王ルイ14世時代から続く慣習に縛られた宮廷の息苦しさを逃れ
舞踏会と博打と遊興と農民ごっこで遊び暮らし、長年の浪費とアメリカ独立戦争に投じた出費で
財政は破綻し国民の憎悪の標的とされ、国王と王妃は斬首された。
ちゃらちゃらごてごて飾り立てられた宮廷時代の虚飾に注目するとマンガのベルばらになるが、
私はこの人が囚人として暮らした最後の日々に読んだ本に注目する。
かつて王妃だった人の囚獄生活の日々に手元に置き読んでいた本の中に
『De Imitatione Christi(キリストに倣いて)』(伝トマス・ア・ケンピス)があった。
華やかな宮廷時代の肖像画でしか知らないこの人の、
飾りも名誉も剥ぎ取られ夫を殺され子供達から引き離され親しい友人を惨殺され、
母国の親族からも宮廷時代の取り巻き達からも見捨てられ、
何もかも全てを失ってたった一人の囚人となった最後の日々に
『De Imitatione Christi』を読んだこの人は何を思っただろうか。

 11.イエズスの十字架を愛する人は少ない
   イエズスの天の国を愛する人は多いが、
   その十字架をになおうとする人は少ない。
   慰めを望む人は多いが、
   苦しみをのぞむ人は少ない。
   イエズスと共に食卓につきたい人は多いが、
   イエズスと共に断食する人は少ない。
   キリストと共に楽しむことをのぞむが、
   キリストのために、
   何ごとかを忍ぼうとする人は、少ない。
   多くの人はその奇跡に驚嘆する、
   しかし十字架のはずかしめ迄つき従う人は、少ない。
   多くの人は不幸が来ない限りイエズスを愛し、
   慰めを受けている限り彼を祝する。
   しかしイエズスが姿をかくし、
   暫くの間でも、彼らから離されると、
   不平をいい、ひどく落胆する。
   しかし、
   イエズスから受ける慰めのためではなく、
   イエズスをイエズスとして愛している人は、
   患難や苦しみのときにも、
   慰めのときと同様に、かれを賛美する。
   そしてイエズスがいつまでも慰めを与えなくても、
   かれらはいつも、感謝と賛美を怠らない。
       (『De Imitatione Christi キリストにならう』バルバロ訳 ドン・ボスコ社 1967年より)


一昨年の春に中野京子さんの本を読んで興味が湧き取り寄せた2冊の本が読みかけのままだ。
その年の夏の父の死去と以後の自分自身の生活の立て直しの間に忘れていた。
アントワネットの2人の遺児達に関する本である。
その2冊の中でアントワネットが最後の日々に『De Imitatione Christi』を読んでいた事を知った。
『De Imitatione Christi』は引き離された長女マリー・テレーズの手に渡り、
少女の長い獄中生活の友となっていたらしい。
次男ルイ・シャルル(ルイ17世)は7歳で母親から引き離され革命政府の手で監禁され
暴行と罵倒、あらゆる心理的虐待と身体的虐待、性的虐待を受け監禁状態のまま長い間忘れ去られた。
悪化する栄養失調と結核と性病を放置され全身痂皮と膿疱(梅毒末期のゴム腫らしい)だらけで
(革命政府は梅毒持ちの売春婦を買収し10歳に満たないルイ・シャルルを強姦させていた)
排泄物と虱や南京虫など寄生虫まみれでいるのを発見されたが
発見から間もなく10歳で死亡、直後に解剖され心臓だけを抜き取られた。
何者かの手で持ち去られた心臓が瓶詰で近年発見されたがDNA鑑定の結果本人と判明したらしい。
長い間に行方不明とされていたためルイ17世を名乗る者が何人も現れたりしたが
いずれも偽物だった事が確定したという。
革命政府の者達は処刑した国王の遺児という理由づけをして幼児を嘲弄し嬲りものにして鬱憤を晴らした。
小奇麗な理念(自由平等博愛)によって正当化された革命の卑しい醜い部分には焦点が当てられない。
華やかな宮廷にいた王妃の虚飾とその後の白く塗った墓の如き綺麗事の革命の
自由平等博愛という塗り物の白い面だけを自分はマンガで読んだのみ。
しかし顧みられず忘れられた歴史の隅で生身の人間が一人神と向き合っていた。
何種類も日本語訳の出ている『De Imitatione Christi』その本を私も持っている。
人間が何もかも失ったその最後の時にただ一人となって神と向き合う、
誰もがいつか必ず迎えるその時の事を考える。