豊かさを求める 会長日誌

家づくりと言う事業を通じ、多くの人々の人間模様を綴ります。

「おくりびと」と彼岸…北斗市

2009-09-23 17:17:38 | ファース本部
この連休中にアカデミー受賞の「おくりびと」をテレビで見ました。子供を捨てて行方不明になった父親が、死んで遺体となって主人公と再会します。60余年も生きて残したのは、ダンボール一箱と小石が一個です。捨てた子供に懺悔の気持ちを伝える「石文」でした。

彼岸とは「生死の迷いを河や海に例え、その向こう側の岸の事」を言うのだそうです。
私達日本人の多くは、お盆と春、秋の彼岸に先祖の墓参に行く慣わしがあります。
私も年に数回は父親や姉達が眠っている禅宗寺にある墓(今日撮った写真)を訪れます。

私の家は禅宗ですが、家内の実家は神道です。また母方の親戚にカトリック信徒もおりますがお盆や彼岸には宗派に関係なく、親戚が三々五々集まって墓参をして行きます。
誰もが皆、特別な信心があるように見えませんが、先祖あってこそ現在の自分達が在る事を悟っているからでしょうか。

この墓に眠っている姉や父親が亡くなって既に何十年にもなり、今更、生死の迷いなどは無く、とうに彼岸(向こうの岸)である、あの世に安住している事でしょう。
最近、自分の孫の誕生も含め、社員など身近で、赤ちゃん誕生が相次いでいます。

家裁の調停室で担当する離婚案件では、「自分の人生を返しなさい!」と主張し合う場面に立ち会う事があります。それも愛し合って子供までつくり、その末に「人生を返せ」と…誕生し人生が始まり喜びや試練を辿って年齢を重ね、人生を全うし、あの世に行きます。

人生って何か…決して難しい事ではなく、人生って「人が生きる事」なんですね。
母がいて父がいて自分の存在があり、その母や父にも同じく母がいて父がいました。
その祖父母にも…つまり先祖があって自分いる、その自分も家族だけでなく、多くの人々の支えによって生かされているのです。

「おくりびと」では、小さな石の一個に、尽くせなかった父親の愛情を感じ得たのです。
家裁でどんなに争そっても結局は夫々の道を歩み出します。人って、人だからこそ人と争そったり、喜び合ったり、哀しんだり、それでも支え合いながら生きて、そして過去の人に…

人生で何かを遺そうとするのではなく、人への愛情と慈しみこそが遺すべき最大の事のように思います。天候に恵まれたシルバーウィークでした。明日から通常業務に入ります。
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