我が恩師が、入局、昭和27年当日でも、教授の一言は絶対であったようで。また、権力、金力は、次の情報入手の優先的、絶対性を獲得。
恩師の時代、研究に顕微鏡は必須でも、使用順位は、年功序列。成果を出せない、悪循環。脱け出すために、バイトに精をだし、個人購入。
海外文献は、まず教授。知識も、持てるものは、更に持ち、教授の提案で研究し、以前は、第一著者を教授名にするのが慣例で、破ったのは、破門の憂き目。
“らんまん”は、明治維新に近い時代。でも、昭和の時代だって!
私が入局した、昭和50年の新教授は、教授は、「大名と同じだ。従うのが当然」。その背景には、研究費の、争奪の意図があり、私へのアカハラの始まりだった。