仏教徒たらんと決意してからは、盂蘭盆会には、般若心経の写経、寺院拝観時に写経場があれば、時間の許す限りは写経に努めます。
幼少期から、宗教には関心がありました。身近には、仏教、神道、キリスト教の聖職者、熱心なキリスト教徒がいることもあり、違いに関心があり、知識も増えていきました。
学会参加で、イスラエルの地にしばし滞在して、環境風土の厳しさに、生理的なじまなさが湧き上がりました。
雨水ゆたかな日本で育ってきた自分は、八百万の神々がすみたもうなかで、仏教の御仏に心を寄せていくのが、無理がないことに思い至り、帰属する宗教は、仏教と違和感なく意思表示します。
経典への関心は、仏教に限らず興味津々。深く知るには、時間が足りない。
読み砕いた文章には、読み砕いた人が反映されているという思いがあります。原典は、絵のようにも思える認識しか持ちえない文字で、表記されています。
旧約聖書はヘブライ語”死海文書”
仏典は、サンスクリット語:梵字などなど。
というわけで、経典は、翻訳者を、一人のみならず複数の人を経たものに接せざるをえません。
苦難を経ての伝来者には敬意がわきます。
奈良薬師寺の僧侶に同行させていただくインドへの旅前に、
唯識経を、少しでも知りたいと、唯識三十頌の写経に励み、少しでも、声明から、心に訴えるレベルに達したいです。