連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

うなぎ

2015-07-21 20:26:36 | 日記・エッセイ・コラム
夏土用に入りました。
暑中真っ盛り。
丑の日は、7月24日、8月5日。
”う”ことばダジャレで、うのつくものをたべていたらしい江戸時代。
夏、土用の丑の日に、ウナギを食べる風習を根付かせたのは、着想豊かな平賀源内。
江戸時代は、アミノ酸豊富な”あまざけ”が夏の町に売り歩いていたりで、
夏バテ乗り切り策を実行していたんですね。
今や、絶滅危惧種となってしまったニホンウナギ!

うなぎの思い出は、恩師故宇塚善郎先生と重なる。
ウナギ捕獲の自慢のために、清州川から、田んぼに水を供給する川干し。
時間勝負で、堰の形成とウナギの捕獲に、忙しく立ち回り、
地主の子どもと言えども、田んぼの水の供給途絶は、死活問題で、
必死の形相の追い手から逃げ切る快感を楽しそうに語っていたり、
故山形敞一教授と東京の会議に参加するときに車中での駅弁の”ウナギ”エピソード。
ストレスで腹痛のために味わえなかったと、若き駆け出しのころもあったのですね。
山形敞一先生は、アララギ派の歌人でもあり、齋藤茂吉との交流深く、ウナギ好きだった茂吉の影響もあってのウナギ好きなのでしょうか。

薄給補いの出稼ぎれ列車の朝食は、ウナギの駅弁。

病院開院後には、土用の丑の日は、たっぷりのウナギのかば焼き。

はるかかなたの幼き日、
母同伴の買い物は、日本橋か銀座
父と二人の時は神田。母の用事で、私を一人置いておけないための措置であったかと今は思える。
大きな樽にウナギがうごめき、
店内で、ウナギにくぎを刺して、さばいていた光景から、
好んでウナギを食べることはなかったのだが、
ひ弱な私を気遣って?自分で好きだからでしょう!恩師宇塚善郎先生のウナギのお相伴で、
好んでとまではいきませんが、ウナギは美味しく、食わず嫌いで無くなり良かった!
やっと、ウナギを好きになり始めたら、絶滅危惧種に指定されてしまったとは。
ウナギは、地球を股にした回遊魚。
日本のうなぎでなくても、日本での養殖であれば、味は日本土着の味に変わるのか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする