連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

余命を悟り、伝える のは重要

2010-10-11 11:41:47 | 健康・病気

生を得た限り、

万人平等に、避けられずに与えられるのは死

死に向かって動き始めた生理的変化を感じ取りながらも、

別れの言葉をのべ、覚悟して死を迎える患者には感謝したい。

一見は元気だが、

自宅に帰りつく前に不帰の人になりそうと推察する医師である私の前で、

なんとか帰してほしい、帰宅の許可をといわれると困惑してしまう。

死という別れがやむを得ないのだという覚悟で、

今までの、現生の付き合いに感謝の言葉を述べつつも

食事もとり、血圧も低下せず、呼吸困難もなく、意識は清明な状態であると、

別れが近いから、感謝の言葉を述べてくれたのだろうと思うが

どうして今、別れを感じさせるような、寂しいことを言うの!まだまだでしょ。

と思い、不意にこん睡状態に陥った人に遭遇する度に

生き続ける体に戻れない、肉体の変化を感じることはできるのだろうと思う。

幸せなことであったのは、父、母の死を間近で凝視できたことであった。

最期の息を引き取るまで、魂の動きが感じ取れたことであった。

父は約1週間、家族に別れの覚悟と、愛と、

まだまだともに生きたかった無念を伝えて去っていったし、

朝日を浴びた母の眼は、

閉じられた瞼のなかで、活発に動き始め、

その動きに気づいた私が、”おはよう”と声をかけたら、

眼をとじたまま、おぼつかないながら”おはよう”と応えて、

その後は、深い眠りに入りのまま数時間後に息を引き取った。

人が死を迎える間際まで、肉体活動より、

精神活動、魂は現生の人に応えてくれるレベルにあると、

両親の死から教えてもらったことである。

患者と、近近に控えた死と、残された時間をどうしたいのかという

覚悟に満ちた語りが出来たらなと思うが、

表現に満ちた言葉があふれかえらなくてもいいから

常とは違う感覚を伝えてくれたならば、応えることもできようか?

治療で久しぶりに入院のために来院したのに、

併発していた血球貪食症候群がコントロール出来ず、長い付き合いの末、

帰せ、帰せと狂気の様相を呈したまま旅立った患者を思い、心患っている。

コメント
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