迷走していた「たんなさん」のつぶやき

※個人の感想です・・・

メジロマックイーン死す G1で4勝

2006年04月04日 | スポーツ
日本競馬史上、初めて獲得賞金が10億円を突破し、多くのファンの支持を集めたメジロマックイーン(19歳・牡馬)が3日、心不全で繋養(けいよう)先の北海道浦河町の社台スタリオンステーション荻伏で死んだ。1990年の菊花賞で優勝。91、92年の天皇賞・春を武豊騎手とのコンビで2連覇するなどG1で4勝を挙げた。93年10月の京都大賞典を制し、獲得賞金が10億円を突破したのを最後に引退、種牡馬となった。通算成績は21戦12勝。獲得賞金は10億1465万7700円。(引用、産経新聞)
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現役時代のマックイーンは競馬ブームの立役者(馬)のひとりだったと思います。
秋の天皇賞で1位で入線するも、スタート直後の斜行による進路妨害で18着降着。
オーナーの北野ミヤさん(だったかな)が烈火の如く怒っていたことも覚えている。

さて、そのマックイーンだが種牡馬だったと書かれているだけである。
種牡馬であるのなら産駒の成績も知りたいところ。というか、産駒が活躍していないと種牡馬としては失格なのである。


祖父メジロアサマ、父メジロティターンに続く史上初の父子3代盾制覇を武豊騎乗で達成したメジロマックイーンは、日本競馬史上初めて獲得賞金10億円に達した93年の京都大賞典優勝を最後に引退し、94年から種牡馬入り。エイダイクイン(98年クイーンC)など重賞ウイナーを輩出したが、近年は産駒の成績がふるわず一昨年の種付けシーズン終了後にシンジケート(種牡馬株組織)を解散。昨年は14頭と交配数が減っていた。競走馬時代のオーナー、メジロ牧場(北海道・洞爺)から分骨の申し出があり、遺骨は同牧場と社台スタリオンステーション(早来)に埋葬される。(引用、スポニチ)
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ようやくたどりついたこの記事に種牡馬としての成績が振るわなかったことが書かれていた。
過去の名馬が引退後にそれなりの待遇を受けるのは当然のことだけど、種牡馬として成績を残せなかったのも事実。
このマックイーンだけでなく、オグリキャップも産駒の成績は振るわなかった。

競馬ファンとしては目白マックイーンを種牡馬という紹介をするのなら、その成績もきっちりと伝えて欲しいと思うのです。