すずめ通信

すずめの街の舌切雀。Tokyo,Nagano,Mie, Chiba & Niigata Sparrows

第1914号 17年ぶりの沖縄で、雑踏に身を任す

2024-02-21 10:59:40 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】日中はさほどの人出とも見えないのに、暮れなずむころになると「どこから湧いて来るのか」と思うほど通りは雑踏となる。那覇の国際通り。牧志市場界隈で連日、私もその一人になる。ほとんどが海外からの観光客と見受けられ、たまに修学旅行の高校生らが交わす日本語の会話が耳に入って来るとホッとする。「2月は今や繁忙期ですよ」とタクシー運転手さんはご機嫌である。コロナ禍を脱し、沖縄はようやく賑わいを取り戻したのだろうか。



17年ぶりの沖縄だ。記憶は「こんなに大きな空港だっただろうか」と見回すほど薄れているけれど、中心部へ、海底トンネルができて移動が楽になったほかは、街はそれほど変わっていないように見える。実際はマンションやホテルが随分増えているらしいが、南国風の風通しに留意した建物は、変わらぬ沖縄だ。国際通りも相変わらず賑わっているけれど、デパートや沖縄骨董を並べる店は消え、飲食店や土産物店一色のつまらない通りになった。



何はともあれ「おもろまち」に行く。米軍に収容された土地が1973年に返還され、那覇新都心として再開発された街だ。「おもろまち」とは公募によって選ばれた正式な地名で、沖縄の方言で「歌」「思い」を意味する「おもろ」に由来する。「そういえば16世紀ころに編纂された琉球王国の歌集に『おもろさうし』があったな」などと考えているうちに、目指す「沖縄県立博物館・美術館」に到着する。国際通りの繁華街からは車で10分余と近い。



もう四半世紀の昔になるが、私は初めての沖縄旅行で県立博物館に行った。首里城下の池の畔に建つ古い施設だった。そこで観た沖縄の織物や漆器などの伝統工芸の緻密さに、すっかり魅了されたのだった。3年後に再訪したのだが、閉館間近のせいか展示物は限られ、感動は湧いてこなかった。そして2007年2月にも沖縄を訪れた際には、おもろまちに移転・新設される「沖縄県立博物館・美術館」は11月の開館で、見学が叶わなかったのだ。



まず建物がいい。琉球石灰岩を使用しているという白っぽい外壁は、緩やかなカーブを描いて全館を包んでいる。この「丸み」は、島内にいくつか残るグスク(城)をイメージしていることは私にも解る。そして壁面に無数に開けられた孔は、沖縄のコンクリート建造物には決まって見られる、風通しと採光を考慮した工夫だろう。土地に根付いた固有の建築物を「バナキュラー建築」と呼ぶのだそうだが、グッドデザイン賞を得たのは当然だろう。



博物館は自然史から琉球王国時代、そして戦争による苦難の現代史と、旧館よりゆったり展示されている。ただ私の感受性が摩滅しつつあるのだろう、かつて感じた沖縄文化への驚きは味わえなかった。だがレプリカにせよ「港川人」の骨格標本に接することができたのは、やって来た甲斐があった。美術館では「沖縄美術の流れ展」と「県立芸術大学卒業作品展」が開催されていた。沖縄の日差しの強さを反映してか、強烈な彩遣いが印象的である。



第一牧志公設市場と、それを取り巻くアーケード街の迷路は相変わらず賑わっている。市場は建て替えられて綺麗になったものの、その分、かつての牧歌的雰囲気は削がれてしまったようでもある。観光客はほとんどがアジア系で、欧米系は少ない。台湾からだと思われる家族連れが多い。直行便で2時間程度の近さが人気だという。「さらに週に2、3便、大型クルーズ船がどっと人を運んでくるのだから」と、観光沖縄は沸いている。(2024.2.14-18)























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