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【Tokyo】散歩コースの途中に、美しく花が咲き乱れる花壇がある。大きな公園の一隅で、公園全体の管理とは別に、市民ボランティアによる手作り庭園らしい。そんなことを知ったのは、添付した写真の立て札を見たからだ。立て札の脇には土が掘り返され、2つの大きな穴がぽっかりと開いている。花盗人ならぬ「株盗人」の仕業らしい。どんな人間がこんなことをするのだろう。盗んだ株を自分の庭に植え、日々眺めて喜んでいるのだろうか。立て札の主は、穴を埋めないことによってこの「株盗人」に抗議している。
周囲の植栽からすると、どうやら石楠花が植えてあったようだ。穴の近くには、小さな株ながら、盗人の魔手を逃れた石楠花が数株、残っている。立て札には「株ごと取って行った人へ」と、怒りが綴られている。それはそうだろう、計画的に花木を配し、肥料をやり、草を抜き育ててきたボランティアにとって見れば、訪れる人みんなが愛で、心癒されることを望んでいただろう。植木屋さんに行けば数千円で買えるだろうに、それを根こそぎ盗んでいくとは。
同じ散歩コースで、アジサイがほどよく色づいた瞬間、その株のすべての大輪を切り取って持ち去ったケースに出くわしたこともある。昨日まで、枝もたわわに花を咲かせていた紫陽花の株から、すべての花が消えていた。代わりに美しい筆跡で、「どうしてみんな持っていってしまわれるのでしょうか」という札が貼られていた。その紫陽花が植えられているマンションのエントランスで、1年がかりで手入れをしてきたらしいおばあさんを見かけている。抗議の札はそのおばあさんの手によるものだろう、お年寄りの嘆きが痛ましい。
「花盗人は罪にならない」などという狂言もあるようだが、それはあくまで風流を楽しむ範囲の話。こうした花「強奪」犯は、それを自室に飾っているのだろうか。人を嘆かせてまで盗んだ花を飾って、どんな満足を得ようというのだろう。
暗い気持ちで散歩から帰ると、朝刊に「防衛施設庁談合天下りシステム、年収に応じて発注額決定」という大見出しが踊っていた。年収1500万円で幹部を受け入れた民間の会社には、8億円の公共工事発注を約束、年収1000万円の準幹部の場合は4億円、という具合だ。これまでの事件経過を見ていると、この腐り切った話も事実なのだろう。天下った幹部たちは、長年そうした組織にいたのだから、「知らなかった」などとは言わせない。
自分たちの報酬が、税金を食い物にして会社の儲けに回したことのおこぼれだと知りながら、そんなお金でご馳走を食べ、夫婦旅行を楽しみ、老後の蓄財を図って、いったいどんな気持ちなのだろう。「家族を養うためには目をつぶる」と自分に言い訳けしているのだろうか。あるいは「公務員の特権だ」とうそぶいているのか。
私だってお金は欲しい。だから「清貧」などといい格好はできないし、それを人に強いるつもりもない。しかし国家公務員として何十年も働いてきた防衛施設庁の幹部たちは、何も「税金盗人」に転落しなくても暮らしていけるだろう。それなのに、どうしてそんなにポストやお金が欲しいのだろうと不思議でならない。
株盗人も税金盗人も、もし人生を振り返ることがあるなら、それは花壇に空いた穴のように、無残な空洞となって思い返されるのではないだろうか。人間とは弱いものとあきらめて、忘れてしまいたいが、あの立て札が、忘れさせてくれない。
周囲の植栽からすると、どうやら石楠花が植えてあったようだ。穴の近くには、小さな株ながら、盗人の魔手を逃れた石楠花が数株、残っている。立て札には「株ごと取って行った人へ」と、怒りが綴られている。それはそうだろう、計画的に花木を配し、肥料をやり、草を抜き育ててきたボランティアにとって見れば、訪れる人みんなが愛で、心癒されることを望んでいただろう。植木屋さんに行けば数千円で買えるだろうに、それを根こそぎ盗んでいくとは。
同じ散歩コースで、アジサイがほどよく色づいた瞬間、その株のすべての大輪を切り取って持ち去ったケースに出くわしたこともある。昨日まで、枝もたわわに花を咲かせていた紫陽花の株から、すべての花が消えていた。代わりに美しい筆跡で、「どうしてみんな持っていってしまわれるのでしょうか」という札が貼られていた。その紫陽花が植えられているマンションのエントランスで、1年がかりで手入れをしてきたらしいおばあさんを見かけている。抗議の札はそのおばあさんの手によるものだろう、お年寄りの嘆きが痛ましい。
「花盗人は罪にならない」などという狂言もあるようだが、それはあくまで風流を楽しむ範囲の話。こうした花「強奪」犯は、それを自室に飾っているのだろうか。人を嘆かせてまで盗んだ花を飾って、どんな満足を得ようというのだろう。
暗い気持ちで散歩から帰ると、朝刊に「防衛施設庁談合天下りシステム、年収に応じて発注額決定」という大見出しが踊っていた。年収1500万円で幹部を受け入れた民間の会社には、8億円の公共工事発注を約束、年収1000万円の準幹部の場合は4億円、という具合だ。これまでの事件経過を見ていると、この腐り切った話も事実なのだろう。天下った幹部たちは、長年そうした組織にいたのだから、「知らなかった」などとは言わせない。
自分たちの報酬が、税金を食い物にして会社の儲けに回したことのおこぼれだと知りながら、そんなお金でご馳走を食べ、夫婦旅行を楽しみ、老後の蓄財を図って、いったいどんな気持ちなのだろう。「家族を養うためには目をつぶる」と自分に言い訳けしているのだろうか。あるいは「公務員の特権だ」とうそぶいているのか。
私だってお金は欲しい。だから「清貧」などといい格好はできないし、それを人に強いるつもりもない。しかし国家公務員として何十年も働いてきた防衛施設庁の幹部たちは、何も「税金盗人」に転落しなくても暮らしていけるだろう。それなのに、どうしてそんなにポストやお金が欲しいのだろうと不思議でならない。
株盗人も税金盗人も、もし人生を振り返ることがあるなら、それは花壇に空いた穴のように、無残な空洞となって思い返されるのではないだろうか。人間とは弱いものとあきらめて、忘れてしまいたいが、あの立て札が、忘れさせてくれない。
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