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【Mie】27日夜、今は亡き「河島英五」を偲ぶ音楽番組がNHKBSで放映された。生前のコンサートやテレビ番組で歌う彼の映像の合間に、グループ「ホモ・サピエンス」時代から交友のあった「あのねのね」のメンバーや清水国明、桂南光らとともに、彼の遺児たちのコメントが語られた。
それらのコメントやエピソードが彼の人柄や生き方、行動などを彷彿とさせた。シンガーソングライターの彼は国内や海外を一人旅しては、その印象や旅の途中で出遭った人を材料に歌を作り、旅先の学校の体育館や野外で即興的にコンサートを行うことを好んだという。
このように、お膳立てされた既成のコンサートよりもむしろ旅先で地元の人の前で開くコンサートの方を好んだことが、「歌う吟遊詩人」と評される所以であろう。10年間に及ぶ放浪生活とコンサートの間、自分の家に滞在したのは僅か100日間程度だったそうだ。
一人旅をして、旅の印象を歌や文章にしたり俳句や川柳を吟ずるという点では、「俳聖・松尾芭蕉」や「平成の馬蕉・とうきょう雀」氏と一脈通じるかも知れない。(しかし河島英五が馬のように食べかつ飲んだかはよく分からないが…)
彼はファンに媚びることなく、自分流のスタイルを頑固なまでに貫き、一人旅を愛して歌に人一倍情熱を傾けた人生だったのだろう。阪神大震災の復興チャリティーコンサートを10年間やり続けることが目標であったことを私はこの番組で初めて知ったが、その志半ばで48歳で急逝した。
私は近くの市民会館へ彼の生前のコンサートを聞きに行ったことがある。コンサートの前に町を歩いたらしく、町中にある神社のことなど地元の人しか分からないようなことを歌の合間に話題にしたことが印象に残っている。
彼のコンサートはたいへんエネルギッシュで、汗だくになって多くの歌を熱唱した姿が今でも眼にはっきりと焼きついている。そのような彼が数年後に病に倒れるなんてことは、そのときには全く信じられなかった。
彼の歌のキーワードは、私には「酒、男、女、旅、友、心 etc」のような気がする。彼の歌の中で私が知っている曲は「酒と涙と男と女」など数曲にすぎないが、中でもシンガーソングライターには珍しく、阿久悠・作詞、森田公一・作曲の「時代おくれ」は私の一番好きな曲だ。
年に数回カラオケを歌う機会があると、「一日二杯の酒を呑み…」で始まるこの歌は、歌詞にもあるように私の「十八番(おはこ)」の一つである。
あまりにも若すぎる死はたいへん残念だったが、彼の歌は遺児たちにしっかりと受け継がれ、また彼のファンにも歌い継がれて、いつまでも人の心に残るに違いない。
【Mie】27日夜、今は亡き「河島英五」を偲ぶ音楽番組がNHKBSで放映された。生前のコンサートやテレビ番組で歌う彼の映像の合間に、グループ「ホモ・サピエンス」時代から交友のあった「あのねのね」のメンバーや清水国明、桂南光らとともに、彼の遺児たちのコメントが語られた。
それらのコメントやエピソードが彼の人柄や生き方、行動などを彷彿とさせた。シンガーソングライターの彼は国内や海外を一人旅しては、その印象や旅の途中で出遭った人を材料に歌を作り、旅先の学校の体育館や野外で即興的にコンサートを行うことを好んだという。
このように、お膳立てされた既成のコンサートよりもむしろ旅先で地元の人の前で開くコンサートの方を好んだことが、「歌う吟遊詩人」と評される所以であろう。10年間に及ぶ放浪生活とコンサートの間、自分の家に滞在したのは僅か100日間程度だったそうだ。
一人旅をして、旅の印象を歌や文章にしたり俳句や川柳を吟ずるという点では、「俳聖・松尾芭蕉」や「平成の馬蕉・とうきょう雀」氏と一脈通じるかも知れない。(しかし河島英五が馬のように食べかつ飲んだかはよく分からないが…)
彼はファンに媚びることなく、自分流のスタイルを頑固なまでに貫き、一人旅を愛して歌に人一倍情熱を傾けた人生だったのだろう。阪神大震災の復興チャリティーコンサートを10年間やり続けることが目標であったことを私はこの番組で初めて知ったが、その志半ばで48歳で急逝した。
私は近くの市民会館へ彼の生前のコンサートを聞きに行ったことがある。コンサートの前に町を歩いたらしく、町中にある神社のことなど地元の人しか分からないようなことを歌の合間に話題にしたことが印象に残っている。
彼のコンサートはたいへんエネルギッシュで、汗だくになって多くの歌を熱唱した姿が今でも眼にはっきりと焼きついている。そのような彼が数年後に病に倒れるなんてことは、そのときには全く信じられなかった。
彼の歌のキーワードは、私には「酒、男、女、旅、友、心 etc」のような気がする。彼の歌の中で私が知っている曲は「酒と涙と男と女」など数曲にすぎないが、中でもシンガーソングライターには珍しく、阿久悠・作詞、森田公一・作曲の「時代おくれ」は私の一番好きな曲だ。
年に数回カラオケを歌う機会があると、「一日二杯の酒を呑み…」で始まるこの歌は、歌詞にもあるように私の「十八番(おはこ)」の一つである。
あまりにも若すぎる死はたいへん残念だったが、彼の歌は遺児たちにしっかりと受け継がれ、また彼のファンにも歌い継がれて、いつまでも人の心に残るに違いない。