すずめ通信

すずめの街の舌切雀。Tokyo,Nagano,Mie, Chiba & Niigata Sparrows

第617号 福井旧庄屋佐藤家

2008-08-22 12:00:21 | Mie Report

【Mie】2日に長岡の花火を見た後で、同行の知人の紹介で新潟市西蒲区福井(旧西蒲原郡巻町大字福井)の旧庄屋佐藤家(写真)に宿泊した。建築後約250年のかやぶき民家・佐藤家は、旧巻町の福井集落にある。

この古い民家を文化遺産として保存修復し、交流の場として活用することを柱として、平成12年に特定非営利法人・福井旧庄屋佐藤家保存会が発足した。この地はかって、松尾芭蕉や吉田松陰も歩いたという北国街道の往来で賑わったという。

この街道が江戸時代に幕府によって整備された目的は、佐渡の金銀を江戸へ運ぶためであるといわれている。当初、出雲崎までだった街道は新潟湊の発展により新潟まで延長され、岩室や巻を通る街道も北国街道と称されるようになり、弥彦神社の参拝客も数多く往来したという。

このような古い民家での宿泊は初めての経験だったが、戸を全て開け放し蚊取り線香を炊いて就寝したが、暑い盛りにもかかわらず夜は大変涼しく、旅の疲れもあって熟睡した。旧庄屋だけあって部屋は広く、縁側に面した木々の生い茂る緑豊かな庭から吹き抜ける風が夏の暑さを忘れさせる。

岩室温泉は庭の合間から旅館を見通せるほど近く、夜になると風の向きにより宴会の囃子の音がここまで聞こえてくるという。囲炉裏を囲んで朝食を食べたが、柱時計や食器棚などの調度品は昔のままで、まるで昔にタイムスリップしたようだ。

翌日、佐藤家を管理する事務局長の案内で周辺を散策した。北国街道沿いのこの集落は、昔から稲作の他に造り酒屋や醸造業などが盛んで、経済的に豊かだったという。その名残で他地区の農家のたたずまいと異なり、切妻造りで土蔵を有する家が数多くみられる。

すぐ近くには「柚餅子(ゆべし)」の元祖「本間家」があり、「越乃寒梅」「雪中梅」とともに新潟三梅として有名な福井酒造の「峰乃白梅」がある。またこの地区は角田山の南麓に位置し、多くの沢から清流が集まる所で、6月から8月までホタルが乱舞し、周辺は「ホタルの里公園」となっている。

そして巻郷土資料館では大変珍しい「のぞきからくり」を見せてもらった。これは明治から昭和初期、大道芸として全国各地で演じられ、大衆に親しまれた娯楽施設の一つであり、箱に開けられた数個のレンズ穴から一度に数人にのぞかせる仕組みになっている。

大人用の高い穴と子供用の低い穴から同時に観賞することができ、穴からは華麗な押絵が立体感を深めるように工夫され、一連の物語(「八百屋お七」や「幽霊物」など)が構成される。これを口上に合わせて紐で上げ下ろししながら観客に観せるのである。

しかし紙芝居や映画の登場によって「のぞきからくり」は過去の遺物となり、戦後は完全に姿を消し、現存の装置が確認されるのは他には大阪だけというが、原型に近い形としては巻の装置が唯一という。その後、日本の伝統芸能に関心の深い小沢昭一がマスコミに紹介し、NHKでも放映されたという。

その他にも新たな発見があった。つまり、弥彦山と角田山の存在によって日本最大の穀倉地帯である蒲原平野が形成され、福井集落はその発祥の地であること。隣接する峰岡地区は有名な「米百表」を長岡藩に献上した地区であること。角田山が地勢学上、村上まで伸びる新潟砂丘の元になったこと。

また新潟市で最も標高の高い多宝山(633.8m)はかって銅が産出し、それが元で燕の銅器産業が栄えたこと。近くの角海浜(かくみはま)は美人の毒消し(腹痛薬)売りの女たちの村として知られ、彼女らは全国に毒消しを行商して売り歩いたという。

そして彼女たちの一部は地元・岩室温泉の芸妓となって新潟県の芸妓発祥の地となり、そこから美人の芸妓が新潟の古町芸者となり、さらにその中から日本一と謳われた東京・新橋の一流芸者が生まれたという。つまり毒消し売りの女たちの村・角海浜村(昭和44年に消滅)が「新潟美人」発祥の地であるという。

その辺のいきさつを詳しく一冊の本に纏め上げたのは、他ならぬ私たちと同行して「旧庄屋佐藤家」へ案内してくれた私と同じ津市在住の新潟県人(柏崎出身)の方である。この方は旅行作家で、国内外の取材旅行を通して何冊もの著作がある豊かな文才の持ち主である。

今回の本の題名は「越後 毒消し売りの女たち ー角海浜(かくみはま)消えた美人村を追う旅」である。この8月の初旬に発行されたばかりで、新潟日報に本の紹介と著者のインタビュー記事が掲載された。このブログでも折をみて、この本の紹介と読後感想を述べてみたいと思う。

かくして「長岡の花火」に始まり、「旧庄屋佐藤家」での宿泊から、今まで知らなかった巻地区周辺の歴史や風土に親しく触れることができた。前にも述べた通り、《旅にはいつも新鮮な発見がある》その後、同行した方たちと一緒に弥彦神社へ参拝したことは言うまでもない。
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