すずめ通信

すずめの街の舌切雀。Tokyo,Nagano,Mie, Chiba & Niigata Sparrows

第1238号 南三陸(宮城県・岩手県)

2013-12-10 15:51:26 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】町民に避難を呼びかけ続け、自らは逃げる暇なく津波に飲まれて行った南三陸町防災センターの女性職員のことは、大震災の中でひときわ感動を呼んだ悲しい話である。石巻から峠を越えると緩い下り坂が続き、ようやく海が見えたところに小さな街の「跡」が広がっていた。旧志津川町の中心部だろうか、津波による瓦礫は片付けられ、造成中の工業団地のような風景の中に、赤い骨組みだけになった防災庁舎がぽつんと残っていた。



その庁舎を震災の記憶として残すかどうか、町民の賛否は割れたようだが、私たちが訪れる前日のローカルニュースが、町の力で維持管理して行くのは無理だという町長の保存断念談話を伝えていた。ところがその後、国が「震災遺産の希望があれば、1自治体に1件程度、保存助成する」と言い出し、この庁舎も残ることになるかもしれないようだ。復興の本筋ではないけれど、震災遺産の保存は住民感情に関わるデリケートな話である。



気仙沼では陸に打ち上げられた大型船の保存が論議になったようだが、これは船主の意向で撤去された。いち早く震災と復興のシンボルになったのは、陸前高田市の「奇跡の1本松」であった。広大な(実に広い市域だと感じた)気仙沼市を抜けると岩手県に入り、陸前高田市になる。1本松はこの辺りのはずだがと車を停めると、大勢の人たちがぞろぞろ歩いて行く。見物客が多過ぎて、車の乗り入れが規制されているのだ。



一本松を遠望して振り返ると、遠くの丘の麓に建物が固まっているものの、そこまでの平坦部はすべて原野である。あの日から、繰り返し見ることになった津波の映像の中で、陸前高田の街を飲み込んだ波が、手前に建つ地酒の看板と造り酒屋の大屋根に襲いかかる瞬間は、あの丘から海に向けたカメラがとらえたのだろう。その丘を、海の側から眺めていると、あの時の、カメラの近くにいる人たちの、悲鳴にも似た息づかいが蘇って来た。



三陸海岸を南北に分ける、北三陸・南三陸といった呼称を耳にするが、その境はどの辺りなのだろう。地勢的に見ると、宮古から北は海岸段丘が続いて台地の上に暮らしがあり、それより南はリアス式海岸となって入り江ごとに漁港が営まれているというから、宮古のあたりを南北の境とすることが妥当なのだろうか。私たちは石巻を起点に南三陸町―気仙沼市―陸前高田市―大船渡市―釜石市と北上したので、南三陸の旅と言ってよかろう。



「船渡」とは船溜まりにふさわしい入り江のことだろうか。「大」船渡というのだから、よほどの天然の良港ということなのではないか、その地形を俯瞰できないかと見回していると、市街地に入りかけたあたりの高台に「津波警報塔」が見えた。そこまで登る車道をようやく見つけると、大船渡の長く陸地に入り込んだ「船渡」の全貌が望まれた。長い海の道が入り込み、その奥に市街が広がっている。





大船渡港が天然の良港であることがよくわかったけれど、太平洋に口を開けたこの海の道が、津波を呼び込む宿命も内在しているのだと知った。しかしかといって、船渡から離れた高台に生活の場を移転すれば安全ではあろうが、そのことと地域経済のサイクルをうまく調和させることは、なかなか難しいとも感じた。そのことは南三陸町など、平坦部の乏しい漁業の街も同様である。5年後10年後の復興した街を見たい。(2013.9.27)
















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