すずめ通信

すずめの街の舌切雀。Tokyo,Nagano,Mie, Chiba & Niigata Sparrows

第552号 ねじれた「エスカレーターの法則」 

2007-11-30 17:16:21 | Tokyo-k Report
【Tokyo】関東と関西は、歴史も違えば訛りも異なる。だから暮らす人々の気質に差があって何の不思議はないのだが、何も「エスカレーターの乗り方」まで逆になることはないと呆れている。というのも先日、神戸に行って、駅のエスカレーターでぼんやり運ばれていた関東人の私は、屈辱的思いをさせられたからである。

東京ではエスカレーターに乗る場合、立ったままでいるつもりなら左側に1列に並ぶ。右側は急いで通過したい人のために空けて置くのだ。関西ではそれが逆で、立ったまま運ばれようという人は右側に立つ。その時、何か考え事をしていた私は、いつもの癖からだろう、無意識のままエスカレーターの左側に立って上に運ばれるに任せていた。

すると何かが私の尻を突いた。しつこく突付くので振り返ろうとして、「ああ、ここは関西だった!」と気が付き、右側に寄った。すると空いた私の右側を、鞄を持ったサラリーマン風の男が無言のまま駆け上がって行った。「郷に入れば郷に従え」であるから、私も右側に立つべきであったが、それにしても何も鞄で尻を突付くことはなかろう。失礼な!

エスカレーターの片側乗り? とでも言うような、こうしたルールが生まれたのはいつのころからだろう。私が初めて体験したのは今から20年近く昔のことになる。ワシントンの地下鉄の駅でだった。当時、ワシントンで暮らしていた「ながの雀さん」に再会するため、空港から乗り継ぎ、DCの中心地へと向かっていたのである。

ずいぶん長いエスカレーターだったと思うが、地上に出ようとステップに乗った私は、そこにぼんやりと留まって上へ運ばれていた。すると耳元で「Sorry・・・,sorry」とささやくような声が聞こえる。振り向くと若い男性が「Sorry?」と言いながら肩をすくめている。とっさにはその意味が分からず、かといって「なんのこっちゃ」と言い返す英語力もなく・・・。

周囲を見渡すと、私より先に立つ乗客は、全て片側に寄っている。したがって私の目の前はずっと先まで空白だ。逆に彼の後ろには大勢が詰まっている。そこでようやく気が付いた。なるほど、こちらのレーンはスルーパス用で、私が道を塞いでいるのだと。こうした習慣に出遭ったのは初めてのことで戸惑ったけれど、なるほど合理的だと感心した。

当時、東京ではこうしたルールはなかった。エスカレーターではそれぞれが好きな乗り方をして、後ろの人はイライラしてもじっと耐えるのが当たり前だった。米国のような長いエスカレーターが少ない、という違いもあっただろう、日本中が多分、そんな具合で、関西でもまだ米国流? は導入されていなかった。

日本がアメリカを真似るのは早い。それから程なくして「エスカレーターの片側乗り」は急速に普及した。東京と関西のどちらが早かったは知らないけれど、どうしたことか、東京と関西では立ち客が並ぶ側が正反対になってしまった。「東京は左」「関西は右」なのである。ちなみにワシントンは「右側」であった、と思う。

米国全土が「右」で統一されているのか、ヨーロッパではどうかなど、私に知識はない。しかし狭い日本で斯くもの違いが生じたとは驚きである。関西人と関東人は気が合わないとすれば、こうした例からもその根の深さが分かる。名古屋や博多ではどうであろうか。あるいは仙台や札幌は? 地方ではまだそうした習慣に侵されていないところもあるようだが、列島の「右」と「左」の境目はどの辺りであろうか?

それにしても関西人とは失礼な人種である。何もカバンで尻を突付かなくても良いではないか。「失礼」と一言声を掛けてくれれば、察しのいい私のこと、すぐに気が付いて道を譲ったであろうに。ワシントンの若者は「Sorry」とささやいて気づかせてくれ、行き過ぎる際には「Thank you」と声を掛けて先に登って行ったものだった。
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