すずめ通信

すずめの街の舌切雀。Tokyo,Nagano,Mie, Chiba & Niigata Sparrows

第1198号 高村薫『冷血』を読む

2013-07-24 17:24:28 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】高村薫『冷血』(毎日新聞社刊)を読んだ。1家4人を惨殺する男2人の、犯罪・訴追物語である。ミステリーでもサスペンスでもバイオレンスでもない、社会・司法小説とでもいうのだろうか、警察の捜査方式や刑事訴訟の司法手続きがやたらと細かく記述されて行く。作者がこの小説を書いたのは、凶悪犯罪が発生した際の司法の動く仕組みを取材するためではないか、とさえ思わせられる。それほど警察用語が氾濫していて、細部を飛ばして読んでもストーリーの追跡には支障がない。

だから小説としては起伏に乏しく、面白みは薄かった。ただ冷酷な犯罪を犯した30代そこそこの二人の男の描写はうまく、生きていることの意味を見出せないまま転落して行く人生はリアリティーがある。私はトルーマン・カポーティの『冷血』は読んでいないから、それがこの小説にどのように反映しているのか知らないが、犯人2人の造形に重なっているのだとしたら、その「視座」は成功であろう。

特殊ではあるがどこにでも居そうな男2人は、東京・秋葉原の通り魔殺傷事件の犯人らを重ね合わせているように思える(厳格な教師の母親に、成績の振るわないことを理由に見捨てられて行く生い立ちなど)。池袋の交差点で、突然刃物を振った若者の事件も、写し取られているように思う。舞台設定を国道16号、町田、池袋、赤羽、四日市、本庄にしたあたりは、ありきたりではあるけれど情景が浮かび易くて、作者の手だれぶりを思わせる。

「ただ何となく」押し入った歯科医夫婦の家で、夫妻と13歳、6歳の子供二人を撲殺するというのは残虐きわまりない犯行だ。しかし犯人二人の冷血ぶりは余り浮き彫りにならない。なぜ生きているか分からないまま大人になったような犯人たちに現実的な怒りは湧き難いからだ。むしろ絵に描いたような幸せそうな一家を襲った惨事は小説のための道具立て色が強く、殺された後は「はい、御用済み」といった具合に無視されてしまう冷淡な展開に、「冷血とはむしろ小説家のことなり」といいたくなった。

それにストーリーと関連しない警視庁捜査1課長のスキャンダルと派閥抗争などは、週刊誌連載ということで、直近の話題を挿入した作者のサービスなのだろうか、余計なことだった。そして些末なことではあるが、犯人周辺の暴力団組員と、取り調べに当たる捜査員の名前が同じということもシラケる。「蒲原春樹組員」と「川村春樹警部補」のことだ。作者は「春樹」という名前が好きなのかもしれないが、重なってしまったのは作者の集中力の欠如だろう。

高村薫氏の作品は、「リヴィエラを撃て」「神の火」など初期の作品から、「マークスの山」「照柿」「レディ・ジョーカー」といった合田雄一郎シリーズを読んでいる。「冷血」は、小説としては最もつまらない作品だった。死刑制度、司法手続き、医療過誤などのテーマが、不完全なまま提示されているだけだ。作者は今後、これらのテーマを追い詰めて行きたいのだろう。そのスタート作とすれば、まあ、こんなものだろうか。

合田雄一郎刑事の離婚した妻が、9.11テロに巻き込まれ、ニューヨークの世界貿易センタービルで死亡した設定になっていることは知らなかった。だから冒頭の写真には、その「Ground Zero」の近影を使用した。






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