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四 「新発見の書簡 252c」等の公開

2024-03-09 08:00:00 | 「賢治年譜」等に異議あり
【『筑摩書房様へ公開質問状 「賢治年譜」等に異議あり』(鈴木 守著、ツーワンライフ出版、550円(税込み))の表紙】








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四 「新発見の書簡 252c」等の公開
 さて、奇しくもその同じ昭和52年に筑摩から出版されたものとして『校本宮澤賢治全集第十四巻』もある。
 一般的には、同巻のメインは「宮澤賢治年譜」であるはずだが、巻頭に「補遺」があるので私には唐突さが感じられ、以前から訝っていた。そしてこの度、その頃既に筑摩は経営が傾いてきていたということを知ってしまった私には、このような構成は、筑摩としてはこの「補遺」によって世間の注目を浴び、経営危機に陥っていた同社を建て直そうと考えたからだということが否定できないという見方が、脳裡をよぎった。それは特に、その「補遺」の中で、「新発見の((十二))書簡252c」とセンセーショナルに表現して、関連する賢治の書簡下書群を公にしたことからも窺えた。
 しかしながら、このことに関しては、同巻の「宮澤賢治年譜」担当者でもある堀尾青史が、

 今回は高瀬露さん宛ての手紙が出ました。ご当人が生きていられた間はご迷惑がかかるかもしれないということもありましたが、もう亡くなられたのでね( (十三))。

と語り、天沢退二郎も、

 高瀬露あての252a、252b、252cの三通および252cの下書とみられるもの十五点は、校本全集第十四巻で初めて活字化された。これは、高瀬の存命中その私的事情を慮って公表を憚られていたものである( (十四))。

と述べているから、どうも「新発見」とは言い難い。これでは、露が亡くなるのを待って公表した、ということをはしなくも吐露しているようにも見える。
 しかも同巻は、一般人である女性「高瀬露」の実名を顕わに用いて、「(252cは)内容的に高瀬あてであることが判然としている」と公に断定( (十五))した。その客観的な典拠も明示せずに、全く論理的でもなく、である。そのあげく、「推定は困難であるが、この頃の高瀬との書簡の往復をたどると、次のようにでもなろうか」と前置きして、「困難」なはずのものにも拘わらず、

⑴、高瀬より来信(高瀬が法華を信仰していること、賢治に会いたいこと、を伝える)         
⑵、本書簡(252a)(法華信仰の貫徹を望むとともに、病気で会えないといい、「一人一人について特別な愛といふやうなものは持ちませんし持ちたくもありません。」として、愛を断念するようほのめかす。ただし、「すっかり治って物もはき〳〵云へるやうになりましたらお目にかゝります。」とも書く)
⑶、高瀬より来信(南部という人の紹介で、高瀬に結婚の話がもちあがっていること、高瀬としてはその相手は必ずしも望ましくないことを述べ、暗に賢治に対する想いが断ちきれないこと、望まぬ相手と結婚するよりは独身でいたいことをも告げる)

というように想像力豊かに推定し、スキャンダラスな表現も用いながら、以下、延々と推定を繰り返した推定群⑴~⑺を同巻で公にした( (十六))。
 そしてこの時期を境にして、それまでは一部にしか知られていなかった、賢治にまつわる〈悪女伝説〉が〈高瀬露悪女伝説〉に変身して、一気に全国に流布してしまったと言える。よって時系列的には、筑摩がそれを全国に流布させてしまったと世間から言われかねない。
 一方で、私はあることに気付く。それは『事故のてんまつ』の出版と〝「新発見の252c」等の公開〟の二つは次の点で酷似していて、
㈠ 両者とも、「倒産直前の筑摩書房は腐りきっていました」という、まさに倒産直前の昭和52年になされたことである。
㈡ 両者とも、当事者である川端康成(昭和47年没)、高瀬露(昭和45年没)が亡くなってから、程なくしてなされたことである。
㈢ その基になったのは、ともに事実ではない。前者の場合は「伝聞の伝聞そのまた伝聞」である「鹿沢縫子」の原話であり、後者の場合は賢治の書簡下書(所詮手紙の反故であり、相手に届いた書簡そのものではない)を元にして、推定困難なと言いながらも、それを繰り返した推定群⑴~⑺である。
㈣ ともに、故人のプライバシーの侵害・名誉毀損と差別問題がある。
㈤ ともに、スキャンダラスな書き方もなされている。
ので、この二つはほぼ同じ構図にあるということに気付く。
 ということは、『事故のてんまつ』の出版は「腐りきって」いたことの一つの事例そのものであったと私は判断せざるを得なくなった、と先に述べたが、これと酷似した構図がこちらにもあったから、〝「新発見の252c」等の公開〟もまた、一つの「腐りきって」いた事例であったと私は判断せざるを得ない。
 
 ところで、この「新発見の252c」等の一連の書簡下書群に対して矢幡洋は、

 時折、高圧的な賢治が姿をみせる。…筆者略…と露骨な命令口調で言う。
 露宛の下書き書簡群から伝わってくるものは、背筋がひんやりしてくるような冷酷さである。ここにおける、一点張りの拒否と無配慮とは、賢治の手紙の大半の折り目正しさと比べると、かつての嘉内宛のみずからをさらけ出した書簡群と共に、異様さにおいて際立っている( (十七))。

と論じていることを私は知った。実は賢治には(ただしこの引用文中の「露」は高瀬露であるとは言い切れないので、あくまでも「ある女性に対して賢治には」、という意味でなのだが)、「背筋がひんやりしてくるような冷酷さ」があるということなどを矢幡は指摘していたのだった。そこで私は、このようなことを指摘している研究者を初めて知って、目を醒まさせられた。
 振り返ってみれば、かなり以前から、これらの書簡下書群に基づけば賢治にはそのような性向があることが導かれることに私は薄々気付いていた。だが、実はかなりのバイアスが私には掛かっていて、これらの書簡下書群に基づいて賢治に対してこのような厳しい言い方を公にすることは許されないのだ、という自己規制が強く働いていたことを覚った。そしてこのバイアスは、女性に対しては厳しく、男性(賢治)に対しては甘く解釈するという男女差別がなさしめるそれでもあるということにも気付かせてもらった。心理学の専門家である矢幡の、この書簡下書群についての冷静で客観的なこの考察に私は反論できなかった。
 のみならず、このような「冷酷さ」は、たしかにあの〔聖女のさましてちかづけるもの〕にもあることを同時に覚れた。というのは、次のようなことが言えるからである。
 この〔聖女のさましてちかづけるもの〕は、『雨ニモマケズ手帳』に書かれているので、実際文字に起こしてみると次のようになる。

  10・24◎
   聖女のさまして
       われにちかづき
            づけるもの
   たくらみ
   悪念すべてならずとて
   いまわが像に釘うつとも
   純に弟子の礼とりて
   乞ひて弟子の礼とりて
           れる
   いま名の故に足をもて
   わが墓に
   われに土をば送るとも
   あゝみそなはせ
   わがとり来しは
   わがとりこしやまひ
   やまひとつかれは
      死はさもあれ
   たゞひとすじの
       このみちなり
           なれや
 〈『校本宮澤賢治全集資料第五(復元版宮澤賢治手帳)』(筑摩書房)〉

 よって、書いては消し、消しては書きと何度も書き直しているところからは賢治の葛藤や苛立ちが窺える。また、内容的にも然りである。その人を「乞ひて弟子」となったと見下ろしたり、「足をもて/われに土をば送るとも」というように被害妄想的なところもある。一方、自分のことは「たゞひとすじのみち」を歩んできたと高みに置いて、女性のことを当て擦っているところもあったりする。よって、この詩から浮き彫りになってくる賢治は、私の持っていた従来のイメージとは真逆である。まさに、佐藤勝治が「彼の全文章の中に、このようななまなましい憤怒の文字はどこにもない」(『四次元44』(宮沢賢治友の会)10p~)と表現しているとおりだ。
 さらに、「あゝみそなはせ」とあることからは逆に、賢治はこの相手の女性のことを以前はかなり評価していたということも言えそうだが、そのような女性に対して「悪念」という言葉を賢治が使おうとしたことを知ると、賢治の従来のイメージからはさらに離れていく。
 まさに、矢幡が指摘しているような「冷酷」さがこの〔聖女のさましてちかづけるもの〕にもあることを私は覚れたのである。となれば、賢治のこの性向はもはや否定できない。
 言い方を変えれば、「252c等の公開」は、賢治に対しても取り返しの付かないことをしてしまったとも言える。というのは、有名人とは雖も、当然賢治にもプライバシー権等があるはずだ。にもかかわらず、その配慮も不十分なままに、同第十四巻が私的書簡下書群を安易に世間に晒してしまったことにより、賢治には従来のイメージを覆す、背筋がぞっとするような冷酷さもあったということを、結果的に世に知らしめてしまったと言えるからである。
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 この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』

を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。
 延いては、
 小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、
『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。

 しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
 まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
 きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。
 すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。

 そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。

 そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。

 そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。

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