《東ニ病気ノコドモアレバ行ツテ看病シテヤリ》(「賢治詩碑」、平成29年10日5日撮影)
さて、平成29年8月9日に「宮沢賢治・花巻市民の会」の8月例会が行われた。イーハトーブセンター事務局長の指示に従って提出した本会のこの度の募金活動計画については、賢治学会の理事会からは「賢治精神」に則ったとても素晴らしい活動だということで賛同をもらい、学会としても大いにバックアップしましょうというような結果報告が聞けると思って臨んだ8月例会であったのだが……残念な当日となった。
まず、先月の7月19日の例会終了後に今回の募金の趣旨等を会長と私とでイーハトーブセンター事務局長に事前説明に行ったところ、8月5日に理事会があるから、7月中に正式に文書で出すようにと指示をされ、7月30日には次の文書を事務局長の指示通り提出したことを会員に報告。
次に、同理事会に出席していた本会会員でもある理事から、
実は、理事会における議案書の中にこの提出文書が綴じられておらず議題の中になかった。そこで急遽私が口頭で今回の募金について提案した。
ということなど、その概要が報告された。何と、イーハトーブセンター事務局長の指示に従って提出した文書が議案書の中に入っていなかったのである。
当然、理事会当日にはこの文書は各理事には配られていなかったことになるから、説明に時間を要したであろうし、時間のない中で検討されたということだから今回の募金の趣旨等が各理事にすんなりと理解してもらえなかったようで、結局理事会当日に結論は出ず、保留になったという。募金実施日まで一ヶ月ちょっとしかないというのにも拘わらずである。
私はこの顚末を知って、次のようなことが「賢治学会の理事会」で起こっていいのだろうかとまず疑問に思った。
イーハトーブセンター事務局長の指示通りに本会が提出した、平成29年7月30日付「宮沢賢治学会イーハトーブセンター定期大会の際の募金活動について」の文書が8月5日の理事会の際の議案書の中に入っていなかった。
ということをだ。正直に言えば、何かペテンに引っ掛かったような気もしたからだ。ついては例会を中断し、本会の会員でもある理事二人が、イーハトーブセンター事務局長に「なぜ提出した文書を議案書に入れなかったのか」と直接質したところ、
同事務局長は、「そんなことはこちら側で決めることだ」と言ったという。
(このことについては、後程(9月22日の定期総会会場で)私も事務局長から直接言われた)
ということは論理的には、このような募金活動に対してそれ程の意味と意義があると思っていない人達が「宮沢賢治学会の理事会」の議題を決めているということになる。(このことについては、後程(9月22日の定期総会会場で)私も事務局長から直接言われた)
私からすれば、この度本会が計画したこの募金活動は誰が見ても誰も反対しそうにない、そうだ大いにやろうじゃないかと殆どの方が賛意を示すような「賢治精神」の具体的な実践であるはずだが、斯くの如き対処をイーハトーブセンター事務局長等担当者がしたということからは、「賢治学会」というのにも拘わらず、「賢治精神」を軽んじ、その実践をないがしろにする人達が、手続を踏んで提案されたものを議案書に入れないと決めたのではなかろうかという可能性がある、ということが導かれるのではなかろか。
とまれ、私達としては同事務局長の指示の下で正式な手続を踏んだものであり、しかも今まであれこれとあちこちに働き掛けて練り上げてきた「賢治精神」を発揮しようという実践案であるから、5日の理事会における議案提出時点では、結果的には(そうした側はそうは思わなくとも、された側としては)門前払いをされていたという思いに私は駆られた。
そして一方では、この顚末を知った人の中には、「大いに結構なこと、理事会及び賢治学会としてもできる限りバックアップいたしましょう」という返事が来るどころか逆に、「賢治学会理事会幹部」は「賢治精神」を軽んじ、「賢治精神」の実践をないがしろにしたから、
あろうことか、「賢治学会理事の幹部」が「賢治精神」を発揮しようとする三陸支援の募金活動を握り潰した。
と受けとる人だっているかもしれない。とはいえ、「賢治学会」の定期大会に全国から集まって来る参加者に対して、三陸の被災地に思いを致しながら「賢治精神」をちょっとだけ実践しましょうと訴えて募金を呼び掛け、それを義捐金として東日本大震災の被災地の子どもたちに届けることはとても意味と意義のあることだし、それを「賢治学会」が今迄もそして今でも実践しているわけでもないのが実態だから、「市民の会」としては提案した募金活動を是非実施させてほしいと理事会に引き続き要望してゆくことにした。
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