不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

666 胡四王山にも初雪が降ったのだが・・・

2008-11-24 08:19:27 | 胡四王山とその周辺
 11月19日花巻にも初雪が降った。そこで、22日に雪化粧の胡四王山の報告をしようと思っ出掛けたのだが・・・

 表参道二の鳥居の傍の
《1 アキカラマツ?の黄葉》(平成20年11月22日撮影)

同じく傍の 
《2 落葉松の葉の浮く沼》(平成20年11月22日撮影)

同じく傍の
《3 三峰神社の鳥居》(平成20年11月22日撮影)

《4 参道脇の落ち葉》(平成20年11月22日撮影)

《5 表参道階段》(平成20年11月22日撮影)

というわけで、結構積もったはずだった雪はすっかり消えてしまっていた。そこで、階段の途中の”化女石”を過ぎたところで右折して散策路へ。
 すると、かろうじて残っていた
《6 苔の上の雪》(平成20年11月22日撮影)

《7 落ち葉の上の雪》(平成20年11月22日撮影)


《8 〃 》(平成20年11月22日撮影)

《9 うっすらと残る散策路の端の雪》(平成20年11月22日撮影)

《10 橋の上は真っ白》(平成20年11月22日撮影)

《11 雪に獣の足跡》(平成20年11月22日撮影)

獣の正体は?
《12 雪上の落ち葉》(平成20年11月22日撮影)

《13 散策路脇のヤマブキの黄葉》(平成20年11月22日撮影)

《14 小春日の散策路》(平成20年11月22日撮影)

《15 落ち葉のカーペット》(平成20年11月22日撮影)

《16 落ち葉に眼を近づけてゆくと》(平成20年11月22日撮影)

《17 可愛いキノコあり》(平成20年11月22日撮影)

《18 キノコの上にキラリ》(平成20年11月22日撮影)

《19 水晶の珠》(平成20年11月22日撮影)

《20 続く快適な散策路》(平成20年11月22日撮影)

《21 胡四王神社への階段》(平成20年11月22日撮影)

《22 イカリソウの黄葉》(平成20年11月22日撮影)

《23 胡四王神社社殿》(平成20年11月22日撮影)

《24 神社境内からの志和の城方向の眺め》(平成20年11月22日撮影)

中央の青色の橋(大正橋)の向こうの黒っぽい森が志和の城(いわゆる城山)であろう。

 ところで、胡四王山という名前そのものは賢治の作品には出てきていないようだが、「歌稿〔B〕」の「大正三年四月」と題された章の中の短歌
179     山上の木にかこまれし神楽殿
      鳥どよみなけば
      われかなしむも。

179a180  志和の城の麦熟すらし
      その黄いろ
      きみ居るそらの
      こなたに明し

179b180  神楽殿
      のぼれば鳥のなきどよみ
      いよよに君を
      恋ひわたるかも

   <『校本 宮澤賢治全集 第一巻』(筑摩書房)より>
に出てくる神楽殿とは胡四王山の神楽殿だと思うようになってきた。

 因みに、平成20年度『花巻市博物館 第7回企画展 胡四王山の世界』資料冊子によれば、これらの短歌の自筆原稿は次のとおりである。
【資料:賢治自筆歌稿】

この資料から判ることとして、#179を推敲したのが#179a180と#179b180であるということがある。よって、これらの3首はいずれも同じ想いを詠もうとしたはずで、これらはワンセットのものと考えてよい。
 そして、これらの短歌は章「大正三年四月」の中にあるから、大正3年4月~大正4年3月の間に詠まれたことになろう。さらに、#179a180の短歌には”麦熟すらし”とあるから麦秋の時期、初夏の頃の作品となろう。つまり、これらの3首は大正3年の5~6月頃の作品となろう。

 一方、大正3年といえば、4月に賢治は腸チフスで盛岡市岩手病院に入院し、同い年の看護婦(賢治ノートでは木村姓)に片恋をした時期でもある。実際、「文語詩篇」ノートには「かの人 もし 思はざらば我も苦しくはあらざらんを」とメモをしていると云う。そして、5月には退院して花巻に帰って家業の手伝いなどをしていたはず。
 このときのことに関して、山下聖美氏はその著書『宮澤賢治のちから』(新潮新書)において
 ちなみに賢治は、脈拍をとれれるだけの関係だった”初恋の人”と結婚したい、と両親に申し出、お互いに若すぎるから、と反対されている。
と述べている。

 となれば、もともと質屋や古着商の家業を嫌悪しながら鬱々として手伝っている賢治だったから、反対されればなおさら”かの看護婦”に想いを募らせていったことであろう。
 そこで賢治は、”かの看護婦”の住む所は志和(紫波町日詰)だったらしいから、時間をみつけては(手伝いをサボって)幾度となく神楽殿のある丘に登り、志和の城の方角を望みながら”かの看護婦”に想いを馳せてせつなさを紛らわしていたのだろう。

 では、これらの3首を詠んだ志和の城(紫波町方面)を見霽かすことの出来てなおかつ”山上の木にかこまれし”神楽殿のある所は何処なのだろうか。

 お判りのように、《25 境内からの志和の城方向の眺め》のとおり胡四王神社の境内から紫波町(志和の城)方面を見霽かすことが出来る。
 なおかつ次のとおり、
《25 胡四王神社神楽殿》(平成20年11月22日撮影)

はまさしく”山上の木にかこまれし”神楽殿である。

 よって、胡四王神社境内は『志和の城(紫波町方面)を見霽かすことの出来てなおかつ”山上の木にかこまれし”神楽殿のある所”』にふさわしい。つまり、胡四王神社の神楽殿はこの短歌に詠まれた神楽殿にピッタリである。
 
 なお、この短歌に詠まれた神楽殿は鳥谷崎神社のそれという説もあが、多分違うと思う。それは、次のような理由からである。

 実は、先程の3首を原型として詠まれたという文語詩未定稿『丘』
  森の上のこの神楽殿
  いそがしくのぼりて立てば
  くわくこうはめぐりてどよみ
  松の風頬を吹くなり
 
  野をはるに北をのぞめば
  紫波の城の二本の杉
  かゞやきて黄ばめるものは
  そが上に麦熟すらし
 
  さらにまた夏雲の下
  青々と山なみははせ
  従ひて野は澱めども
  かのまちはつひに見えざり
 
  うらゝかに野を過ぎり行く
  かの雲の影ともなりて
  きみがべにありなんものを
 
  さもわれののがれてあれば
  うすくらき古着の店に
  ひとり居て祖父や怒らん
  いざ走せてこととふべきに
 
  うちどよみまた鳥啼けば
  いよいよに君ぞ恋しき
  野はさらに雲の影して
  松の風日に鳴るものを

   <『校本 宮澤賢治全集 第五巻』(筑摩書房)より>
という詩がある。

 この詩の一行目『森の上のこの神楽殿』に注目すれば、残念ながら鳥谷崎神社は”森の上”とは言い難い。
 ”四っ角山(花巻城址)”の一角にある鳥谷崎神社だが、この山は”森”といえるほどのものでないからである。

 次は同じく二行目『いそがしくのぼりて立てば』に関してである。
 鳥谷崎神社は花巻小学校とともに花巻城址にある。そして外でもない、この花巻小学校の前身の”花城尋常高等小学校”は宮澤賢治の母校である。つまり、賢治は小学校時代のある時期この花巻城址にある校舎で学んでいたことになる。また、その校舎はこの鳥谷崎神社の境内と同じ高さにある。やんちゃだった少年賢治はこの辺りを駈けずり回ったことであろう。
 したがって、ここの神楽殿に辿り着くのに、なにもわざわざ『いそがしくのぼりて立てば』というような表現はしないのではなかろうか。

 また、三行目に『くわくこうはめぐりてどよみ』とあるが、鳥谷崎神社の境内は郭公が”どよむ”ほどの環境にはないし、なかったのではなかろうかと感ずる。

 さらには、『野をはるに北をのぞめば』見える『紫波の城の二本の杉』とある。測量学に詳しい賢治のことだから、”北”に望めるの北は真北であろう。だから鳥谷崎神社は適さないと思う。鳥谷崎神社から紫波の城(志和の城)を望めばその方角は北北東であり、真北にそれを望めるのは胡四王山神社から眺めた場合である。

 したがって、
 #179の『山上の木にかこまれし神楽殿』とは胡四王山の神楽殿のこと
であると結論できるのではなかろうか。

 こうなってみると、件の3首からは19歳の賢治のせつない恋心が伝わってくる気がする。おそらく、家業の手伝に鬱々としている賢治は時間をみつけては(抜け出しては)幾度となく胡四王山の頂にせわしく登り、”かの看護婦”の住む日詰(志和の城)の方角を見霽かしながら、叶わぬ想いをいくらかでも鎮めていたのだろう。

 というわけで、胡四王山の名そのものは賢治の作品には出て来ないが、件の3首や『丘』に実質的には詠まれているのだ考えるようになってきた。  

 なお、賢治の妹シゲによると、賢治に手を引かれて胡四王山に登ったことが数回あったという。また、槻の木の方向から胡四王山の急斜面をよじ登って行く賢治の姿が村人から目撃されたりしているという。とすれば、賢治はおそらく数え切れないくらい胡四王山に登っていたことが推測できる。

 よって、青春のほろ苦い思い出が残り、幾度も登ったであろう胡四王山が賢治の作品に顕わに登場していなくても、「経埋ムベキ山」の2番目に書かれていることは至極もっともだと思う様になってきた。などということなどに思いをめぐらしながら
《26 表参道の階段》(平成20年11月22日撮影)

を降りた。


 ”みちのくの山野草”のトップに戻る。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 665 胡四王山のコゴメウツギ | トップ | 667 胡四王山のキツリフネ »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
深まりゆく秋の風情 (tamayam2)
2008-11-24 12:50:31
深まりゆく秋の風情がよく感じられる写真
をたくさんみせていただき、ありがとう
ございました。11月6日~8日秋田県(田沢湖、
角館)に行き、帰りに盛岡にちょっと立ち寄り
ました。賢治のこと、啄木のことなど思いました。
お宅のBlogで紹介されている山の一つに
でも来年には、登りたいものだと思いましたよ。
お元気で!
返信する
さすが角館の紅葉と黄葉です (suzukishuhoku)
2008-11-24 14:02:55
今日は
 ご覧頂きありがとうございました。
 角館などにいらっしゃったとのこと、ブログも拝見させて頂きました。さすが角館の紅葉と黄葉は見事だと羨ましく思いました。
 仰ってるとおり、角館の花見にもどうぞお越し下さい、桧木内川のソメイヨシノの花のトンネル、武家屋敷の枝垂れ桜もなかなかですので。そしてその序でに、角館の隣り町の八津・鎌足のカタクリ群生地にもぜひお越し下さい。多分日本一だと思います。 
 また、岩手の山(別けても早池峰山)にもどうぞいらして下さい。
返信する

コメントを投稿

胡四王山とその周辺」カテゴリの最新記事