《コマクサ》(平成27年7月7日、岩手山)
私たちは今問われていないか
―賢治と〈悪女〉にされた露―
鈴木 守
「私たちは今問われていないか―賢治と〈悪女〉にされた露―」 の目次
一 はじめに
宮澤賢治が生前血縁以外の女性の中で最も世話になったのが高瀬露からである。ところが現実は、露はとんでもない〈悪女〉にされていて、いわゆる〈高瀬露悪女伝説〉が全国に流布しているというのが実態である。しかし、少しく調べてみただけでもそうとは言えなさそうであることに私は直ぐに気付く。
たとえば、賢治の主治医だったとも言われている佐藤隆房は、
桜の地人協会の、会員といふ程ではないが準会員といふ所位に、内田康子(高瀬露:投稿者註)さんといふ、たゞ一人の女性がありました。…(投稿者略)…
来れば、どこの女性でもするやうに、その辺を掃除したり汚れ物を片付けたりしてくれるので、賢治さんも、これは便利と有難がつて、
「この頃は美しい会員が来て、いろいろ片付けてくれるのでとても助かるよ。」
と、集つてくる男の人達にいひました((一))。
と述べていて、これに基づけば、露は〈悪女〉どころかその逆だからである。さらに、『新校本宮澤賢治全集第六巻詩Ⅴ校異篇』によれば、来れば、どこの女性でもするやうに、その辺を掃除したり汚れ物を片付けたりしてくれるので、賢治さんも、これは便利と有難がつて、
「この頃は美しい会員が来て、いろいろ片付けてくれるのでとても助かるよ。」
と、集つてくる男の人達にいひました((一))。
この歌の原曲は…(投稿者略)…「いづれのときかは」で、賢治が愛唱した讃美歌の一つである。宮沢清六の話では、この歌は賢治から教わったもの、賢治は高瀬露から教えられたとのこと((二))。
ということだから、賢治の弟清六は、賢治は露から讃美歌を教わっていたということを証言していたことになる。また清六は、 私とロシア人は二階へ上ってゆきました。
二階には先客がひとりおりました。その先客は、Tさん(高瀬露:投稿者註)という婦人の客でした。そこで四人で、レコードを聞きました。…(投稿者略)…。レコードが終ると、Tさんがオルガンをひいて、ロシア人はハミングで讃美歌を歌いました。メロデーとオルガンがよく合うその不思議な調べを兄と私は、じっと聞いていました((三))。
ということも証言している。二階には先客がひとりおりました。その先客は、Tさん(高瀬露:投稿者註)という婦人の客でした。そこで四人で、レコードを聞きました。…(投稿者略)…。レコードが終ると、Tさんがオルガンをひいて、ロシア人はハミングで讃美歌を歌いました。メロデーとオルガンがよく合うその不思議な調べを兄と私は、じっと聞いていました((三))。
よってこれらの証言等から、賢治は露からとても世話になっていたということや、当時、賢治と露はオープンで親密なよい関係にあった、ということが導かれる。
そしてもう一つ大事なことがある。それは、露は一九二一年(一九歳の時)に洗礼を受け、遠野に嫁ぐまでの一一年間は花巻バプテスト教会に通い、結婚相手は神職であったのだが、夫が亡くなって後の一九五一年にカトリック遠野教会で洗礼を受け直し、「五〇年の長きにわたって信仰の生涯を歩み通した」クリスチャンであった((四))、ということがである。
したがってこれらのことから常識的に判断すれば、露が〈悪女〉にされるということは道理に合わず、理不尽なことだ。
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2024年6月9日(日) 10:30 ▶ 13:30
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