![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/ce/1c3b717c0c606b9635fabfc156c84cb2.jpg)
今から93年前の大正15年の12月、賢治はここ下根子桜で何をしていたか。殆どないもしていない。賢治は12月2日に上京し、月末まで滞京していたからだ(ちなみに、大正15年12月の上京の際に賢治がチェロを持って上京したという証言は誰一人としていない)。
ではその当時、岩手では何が起こっていたか。稗貫郡も旱害だったが、隣の紫波郡ではとりわけ大旱害だったので、地元はもちろんのこと宮城や東京等からも陸続として救援の手が差し伸べられていた。
では92年前の12月賢治はここで何をしていたか。何もしていない。昭和2年の12月、賢治はここに居なかったからだ。賢治はこの年の11月頃の霙の降る日に澤里武治一人に見送られながらチェロを持って上京、約三ヶ月間滞京してチェロの猛勉強をしたがそれが祟って病気となり、明けて1月頃に花巻に戻ったからだ。
ならば、羅須地人協会時代の最期の年の昭和3年の12月に賢治はここで何をしていたのか。何もしていない。もはやこの年の8月に賢治は下根子桜から撤退していたからだ。
《1 》(平成31年12月3日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/d6/f7eeab1396e6dc406950b02d5ec5aaa5.jpg)
《2 》(平成31年12月3日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/2e/322b695de4440ad1184ae5848af7887d.jpg)
《3 》(平成31年12月3日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/a0/498c2e41e9531c7d13bb9a2008d1011c.jpg)
《4 》(平成31年12月3日撮影)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/d4/7b6d7bcdc5280822cd9703b44cda312d.jpg)
結局、羅須地人協会時代も含めて、賢治はこの賢治詩碑のある下根子桜の羅須地人協会の建物の中でサムサノ12月を過ごしたことはほぼなかったと言えるのだ。
続きへ。
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賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/c8/22d7287548711cb2a83b757841c5c0c6.jpg)
〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました。
そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
電話 0198-24-9813
ではその当時、岩手では何が起こっていたか。稗貫郡も旱害だったが、隣の紫波郡ではとりわけ大旱害だったので、地元はもちろんのこと宮城や東京等からも陸続として救援の手が差し伸べられていた。
では92年前の12月賢治はここで何をしていたか。何もしていない。昭和2年の12月、賢治はここに居なかったからだ。賢治はこの年の11月頃の霙の降る日に澤里武治一人に見送られながらチェロを持って上京、約三ヶ月間滞京してチェロの猛勉強をしたがそれが祟って病気となり、明けて1月頃に花巻に戻ったからだ。
ならば、羅須地人協会時代の最期の年の昭和3年の12月に賢治はここで何をしていたのか。何もしていない。もはやこの年の8月に賢治は下根子桜から撤退していたからだ。
《1 》(平成31年12月3日撮影)
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《2 》(平成31年12月3日撮影)
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《3 》(平成31年12月3日撮影)
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《4 》(平成31年12月3日撮影)
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結局、羅須地人協会時代も含めて、賢治はこの賢治詩碑のある下根子桜の羅須地人協会の建物の中でサムサノ12月を過ごしたことはほぼなかったと言えるのだ。
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〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました。
そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
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