みちのくの山野草

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本日の下根子桜(12/3、賢治詩碑)31

2019-12-03 18:00:00 | 下根子桜八景
 今から93年前の大正15年の12月、賢治はここ下根子桜で何をしていたか。殆どないもしていない。賢治は12月2日に上京し、月末まで滞京していたからだ(ちなみに、大正15年12月の上京の際に賢治がチェロを持って上京したという証言は誰一人としていない)。
 ではその当時、岩手では何が起こっていたか。稗貫郡も旱害だったが、隣の紫波郡ではとりわけ大旱害だったので、地元はもちろんのこと宮城や東京等からも陸続として救援の手が差し伸べられていた
 では92年前の12月賢治はここで何をしていたか。何もしていない。昭和2年の12月、賢治はここに居なかったからだ。賢治はこの年の11月頃の霙の降る日に澤里武治一人に見送られながらチェロを持って上京、約三ヶ月間滞京してチェロの猛勉強をしたがそれが祟って病気となり、明けて1月頃に花巻に戻ったからだ。
 ならば、羅須地人協会時代の最期の年の昭和3年の12月に賢治はここで何をしていたのか。何もしていない。もはやこの年の8月に賢治は下根子桜から撤退していたからだ。
《1 》(平成31年12月3日撮影)

《2 》(平成31年12月3日撮影)

《3 》(平成31年12月3日撮影)

《4 》(平成31年12月3日撮影)


 結局、羅須地人協会時代も含めて、賢治はこの賢治詩碑のある下根子桜の羅須地人協会の建物の中でサムサノ12月を過ごしたことはほぼなかったと言えるのだ。

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               電話 0198-24-9813

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