《青いケシ》(2010年7月10日撮影、雪宝頂)
さて前に何度か登場した川村尚三によれば、賢治は昭和2年、川村との「交換授業」が一段落した時に、『日本に限ってこの思想による革命は起こらない』『仏教にかえる』と断言して翌夜から賢治はうちわ太鼓で町をまわったと証言している<*1>ということだから、賢治はその後すっかり労農党とは縁を切ったものと推測されがちである。
ところがあながちそうとばかりも言えなさそうだ。それは煤孫利吉によれば、
「第一回普選は昭和三年(一九二八)二月二十日だったから、二月初め頃だったと思うが、労農党稗和支部の長屋の事務所は混雑していた。…(投稿者略)…事務所に帰ってみたら謄写版一式と紙に包んだ二十円があった『宮沢賢治さんが、これタスにしてけろ』と言ってそっと置いていったものだ、と聞いた。……。」(花巻市御田屋町、煤孫利吉談'67・8・8採録)
<『國文學』昭和50年4月号(學燈社)126p~>ということだし、その後も賢治は労農党の強力なシンパであったといえそうだからだ。
そしてこのことに関しては、父政次郎も小倉豊文に対して、
それらを知った父政次郎翁が「女に白い歯をみせるからだ」と賢治を叱責したということは、翁自身から私は聞いている。労農党支部へのシンパ的行動と共に――。
<『解説 復元版 宮澤賢治手帳』(小倉豊文著、筑摩書房、昭和58年)48p >ということであり、川村尚三も、
賢治と私とは他の人々との交際とはちがい、社会主義や労農党のことからであった。…(投稿者略)…
盛岡で労農党の横田忠夫らが中心で啄木会があったが、進歩思想の集まりとして警察から目をつけられていた。その会に花巻から賢治と私が入っていた。賢治は啄木を崇拝していた。昭和二年の春頃『労農党の事務所がなくて困っている』と賢治に話したら『俺がかりてくれる』と言って宮沢町の長屋―三間に一間半ぐらい―をかりてくれた。そして桜から(羅須地人協会)机や椅子をもってきてかしてくれた。賢治はシンパだった。経費なども賢治が出したと思う。ドイツ語の本を売った金だとも言っていた。
<『岩手史学研究 NO.50』(岩手史学会)220p~>盛岡で労農党の横田忠夫らが中心で啄木会があったが、進歩思想の集まりとして警察から目をつけられていた。その会に花巻から賢治と私が入っていた。賢治は啄木を崇拝していた。昭和二年の春頃『労農党の事務所がなくて困っている』と賢治に話したら『俺がかりてくれる』と言って宮沢町の長屋―三間に一間半ぐらい―をかりてくれた。そして桜から(羅須地人協会)机や椅子をもってきてかしてくれた。賢治はシンパだった。経費なども賢治が出したと思う。ドイツ語の本を売った金だとも言っていた。
と語っているという。しかも『新校本年譜』によれば、
昭和二年一一月から三年三月の三・一五事件で検挙されるまで「無産者新聞」の「編集局の一員として、各地の支局通信を管理もしていた」石堂清倫は「岩手の花巻支局員は有能かつ熱心なひとで、一カ月に二回は通信をおくってきました、そのなかで宮沢についての報告が二回あいり、一回は無新の輪転機購入カンパニアに応じて彼から金子をもらったとあります。」「二回目の通信には彼が労農党の支部に印刷器(たぶん謄写版でなかったかと思いますが)をカンパしたとありました。」と栗原敦あての書信(平成八年一〇月二九日消印)で証言している。
<『新校本宮澤賢治全集第十六巻(下)年譜篇』(筑摩書房)361p>という。
よって、もはやカンパの受け取り側の者までもがこのように証言していることになるから、賢治は労農党の強力なシンパであったことはこれで確定的だし、進歩思想の集まりとして警察から目をつけられていた『啄木会』の、賢治は会員でもあったということを川村も証言しているということになる。
どうやらこれだけの証言が揃った以上、賢治はかなりの期間にわたって労農党の少なくとも「強力なシンパ」以上の存在であったことは間違いなかろうから、官憲からはかなりマークされていたであろうことは疑いようがない。
そこでもう少し『啄木会』のことを調べてみようと思って資料を漁っていた時、たまたま手に取った『啄木 賢治 光太郎』の中に、
労農党は昭和三年四月、日本共産党の外郭団体とみなされて解散命令を受けた。…(投稿者略)…
この年十月、岩手では初の陸軍大演習が行われ、天皇の行幸啓を前に、県内にすさまじい「アカ狩り」旋風が吹き荒れた。横田兄弟や川村尚三らは、次々に「狐森」(盛岡刑務所の所在地、現前九年三丁目)に送り込まれたいった。
<『啄木 賢治 光太郎』(読売新聞社盛岡支局)28p~>この年十月、岩手では初の陸軍大演習が行われ、天皇の行幸啓を前に、県内にすさまじい「アカ狩り」旋風が吹き荒れた。横田兄弟や川村尚三らは、次々に「狐森」(盛岡刑務所の所在地、現前九年三丁目)に送り込まれたいった。
という記述に出くわした。その途端私は、
これだっ!、件の「演習」とはこの「陸軍大演習」のことだったのだ。
と直感し、抃舞した。
そして思い出した。たしか、何かの本に、
八重樫賢師は賢治から教えを受けた若者で、下根子に賢治のような農園をひらき労農党の活動をしていたという。しかもこの八重樫は「陸軍大演習」の直前に要注意人物ということで北海道に所払いとなり、客死した。
というような内容のことが書かれていた<*2>ことを。それからもう一つ、賢治の教え子の小原忠が論考「ポラーノの広場とポランの広場」の中で、
昭和三年は岩手県下に大演習が行われ行幸されることもあって、この年は所謂社会主義者は一斉に取調べを受けた。羅須地人協会のような穏健な集会すらチェックされる今では到底考えられない時代であった。
<『賢治研究39号』(宮沢賢治研究会)4p >と述べていたことも思い出した。もちろん小原が言うところの「昭和三年の大演習」とはこの「陸軍大演習」のことであると判断出来る(それ以外の「昭和三年の大演習」は考えられないからだ)。
こうなってしまうとただごとではない。「陸軍大演習」を前にして行われたすさまじい「アカ狩り」で川村が捕まり、八重樫が北海道に追放されたのだから、彼等との繋がりの強かった賢治に官憲の手が伸びないはずがない。そして前述の小館長右衛門は当時戦闘的な活動家だったと聞くが、この時の「アカ狩り」によって彼が小樽に奔ったのも昭和3年8月だったという<*3>が、賢治が「下根子桜」から撤退したのも昭和3年8月だ。さらに、「佐藤好文も昭和三年秋の陸軍大演習の取締りには〝要視察人〟の危険人物とみられて、盛岡警察署から旅費を支給され、〝県外追放〟を受けて、関西方面に旅行し姿をくらまさねばならなかった」ということだから、この「撤退」が「陸軍大演習」と無関係だったということはもはや否定しがたい。
しかもこの「演習」であればあの「架橋演習」等とは違って、教え子の小原が知っていたように、教え子の沢里武治宛書簡中に「演習が終るころはまた根子へ戻って今度は主に書く方へかゝります」と書いても、沢里にはこの「演習」が何を意味するかは容易に分かったであろう。しかも、当時の新聞は八月末以降この「大演習」に関連してしばしば報道がなされていたからなおさらにである。
となれば、
と断定して間違いなかろう。このようなことは、大内秀明氏や三浦幸司氏以外の賢治研究者は誰一人として主張しておられないようだが、私はこう確信出来たのだった。
<*1:投稿者注> 昭和2年に賢治と川村尚三との間で行われた交換授業の結末についての、川村の追想が『岩手史学研究会 No.50』の中に書かれており、
夏から秋にかけて読んでひとくぎりしたある夜おそく『どうもありがとう、ところで講義してもらったが、これはダメですね、日本に限ってこの思想による革命は起こらない』と断定的に言い、『仏教にかえる』と翌夜からうちわ太鼓で町をまわった。農民は底にひそめた叛逆思想をもっていて、すくいがたいがとにかく今一番困ることにてだすけしてやらねば……というようなことを言ったのも記憶している。」(花巻市宮野目本館、川村尚三談、名須川溢男採録一九六七・八・一八)
<『岩手史学研究会 No.50』(岩手史学会)220p~>と名須川溢男が紹介している。
<*2:投稿者注> 名須川の論考「賢治と労農党」には次のような注があった。
八重樫賢師とは、羅須地人協会の童話会などに参加し、賢治から教えをうけていた若者。下根子に賢治のような農園をひらき労農党の活動をしていた。後に陸軍大演習、天皇御幸のとき昭和三年、北海道に要注意人物で追放され、その地に死す。
<鑑賞現代日本文学⑬ 宮沢賢治』(原子朗編、角川書店)266p~><*3:投稿者注> 上田仲雄氏は論考「岩手無産運動史」の中で次のようなことを述べている、
労農協議会に属し、最も戦斗的な小舘長右ェ門が八月無産運動により逃避し、北海道、小樽に移転、商業を営む。
<『岩手史学研究 NO.50』(岩手史学会)68p~>
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