まろの陽だまりブログ

顔が強面だから
せめて心だけでもやさしい
陽だまりのような人間でありたいと思います。

障害者雇用のインチキ

2018年08月26日 | 日記

身のまわりでごく普通に
障害者の人たちが生活したり働いたりしているのは
健全な社会であり、当たり前のことである。
二年後に迫ったパラリンピックの開催も大いに注目される。

ところが実態はコレである。
民間企業の規範となるべき国の省庁や機関が
42年間も障害者雇用の「水増し」を行って来たと言う。
その数は実に6、7千人規模とか。
呆れてモノが言えないとはこのことである。
そもそも障害者雇用の促進を決めたのは国の方針であって
民間企業には厳しい罰則までもうけて
文字通り国を挙げて「福祉国家」の実現に邁進して来たはずなのに
その言い出しっぺがインチキをしていたと言う。
公文書の改ざん問題にも呆れたが
これは生身の人間に関わることなので笑って済まされる問題ではない。
ひたすら「帳尻合わせ」だけのお役所仕事である。
と言うか障害者雇用の理念を根本からはき違えた暴挙である。
問題はたちまち地方の自治体や公共団体にも広がり
まったく目も当てられない。
雇用条件は障害者手帳の確認だけで済むことなのに
どうしてこんなインチキがまかり通るのか。

法定雇用率を達成できなかった民間企業は
一人不足あたり年間5万円の納付金〈罰金〉が義務付けられていて
昨年度は約4万社から295億円が徴収されたという。
このお金はどこへ行くのか?
独立行政法人の『高齢・障害・求職者雇用支援機構』という団体で
これは厚労省最大の天下り先になっていると言う。
障害者雇用という美名のもと
これが役人たちの巨額な退職金の原資となっているとすれば
まさしく何をか言わんかなである。

亡くなった両親はともに障害者であった。
母親は視覚障碍者、父親は交通事故による右半身不随。
ともに障害者手帳一級の資格者だった。
その苦労も障害者としての不遇も一緒にいてよく知っているだけに
この問題には特別な思い入れがあるのかも知れない。
障害者雇用は「福祉」の問題ではなく人間の「能力」の問題だと思う。
障害者の人の適性や能力を丁寧に見極め
誰もが生き甲斐や働き甲斐を感じながらイキイキと生きることが
本当の「働き方改革」ではないかと思う。

 


母と子の最後の夏

2018年08月25日 | 日記

奥に見える三人の母子連れ。
たまたま地下鉄で向かいの席に座ってから
JRの乗り換え駅でも一緒になって
楽しそうに前を歩く三人の様子をずっと眺めていました。

サラリーマン客がほとんどの中
母子の幸せそうな姿だけが輝いているように見えました。
お母さんの手を握る妹さんは
「となりのトトロ」のメイちゃんそっくりのオカッパ頭で
駅の階段をピョンピョン駆け上がていました。
お土産の菓子折りを持ったお兄ちゃんは
妹に「走るな!」などと注意しながらも抑えきれないようで
思わず自分も走り出してしまっていました。
新品のリュックを背負って見るからにウキウキしていました。

お盆も働きづめだったお母さんは
やっとパートの休みが取れたので遅い帰省でしょうか。
ご主人は休みが取れなかったのか・・
ひょっとして母子家庭なのかも知れませんねえ。
こちらも目いっぱいオシャレをして
子供たちを見守る笑顔に慈愛があふれていました
夏休みも残すところあと一週間。
三人を乗せた山手線は新幹線が待つ品川駅へ一直線。
楽しく嬉しい最後の夏です。

 


石窯パンの店

2018年08月24日 | 日記

最近、なぜかパンに凝っている。
肩も凝っているがパンにも凝り始めている。
と言ってもパンづくりではなく食べるだけなのだが。
きっかになったのはこの店である。

五反田駅のガード下にあるオシャレなパン屋だ。
石窯で焼いたパンの専門店らしい。
朝早くからやっていて出勤途中にもいい匂いがして
ついつい食欲をそそられる。
店名の「Rød"」は赤という意味で遠赤外線のイメージらしい。
私は朝食はもっぱら白いご飯と味噌汁派で
時間がない時にたまに食パンをかじる程度なのだが
この店を知ってからはすっかり「パン党」に宗旨替えしてしまった。

石窯の熱でじっくり焼いたパンは
外はこんがり噛みごたえがあって、中はしっとりモチモチ。
いわゆる「ハード系」と言うのだろうか。
噛めば小麦のいい香りが漂ってシンプルな味で飽きが来ない。
朝だけでなく夕食にも食べたくなってくる。

サンドイッチ系のメニューも豊富だ。
間に挟んである具材もよほど厳選されているのだろう。
素材の持ち味が生きていて実に美味しい。
家人は無類のパン好きだけに
目の色を変えてむしゃぶり食っている。

持ち帰り用の袋も気に入っている。
シンプルでオシャレで小麦のロゴイラストが可愛い。
ということで・・・
この日の我が家の食卓は買って来たパンと
ジャガイモや玉ねぎやニンジンをブロックベーコンと煮込んで
トマトの酸味を効かした具だくさんスープ。
もちろんビールも飲んだが、美味しいパンはビールにもよく合う。
それにしてもこの年になってパンに目覚めるとは
いささか遅すぎると後悔しきりである。
但し、このパン屋、チト高い。
毎日でも食べたいが、そんなことしたらたちまち破産してしまう

 


五反田暮らし

2018年08月23日 | 日記

東京は五反田の空である。
この街で働くようになって間もなくひと月だ。
マンションの管理人という
相変わらず身過ぎ世過ぎの情けない仕事である。

建物を撮るといろいろ差しさわりがあるので
屋上からの写真で勘弁願いたい。
築40年以上という恐ろしく古いマンションである。
地上13階、総戸数は120あまり。
ほとんどがワンルーム仕様の単身者用のマンションで
学生や独身サラリーマン、夜の仕事〈?〉の女性もいるようである。
3階は店舗やオフィススペースで
事務所以外には歯医者や美容室も入居している。
ちょうど古いビジネスホテルのような雑居ビルである。

JR山手線の五反田駅から徒歩3分の至近である。
東急池上線や都営地下鉄浅草線の五反田駅からもほぼ同じ距離だ。
今までに全く馴染みのない街だが
以前、通っていた赤羽駅に比べて表情がない街である。
ポーラ化粧品や学研の本社もあって意外なことほど通勤客も多い。
死んだ親父は以前ポーラのセールスをしていた時代もあり
その引き合わせではないかと思ったりする。
すぐ前を桜で有名な目黒川が流れていて
春には花見が楽しめるのではないかと今から楽しみにしている。

で、私はここで何をしているかと言うと・・・
仕事はもっぱら掃除である。
来る日も来る日も床に掃除機をかけモップ拭きに精を出し
ひたすら掃除に明け暮れている。
なにせ築40年の老朽マンションだからあちこちにガタが来ている。
おまけに前の管理人がろくに掃除をしなかったせいで
館内は怖ろしく汚い。
黄バミ黒ズミだらけでホコリがうず高く積もっている。
このままでは一生かかっても掃除が終わらないのではないかと
茫然自失、暗澹たる気持ちになることがある。
愚痴を言うとキリがないが
これも我が宿命かと半ば諦めの心境になって来た。

で、本日のお弁当である。
周囲には飲食店がワンサとあるのだが
どこも満員で人もワンサと溢れていてとても行列に並ぶ気がしない。
ホコリだらけの汚い管理事務所でも
窓口のカーテンを下ろして一人で弁当を食べるのが至福である。
大好きな玉子焼きと昨夜のおかずの残り物。
フルーツは豊水なしと巨峰。暑いので味噌汁はなし。
勤務は朝8時から夕方4時まで。
休みは日曜だけだからほぼ「五反田暮らし」の日々である。
いつまで続くのだろうか・・・

 


夏の詩情

2018年08月22日 | 日記

蒸し暑い日でしたねえ。
猛暑復活などという言葉が浮かびました。
でも、その暑さににもどことなく力がなくなってきたような。
そう感じるのは私だけでしょうか。

帰り道に昆虫少年を見かけました。
ちょっと中を覗くと虫かごには数匹のバッタがいます。
真っ赤な帽子に首には赤いタオル。
汗をかいたらちゃんと拭かなきゃダメよなんて
母親に送り出されたのでしょうか。
いいですねえ、可愛いですねえ。
小学校に上がったばかりぐらいの年齢ですが
私はこういう昆虫少年を見ると
どうしようもなく郷愁を感じてしまうんですよねえ。
郷愁と言うより「詩情」かも知れません。
オイオイ、またその話かよ!
読者の皆さんにはヒンシュクかもしれませんが・・・

蛇足ついでに・・・
数年前に描いたスケッチも載せてみます。
私がいかに昆虫少年に郷愁を感じているか分かると思います。
夢中で虫網を振り回す少年の無邪気さと
上空を飛ぶ無数の赤トンボ。
私がもっとも詩情を感じる瞬間ですねえ。
そうそう、絵の中央にそびえるのは清掃工場の煙突です。
朝な夕な、春夏秋冬・・・
この煙突も公園のシンボルとして風景と一つに溶け合って
私に詩情を感じさせてくれたものですが
残念ながらもうありません。
解体工事が終わり跡形もなく姿を消してしまいました。
時とともに、時代とともに
郷愁も詩情も消えていく運命かも知れません。