まろの陽だまりブログ

顔が強面だから
せめて心だけでもやさしい
陽だまりのような人間でありたいと思います。

児童相談所

2018年10月31日 | 日記

五反田の空である。
暑からず寒からずの程よい陽気になって来た。
10月も今日で終わりだなあとしみじみ思う秋である。

昼休みにはお弁当を食べながら
たまった新聞をつらつら読むのが日課である。
最近はNHKラジオを聴くのも新しい日課になっている。
お気に入りは「昼の憩い」という番組で
視聴者からの季節のお便りや俳句を読むコーナーがある。
ほのぼのとしたお便りの内容もさることながら
あの懐かしいテーマソングがいい。
私の子供の頃からあの曲だったような気がするが
もう何年やっているのだろうか。

せっかくいい気分で新聞を読んでいたのに
イヤなニュースが目にとまる。
港区が南青山に新たな「児童相談所」の設置を目指しているが
住民たちの猛反対でとん挫しかかっていると言う。
南青山は都内でも有数の高級住宅地だが
そんなところによりによって児童相談所を建設するなんて
けしからんと怒っているらしい。

  「この周辺のランチの値段を知っているのか。1000円以上だ!」

  「超一等地にそんなものを持ってくると港区の価値が下がる!」

  「触法少年たちにウロウロされたら迷惑だ!」

まるで迷惑施設と言わんばかりである。
港区の住民はよほど特権意識が強いのかと呆れ果ててしまう。
住民エゴと言ってしまえばそれまでだが
コトは葬祭場やゴミ焼却施設を建設するのとは訳が違う。
ランチが1000円だからどうした!

児童相談所といえばやはりあの事件を思い出す。
香川から東京・目黒に引っ越して来たまだ五歳の女児が
両親から満足な食事も与えられず、度重なる虐待を受けたあげく
「お願いです。もう許してください」などと
たどたどしい文字の反省文を残して死亡した悲惨な事件。
この事件でも児童相談所どうしの連携がもう少しうまく行っていれば
相談員の気づきがもう少し早ければと悔いが残った。
児童相談所は相次ぐ児童虐待を瀬戸際で防ぐいわば最後の砦だが
それを不動産価値やランチの値段と同列で語るのは
あまりにも現実を踏みにじる暴言ではないか!
怒りを通り越して悲しくなってくる。
もちろん児童相談所のあり方についてはいろいろ意見はあるが
下らぬ見栄や体裁だけで門前払いとは・・・
日本人はもっと「寛容な国民性」ではなかったかと
情けない思いになるのである。

 


角替和枝さん

2018年10月30日 | 日記

映画やテレビを見ていても
とってもいい役者さんで存在感もあるのに
名前を知らないことがある。
どこかで聞いたり見たりしたかも知れないけれど
名前を思い出せない人がある。

そんな女優さんだったと言えば
ずいぶん失礼かも知れないけれどそうだった。
角替和枝さん、64歳。
数多くのドラマや映画でお見受けして来たような気がする。
バイプレーヤーと言ってしまえばそうだけれど
そんな言葉だけではくくり切れない
演技の幅と独特の存在感があったような気がする。
ご出身は静岡だそうだが
どこか江戸っ子を思わせるきっぷのよさが演技にあった。

何よりもあの笑顔がよかった。
私とほぼ同い年だがいくつになっても可愛らしさがあって
ちょっと魅了されるような笑顔だった。
私生活では自他ともに認める無類のゲーム好きで
あまりにハマり過ぎて手首を疲労骨折したこともあったとか。
それでも手首を固定して続けたと言うから凄い。
息子さんを叱る時もゲームになぞらえて
「お前はマリオやゼルダに何を学んだ!」などと
ずいぶん型破りなどと母親だったらしい。
本当に可愛い人だったと思う。

俳優の柄本明さんの奥さんだと知ったのも
今回が初めて驚いてしまった。
まあ、あの小難しい男が惚れたのだから
私などには窺い知れぬ魅力があるのだろうと思う。
つかこうへい事務所から東京乾電池という堂々たる役者経歴も
ユニークだし実力の証だろうか。
映画でもテレビでもいいからもう一度
角替さんの軽やかな演技を観たかったと心から思う。

 


ちひろ美術館・秋

2018年10月29日 | 日記

何年かぶりに「ちひろ美術館」を訪ねた。
サイクリングの途中に
ふと思い立って石神井の住宅街へ。
懐かしい美術館の建物は今もちゃんと健在だった。

自転車を表にとめると館内からは
もう賑やかな子供たちの歓声が聴こえて来る。
我が家も東京に来て間もない頃は
まだ子供が小さいこともあってよくこの美術館を訪ねた。
信州・安曇野にも「ちひろ美術館」の別館があるが
旅行がてら家族で出かけたこともあった。

いわさきちひろは絵本作家である。
聞けば今年は生誕100年にあたるそうで
全国各地で展覧会やイベントが催されているらしい。
そう言えばこの間まで東京駅のステーションギャラリーで
いわさきちひろ展が開かれていた。
誰もが一度は目にしたことがある淡い水彩画で
この日も子供に絵本の読み聞かせをしているお母さんが驚くほど多く
ちひろ人気も健在だなあ・・・とあらためて思った。

 

妙に懐かしさをかきたてる画風である。
色彩の淡い水彩画はいかにも「少女趣味」を思わせるが
デッサンがしっかりしていて
上手な絵だなあとあらためて感心する。
この絵のタッチがよくも悪くも画家の魅力である。

この季節らしい「お月見」の風景だろうか。
もう中高年の年代の私ではあるが
この絵にも少年の頃の言いようのない郷愁を覚える。
いわさきちひろは生涯を通じて
「子供の幸せと平和」をテーマに描き続けた画家である。

生前のアトリエも公開されている。
館内で唯一、心落ち着く大人の空間である。
一見、誰でも描けそうな単純で淡い画風でありながら
いや、だからこそ
ちひろは一枚一枚の絵に心をこめ
まさしく血みどろの格闘を重ねて来たのだろうと思う。
こんな心地よい仕事場あれば
私ももっともっと傑作が書けていただろうとも思う。〈笑〉

画材を見ると身が引き締まる思いがする。
いわさきちひろは徒手空拳、まさに絵筆一本で世界と対峙し
その絵本を通して子供たちの幸せを
子供たちの生きる時代の平和を祈念し続けて来た。
とにかく戦争が大嫌いだった。
ちひろがもし生きていたら何を描くだろうか
どんな絵を描くのだろうか
などと思ったりした秋の日である。

 


新宿御苑の事件

2018年10月28日 | 日記

久しぶりに新宿区御苑なう。
紅葉の具合いはどうかいなあと視察に来ましたが
残念ながら気配はまだまだです。
そう言えば新宿御苑をめぐるとある「事件」が
先日、発覚したのをご存じですか?

最近、ますます外国人観光客が増加する新宿御苑。
やたらとうるさくて傍若無人な中国人観光客には閉口しますが
公園職員の中にも外国人入園客の急増を
快く思わずというか露骨に嫌がる職員もいるそうなんですねえ。
それは英語が苦手な職員で
外国人の応対や料金の問い合わせに恐怖を覚えるとか。
まあ、言葉が通じないので無理はありませんが
外国人と話すのがイヤなので関わり合いにならないように
入園券をただで配っていたと言うのです。

新宿御苑は環境省の管轄で
入園料は大人200円に設定されています。
どこぞのバカ高い遊園地に比べてかなり安いとは思うのですが
ただで配った入園券の被害は総計で二千数百万に上るとか。
これは「業務上横領罪」に当たるのてしょうか。
公園には入園券の自動販売機も備えてあったと思うのですが
それほど外国人との関りを避けていたとは
このグローバル時代にはめずらしく奇特な人だと
妙に感心したりしました。

そんな事件など素知らぬ風に
公園はいたってのどかでいつもと変わらぬ風景でした。
相変わらず外国人ばかりでしたが
「無料の入園券よこせ!」というヤカラもおらず
じつに平和そのものでした。

ケヤキの大木が唯一
秋らしく赤みを帯びて来たようです。

新宿御苑は桜の名所でもありますが
桜の葉っぱの紅葉もチラホラ。

プラタナスの並木も少しずつ秋の気配。
確かスズカケノキの仲間だったとおもうのですが
この黄葉も味わいがありますねえ。

プラタナスの並木の下では
秋バラが満開の風情で人だかりが出来ていました。
飛びかうのは中国語ばかりで
高そうなカメラは例外なく日本製でした。

このバラの名はピカソ。
道理で前衛的な色彩だと思いました。

足もとにはドングリがびっしり。
朝方に降った雨に濡れてキラキラと輝いていました。

出口近く見つけた真っ赤な実。
紅葉の気配がイマイチだったので
この深紅の実の鮮やかさが目に焼き付くようでした。
でも、この木なんだったのか・・・
どうしても名前が思い出せないままで残念でした。
最近、花の名前や木の名前が思い出せないことが多くて
私にとってそれが何よりの「事件」でした。

 


祝婚歌

2018年10月27日 | 日記

秋は結婚式シーズンです。
私は仕事で出席できませんでしたが
先日も妻と息子は親戚の結婚式に大阪まで行ってきました。
その報告を聞きながらついつい自分の結婚式を
懐かしく思い出したりは、しませんでした。〈笑〉

この間、図書館で借りた吉野弘詩集を
仕事の合間にパラパラとめくったりしています。
どれもいい詩ばかりですが
その中に「祝婚歌」という有名な詩が載っています。
実際に吉野さんが親戚のお嬢さんの結婚式に出席する折に
記念に贈られた詩だと聞いています。
これがなかなか味わい深い詩で
結婚式に出席する中高年のバイブルのようになっているそうです。

     二人が睦まじくいるためには

○○○○ 愚かでいるほうがいい

○○○○ 立派過ぎないほうがいい

○○○  立派過ぎることは

○○○○ 長持ちしないことだと

○○○○ 気づいているほうがいい

○○○  完璧をめざさないほうがいい


○○○  完璧なんて不自然なことだと

○○○  うそぶいているほうがいい

○○   二人のうち どちらかが

○○○  ふざけているほうがいい

○○○  ずっこけているほうがいい

○○   互いに非難することがあっても


     避難できる資格が自分にあったかどうか

○○○  あとで疑わしくなるほうがいい

○○   正しいことを言うときは

○○○  少しひかえめにするほうがいい

○○   正しいことを言うときは

○○○  相手を傷つけやすいものだと

○○○  気づいているほうがいい

○○   立派でありたいとか

○○○  正しくありたいとかいう

○○○  無理な緊張には色目を使わず

○○○  ゆったりゆたかに

○○○  光を浴びているほうがいい

○○   健康で風に吹かれながら

○○○  生きていることのなつかしさに

○○○  ふと胸が熱くなる

○○○  そんな日があってもいい

○○   そしてなぜ 胸が熱くなるのか

○○○  黙っていてもふたりには

○○○  かるのであってほしい


やっぱり詩人らしい奥深くやさしい言葉ですねえ。
結婚式のオヤジたちの決まり文句「互いに空気のような存在であれ!」
などという教条的な言葉とは一味違っています。
私はこの詩の「生きていることのなつかしさ」という分部が好きで
何かの作品に勝手に引用したことがあります。
吉野さん、ごめんなさい。
結婚のあり様も結婚式という形式も
この時代とはずいぶん違って来たような気がしますが
夫婦が一緒に暮らすことの「たしなみ」は
その原点少しも変わっていないような気がしますねえ。